初めに:みんなが押し寄せた
 トルコの大地は、4,000年ほど前から長く複雑な歴史の舞台となりました。これほどに東西南北から多種多様な人々が押し寄せたのには、理由がありそうです。

 東地中海の周辺で、メソポタミア、ヒッタイト、クレタ、ペルシャ、ギリシア、ローマ文明などがおきました。それらの民族は、言語学的に同じルーツを持っていた、と考えられています。遺跡は見つかっていませんが、その想像上の民族を「インド・ヨーロッパ語族」と呼んでいます。

 「インド・ヨーロッパ語族」は黒海かカスピ海の北側にいて、紀元前3000年頃に枝分かれするように南下して先の文明を築いたはずだと言われています。枝の一本が、トルコの大地における最古の国家、ヒッタイト帝国を紀元前1600年頃に築きました。

 各地で定住農耕が始まり、都市が築かれます。そして無人の土地へ移民し、先客がいれば侵略します。一方、サウジアラビアからの「セム語族」はアラブ民族となり、ナイル川上流からの「ハム語族」はエジプト人となり、中東に北上して、互いに触れあい、激突します。三つの語族を母体とする様々な民族が、東地中海を囲んで交易と戦争を繰り返しました。陸路はトルコの大地しかありません。

 一例は、紀元前4世紀のアレクサンドロス3世です。ギリシア全土を服属させ、トルコの南岸を駆け抜け、シリア、エジプト、ペルシャを征服します。その移動で、ギリシア文化が蒔かれます。大王の死後には、後継者争いに生き残った将軍たちが、かつてのヒッタイト文化の痕跡やペルシャ文化を払拭して、ヘレニズムという「オリエント的なギリシア文化」でエフェソスを築きました。

 また、西暦4世紀頃に、ローマ帝国を継承したギリシア人が「ビザンティウム」に、後にビザンツと呼ばれる帝国を築きます。町の名前を「コンスタンティノープル」へ変え、地中海沿岸のほとんどを領地とします。が、6世紀頃にトルコ族が移住し始め、11世紀頃から大きな勢力となり、1453年の、テオドシウス2世の城壁をはさんでの壮絶な戦いが生じます。約1000年間「ローマ帝国と名のったギリシア人によるギリシア正教の国」は、首都名が「イスタンブール」に変えられると同時に、「中央アジアから住みやすい土地を求めたトルコ民族のイスラム国家」に激変します。

 時は経て19世紀、場所はトルコの大地の真ん中です。農民がフランス人旅行者を、「この世で一番高貴な人物である、オスマントルコの皇帝の浮彫」がある岩場へ案内します。それは、紀元前13世紀の「ヒッタイト帝国のトゥトゥハリヤ4世」でした。

 2001年5月、青い地中海に浮かぶトルコの大地は、芽吹きそろった緑に被われていました。チャタル・ホユックの8000年前の神殿で牛の角を眺め、丘に石が並んでいるハットゥシャでは3600年前の可愛い雄牛の水差しを愛で、クレオパトラが歩いたエフェソスでは1800年前の絵文字の解読にとりくみました。3日間右往左往したイスタンブールでは、7kmの城壁を縫い歩きます。ちょうど学年末の遠足の時期でした。博物館で、ハポネ?と声をかけてくる小中学生たちに、20世紀の政教分離を感じました。