旅のしおり1枚目…銀河のトルコ石「トルコ土産はトルコ石」と思い込んでいる家族を無視できない状況で、私は旅行に出ました。テロで銃撃されようと、大地震が起きようと、彼女が納得するそれを手に入れなくてはなりません。そこらの山を掘る時間もなく、土産物店で物色することになります。
絨毯工場や陶器店や皮革製品は、目の保養です。しかしトルコ石専門店ともなれば、自分の置かれた立場を反芻しながら、いかにもイスラム圏の商人らしい口上に耳を傾けます。日本語です。
「よろしいですか、今、布で半分下を隠したこの石とこの石、同じですね。では、下半分をお見せします。ほら、この石は割れ目が白くて、この石は割れ目も同じですね。ほどんど誰にもわかりません、割るまでは。それじゃ、はい、あなた、トルコ石は割ってから買いますか? とんでもない。じゃ、どうするか。しっかりした店で買うんです。この私の店では保証書を出します。安心して、安心して買って下さい。高い? そうです、いいトルコ石は高いんです。でも、お値段、交渉できます。この店の全部のトルコ石、本物です。どうぞ、ごゆっくり、ご覧下さい」
日本を発ってからトルコ石という強迫観念から放たれたことがなく、イスタンブール空港に着いてからずっと、貴金属店のウインドウを舐めるように見入ってきました。様々な色合い、金の混じり具合、大きさ、値段がありました。
でも、このトルコ石専門店の一番奥に展示してあるそれは、次元を異にしていました。何という青色でしょう。明るく、濃く、深く、澄んでいます。ちりばめられた金は、天の川のようです。10センチ四方で、厚みは2ミリ。空気で満たされた宇宙です。これで不満を言われるようでは、彼女との人間関係を考え直さなくてはなりません。
女性の店員に、ケースから出してもらいます。指先に心地よい重みがかかります。裏側にも天の川。あとは割って確認するだけ──。「いくらだね」 値段を言わずに、彼女は、この石の板は特に貴重であり、次にいつ入手できるかどうかわからない、自分がこの店に勤めてからこんな石は見たことがない、と滑らかな英語で話します。いつのまにか、先ほどのトルコ石の解説者が隣りに寄ってきていました。「いくらかな」「それですね」と、解説者が冷静に言いました。小さな秤をショーケースに置き、青い板を乗せます。角度が変わると、金の輝きが変化します。天の川のそばには、遠い銀河を感じさせる金の斑点が散らばっています。彼は息を止めて目盛りを読み、電卓を叩きました。「アメリカ・ドル?」
「はい」
また、電卓を叩きます。
「あなたはラッキーですね。これに目をとめられるなんて。大げさでなく、世界中で他にないでしょう。ナイス・プライスです、3,800ドル」45万円だと暗算した瞬間に、忘れることにしました。もう一度トルコへ来て、イスタンブールの五つ星ホテルに二、三週間は連泊できる金額です。どうせ、日本に帰って話しさえしなければ、あの女性はその板の存在を知る由もないのです。その後の支払いに苦労しようと、来春の海外旅行を諦めることになろうと、クレジット・カードを出すだけで買えた状況にあった、それなのに買わなかったとは、私を攻めようがありません。
ショーケースの中を見やり、マーブル・チョコレートより小さな楕円の一粒を指さしました。「いくらだね」 解説者は顔に表れた失望感を一瞬のうちに、消しました。
「それもいい石ですよ」
秤に乗せ、目盛りに目を凝らして、電卓を叩きました。
「168ドルです」
「良い値段ですね」
「特に金が入っている場所の石ですから」
天の川の中、という輝きです。「ところで」と、いつのまにか隣りにすり寄ってた小太りの男性を紹介しました。「うちの工場長です。この四角いトルコ石を切り出しました。彼なら、わたしよりナイスな値段を出せます」
「メルハバ」と、工場長。
「メルハバ」と、私。
「これは私のキャリアでも、ほとんどベストの品物です」と、英語。「これほどの大きさは奇跡です。地球の美術品です」
「なるほど」
工場長が電卓を叩きました。
「これ以下は出せないなあ。丁度、2,900ドル」
イスタンブールでの10日間に短縮されました。
「私には夢のような値段です」と、麦チョコより微かに大きな円形の一粒を指さしました。「それでは、これはいくらですか」
「オーケー」と、解説者がつまみ上げました。重さを量り、電卓を叩きました。「110ドルですね、これは」と日本語で言い、顔を横に向けました。4人目の男性が歩み寄ってきました。やせ形で、口ひげを蓄えた初老の男性です。グレーのスーツを着ています。
「社長」と、解説者が日本語で声をかけました。
「私たちの店へ、ようこそ」と、社長が英語で挨拶します。
「メルハバ」
「メルハバ」
「じつは、このお客様がこれにご興味をもたれまして」
「お目が高い。それはうちの宝です。でも、せっかく日本から来ていただいたのだから、お安くしてあげなさい」
解説者がわざとらしく、電卓を社長に見せます。
「ほう。でも、この客様はカードでお買いになるのかね。現金なら、これで──」
液晶を見ていた解説者が、「2,560ドル、キャッシュ」と私に告げました。長くなりますので、これで中断します。さて、四角い板の価格は、店側が勝手に1,900ドルまで落としました。私は一個買いました。どれかは、秘密です。
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