混沌の100年の2:モアイ倒し
 モアイはどの年代に倒され始めたのでしょうか。外部の人間による航海日誌が残っています。

 1722年:オランダ船:堅牢な木や丈夫な縄のない島民が、どうやって巨像を建てたのか納得できない。髷の神官に率いられて島民は偶像の前で焚き火をし、ひざまずき、頭を下げる。組んだ手を上下に振り動かす。
 1770年:スペイン船:巨像をつるはしで叩くと火花が散った。粘土ではなかった。
 1774年:イギリス船:多くの巨像が倒れたままになっていた。島は異変を経験しているようだった。
 1804年:ロシア船:クック湾に4体のモアイが立っている。他に20体が立っていたようだ。
 1816年:ロシア船:南東岸に数体のモアイを目撃。
 1825年:イギリス船:クック湾の北側には4体のモアイが立っていた。ハンガロアの集落ではすべてのモアイが倒されていた。
 1838年:フランス船:クック湾北岸の2つのアフに、5体と4体のモアイを確認した。
 1866年:イギリス船:アフの上のモアイは1つ残らず倒壊している。

 モアイの引き倒しは1771年以降に始まり、1866年までにすべて倒されたと読めます。

 1400年代からから略奪しあい、互いを食べながら、300年間をはるかに過ぎた1771年からやっとモアイ倒しが始まるのは、なんとも気の長い話です。始まったものの、最後のモアイを倒すまで約100年もかかっています。アフに立っていたモアイは約300体と数えられていますので、1年間で平均3体しか倒されなかったということになります。局地的、散発的、断続的な争いだったのかもしれません。

 1771年頃になってモアイ倒しが始まったきっかけは何だったのでしょう。ある部族の皆殺し、ある部族への極めて重大な侮辱があったのかもしれません。ほぼ同時期に行われていた鳥人レースでの八百長でしょうか。あるいは鳥人の暗殺でしょうか。コハウ・ロンゴロンゴの破壊でしょうか。自分のモアイを守りきった部族が一つもありません。全部族が敗者でした。