始めに 絶海の孤島

 西岸と北岸が17km、南東の海岸が25kmのこの島は、水平線に囲まれています。多くの訪問者はモアイに問いかけますが、平均の高さが4m、重さ14トンの900体の石像は唇を開きません。

 18世紀に訪れたオランダ人は、荒涼とした小島で飢えた人々に会いました。石器時代の島民は、海の向こうに人がいたことに驚きます。そして、見たこともない道具で音がして仲間が死ぬという事実に萎縮します。続々と船を寄せた外国人は奴隷狩りにはげみました。19世紀に島民は111名にまで減少し、文化は消滅します。
 20世紀の後半に、学者たちが訪れました。モアイが乗るアフという台、ボートをひっくり返したようなハレパエンガという家、石を円形に並べたかまどのウムパエ、鶏小屋にしては頑丈すぎるハレモア、狭い耕地を丸く囲ったマナヴァイを見つけます。14箇所に彫られた無数の岩線彫りや、いまだに解読されない14,000個のロンゴロンゴ絵文字を見つめます。30,000年前の地層に未知の花粉を発見し、ウムパエのそばの8世紀と15世紀のごみ捨て場からネズミイルカと人骨を見つけ、14世紀のアフを掘り返しました。伝説を集め、モアイの運搬法方を実験し、南米からカヌーで渡れるはずだと船出しました。

 しかし、ピピホレコと呼ばれる円筒形の石造建築物は何のために建てられたのでしょうか。モアイの目に使われた白珊瑚は、冷たい海では育ちません。川がないのに最大10,000人とも推測される人口を、どうやって賄えたのでしょうか。

 雑草のない地面で黒曜石のやじりの欠片が見つかります。アフに立っていた300体のモアイは倒され、運搬途中の200体が地面に投げ出されてあります。切り出し場のラノララク山には400体ものモアイが放置され、プナパウ山にはモアイの髷(まげ)らしきプカオが転がっています。露岩や洞窟にカヌーやマグロ、2つ目のマケマケ神、頭が鳥で体が人の鳥人を刻ませたのは、また、絵文字を刻んだコハウ・ロンゴロンゴを掲げさせたのは、島の人々のどのような心のありようだったのでしょうか。

 いえ、すべては大気の神、マケマケの成せる技だったのかもしれません。大地、ラパヌイと呼ばれた島の絵巻がぼやけているのは、島民がマケマケ神と対話できるアクアク霊力を失い、私たちは持ちあわせていないからでしょうか。

 詳しいことはわかっていません──、ラパヌイ島のガイドはこの言葉から始めます。私たちは遺跡を訪れ、印象や伝承、学者の調査結果や好事家の思いつきを切り絵のように貼りつけます。文字がないために消えた営みを想像します。 現代ラパヌイ人はチリ国籍を持ち、スペースシャトルの緊急着陸の滑走路に降りた観光客をモアイへ案内します。先人の貴重な報告を道しるべにしながら、1500年間の夢を見ていきます。