第3章…傍系血縁部族:1400年〜1770年◎聖なるものより、食料を
 ラ・ペルース地区のアフ・ラアイには、神聖さより農耕が重視される時代の証が残っています。
 アフ・ラアイは探しきれず、見るのをあきらめかけていました。幸いなことに、下の写真の集落でペトログリフというたった一言の英語が通じました。「ラ・ペルース」という標識が導くモアイ・パロへの道より東寄りで、岩線彫りのパパヴァカとアフ・ラアイは道路で左右に分かれていました。

 パパヴァカを見て、道を横切り、アフ・ラアイへ歩きます。下の左の上に見える、三角形の山のようなものがポイケ半島です。

 上の左の中央部の黒い固まりがハレモアと呼ばれる建造物です。右が、近づいて撮った写真です。楕円形をしており、中は崩れかけていますが、とても人は入れない細さの空間があります。50×50cmぐらいの出入り口が一カ所あり、鶏小屋だったと推測する人もいます。

 アフ・ラアイの前の広場の東寄りに、いくつかのハレパエンガ家屋の礎石が残っています。

 石で積み上げた円筒形の塔のようなものが、ピピホレコです。中には石が詰められ、空洞があったとは思えません。ピピホレコは見通しの利く平面に、複数個、見られます。一個と一個を繋いだ想像上の直線が、隣り合う部族の境界線だったと指摘する人もいます。

 農作物に風で塩が吹きつけられたり、土がとばされてしまうのを防ぐ工夫がなされました。掘り下げた地面を囲う、円筒形の石の壁をマナヴァイと呼びます。14世紀の火の跡が見つかったアフ・ラアイは、聖であるはずのアフを少し崩して、アフの壁を利用して、マナヴァイが作られてあります。下の左の写真がそうです。中央の雑草が顔を出している空間で、農作物が作られました。直径はわずかに10m程度です。収穫されたタロイモは微々たる量だったでしょう。食料が豊富だった800年以前には考えられないことだったでしょう。

 真ん中は、これもアフの石を再利用したはずのハレモアの崩れです。右端の写真は、アフ・ラアイの海側にあるハレモアです。

 1500年代のゴミ溜めには、ネズミイルカの骨が見られません。ラパヌイ椰子が消滅したためにカヌーを新造できず、昔からのそれは満足な補修ができなくなっていました。肉はネズミと鶏だけになります。ハレモアと呼ばれる頑丈な石造りの低い建物が、貴重な動物の肉のための鶏小屋だという推測に納得してしまいます。