第2章…直系血縁部族:400年〜1400年◎西暦400年代:新天地とアフ島民は豊かな食糧に囲まれて、大気の創造神マケマケを常に心にとめながら暮らしました。マケマケ神はマナという霊力を持ち、後にモアイを動かしたとも囁かれます。酋長や神官は、マケマケ神と会話できるアクアク霊力を持つと認められていました。部族民もアクアク霊力を得、少しはマナ霊力を帯びたいために体に入れ墨を入れ、岩に線彫りを刻み、洞窟に絵を描くようになります。1,900km離れたポリネシアで、血縁を大切にする人々が生きていました。カヌーだけで南太平洋の島々に痕跡を残していった事実が示すように、彼らは優れた航海術を備えていました。全域を支配した王国が存在しなかったことから、部族単位の社会が作られていたと推測されています。限られた資源が、増える人口を支えきれなくなる時がどの島にも訪れたことでしょう。境界線問題で敗れた部族、後継者争いで負けた兄弟が、仲間と一緒に双胴カヌーを連ねて新天地へ船出しました。
上は博物館にある想像図です。下は、ラ・ペルース地区のパパヴァカと呼ばれる平らな露岩です。2本の曲線は双胴カヌーを描いたと言われています。右では、カヌーの胴がカメを横切っています。
伝説は伝えます。ヒワ諸島で、ホツマツア酋長の弟が、オロイ酋長の許嫁と駆け落ちしました。オロイは復讐の矛先をホツマツアに向けます。戦いに敗れたホツマツアは、夢のお告げにしたがって出港します。そして、緑溢れる島にたどり着きます。ちなみに、1994年にラパヌイ島に残る12個の頭蓋骨のDNAが調査され、ポリネシア人のものと確定されました。
アナケナ海岸が上陸地点だと伝えられました。砂浜の奥まった所に、アフ・ナウナウがあります。近接して、根拠は不明ですが、ホツマツアだと言われるモアイが立っています。
移民団は鳥の声を聞きながら、高さ25mに成長した椰子の森に入ります。直径1m30cmの堅い幹を縦に割ればカヌーを作れそうです。薪にも利用できるでしょう。5mも伸びる葉は、家の屋根を葺けそうです。椰子の実は食物であり、その殻で水を運べます。陸には鳥より大きな動物はいません。土があり、持参したタロイモやサトウキビの栽培も可能です。故郷の海より冷たい海岸に、魚が住みやすい珊瑚礁はありません。それでも魚やイルカが見て取れます。カヌーに積んできた鶏はもちろん、紛れ込んできたネズミも幸せそうでした。彼らは天国を発見したのです。
左は、博物館に展示されていた入れ墨の絵です。右の、右隅がマケマケ神の岩線彫りです。 この島を、伝説のホツマツア部族の子孫はいつしか、大地、ラパヌイと呼んでいました。一方、イースター島という名前は島外の人につけられました。1722年にオランダの軍艦に乗ってきた提督が上陸した日がたまたま復活祭の日であり、1888年にチリが領土に編入した時に公式名称を復活祭の島と定めました。