猛々しい夜

(粗筋) 東北の、沈滞する香坂温泉に、けんか祭りの太鼓が響く。活性化へ、地域はまとまらず、温泉集中管理もままならない。よそ者の観光協会事務局員は、香坂的なやり方を逆手にとり、コンパニオンの桃子の助けを借り、直前で躊躇している変化の動きを一押しようとするが……。三百年、担ぎ屋台をぶつけあってきた猛々しさと、祭りの後の、二人きりの猛々しさが重なります。
 完全版は原稿用紙111枚です。

 神様を誘う太鼓が響いた。香坂温泉の空気が沸き立つように引き締まった。
 観光協会と旅館組合を兼ねる事務所で、私は十二月の観光宣伝キャラバンで表敬訪問する新潟新報社への挨拶状をタイプしていた。
 香坂けんか太鼓を初めて聞いたのは、中田旅館の後継者の結婚披露宴だった。若連のハッピを着た青年たちが叩き始めた。二台の音が揃わない。そんなんじゃ駄目だと大声を上げながら、あびこ菓子店の旦那が立ち上がった。口笛と拍手の中、舞台へ上がった中年男がバチをむしり取り、叩きだした。勇ましい響きが出た。もう一人が腕捲りをした。かけ声や拍手が飛び交った。舞台の袖にひょっとこ呑み屋の爺さんがちょこんと立ち、バチを打つ真似をしている。俺も俺もと交代する。夜の宴会のセッティングが迫っているのだろう、東龍館の支配人が顔に笑みを浮かべながら、司会者にもう辞めさせてくれと懇願していた。それでもバチはとまらない。
 坂道に太鼓が響き出すのは毎年の十月一日だった。香坂八幡神社には戦の神様が祭られてあり、十月五日のご降臨を祝って前後の三日間、例大祭が催される。今はたくさんある町内会がかつての六つに統合される。祭典事務所が設けられて、大きな屋台を境内でぶつけ合う。どれぐらい立派な屋台を作れるか、活きのいい若衆が何人いるかの競いの場が三百年間保たれていた。
 事務所のガラス戸が開いて、世話人のハッピの男性が入ってきた。小泉庄三郎だった。
「あら、小泉さん、いらっしゃい。珍しいこと」と、古株の事務員の南町子が丸い顔を上げて笑いかけた。
「来ちゃ、悪いかい」
「そんな。いつでもお茶飲みにどうぞ」
「茶はいい。今度の理事会はいつだったかと思って」
「えーと」と、南はホワイトボードを見た。「来月の十日です」
「そうか。たまにしかないから、忘れちまって」
 小泉は十五人いる観光協会の理事だった。小柄で痩せていて、肌が浅黒い。めったなことでは笑わない。五十五歳ぐらいだろうと、私は思っていた。
「今年も世話人、たいへんですねえ」と南が言った。
「ああ」
「小泉さんも長いわよねえ」
「五回目だ。九年目」
 こういう世話人中毒症が何人もいた。
「じゃ来年も。そうよねえ、小泉さんいなかったら祭り、やれないから。そろそろ大世話人ですよね」と南は、見ていた私がぎょっとするほど大きく微笑んだ。
「大世話人も考えもんだ」と声は変わらなかったが、目が南を見据えていた。「一生に一度で最後だから」
「太鼓の音、いいわねえ」と話を変えた。
 小泉は薄い唇で微笑んだ。
「ありゃ、福福の息子が叩いてるんだろう。まだ五年生だから、力がねえ」
「宮入りには、野田さんの息子さん、帰ってくるんでしょ」
「ああ。あいつがいねえと、瀧乃川の太鼓にならねえ。そうだ」と、奧に座っている事務局長に目線を上げた。「長田さんから言っといてくれないか。祭りが大きくなると、祭典事務所も大変だ。もう少し協会が援助してれてもいいんじゃないかな」
「それは││、あれえ、小泉さんもいらしたんじゃなかったですか、前にも理事会で。協会が主催しないイベントにかなりの協賛金を出せば、町内会の盆踊りなんかにも出さなくてはなりません。予算的に難しいということで││」
「それはわかってる」
 思い出した。青年部の例会で、宮入りを休日に移すように八幡神社にお願いできないかという話が出た。紺野が東理事長に尋ねた。伝統ある十月五日は動かせない、東さん、どうかしたんじゃないのかいと小泉に言われたことがあるという返事だった。例会で報告され、話は立ち消えになった。
 小泉は細い目を壁に移した。
「ポスターできたな」
 旅館組合青年部が担当したものだった。フォト・コンテストの応募作品から写真を選んだ。錦山と瀧乃川の屋台が衝突して、互いに揺さぶっている瞬間だった。屋根に上がっている若連幹部たちの、相手に挑みかかろうとする猛々しさと足元の不安さがとらえられていた。
「猛々しく、夜」と小泉はコピーを読んだ。「ちょっと前だったかな、わたしは賛成したんですよ、古川さんから話があった時。若い人の感覚で作って、協会が金を出すのはいいことだって」
 小泉は一平理事に過ぎない。にもかかわらず、様々な決定に絡んでいるような絡んでいないような、計りがたい印象を与えていた。小泉土産物店は開店休業状態だった。数十年間店舗に手を入れていないので、埃っぽく古びていた。私は生まれて初めて土間のある土産物屋を見た。一段坂の東山寄りで、ホテル半田の向かいの路地を入った右側にある。観光地の土産店の立地ではなく、十円駄菓子屋のそれだった。ひからびた木のガラス戸と同じ間口で、車庫が並んでいる。シャッターがなく、白いクラウンが店よりでかい顔をしていた。収入は、老朽化したアパートの家賃と、店の裏にある井戸から周囲の旅館に販売する温泉から得ていると、聞いていた。
「一枚差し上げますか」と、南町子が大きなお尻を椅子から上げた。「小泉さんなら、いいですよ」
 三百枚しか刷らないので、一枚千八百円かかった。不特定多数が出入りする場所にしか提供しないと決めていたはずだ。
「もらっておくか」
 南は太く短い指でポスターを丸めて、輪ゴムでとめた。
「ありがとう」と、局長に向き直った。「東さんにそう言っといてくれ」
「あのう、協会長は古川さんですが」
 局長の指摘を戒めるように間をおいてから、小泉が穏やかに言った。
「いや、東さんでいいんだ」と、出て行った。
 組織上、旅館組合は観光協会を構成する団体の一つに過ぎないが、福島市からの補助金と組合からの多額の助成金で協会が運営されている。そこを把握した上での言葉だった。
 私は作りかけの挨拶状へ目を落とした。
「速水くん」と局長が呼んだ。「今晩、理事長の代理で商工会の婦人部の総会に出てくれ」
「総会、ですか」
「あ、いや。その後の懇親会だ」
「でも、局長さん。今晩は推進委員会があります」
「そうだったか。じゃ、しょうがない。俺が出るか」
 温泉の集中管理が急速に現実味を帯びてきていた。一昨年の秋、青年部の数名が福島市の観光商工部へ出向いたのが発端だった。部長の返事は厳しかった。枯渇はわかっているが、市の税金で特定産業を援助するのを議会は認めない。それに、先輩から聞いているが、香坂さんは今まで一度だって意見がまとまったことがない。何かやれば、違う人から文句が来る。君らが地域をまとめられるなら、側面からの援助は可能かもしれない。
 十五年前の夏に幾つもの井戸から温泉が上がらなくなり、三日後には自然に戻った。その時の調査が残っている。それと、福島市が去年実施した調査を比較すると、揚湯量、温度、温泉成分濃度を合計して、二割の減少が認められた。しかも平均して十一メートル掘り下げていた。そうしなければ、下がる一方の温泉層にまで達しない。枯渇の典型的な前兆である、と報告書は結ばれていた。
 原因は汲み上げすぎだった。この井戸から毎分何リットル以上汲み上げてはいけないという規則はない。販売方法も、一ヶ月毎分何升という昔からの契約内容だった。旅館には客のいない夜もあるが、バルブを絞ろうと開けていようと、使用料金に差がない。
 香坂には二十三の温泉井戸があり、十が旧香坂村財産区に属し、十三が個人所有だった。前者は三十年以上前に福島市に合併された際に残された自治権で、旧村民が財産区委員会を構成し、温泉を旅館へ販売し共同浴場を経営している。入湯料は三年前に五十円から百円に値上げされた。冗談のような料金だが、二倍の値上げは市民生活を直撃しますと新聞に投書された。旅館は毎月十万円前後を払っていたが、それも五十%値上げされた。増収分も、給湯設備の新品交換にまではまわらない。井戸が崩れないことを祈り、メーカーに修理部品の残っていないポンプを騙し騙し生きながらえさせている。平たく言えば、倒産寸前だった。
 送湯管の図面が紛失していた。村役場に届けられていたはずだが、違法埋設の発覚を恐れた連中が合併時のどさくさ紛れに捨てた、というのがもっぱらの噂だった。去年の試掘で、他人に売却されて家が建っている地面の下を、生きている送湯管が走っているのもわかった。路面にしみ出る程ではないが、かなりの漏れも見つかった。
 先のレポートでは、二十三の井戸から毎分二千リットル汲み上げており、千五百リットルに押さえれば地下水面の低下に歯止めをかけられると計算している。全旅館の湯船を四十三度で満たすには七百五十リットルで充分らしかった。
 そこで温泉集中管理というアイディアが浮上する。井戸のほとんどは埋めて、熱量の多い二、三の井戸と大規模なボーリングで開発する新源泉からの温泉を、巨大な貯湯漕に貯める。香坂中に本管をぐるりと回し、四十七軒の旅館と五カ所の共同浴場へ新たな配管をして、メーターをつける。一回りして使われなかった温泉は井戸に戻され、地下で加熱されて再び汲み上げられる。これを営む香坂温泉集中管理事業協同組合がすべての井戸を管理する事によって、汲み上げ量を加減できる。
 しかし利害関係が複雑だった。財産区から買っているだけの旅館がある。自己所有の井戸だけの旅館があり、余剰分を別の旅館に売っているケースもある。自分の温泉だけでは足らなくて、財産区や他人の個人源泉から買い足している場合もある。すべてを個人源泉に売ってもらっている旅館があり、旅館を営まずに井戸を持ち、旅館に売っている個人もいる。
 何かの集金に行った時、七十歳近い大女将に呼び止められたことがある。組合は本気でうちの井戸を埋める気なの。わたしのお爺さんが掘ったのよ。
 別の旅館の裏には、小さな祠がある。湯花がこびりついた配管が立ち上がり、かすかに、鉄板の蓋の底からモーターのうねりがした。先代が井戸の点検中に落死した時に建立されたと聞いていた。
 十一億円の総工費は、ハードの七億円と設計などのソフトの四億円に分けられる。七億円の六十五パーセントに、国の中小企業高度化資金の融資を受けられる。その条件として、総工費の十五パーセントを組合員が持ち寄る必要がある。単純に割ると、三百五十万円。残りの五億弱を事業組合が金融機関から借り入れる。二つの融資の返済期間と金利を計算すると、月八百万円程度の利益を生み出さなくてはならない。
 三百五十万なんて、出せません。枯れそうなのは財産区だろ。私のは十五年前も大丈夫でしたよ。財産区がどんどん掘ったのが原因じゃないんですか。それなのに、私の井戸を提供しなくてはならないんですか。今は出ているんだから、しばらくこのままでいいでしょう。これ以上高くなったら、俺んち、潰れるよ。月いくらだ。うちは値上げしてないわ。だいたい温泉を欲しがってるのは、足らないのを承知で増築した旅館でしょう。勝手よ。メーター付ければ垂れ流ししなくなるんじゃないですか。上流で汲み上げすぎるからで、その部分を削ればいい。廃業しろって言うのか。ボイラーで水道、暖っためろよ。濾過機を通せば何週間も同じ温泉が使えるって話だぞ。無料じゃできない。月八百万ってのは、俺たちが払うんだろ。
 絡み合う温泉の流れは、もつれるばかりだった。
 やろうと言い出したのは紺野直也だった。青年部で話し合いを重ねて、意向をまとめた。観光商工部へ出向き、理事会や組合婦人部の様々な集まりにも出席した。
 源湯所有者の方々は、代々、井戸を大事にし、子孫のためにと努力なさっていらっしゃいます。温泉はお金の問題である前に、心の問題でしょう。井戸に潜ったことのない私がいくら言葉を重ねても、所有者の方々が抱いている身近さに届かないのもわかっています。その井戸を埋めなるんて、ご先祖様に申し訳が立たないというのは、そのとおりだと思います。
 それでも、明日枯れるかもしれないと思いながら旅館をやっているより、孫子の代まで安心して温泉を使える方がいいと思いませんか、と紺野は説得した。
 三百五十万円と月々二十万にもなりそうな温泉使用料は私の紺屋旅館にとっても大金です。でも、井戸を持っている旅館さんも維持管理費が大変でしょう。湯の上がりが鈍れば、浅いところで三十メートル、深いのは百五十メートルも高温多湿のたて穴に潜って点検しなくちゃなりません。熱でパイプが割れる、漏れてるつなぎ目を補強する、五年から十年で新品のポンプに交換する││、年に百万はかかっているでしょう。それが全部なくなって、去年の調査の熱量の七十パーセントは無償でもらえます。旅館を経営なさっていない個人源泉所有者には、現金で支払われます。
 集中管理後は浅虫温泉で三割、下呂で半分、磐梯熱海で四割の揚湯減となりました。ここも計算上七百五十余ります。旅館以外の個人にも売って事業組合の売上にできます。
 市の農業粗生産額が百十億円で、香坂の総売上げは百三十億円です。固定資産税も、農家とは較べものにならない程たっぷり払っています。このまま枯渇して香坂がゴーストタウンになるとします。予測していながら手をさしのべなかった市の行政の怠慢も責められますから、市は間接的に手助けしてくれるはずです。事業組合が補助金を直接もらえば、損金扱いができません。事業を限度いっぱいで立ち上げた翌年に、多額の税金は払えるはずがありません。
 お金のまわり方はこうなります。我々が十一億を借金して温泉を安定供給し、二十年後に老朽化しているはずの設備を新調するために、我々の支払で元金をゼロにしておきます。ところがこれだけでは、お客さんにとっては旅館に温泉があるという当たり前の状態を保てるだけに過ぎません。そこで行政が登場します。余剰温泉利用の観光施設は今は作りようがありませんが、市は何らかの方法で形にしてくれるはずです。そうなれば香坂に来る人が増え、旅館の稼働率が上がり、売上が増えます。数年後に初めて、今これから投資する十一億をカバーする金が我々の手に入ってきます。そう確信しています。
 誰も何も保証してくれません。でも集中管理をやらなければ、数年後の老朽パイプの入れ替えと水中ポンプの交換で、財産区も個人源泉も何千万、何億円という出費をするのは目に見えています。
 大変申し訳ありませんが、地域全体の動きにはどなたかが不都合を感じるはずです。納得いかない部分があるはずです。でもそれは、不本意でしょうが、脇へ置いていただきたい。城崎でも黒川でも湯布院でも先進地と呼ばれているところは、個人の不満を乗り越えてきています。納得いかない部分を飲み込んだ地域だけが変われるのです。それがなかったから、香坂は長く不振が続いているのではありませんか。この事業組合は地域そのもので、出資者も売り手も買い手も私たちで、我々そのものなんです。
 新築した紺屋旅館の評判がいいことも、みんなに耳を傾けさせる力になっていた。三年前、私は紺野に相談されて、新築案造りを手伝った。旅館に育った紺野は現実を話し、私は数字で関わった。借入三億五千万円、二十年返済、十室四十名、年中無休、定員稼働率三十%、平均宿泊単価一万三千円ならやっていけそうだと結論が出た。去年の決算書を見せてもらった。七十万円の赤字だった。稼働率三十一%、宿泊単価は一万二千四百円と紺野がつけ加えた。
 様々な話し合いで感じたことは、香坂のほとんどの人は、これまでのやり方では駄目で、全員がまとまって地域を変えなくては客は来てくれないという危機感を持っていたということだ。紺野のストレートさを、実は多くの人が待っていたのかもしれない。総論賛成で、各論には目をつぶらざるを得ないという雰囲気ができていた。財産区の委員たちは巨額の負債を背負い込む可能性から逃れるためにも、解散して事業組合へ譲りたかった。数カ月のうちに活性化の第一歩は集中管理だと認められていた。
 しかし、紺野の言う我々に当てはまらない三人がいた。彼らは源泉を持ち、旅館を経営せず、旅館へ売っていた。一人が小泉庄三郎で、彼を落とせば後の二人も折れると囁かれていた。
 瀧乃川町内の赤線が廃止された時、多くの曖昧宿が普通の旅館に営業転換した。温泉旅館と名のるために、七軒が小泉の父から温泉を買い始めた。推進委員会は一昨年からの説明会に参加を呼びかけているが、三名は出席しなかった。不賛成の理由は噂に運ばれてくる。曰く、時期尚早である。香坂に長年貢献してきた俺達に何の相談もなく話を進めているのはけしからん。紺屋のセガレに十一億を任せられるのか。あいつの話は現実を知らない絵空事だ。
 集中管理が彼らを外して出発したら、三つの井戸はどうなるのか。温泉脈全体からの過剰揚湯がなくなるので、これまで以上に湧き出た例がある。その時点ですべての旅館は事業組合に加盟している。商品は増えるが、買い手がいない。溢れ出る温泉は土地を水浸しにし、最終的には井戸を塞がざるを得ない。あるいは、枯れた例があり、損害賠償の裁判を二十年続けた温泉地もある。
 小泉土産物店の前で、協会長や組合理事長が土下座して、百%の保証金額を約束する。それなら勘弁してやると答えるのかもしれない。

 旅館組合は業界筋や監督官庁からの情報の窓口だった。四年前からファックス配布に切り替えたが、それさえない六軒の旅館へは配達に出向かなくてはならなかった。一キロちょっとのコースを、私は六軒巡りと呼んでいた。
 国道三九九号線に面している事務所を出た。セーターが欲しくなる爽やかな秋の午後だった。一本坂から右へ入った。民家やアパートが密集していた。路地を北東に向かう。桑山荘は五室の旅館で、ワゴン車で近くの農家から婆ちゃんたちを集めている。今日は客がいないらしく、主人は隣家へ将棋を指しに出ていた。通知を入れた封筒を置いて、一段坂へ歩いた。阿武隈銀行で右に折れた。この一段坂を小川屋敷跡の石垣に沿って行くと、東山にぶつかる。
 一段坂と二段坂の間が、遊郭が集まっていた区域だった。せせこましい一帯の七軒が小泉から温泉を買っている。一段坂と小川坂の角にある清廉荘もそうだった。
 前青年部長の任期切れを待って、櫻井が紺野と沌部に、清廉荘の小林律子はどうだろうかとほのめかした。固辞する小林を櫻井が説得した。結果として、親睦という呑み会主体の青年部活動は、地域活性化の研究会に変わった。テーマの一つが集中管理だった。
 小林律子は二十六、七で、清廉荘の代表取締役社長で独身だった。六室の館内を、案内してもらったことがある。狭い階段と廊下が組み合わされていた。他の部屋の出入口を通らないで玄関にも裏口にも行けるようになっていた。今は塞いである様子見用の通路、天井裏への目隠しされた階段。過去にここで繰り広げられたことを想像してしまい、勝手に圧倒された。小林は、今はこう直してあるが、昔はこうで、本当はこうやりたかったが、この柱が抜けなくて││、と説明してくれた。彼女は、古いが清潔で、生花がそこかしこに生けられ、じめじめしたところの全くない清廉荘に変えていた。
 十分に親しげだった。しかし彼女の中に、まわりが触れられない芯が感じられた。私は冬のガス灯というニックネームをつけた。去年、青年部長と青年部担当の事務局員の関係以外の言葉をかけた。しばらく黙ってから、焦げ茶色の瞳で私を見た。
 速水さんは、香坂を観察してるみたいな時があるわ。
 その夜、考えてみた。こう続けたかったのかもしれない、あなたはわたしもシュミレートしたがるかもしれない。
 香坂の人間にならなければ私を受け入れない、というのとは違うと感じられた。有り体に言えば、私が彼女を抱きたいと思っているほどには、彼女は私に抱かれたいとは全然感じていない、ということに過ぎなかった。
 もちろん、それ以来ときどき顔を合わせるが、部長と担当職員の関係以外の言葉や視線は交わしていなかった。ここ一、二年の青年部では何が議題に上がろうと、小林と紺野の意見が議論の末には受け入れられるのが常だった。部長と沌部は板前を兼ねているから、なかなか旅館を出られない。実行は主に紺野と私が担当していた。
 小川坂を左へ曲がり、旅館佐賀、一二三館、小川旅館、東山新荘に回った。四軒とも玄関に詰めている従業員がいないから、二度声を掛けて返事のない時は、封筒を置いていくことにしていた。どの旅館も、大きな旅館に団体が入って満室になった時に運転手やガイドを泊めたり、芸者が自由恋愛をしたり、バイク旅行の兄ちゃんをリーズナブルな料金で泊めていた。
 小川坂を北に登った。右手にかつては隆盛を誇ったホテル香坂の廃墟がある。三段坂の古杉旅館が最後だった。薄暗い玄関に太った女将が出てきて、今日うちは空いてるから、と言われた。口癖なのだ。私も、はいとルーティーンで答えた。色のあせた松竹映画の女優のカレンダーのかかっている宿へ、フリー客は紹介しにくかった。
 三段坂を西へ少し歩いて、あびこ菓子店から路地へ下がった。アスファルトで簡易舗装された狭い道が何となく好きだった。アパートや飲み屋、ラーメン屋や一人でやっているマッサージの家があった。二段坂まで降りて、右へ曲がった。野田菓子店を過ぎた。
 隣の空き家が瀧乃川祭典事務所に貸されていた。紅白の垂れ幕がまわされ、大きな提灯が下がっていた。ガラス戸に十枚ぐらいの短冊が垂れて、これが花を表していた。川崎ガソリン様、ジュース三十本。割烹遊水様、一金二千円。はまなす銀行様、酒一升。
 中を覗くと、ハッピ姿の二人が座っていた。七、八名はいるはずだが、他の世話人は寄付集めに出ているのだろう。壁際に、のし紙付きの一升瓶や缶ビールの化粧箱が並べてある。あれが花と呼ばれる差し入れだと、最近知った。壁には六町内の世話人の名前が毛筆で書かれた和紙が貼られてある。世話人に選ばれることは町内から認められたということだった。ハッピを着て歩けば、今年は世話人かい、ご苦労さんだねと、近所の知り合いから暖かい感謝の挨拶をされる。世話人は一日から七日まで仕事を休むと聞いて、私は驚いた。潮寿司の旦那にもらった日程表を見て納得した。
 九月始めに、世話人たちは倉庫を点検して太鼓を陰干しする。新旧世話人引継会を行う。予算案を立て、ガスと水道の手配をし、NTTへ連絡する。道路使用許可をもらい、被保険者名簿を作成し、巻紙に世話人名簿を六通作る。祭礼大幟を吊り上げるクレーン車の手配をし、屋台の雨よけとして足場パイプとシートでテントを設置する。
 寄付台帳を作り、領収書に印を押しておく。引き屋台の綱を引く子供たちへ配るお菓子セットを発注し、太鼓を叩く子供のためには中華屋のラーメン券を作り、コンビニの金券や図書券の手配もする。十月五日の朝に撮る世話人の記念写真の撮影の予約をする。地域住民のためだからと、通常の売り値を割ってもらうように丁寧にお願いする。
 一日に事務所を開き、白足袋や緑手拭いや呼び笛を世話人ごとに配布する。若連や大工が二台の屋台を組み立てる。町長や氏子総代や町内会長に挨拶に伺う。
 午後と夜の引き屋台の町廻りに付き添い、民家から酒やジュースや現金などの花の差し入れを受け、留守だった家へ寄付集めに二度、三度と足を運び、帳簿につけ、自分たちの食事や夜食の手配をする。毎日、不足物の緊急の調達が加わる。
 四日目、世話人は紋付き袴で正装し、狭い拝殿に数十名が正座し、宮司が神様に降りてきていただくのをお願いする移卸式がある。境内では香坂小の太鼓クラブが、袴姿で練習の成果を披露する。
 翌日の本祭りは、午前六時から振れ太鼓の町廻りで始まる。午前十時に境内に六台の引き屋台が整列し、神輿渡卸が開始される。金張りが眩しい神輿はリヤカーほどの大きさで、中には御神体が納められている。古代の神官の装束を着た人々が付き添う。神輿を先頭にして六町内の幟が続き、その後に子供たちが長い綱を引く六台の引き屋台が連なる。香坂中のほとんどの坂を廻る。主だった箇所では米や鯛が軒先に出されており、神様に扮した者が刀を抜いて見えない敵と戦い、勝利を収める儀式を行う。別の町内に入る時には幟の次はその町内の屋台と決められているので、町境を越えるたびに六台の順序を入れ替える。十キロほどを七時間かけて回り、午後五時に神輿は神社に帰り、幟と引き屋台は各町内へ戻る。世話人は紋付き袴と雪駄で、ずっと引き屋台に付き添っていなくてはならない。急いで夕食を食べて、例大祭のクライマックスである宮入りに向かい、午後十一時の仕舞い太鼓の町廻りで終わる。最も長い一日だ。
 六日目の後祭りには、引き屋台で町を廻る。担ぎ屋台を分解して倉庫に収める。支払いし、帳簿を整理する。黒字なら拍手され、赤字なら大世話人が身銭を切る。
 最終日の七日は、引き屋台を分解し倉庫に収め、関係者にお礼を持って伺う。破れた提灯を修理に出し、担ぎ屋台の壊れた部分の補修を依頼する。世話人のハッピをクリーニング店にあずけて、来年まで保管してもらう。夜に堂上上げと呼ぶ打ち上げをして、二次会、三次会へ繰り出し、祭り以外は考えられない七日間が終わる。
 祭典事務所を過ぎると、二車線の一本坂に出た。あとは真っ直ぐ下れば事務所に戻る。一本坂の右にホテル望川の四角い建物が建っていた。駐車場の隅に四角いテントが架設されてある。若連のハッピを着た青年たちが見えた。道路際に小さなテーブルが置かれ、一升瓶と五、六個の枡が重ねてある。御神酒です、ご自由にどうぞ、と貼り紙があった。 さっきの町廻りから帰った引き屋台が置かれてあった。二メートル幅で長さは三メートルちょっと。車輪は後ろに二つ、先頭に座席とハンドル付きのが一個ある。大きい三輪車だ。中に、大小二台の太鼓が見える。屋根の前後には龍の彫り物が掲げられ、夜の町廻りに備えて提灯がぐるりとぶら下げてある。引き屋台は提灯に蝋燭を灯して、太鼓を叩きながら、小さな子供たちに長い綱を引かれて、二時間かけて町内の路地をくまなく廻る。去年見かけた光景だが、音を聞きつけた小池旅館の女将が一升瓶を抱えて出て来て、世話人に手渡す。引き屋台はしばし停まって、宿泊客が出てきた玄関口で太鼓を披露した。
 担ぎ屋台の骨組みができていた。乗用車ぐらいの広さで高さが二メートル半ほどの大きさで、桧の角材が組み立てられている。中に、太鼓をのせる台と叩き手が腰掛ける板が渡されてある。これが屋台本体で、これから細い桟で造った屋根が掛けられ、神画の和紙が貼られる。毎年ひどく壊れるので、一回限りだ。ひさしに提灯がぶら下がるが、まだ保管箱の中だろう。
 屋台本体の両側面に、ちょうど半分の高さに、直径二十センチの丸太が水平に針金で仮り止めされてある。長さは十メートルぐらいで、見るからに逞しい。平行に同じ物がもう一本、一メートルぐらい離して外側に渡されてある。本体の前後に、四メートルぐらいの細目の丸太が三本ずつ組み合わされている。
 最も先の丸太が、相手の屋台にぶつけられる。敵の丸太の下へうまくねじ込めれば、最後尾の上げ下げを繰り返し、相手を揺さぶる。あるいは、最前部を高々と持ち上げて、後尾を落としたまま前進し、上から叩き落とす。
 これから丸太は、針金とロープで絞り上げられる。丸太にバスタオルが厚く巻かれ、紅白のサラシで化粧する。去年、私は勧められて担ぎ上げようとしたが、一ミリも持ち上がらなかった。
 神社に担いでいくだけでも大変でしょう、車輪を付けて鳥居まで押していったらどうですかと潮にきいたことがある。坂で転がりだしたら、誰にも止められない、と言われた。
 本体の柱の角材がそのまま四本の足になっていた。担いでいない状態で当たられると、桧は耐えきれない。ぶつかる時もぶつけられる時も、クッションは人間だ。
「おう」と、背中から声をかけられた。
 振り向くと、副大世話人のハッピを着た潮がにこやかに立っていた。
「こんにちわ」
「どうだ、若連に入る決心、ついたか」
「いえ、あの。まだです」
「まあ、無理押しはしないが」と、一升瓶に手を伸ばした。「呑んでいきな」
「勤務中ですよ」
「祭りの最中に、とやかく言うやつはいない」と、少しだけ注いだ。「観光客にも飲ませてんだ。話が弾む」
 口へあてると、桧の香りがした。吟味した日本酒ではないはずだが、舌の奥に染みた。ふと思い出した。
「あのう、余計なことかもしれませんが。係の人が目を離した隙に農薬が入れられた話を聞いたことがあります」
「一日から縁起でもねえ。でも、誰かついていられる時だけにするか」と、視線を上げた。「おう、桃子。どうだ、一杯」
 ホステスの桃子が普段着で立っていた。髪が肩まで降ろしてある。
「今から飲めないわ。おはよう、速水くん」
 桃子は二十二歳のはずだ。仕事中には髪はアップにする。ポニーテールだと、十七、八に見えた。
「おはようはないだろ。もう夕方だ」と潮。
「だって昨日は二次会つき合って、旅館に送ってアパートに帰ったのは三時」
「それからずっと寝てたのか。目、はれぼったいぞ」
「三時から一人で飲んじゃったら、目、冴えちゃって。ベッドに入ったのが九時」
 私は専業主婦の家庭で育ち、水商売の女性とつき合ったことがなかった。桃子の話すことや振る舞いに、戸惑うことが多かった。
「今から出勤か」
「ううん、今日は指名入ってないの。今、コンビニでサンドイッチ買ってきたとこ」
 たぶん、誰でもネジが一本緩んでいる。抜け所を許す職業に人は納まるのかもしれない。でもそれなら、桃子のどこのネジがどんな風に外れているのかが良くわからなかった。
「入れ墨はやめろよ。シール貼って屋台に上がったら、錦山に申し入れするぞ。引きずり降ろせって」
「あんなちっちゃいの、いいじゃない」
「駄目だ。桃子の写真だけは載せてくれるなって、去年、新聞に頼んだんだからな。ヤクザじゃないんだ」と、潮の視線がテントの中へ走った。「おいっ」
 中にいた五、六名の若連がさっと潮を見た。

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