ワン・サーティーン

(粗筋) 17歳の日本の少年が合衆国北部に留学する。国道113号線沿いに住む高校生たちは阿部茂に嫌がらせをし、別荘へデートに誘い、テニス・チームを作り、卒業パーティーのミスマッチングなパートナーになり、草自動車レースで死亡する。茂はホスト・ファミリーとの生活を基盤として、LRVF を含まない英作文を駆使して犯人探しに学校中を歩き回り、リンダに割り切れなさを感じ、テニスに集中し、選択に責められ、許しと拒絶の境界線を知る。田舎町の四季が巡り、茂は誰でもない少年から一人の少年へ変化する。
 完全版は原稿用紙734枚です。

 なだらかな大地は氷河期の証だった。
 広大な大陸氷の縁で気温は一日のうちに氷点を上下した。霜柱は石と砂を持ち上げ太陽が砂を沈めた。押し上げられた石が山肌を滑り低地を埋めた。見渡す限りの丘の連なりにとうもろこしやトマトや豆類の畑が作られ、芝に縁取られたパッチワークのようだった。道は丘を上下する。テニスシューズから草の感触が伝わった。
 道路が交差してるだけの四つ角を、今日は左に曲がった。しばらく走ると登りがきつくなる。畑が消え、雑木林を背にして家が並んでいた。三軒目の庭先で、ベンチの老人と目が合った。
「いい天気だな。休んでいけ」
 ふやけた声だった。血管の浮いた手で缶ビールをつかんでいた。スピードをゆるめた。
「おはようございます」
 足踏みした。
「一日は始まったばかりだ」
「はい」
 間があってから、禿頭を回して大声を出した。
「レス」
 年配の女性が窓に顔を出した。
「何なの、ボブ」
 甲高い声が尖った顎に似合っていた。
「客だよ。アイス・ティーを持ってこい」
 彼女が目をしかめた。
「今行くわ」
 老人が振り返った。
「どっから来た」
 足をとめてタオルで顔を拭った。何をしに、が入ってれば最高の質問だった。
「どっから走ってきた」
 国籍ではなかった。
「メイナード家からです」
 白濁した目が俺を見た。
「一一三号線のか」
「はい」
 また俺の目を覗き込んだ。
「ずいぶんあるぞ」
 声に隙間があるのは歯がないからだ。網戸が開いてさっきの女が出てきた。骨ぼったい手からグラスを受け取った。
「ご親切に」
 一口飲むと喉が鳴った。
「ウィルダファーム・マーキュリイであなたの記事を読んだわ」
 アイス・ティーが胃の中で温くなった。
「スプリング・フォードに通う日本人でしょ」
「はい」
「あれか。テニスをやるのか」とテニス・ウェアを見た。
「はい」
「チームに入るつもりか」
「はい」
「この町じゃフットボールが一番で次がテニスだ。観客スタンドがあるのは地区でここだけだ」
「ボブ、去年は七勝二敗じゃなかったかしら」
 黙っていた。
「チームに入るには勝たなくちゃならん。自信はあるかな」
「わかりません」
「そうよ。来たばかりなんだから。ここを気に入りましたか。お国とはずいぶん違うんでしょ」
 汗が粘ついてきた。俺はグラスを置いた。
「すみません。朝食が待っています」
「何だ。ああ、朝食か。もう一杯どうだ」
「時間がありません」と走り出した。
「また来いよ」 と背中に届いた。

 国道でもあまり車の通らない一一三号線にメイナード家の郵便箱が立っていた。ドライヴ・ウェイを十五、六メートル登ると石造りの三階建てが見下ろせた。以前は牛の水飲み場だった池が低く光っている。蓄産業を営んでいたメイナード家は十数年前に建築業へ転身したと聞いていた。右手に並ぶ牛舎は資材置き場となり広大な牧草地は原っぱになった。
 後ろからディーゼル・エンジンが響いた。空とアスファルトの境目からピックアップ・トラックの顔がせりだした。路肩へ外れて、早朝の現場見回りから戻ったジムに道を譲った。経営者は休暇中でも働くらしかった。窓からにこやかな髭面とたくましい左手が出た。
「走れシゲル、ゴールをとれ」
 手を振って答えた。アメリカのテニスにだってゴールなんてあるはずがないと思いながら、長いドライブ・ウェイを走り降りた。
 家の前の草地で呼吸を整えた。ポーチの屋根あたりに顔を向けたまま三階に視線を走らせると、今日も窓に人影が見えた。ジミイは昨日もトレーニングを眺めていた。家の向こう側でいつもの甲高い裏声が始まった。ジャネットが子猫を意味する言葉で、キーティ、キティキティとガラスをひっかくような声だった。家の外に飼われている数匹の猫はこの声とキャット・フードを連想するように躾られている。
 朝露は消えていた。芝生に座り両足を広げた。胸を太股へつけると草いきれが香った。長い葉の下をかいくぐって丸い葉の草が這っている。背中を草につけた。両手を思いっきり広げると、視界全体が快晴のドームになった。何もなくて目の合わせようがなかった。あの日から空にホールド・アップさせられた気分だった。

 蒸し暑くて目が覚めた。開け放した窓から空を見上げると、入道雲を従えた真夏の太陽がでかい顔をしていた。階段を降りてダイニング・キッチンのガラス戸を開けた。肌の熱さが引いた。風の通らない一階はエアコンがなければとてもいられない。
「お早う、茂さん。起こそうと思ってたとこよ」
「お早う」と親父が新聞をたたんで、大型の封筒を置いた。
「こんなのが届いてる」
 阿部夫人様という宛名は直定規で書かれてあった。
「おかあさんに来たんじゃないの」
 おふくろがレンジに乱暴にフライパンをのせた。
「いやらしいのよ、まったく」
 コピーの小冊子を抜き出した。表紙にはこれも定規を使ったゴシック体で、アメリカ留学における危険性と題がついている。めくってみた。雑誌の記事らしかった。見出しは悪夢の留学体験その一となっている。僕は黒人差別でもなんでもなかったのですが、楽しさでいっぱいのはずのアメリカ留学が悪夢になったのはアメリカに着いて二週間たった時のパーティーからでした。
「茂、めくってくだけでだいたいわかるよ」
 親父は煙草をくわえると、おふくろが目ざとく振り向いた。
「おとうさん、食事の前はやめてって言ってあるでしょ」
「ああ、そうだったね」と火をつけずに灰皿に置いた。
 次のページ一面の写真は黒ずんでいた。三か月前に封切られた奴隷開放の映画のスチールだった。次がまた切り抜きで青い目の子供を身ごもった恐怖という見出しが出てる。無修正のポルノ写真、記事、写真、記事と十五、六ページ続いて終わった。
「心当りはないかい」
 加山だと直観した。
「ちょっとわかんないよ」
「橋本さんの奥さんよ。うちを嫉んでるんだわ。茂さんが根岸へ入った時に影で笑ってたのよ。でも留学が決まったら橋本さんのは落第して一年生のまま。病気で出席日数が足らなかったなんて弁解してたけど、実力もないのに中央高校受かってノイローゼになったのよ」
「確かなのかい」
「わたしがやりましたなんて言うわけないでしょ。でも腹いせにやったんだわ」
 めくり返していった。
「うちの中でならいいが、あまり外じゃ言わない方がいいんじゃないかな」
「もちろん言いませんよ。でも橋本さんよ」
 乳房を揉み上げたヴァイキングの角付き兜の女性が股を大きく開いて膝を曲げていた。陰毛の真下数センチの空間を残して、仰向けの男がペニスを突き立てている。
「茂さん。そんなもの捨てちゃいなさい」
 胴回りに似合わない素早さで取り上げると屑籠へ放り込んだ。中学三年の冬、滑り止めに受けた私立高の発表で特待生の欄に俺の名前が載っていた。この高校で交換留学制度を実施していると新聞で読んでいた俺は、他の特待生は順当に公立へ行くだろうから、天下が取れると考えた。中央高校は受けない、根岸で留学を狙うと宣言された時、馬鹿なことやらないでと涙まで流したのはおふくろだった。三か月前の面接でうまくいったと聞かせられて大学受験に差しつかえると反対したのもおふくろだった。
「そうそう、茂さん。今日は五時に帰ってきてよ。渡辺さんや佐々木さんをお呼びしてあるの。一年も茂さんがいなくなってしまうからお茶でもと思って」
 奥様方のおしゃべりに頬笑んでる自分を想像した。
「前に聞いてたっけ」
「話してなかったかしら。だったらごめんなさい。でもいいわね」
「急だなあ。ちょっと困るよ」
「どうして。だって茂さんがいなかったら駄目じゃない。もうお招きしてあるのよ。用があるんだったらそっちの方お断りしてくれない」
 欠席の予定を変更した。
「留学生の追い出しパーティーがあるんだ、高野んとこで」
「何時から」
「五時から夕食もかねて」
「どうして茂さん、黙ってたの」
「昨日までは行く気がなかったんだけど、水上先生も来ることになっちゃったんだ」と嘘も加えた。
「そんな困ったわ、茂さん」
 小学校へ入る前から茂さんと呼ばれていた記憶があった。入学してしばらくたち、よその母親は自分の子供を呼び捨てにするものだと知った。中学を卒業するまでに何度かやめてくれと怒鳴ったり頼んだりした。しばらくは名前なしだったがすぐ元に戻った。今でも茂さんという呼び名は喉に刺さりかけてる小骨のように感じられた。
「とにかく行かなくちゃならないんだ」
 しかし入学してみれば、知り合いに高校はときかれて、県外遠征の殴り込みで集団補導された風紀委員会と甲子園の初戦で負けてくる野球部で有名な根岸ですと答えるのは愉快なことではなかった。大学進学特別学級の一組には四十三人のうつ向いた顔と沈黙があった。二年十八組と体中に大書きしたような連中が一組の生徒を校舎の裏に引きずり込んで、眼をつけたといいがかりをつけ学らんに触られたと太股を蹴って金をせびった。留学予定の二年の夏までは我れ関せずと決め込んだが、ほどなく対岸の火事に焼かれた。不揃いなスポーツ刈りや潰れた鼻、包帯を巻いたスパナや吐かれる唾や振り回されるチェーンの風を切る音に囲まれた。がなりたてる罵声や腹に食い込む靴先や拳に目をつむって転がっていた。反撃したと、後から聞かされた。囮の財布をまきあげた三人を一組の十数人が囲んだ瞬間に勝負は決まったらしかった。殴る蹴るのお返しをしてから担任を呼んだ。彼は生徒手帳を預かり解散を命じた。翌朝のホームルームで説明した。誰も咎められない。毎年の行事であり、きみらは根岸の一年一組の入学式を終えた。学校格差や劣等感は教師からすれば問題ではなく、そこを越えた一人一人をどう助けられるかが重要だ。何故有志に誘われなかったのかという自問は不快だった。天下云々も一学期の成績表を手にして崩れた。中央高を滑った十一人が二次募集で入学していたのを知らなかった。
 夏休みに入り、さっそくの中学校のクラス会には欠席の返事さえ出さなかった。一日中二階の自室でラジオをつけたり消したりしていた。そんな毎日が中学時代のテニス仲間に引っ張り出された日に一区切りつけられた。脇腹が痛み水膨れが潰れ、汗が顎から雫となり焼けるように荒い息でコートに倒れこんだ。蒸し焼きにされたような数時間だった。

 ブロック塀を回って校門を入ると、コンクリートの照り返しが眩しかった。本館の向こう側から運動クラブの掛け声が聞こえるだけで三千人の気配はない。複雑な錠も蝶結びに変えられてしまう自転車の薮があるはずの六号館の前も広々としていた。
 日の当たらない廊下を歩くと食堂の入り口が見えてきた。今日はうどん汁と埃の混じった人いきれがなかった。三年十四組のチビがふてくされた顔で俺の前に立った。なあ、あんちゃん、朝から何も食ってねえからツバ出てしょうがねえんだ、あんちゃんのうどんに吐かせねえでくれよ、わかってくれよな、助けると思ってよう。俺は何も言わずにどんぶりと割り箸を差し出し、チビはありがとよと言って両手で抱えて汁をすすった。例えば羽田のように、停学が十数人でた殴り合いになって二本の前歯を折られても、食堂ではいつも少数の女生徒の悲鳴が上がっても、チビの頭にうどんをぶっかけてやればよかったのだ。できなかった理由を今でも考えるし、いつも答えたくなかった。
 入り口を過ぎようとしたら呼ばれた。
「おう、阿部」
 加山と寺西がテーブルについていた。
「講習は」
「地理はとらないんだ。ミーティングまで時間あるだろ。ちょっと寄ってけよ」
 眉毛の目立つ加山が手招きした。俺は自動販売機へ歩いた。
「コーラしか出ないよ。他は偽造の百円玉が詰まってるらしいから」
 コーラが溜まるのを待っていると、寺西の細い声がした。
「なんか変なもの来なかったか」
 首だけ回した。加山が言った。
「変な物というか興味深いというか、ひょっとしたらおまえさんのとこにも届いてないかと思ってさ」
 紙コップを手にしてテーブルについた。加山の前にコピーが置かれてあった。
「来たよ」
「だとすると高野と小日向さんにも行ってるな。阿部、ミーティングで会うだろ。きいてくれないか」
「いいけど。ちょい引っ掛かるね」
 コーラを飲みながら表紙を見てると、コピー面の左隅のひっかかれたような線に気づいた。今朝のにもあったように思えた。
「誰がやったと思う」と加山がきいた。
「名演技に拍手というところかな」
「俺が」
「動機はある」
「へえ」
 急いで整理した。
「留学に目もくれず、したがって四人を阿呆らしいと切り捨てながら高校受験の失敗を繰り返すまいと大学受験勉強を一生懸命やってきたにもかかわらず、来月には四人がアメリカへ行ってしまう、今日は最後のミーティングがあるという現実を実感するこの頃、自分は一年と四か月の生き方をまずったのではあるまいかと疑問が芽生え、しかし今さら留学したいと言い出すほどに変なプライドは下げられない。よって、こんな物を送りつけて気を紛らした。あとな、小日向のとこに向こうからの留学生が来るから、なんとかすれば多少は気が晴れるさ。その娘が可愛いのを俺は切に祈ってるよ」
「なるほどね。最近の阿部がウキウキしてる理由がそれなんだな。証拠は」
「我れらが国立大候補生は証拠を残すはずがない」
「お褒めいただいて」
「おれ、もう嫌だよ」と寺西が言った。
「ほら、お前の意図は一人には通じたぞ」
「留学制度は問題児を追い出すためにもあるんじゃないのかい」
 寺西が入り口に顔を向けた。小日向が入ってきた。いつものように表情の変化のない細い目と薄い唇だった。
「あんたたちで浦壁くん、どうにかしてくれない」
「どうしたの」と寺西がきいた。
「襲われたんじゃ」と俺が言った。
「精神的には」と加山。
「まさか」と俺。
「もういいわ。頼まない」
 廊下から小走りが聞こえてきた。小柄な浦壁が入り口で止まって笑顔を作った。「やあ、みんな」
「なに照れてんだ」と俺が言った。
「照れてなんかいないよ」
「廊下走って忙しそうだな」と加山。
 浦壁は小日向をちらっと見てすぐに笑顔を加山に向けた。
「教室へ急いでるんだろ。もう少しで数学だから道草しないで行ったらどうだい」
「あ、そ、そうだね。じゃ」と向きを変えた。
 俺が大声でとめた。「浦壁」
「な、なんだい」
「今なあ、お前の結婚について話してたとこなんだ」
「僕の」
「結婚すると子供ができるだろ。その赤ん坊はきっと薄汚れた油で炒めた長ネギのような感じになるんじゃないかと思ったんだ」
 小日向が振り向いて俺を睨みつけた。
「行っていいぞ」と加山が言った。
 浦壁はみんなに忙しく視線を当ててから、「じゃ教室で」と出て行った。
「加山。あんなふうにきつく言わなくても」と寺西が言った。
「どうして」
「どうしてって。ずっと前だけど、あいつの家に遊びに行ったらすごい御馳走だったんだ」
「一宿一飯の恩義か」と俺。
「そんなんじゃなくて、おとうさんいなくてさ、母子二人で一生懸命生きてるって感じがしたんだ。おれの感じじゃないけど」
「おまえが感じたのにおまえの感じじゃないってのか」
「おれの感じじゃないって言ったのはさ、ほら、のんびりゆっくりってのがおれの感じだからさ」
「自分でわかってるんだ」
 加山が顔を向けた。
「小日向さん。気にしなくていいよ。阿部は今それでなくても乏しい想像力が歪んだ方向に発揮されてるんだから」
 立ったままだった。
「座ってもらえるかな」
 加山はコピーを彼女の前に押し出した。
「見覚えあるかい」
 小日向は小冊子から視線を上げた。
「どういう意味の質問かしら」
「ああ、そうか。きみが作ったんだろうって意味にもなっちゃうわけだ。見たことあるかいってことさ」
「それなら、あるわ」
「いつ」
「昨日の晩よ」
「どうしてこれがきみのところへ来たんだい」
「理由をきいてるの。それとも方法」
「まずは方法を知りたい」
「速達で届いたわ」
 加山は寺西に、「封筒出してくれ」と頼んだ。手渡されると、コピーの隣に置いた。「同じかい」
「住所は違うわ」
 じっと小日向を見た。
「なるほど。他には」
「封筒と字の形は同じようね」
「定規で書いたみたいなのが同じという意味だね」と文字を指先でたたいた。
「他に何が考えられるの」
 加山は首を回して息を吐いた。
「阿部。きちんと答えてくれるじゃないか。映えある留学仲間だろ」
「俺が選んだわけじゃねえ」
「それはいいとして、阿部には詳しくきかなかったけど、小日向さんと同じかい」
 俺は目を細めて、すぼめた唇で声のトーンを上げた。
「小日向さんと同じとはどういう意味の質問かしら」
 寺西が笑ってすぐ押さえた。
「あんたたち、運がいいわよ。コピーに関心なかったらここにはいないわ」
 頬づえのまま寺西に言った。
「なあ、おい。今の聞いたか。何々でなければあれこれにならないってのは、はるか上の世代が六十年安保で使った表現ですぐあとに自己批判したやつだ。生き残っていたとはねえ」
「ねえ加山くん。誰がしたと思う」
「さあ」
 俺が入った。「作った本人を前にして言うのもなんだけど、効果ないね」
「ちょっと、本人の前でってどういうこと」
「やったのはこの俺、というのが阿部の捩れた判断の結果なんだ」
「もうこんなの、どうでもいいよ。会議室で水上先生待っているから、早く行こう」
 小日向が俺を見ていた。
「質問に対して答えはわかりきってるように質問を返すのは、変革を望む子供を混乱させ、問いがなかったかのように振舞おうとする愚かで保守的な親の態度そのものね」
 頬づえを外して、こまっしゃくれた長ネギを睨みつけた。
「阿部くん、きみは個性的だそうよ。大勢の中を探すには屈むだけでいいんですって。両足の間に景色が見えたら、その上にはきみがいるんですってね」
 寺西が声を出して笑った。
「さて数学だ」と加山は笑いながら腰を上げた。

 開けられた窓からの日差しが会議室の白い壁を眩しくしていた。窓からの直射を避けて腰掛けた。風が入ってこなかった。水上を見てると、二昔前の好青年という加山の表現が思い出された。
「校長先生がお話ししたいそうですから、呼んできます」
 ドアが閉まると、高野が口を開いた。
「小日向くん、校門あたりで二人と一緒になったのかい」
 俺と寺西に挟まれた彼女が高野を向かずに答えた。
「いえ、食堂で」
 高野はにっこりした。
「そうか。僕は正面玄関上がってきたからね。寺西は荷造りすませたかい」
「まだだよ。住所わかったのが一週間前だからやっと始めたとこなんだ」
「小日向くんも」
「そうね」
「まだなのかい」
「そうよ」と言い捨てた。
「そうか」
 寺西がきいた。
「高野は国際宅配便の航空便で出すのかい」
「もちろん空だ」
「でも三倍かかるよ」
「船なんかでのんびり送ってる時代じゃないよ」
「そうかなあ」
「時は金なりさ。小日向くんも航空便にしたらいい」
「あとで考えるわ」
 俺は仏頂面で会議机の木目を見ていた。
「でもそれは急いだ方がいいとして、今晩のグッドバイ・パーティーには来てくれるね」
「おれ、行くよ」と寺西。
 高野がうなづいた。
「うん、寺西も来てくれるし、恵子くんと和美くんもいっしょで、あと加山とか羽田とか七人ぐらいかな。すき焼き作って面白いと思うんだ。五時からもちろん僕のアパートで」
 高野が口を閉じて小日向に頬笑んでいた。御返事を待ってるんだと気づいた。
「どうしよう。うん、行ってもいいわ。行かせてもらいます」
「うん。ありがとう」
「阿部も来るんだろ」と寺西がきいた。
「来れない。そうだったな」
「いや、ところがな、辻褄合わせなくちゃならないから顔は出すよ。遅れるかもしれないけど」
 ドアが開いた。水上に続いて、肌に染みの浮いた徳田校長が入った。長袖のシャツだった。校長室にだけエアコンがあるという噂は事実らしかった。講演台の向こう側へ回った。
「校長先生、椅子の方が」
「こちらでかまいません」としゃがれた声で答えた。
 三千人を前にして硬直した訓話をする老い先短い小男というイメージがあった。講演台の縁をつかんでいる手の甲に太い血管がのたくっていた。首筋で細かい筋が張った。
「きみたち四人は選ばれてアメリカに留学すると聞いている。本校は水上先生の尽力で三年前から毎年一人ずつ送り出してきた。今年は四人になり女性も入った。根岸高校の名誉である。きみたちには健康に育ててくれたご両親に感謝の念を持ち続けて欲しい。また一年も外国に出してくれて、卑近なことを言えば金もかかる。だから特別の感謝の気持ちを持ってもらいたい」
 校長は指先が白くなるほどに力を込めていた。
「未来を担う若者は世界を見なくてはならん。良かれ悪かれ日本は常にアメリカを学んで今日の日本を作ってきた。きみらは若い目でアメリカのエネルギーを吸収して帰って来てくれると願っています」
 校長の視線が水上に移った。意外に短かった。
「どうもありがとうございました」
 俺たちは立ち上がって会釈した。パンツが汗で尻にひっついた。歩きかけた校長に水上が手を添えるようにして、二人が退室した。椅子が尻の形に濡れていた。小日向が口を開いた。
「高野くん。すき焼き作るなら用意は」
「和美くんと恵子くんが買い出しなんだ。きみも手伝うかい」
「何時に」
「三時頃二人が僕のアパートに来るから。会費は千円。阿部、本当に都合いいのか」
 悪くなったから行くんだよと言おうとしたら、ドアが開いた。

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