第8章:第3の神話と生け贄とスペイン人

 時は16世紀です。これまでの都市国家はほとんどが放棄されました。様々な土地へ移住していた人々を、アステカ王国が支配していました。

 アステカ王国のモンテスマ2世は、「次の、1の葦の年はいつだ」と星占い師にききます。それが、グレゴリオ暦の1519年です。ちょうど東のユカタン半島から、白い肌で髭を生やした連中がメキシコ湾に現れたという情報が入ってきた年でした。さらに尋ねます、「9の風の日とはいつだ」と。その日、4月21日はスペイン軍のコルテスがサン・ホアン・デ・ウルアという土地に到着した日でした。こうしてモンテスマ2世は、予言通りに戻ってきたケツアルコアトル神に王位を明け渡さなくてはならない、と諦めました。

 アステカ王国が中米を征服してから、生け贄は支配下の他の部族から供出させていたはずです。戦争捕虜を得るために戦をしかけたとも推測されています。年貢も厳しく取り立てていたのでしょう。黄金の匂いをかぎつけたスペイン軍に、幾つかのマヤの部族が加担した理由はそこにあったかもしれません。

 自分が支配される神話を受け入れる支配者は、極めて珍しい存在だと言えます。あまりにマヤ的だったと言えるでしょう。モンテスマ2世はコルテス隊長を招き入れて、ひざまづきました。 首都、テノチティトランはテスココ湖という湖に浮かぶ島でした。岸からは、人工の3本の堤で繋がれていました。この島を中心にして20万人が生活し、神殿は78もあったと言われています。わずかに中央神殿の基礎が発掘されました。下の写真が復元想像図です。

 ここで、古代メキシコ史上最も熱心に生け贄が捧げられたと言われています。スペイン兵は、すさまじい臭気がしたと、書き残しました。

 しかしアステカ族の王立会議は納得しません。コルテス探検隊長はケツアルコアトル神ではないと断定し、モンテスマ2世の王位を剥奪します。代わりに弟のクイトラワクを新王にすえ、スペイン軍に全面戦争を挑みます。

 首都での一進一退の戦いの後、スペイン軍は撃破されます。でもアステカ軍は追撃しません。敗走するスペイン兵が振り返って見ます。たくさんの捕虜を生け贄に捧げて勝利を祝っていました。心臓をえぐり出された生け贄は急な石段を転げ落とされ、下で待ち受けている平民が聖なる蛋白質を奪い合ったと、スペイン兵が日記に書きました。スペイン軍は体勢を立て直し、アステカ軍を破ります。マヤが終わりました。

 スペインは神殿を破壊し、キリスト教を広め、スペイン風の町を建設しました。テスココ湖を埋め立てながら町は広がりました。

 300年の被支配から、メキシコは武力で独立国となります。しかし何人もの大統領が私腹を肥やしながら、後に石油とウラニュウムが発見されるカリフォルニアやニュー・メキシコ、アリゾナを安値でアメリカ合衆国に売り払いました。気づいた時には、残った国土の2割が外国人の所有で地下資源も彼らのものとなり、惨憺たる19世紀を迎えました。

 20世紀に2,000万人が住むメキシコシティは、水道施設の不備に原因する地下水の汲み上げ過ぎもあり、地盤沈下に悩むことになります。テノチティトランは、世界最大の都市の地下に眠っています。