インカ道トレッキング4日目
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朝、テントについた水滴です。キャンプ場は、アマゾンからの雲霧に包まれていました。
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朝食後に記念撮影です。10人ほどのポーターが正装していました。3日前にはもう3、4人多かった気がしますが、ゴミや不要物を背負って帰ったのかもしれません。オレンジ色が基調のポンチョは、模様が一人ずつ違います。丸い帽子は、まとっているポンチョとお揃いです。浅黒い肌に白い歯が見え、唇も鼻筋も目も、どことなく四角に感じられるケチュア人です。
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キャンプ場からすぐ、降りる斜面がありました。石段が下っており、両側にはクルクル竹やイチュ草が密生しています。所々竹類のアーチがかかり、ステップを暗くしていました。
視界が開け、遺跡が目に入りました。そこへ導くインカ道に沿って、左側に石垣があります。50センチぐらいの厚みの石壁の上に、黒い円盤が置かれてありました。大きなポリバケツの蓋です。石垣越しに、首から上が2人見えました。どこかのパーティーのポーターでしょう。背伸びして覗き込んみました。石造りの給水口があり、水が細い筋になって注いでいました。キャンプで使う水をとっているのでしょう。500年前のシステムが利用されていました。
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5つ並んだ石室の高さは1メートル。出入り口の幅は30センチぐらいです。広さは2メートル四方で、屋根はなかったかもしれません。内側に、一面に一か所ずつ、30センチ角ぐらいの壁がんがあります。床に50センチ程度の四角い穴があり、水面が覗いています。流水には見えませんが、淀んではいないので、少しは流れがあるのでしょう。
5つが直線的に、谷に向かう傾斜に従ってほんの少しずつ低くなるように、等間隔に並んでいます。その石室の石壁の下を、幅10センチの水路が、5つの石室の真ん中を貫通しています。
先ほどの給水所とこの5つの石室は、この町に住んでいた人たちの6つの階級ごとの水汲み場なのかもしません。単なる想像です。
テラスを支えているアンデネスの最下段と5つの給水室の間に、幅1メートルぐらいの堀が石で造られてあります。上流は山に消え、下は谷に落ちています。雨が多い。水は建物と山を崩しますから、素早く流したい。その排水溝でしょう。同時にこの下の谷の、石段畑への農業用水路でもあったでしょう。水が欲しいならこの堀から汲めばいいと、合理的には思えます。しかし6つの吸水口をわざわざ造ったのは、水への畏敬の念を表したかったからなのかもしれません。
堀に沿って降り、5つ目の給水室にさしかかった所で、左へ曲がります。遺跡本体の石段畑の角です。
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幅1メートルの石畳は歩きやすく歪んでいます。オリジナルに近いかもしれません。
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左上から右下へ長く続く石段と交差していました。右側はどこまでも深い、緑の谷です。3、40メートル石段が降り、その先は緑と雲霧に被われています。
交差地点から石段を登り始めると、頭上に石段畑がそびえるように感じられます。その上に、曲がった壁の石室が突き出ています。登っていくと、きちんとした門構えに出迎えられているような気がしました。テラスはすぐ上ですが、直接は登る石段はないので、左へ回ります。
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テラスを縁取る通路には、谷側に、高さ1メートルぐらいの石垣が続いています。右に登る石段が3段ありました。その先に、1室目の給水室へまっすく降りていく石段が下っています。
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3段登り、テラス面に乗りました。
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テラスは岩場そのものでした。上から見たときは真っ平らに見えましたが、微妙にでこぼこしています。きちんと削られていたはずですが、年月で、不均等に磨耗したように歪んでいました。
テラス面には、不可解な切り込みや穴があいていました。切り込みは、マチュピチュの例だと、イチュ葺き屋根から落ちる雫の雨樋兼排水溝だった可能性もあります。でも、家屋が建っていた気配は感じられません。
テラスの奥には、崖の土が流れ込んで、テラスにかぶさっています。イチュに似た草も生えています。ガイドブックによれば、崖をくり抜いた部屋が幾つかあるそうです。陶器の欠片が出土しました。雲の中の町が見つかった時、このテラスは厚い灰で被われていました。遺跡全体は明らかにインカの時代のものです。でもその灰は、300年は新しかったと記録されています。500年前はこうではなかったと考えられます。プユパタマルカで最も大切な場所はテラスだったでしょう。しかしその後は取り壊され、植物の家が建てられ、燃え落ちて、見捨てられた、とも感じました。
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遺跡を降り、下り始めました。降りる石段の右側には石の壁がありますが、左側にはアンデネスが造られてあります。下は、霧で見通せません。
振り返って、見上げました。密生して水滴を鈍く光らせるクルクル竹の上に、そそり立つ石造建築物がかすんで見えました。
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1分ごとに霧が薄れていきました。濡れていないが、乾き切ってもいない石畳から、粘り気を感じます。100メートル近くまで見通せるようになりました。1室だけの石室を過ぎます。向こうの谷からの雲霧が盛り上がってきていました。木々から滲み出たような霧が、ゆっくりと立ち上り、すぐに消えていきます。
10:25……
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インカのトンネルを通ります。
11:15……
珍しく標識が立っていました。二股に分かれています。インティパタは左、と書いてあります。そちらは平らで、右は下っています。私たちは、先を急ぎます。
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そこからの道は、2、30メートル真っすぐ下って逆方向に曲がるつづら折りでした。所々に近道という矢印があり、木立を突っ切るような隙間が見て取れます。
眼下に大きな屋根が見えました。緑色のトタンのようです。何回かくねり降りました。そこは、とても質素な博物館でした。昆虫とか、小鳥とか。
少し降りると、大きな建物が目に入りました。トレッカーズ・ロッジです。ベンチにはザックが置かれ、たくさんのトレッカーがいました。トイレや売店、食堂があります。KM104からの日帰りコースの折り返し地点でもあります。先行したポーターやコックが昼食を作っているはずです。が、私たちは昼食前にウィニャイワイナ遺跡を見ます。
トレッカーズ・ロッジの右へ回り込み、小道を降りて行きました。木の柵を抜けると、正面下に、白い遺跡が浮かんでいました。鮮やかに円弧を重ねる石段畑が重なっています。その上と下は、樹木に被われています。足元から、平らな小道がゆったりと左にカーブしていました。
カーブする道は、上の写真の右側に移っています。その先にあるのが、神殿区画です。その端から狭い石段が降りています。その脇に同じ石室がたくさん並んでいます。何故数が15なのか、給水室だったのか、聖なる水を浴びたのかは、よくわかっていません。その下の建物群は、住居と穀物倉庫だったかもしれません。
写真ではわかりませんが、そのちょっと上、向こうの緑の中に滝が見えました。その下に川があり、1キロの給水路が造られました。今でも機能しています。マチュピチュの16の給水室に流れているのは、あの滝の水です。
小道を進んいくと、一歩ごとに見る角度が変わり、下の建物群がとてもゆっくりと回っているように感じられます。谷間の空間を背景にしているからでしょう。
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神殿区画の長い外壁に近づきました。下の部分には大きめの、上になるに従って小さな石がびっしりと組み合わされています。全てが互いに噛み合っている。私は顔を寄せて、外壁を真横から見ました。500年間も草木が生い茂り、雨季と乾期を経ているのに、弛みもたるみもありません。地下の基礎工事が深く強固だったのでしょう。
神殿区画への入り口は二重門です。その正面から、居住区への石段が真っすぐに降りています。足がすくみそうな傾斜です。その右側に判で押したように同形の石室が、順に水を受けて流しながら、縦に連なっています。
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二重門を入りました。すぐ右に、台形の窓を三つ開けたスペースがあります。
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三窓の神殿とおぼしき空間へ入りました。カミソリの刃も入らない、とまではいかないが、きちんと組まれた窓です。マチュピチュにも三窓の神殿があります。なぜ4つでも2つでもないのかは、不明です。左の窓に寄りました。下がる石段は見えませんが、15の給水室が石段のように重なっています。イチュ草の屋根が失われた居住区があります。その向こうは、谷間の空間です。遠く、細い川は、ウルバンバ川の支流でしょう。
奥には、三方だけ石壁の部屋や通路がありました。
神殿群の奥から4、50メートル離れた崖に、洞窟が暗い口をあけていました。地下水が沸き、給水路で上の2枚目の写真の「神殿群脇の石室」へ引かれ、それから15の給水室に注がれます。
トレッカーズ・ロッジへ戻りました。向かい側の緑の山肌に、インカ道が細い白茶の線となって横切っています。
ここで、カメラの電池が完全に消耗しました。もう1個予備を買ってくれば良かったのですが、8,000円をケチった結果がでました。ですので、マチュピチュ村のホテルまで写真はありません。
昼食を食べ終わり、コックのアンドレスと3人のポーターと握手して別れました。別のインカ道を帰ると聞いていました。
ロッジを出てすぐに、正面のはるか上に、広い石段畑が見えました。1kmぐらい離れているようです。あれがインティパタ遺跡でしょう。穀物倉庫群だと読んだことがあります。
オリジナルのインカ道がなだらかに下っていました。汗ばむほどに空気が生暖かい。今は枯れていますが、注水口が彫られた岩がありました。ウルバンバ川の水力発電所が見えました。特に見晴しが良いわけでもない場所に、ベンチ型に削られた岩もありました。
急な石段を這うように登りきると、小さな門のような建築物がありました。インティプンク遺跡ではないようです。私のマップに名前は記されていません。谷側に立てられている大きな岩が気になり、正面で身を屈めてみました。岩の上辺の削られた形が、数キロ先にそびえている山の尾根に重なりました。この岩は、あの山の二重イメージでしょう。
そこからのインカ道は、多少の登りはあっても、優しい散歩道が続きます。急な石段がそびえていた。吐く息と足の踏んばりを揃えて、ゆっくり登った。上がり切って、顔を上げた。インティプンク遺跡です。その向こうにマチュピチュが見えました。
マチュピチュは、日本で見ていたどんな写真よりも広大な広がりと高さの中にありました。山々に幾重にも守られているかのように、手品のように、尾根に調和しています。目を凝らします。広場が南北に延びていて、両側には石室が連なっています。一本の樹も見えます。これまで見てきた遺跡と比べると規模は大きいのですが、ラクタパタやルンクラカイを築いたのと同じ営みによって造られた町だと感じられました。
今なら、まわりの山々の全てがインカ道で繋がっていると聞かされても、私は疑わません。その全路に、例えば10キロごとに別のサヤクマルカやプユパタマルカや注水口が刻まれた岩があると言われたら、私は信じます。マチュピチュは唯一無二の特別な存在ではなく、広大なアンデスのごく一部だと感じられました。