インカ道トレッキング3日目
05:45……
朝日が当たり、山肌の緑やルンクラカイ遺跡の壁がしっかり見えました。
07:25……
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朝食はバターの焼きパンと葉入りの固めのスクランブル・エッグです。パン料理が格別に美味しかった。丸く平たいパンを2つにスライスして、バターと柑橘類とそれ以外の何かを塗ってから焼いてあるようです。滲んだ焦げ目からして、フライパンで焼いたのでしょう。
同じパーティーの女性が、「このパン、美味しいわ。味はバターとレモンと、たぶんニンニクだろうけど、他にも隠し味がありそうね。あるいは」と、首をひねりました。「バターそのものがペルー独特のかもしれないけど。作り方を知りたいわ」
「オーケー。説明させましょう。アンドレス!」と、ヒルダが食事テントの外へ大声を出し、多分スペイン語を続けました。間があって、「スィ」と声が聞こえます。腰に茶色のエプロンを巻いたアンドレスが、にっこりしながら食事テントに入って来ました。
ヒルダの説明を聞き、料理人は微笑みながらスペイン語を発しました。「料理を楽しんでいただいて、ありがとうございます」と、ヒルダが英訳しました。「料理法はトップ・シークレットであり、私のレストランへ来ていただければ、何度でもお出ししますので、ご研究なさってください」
「クスコにあるの?」と、女性。「あとでお教えしましょう」と、アベラルド。「いつもおいしい料理をありがとう」と、もう一人が声をかけました。アンドレスは笑んで、食事テントを出ました。
「彼はレストランを経営しているのかしら」と、女性が尋ねた。「そうです」と、ヒルダ。「でも、このツアーに──」「インカ道に来る必要がないほど繁盛しているレストランのオーナーですけど、ここが大好きだという、得難い人物なんです」
08:00……
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パカイマヨ・キャンプ場を出発しました。左から右への斜面に築かれた、現代の石畳を登っていきます。高さ50センチぐらいの低木が生えています。サルヴァヒナの花です。
08:10……
振り返って、キャンプ場を見下ろしました。まだ畳まれていないテントも残っています。山の斜面に沿って段になっています。もともとは、あそこも石段畑だったのでしょう。
08:21……
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ススキが咲いています。少ししか登っていないのに、2メートルぐらいの樹木が育っている箇所に差し掛かかりました。木々の枝に、髭のようなコケが垂れています。山肌が折り込まれているので、アマゾンから受ける霧の量に違いが出るのでしょう。
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また休みました。小さく見えるキャンプ場から、テントはなくなっていました。その上に滝が二つ見えます。細い枝に、赤紫や紫の丸い粒がまぶすように実っているのは、ブルー・ベリーの花です。
09:08……
丸い遺跡に近付きました。荒い石壁が見事な円を描いています。全体の直径は20メートルぐらいでしょうか。丸い外壁の高さは4、5メートルあります。
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写真1と写真2は、上から撮影しています。まず、歩く経路を説明しますと、写真1の右端から、インカ道を上がって来ます。そして写真中央の狭い入り口から内部へ入り、見学します。その後、狭い入り口から真っ直ぐ延びているインカ道を上がり、撮影している場所へ登ります。撮影者の背後にも登りが続き、ルンクラカイ峠へ達します。
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11…
さて、この建築物は何に利用されたのでしょうか。伝承も記録もありませんので、気づいた点を上げてみます。
1,インカ時代の名前は不明です。地元民の答えをビンガム教授がルンクラカイと書き取りました。しかし似た音声では、籠、籠型、球の意味を持つケチュア語もあるそうです。乱暴に言うと、あれは何ですかと教授が尋ね、地元民が丸っこい建物ですと答えたのかもしれません。
2,左右から山が迫り、谷全体を広く見渡せません。すぐ下の斜面が邪魔をして、真下も見えません。「見張り場所」に適切な場所は、写真2の左側の、黒っぽい山でしょう。
3,屋根の痕跡が見あたりません。写真6において、写真中央部の奥まった石壁の上に、通常なら三角の切り妻が石組みされているはずです。そこへ木材をかけて藁葺屋根を葺きます。それがありません。あるいは復元されていません。木材を縄で結わえるための円筒形の石も、石壁に組み込まれていません。雨期には住みづらい構造です。乾期でも夜の冷え込みを防げません。
4,石は直方体ではありませので、特に丁寧に石組みされるべき「神殿」の可能性はありません。
5,給水路が見あたりません。あるいは、復元されていません。水は人力で運ばれたのかもしれません。聖なる水槽はありません。
6,写真1と6の出入り口の幅は約1メートルです。その隙間の上に、2メートルぐらいの長さの鴨居石が渡されて、初めて形をなすような気がします。
7、写真6の四面の壁に2メートルぐらいの間隔で、台形のくぼみがあります。同じ形で外が見えれば窓ですが、抜けていなければ物置きの棚です。とすれば、寝室だったかもしれません。雑魚寝なら3、40人は寝られそうです。
8,石組み自体も、500年耐えたようには感じられません。これまで踏んできた現代のインカ道に使われている石の形に似ています。基礎の跡や崩れた石の量を勘案して20世紀に組み立て直ししたのかもしれません。それなら屋根を復元しきれなかったのもわかります。
9,修復が厳密にオリジナルに近いものではなかいかもしれませんが、全体が円形だったことは間違いないでしょう。何故、四角でなかったのでしょうか。太陽を表象していたかもしれません。でも、インカの太陽が二重円だったとは聞いていません。前半分と後半分に段差を設けたのには、うかがい知れない理由があったかもしれません。
09:56……
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インカ道は短く折れ曲がりながら、おおよそまっすぐに登ります。低い樹木がまばらに繁っていました。50センチぐらいの長さの、細くて強そうなイチュ草がが密生しています。これが屋根に葺かれると聞きました。遠めに見れば、そよ風に揺られる絨毯のように見えます。
ほころんだ布で荷を背負ったポーターが一人、荷物ごと崖のイチュ草に寄りかかっています。力なく、口が開いています。サンダルの素足がつらそうでした。
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高度は3,822メートル。雪化粧した、硬い山々があります。切り立ち、厳しいまでに研ぎすまされています。尾根づたいには、人はとうてい歩けそうにありません。全ての崖が垂直に感じられてきます。黒い岩肌に、植物が薄緑色に貼ついていました。
雲が横長に見えます。しばしば山頂を隠し、時々見せてくれます。川と滝の細い筋があります。稜線のシルエットは、場所によっては仰向けの横顔に見えます。
雲が動きます。これ以上の高みはないと思い込んで見つめていた稜線の向こうに、さらに高く別の山並みが見えて来ました。重なる尾根の連なりは、はるかな遠くに消え入り、その先にも無数に続いているかのようです。アンデスの山々は、高く、厚く感じられました。
10:44……
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3,900mのルンクラカイ峠は、なだらかな稜線を平らにした場所でした。現代のインカ道が通り、真ん中に石畳が丸く敷かれてあります。岩の上に、小石が危な気に重ねてありました。旅の安全祈願でしょう。峠の向こう側へ降り始めました。転倒が恐くなるほどの急傾斜でした。
10:50……
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石段が岩の暗がりに降りていました。せり出した岩の下をくぐるようなトンネルです。確か、マップには遺跡の印が載っていました。
インカ道には、よく見ると、いろんな花が咲いています。カメラを向ければ、花弁の形や色が印象的だですが、歩きながら眺めてだけでは、まるで花が保護色を選んでいるかのように目立ちません。ほんの少しだけど、ススキも生えていました。茎は茶色で、白っぽい花は開いて、そよ風に煙っていました。
11:01……
インカ道の左側で、1メートルぐらいの高さに岩盤が垂直に切られています。その右側が、現代の石畳で修復されてありました。
右手に細い池が見えました。水面は細長く、その両側の茶色い地面は、乾期に干上がった部分でしょう。雨期にはきっと、もっと広く水が溜まるはずです。
11:29……
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ちょっとした登りを登り切ると、目の高さにサヤクマルカ遺跡を遠望できました。石壁の重なりに見えます。近付いていくと、左の崖を垂直に登るような真っすぐの石段が見えます。何人かのトレッカーが上り下りしていました。登り切ってすぐ右上に、曲面の石壁で囲まれた太陽神殿が見えます。
11:44……
サヤクマルカ遺跡のはるか右下の谷に、3、4室のコンチャマルカ遺跡が見えました。その上の白い帯は、インカ道でしょう。さらに上に比較的平らな土地があり、人工物が見えます。私たちが昼食をとるキャンプ場かもしれません。
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11:53……
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サヤクマルカとは、ケチュア語で崖の上の村です。石段を登り切りました。左の山の出っ張りを石で補強し、遺跡の端の石組みまで、太くて長い丸太が渡してあります。機能していないのか、渇水期だからなのか、水は流れていません。丸太の下に、遠い山が見えます。借景かな、と勘ぐってしまいました。
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そこから石垣を兼ねる給水溝が太陽の神殿の外周に回されています。太陽神殿の壁は崖へ突き出すように湾曲しています。奥行きは10メートルぐらいある。高さは2メートル。屋根は不明です。10ぐらいの台形の窓が開いています。普通なら、その窓から差し込む日差しを受け止める岩が中央にあるはずですが、今は平らな土の地面だけです。
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給水経路は見極められませんが、最終的には、上の左の写真の右にある石室、拡大写真はその右、そこへ注ぐのでしょう。また、たくさんの石室は、高位の人の住居や倉庫だと言われています。
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遺跡の真ん中に大きな岩があります。一枚岩を垂直に削ったらしく、高さは5、6メートルあります。斜めに引っ掻いたような亀裂が走っており、容易にひし形に加工できそうです。この遺跡を造っている石の一個一個が、こういう岩から割り出されたのでしょう。この山系の全部が、こういう岩なのかもしれません。500年前は真っ平らだったのでしょうが、今は、まるで表面に塗られた漆喰のように部分的に剥がれ落ちています。たぶん、私から見て前後にもひび割れが走っているようです。半分ぐらいの高さまで、両脇に石垣が築かれており、最上部にも、石垣を造っている石と同じ物が数段重ねてあります。手前は、地面から20センチ高い。幅3メートル×奥行き1メートルちょっとの広さですが、そこには何もありません。祭壇なら、神への貢ぎ物を捧げる場所ですので、地面にじかに置きはしないでしょう。石の積み重ねが、つまり修復が中途半端なような印象を受けました。
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サヤクマルカ遺跡からコンチャマルカ遺跡が見下ろせます。見える範囲では、5段の楕円の石垣を基壇として、長方形に造られています。石室は3つで、狭い広場を備えた神殿が1つ。小規模で、珍しく谷底に近い立地です。その下に細長く、樹木の生えていない空き地があります。露岩も見えます。あそこまで連続した、縦長の遺跡だったのかもしれません。森が広がっています。これからあそこを歩くはずです。この谷には、アマゾンからの湿気がたくさん忍び上がって来るのかもしれません。
12:20……
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4、50メートルしか降下していないのに、緑溢れるインカ道になりました。山側から樹木がインカ道にしおれかかり、日陰のトンネルをつくっています。谷側には、木々の上半分がたくさんの葉を繁らせています。熱帯性の雑木林とは、こういうのを言うのでしょうか。
コンチャマルカの真下に来ました。道の谷側に、狭い石段畑があります。トウモロコシやジャガイモは栽培されていなくて、雑草が生えていました。
インカ道の造りが変わってきました。ここから、ほぼマチュピチュまで、オリジナルのインカ道が続くと聞きました。ごろごろした石が敷き詰めてあることには変わりありませんが、一個一個が丸みを帯びています。だから、トレッキング・シューズの底を載せる高さを選びやすいし、突起部がないから躓きにくい。
12:30……
コンチャマルカ遺跡を過ぎると、上にも視界が開けました。4、5メートルの高さの樹木がくねって茂り、伸ばした枝にコケ類が繁殖しています。それが垂れ下がり、薄暗い所では恐怖心を与えるかもしれません。
12:34……
細さ1センチぐらいの竹がしなやかに伸びていました。15センチ間隔に、竹の葉が球形に広がっています。クルクル竹です。数メートル、ゆったりしなりながら、道の上にも伸びていた。
これまでは靴底に急に石が衝突するような感触がありました。ここには、柔らかく触れ始め、それからしっとりと支えてくれるような感覚があります。足の運びが滑らかになりました。
次のステップの位置を定めやすいのは、石が丸いからでしょう。 乱杭歯のように埋められている石は、隣同士、微かに高さが異なります。だからか、たぶん、歩幅の異なる人でも自分にあった次の着地点を選びやすいのかもしれません。
河原の石がこうなるはずです。でもこんなにたくさん、どの川から運び上げたのでしょう。もともとひし形に割れる岩の角を削って埋め、年月が丸みを帯びさせたのでしょうか。
谷側の木の葉は、穏やかな日差しを透過するような黄緑でした。
12:45……
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チャキコチャに入りました。すそ野が平らに広がっています。少しずつ段を違えて、キャンプ場が造成されていました。各々に、いろんな色のテントが立っています。どこでも、小さな目の厨房テントと大きめの食堂テントがセットです。白っぽい、大きな現代家屋には、水道とトイレがあります。昼食は、インスタント・ラーメンとキヌア・スープでした。
13:16……
キャンプ場から、サヤクマルカ遺跡を見上げる事が出来ます。尾根の先端に高い石壁を巡らした姿は、要塞のようです。同時に、この一帯はあそこから丸見えのはずです。
14:00……
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キャンプ場を出発し、振り返って見下ろしています。
14:25……
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オリジナルのインカ道が続きます。左の谷側には、節くれ立った大木の上半分が見えます。灰緑色と言ったら良いのでしょうか、蒼褪めて白っぽいコケ類がまといついていました。右側は垂直に切り立っていますが、赤茶色のコケ類が密生しています。細かい模様の絨毯が色褪せたようにも見えます。人さし指をコケに差し込むとすっぽり埋まり、人さし指では岩肌に達しません。指が冷たい湿気を感じました。黄色いボマーリア。
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まわりに高い樹木が密生しています。一本一本に、焦茶色のコケ類がこびりついていました。道は薄暗い。びっしりと繁殖したコケの壁のあちこちから、長い三角の形をした茎と葉っぱが垂れるよう生えています。淀んだような焦茶色に、緑の三角がぶら下がっています。ところどころに太い幹の一部が露出していました。年月をかけて、コケ類が覆い尽くそうとしているのでしょうか。
14:47……
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橙色の蘭が咲いていました。まっすぐに伸びた茎の延長に、数枚の葉があります。尖って、縁取りは赤。先端に赤とオレンジ色と黄色が混じった小さな花が二つ。巻き込むような花弁です。蕾は三つ。
14:49……
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インカ道の山側に石垣が築かれていました。厚みは1メートルぐらいです。草木が生い茂っている奥に、建物があるのでしょうか。ふと、自分が立っている道の位置取りが気になりました。山の斜面から谷側にはり出していました。
道の谷側に寄り、下を覗き込みました。見える範囲で、15メートル下まで石垣が築かれていました。横は、数十メートルに渡っています。なめらかなカーブを描き、石組みにはたるみがありません。現代の修復がなされているとは感じられません。
雲霧林は水分が造り、毎年乾期と雨期を経ています。それの500年間の繰り返しで歪まないのは、自然条件を知り尽くした基礎工事が優れていたからでしょう。
14:52……
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ほとんど垂直の岩肌にへばりつくようなトンネルです。インカ道は縦長の影に落とし込まれています。谷側の岩の厚みはおおよそ1メートル。
石段が降り、左へ曲がり、さらに下ります。内側の岩肌は、何かが細かく叩き付けられてぼこぼこになっていますので、人の手が加わっている事は間違いありません。石を組み合わせた石段は、途中から、岩そのものを加工して造られています。年月を経て、角が丸くなり、滑りやすい。
途中で、左の岩がなく、窓のように外が見えます。床は平らに仕上げられ、右の岩壁は垂直です。5、6メートル先に、出口があり、直角三角形をしていました。
14:56……
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トンネルを出て、ちょっと歩き振り返って見上げました。トンネルの真上は、大きな三角の岩山でした。でも岩山の傾斜に沿って石を積み、道を設けられる立地に見えます。造らなくてはならないトンネルではなかったとも感じられます。トンネル、深い裂け目、地下水が湧く穴は、地下世界への入り口だと読んだ事があります。
15:13……
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またクルクル竹や小さな熊笹が目につくようになりました。道の石の隙間にも、たくさんの枯れ葉が溜まっています。上から細いツタのような物がぶら下がり、谷側の樹木が視界を遮ります。例によってコケがまとわりついた樹木は、逆光ではおぞましい影絵を見せます。オリジナルのインカ道は、人工物ではなく、小川の流れのようです。
15:29……
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視界が開けました。山の別の斜面に出たようです。眩しいほどに明るく、目の高さと同じに、周囲の山並が横たわっていました。真っ白い雲が青空に、横方向に浮かんでいました。幾重にも織りなる尾根と谷を見下ろしていると、ずっと下の方に、ちょっとだけ川が見えました。この辺りであれだけ太いのは、ウルバンバ川だけです。カメラを最望遠にして覗き込みました。白しぶきをちりばめながら流れていました。
左手の、手前の稜線のはるか上空に、研ぎすまされたように引き締まった雪山がそびえています。サルカンタイ山です。雲がゆっくりと右から流れている。サルカンタイ山の左側は、風が雪を吹き飛ばしているのか、あるいは山自体が雲を発生させているのか、白い煙幕をたなびかせていました。
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15:33……
オリジナルのインカ道全体が、左から右へ傾斜していました。造られた後に、山が傾いたのでしょう。左側に、明らかに手が加えられた岩がありました。縦横厚みが2メートルぐらい。すわりにくいベンチのようです。奥の茂みからの注水口を備えているのかもしれませんが、それは単なる想像です。
15:38……
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谷をはさんで、向こうの山肌が見えました。上三分の一くらいに、右へ緩く登っているインカ道が見えます。所々、山側を切り通したらしい、植物のない岩肌が見えました。私たちは、その下の道を歩いていきます。右の写真です。
15:46……
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谷間に、陽が当たって白っぽく輝いているマチュピチュ村が目に入りました。村と、左の山の間に、少しだけウルバンバ川と線路が見えます。明日はそこのホテルでホット・シャワーを浴びられます。少し進むと、今晩泊まるプユパタマルカ・キャンプ場がありました。
キャンプ場に入りました。私たちの緑のテント群があり、立ち回るポーターたちと笑顔を交わしながら通り過ぎてます。尾根の端で、プユパタマルカ遺跡を見下ろしました。
16:01……
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ケチュア語で「雲の中の町」です。最上部に白いテラスがあり、5段の基壇を経て、連続した石室が見えます。谷へ、インカ時代の石段が800メートルほど降りているそうですが、見学は明日です。
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お茶の時間は、カリントーとコーンの素揚げ。サルカンタイ山が見えます。美味しい夕食を食べて、食事テントから出ると、星は見えません。午後8時に就寝です。