エッセイ1:今年のラスベガスと来年

 賭博はやりたいとも思わない、英語は苦手で、肉とジャガイモとパンの食事にも満足できるはずがない日本人の高齢者は砂漠の町を楽しめないだろうと私は推測した。

 昨年度、飯坂温泉は夢の旅キャンペーンを催し、1等賞としてラスベガス50名の招待旅行を設けた。企画会議で、街全体が今ではディズニーランドのように変貌しており、家族中で楽しめるという提案者の説明はあった。しかし当選者の一覧表を見渡して、運命の悪戯で平均年齢が60歳を越えているのを知ったとき、悲惨な旅行になる予感がした。

 11時間のフライトの後に到着した広大なホテルでは、ここが明朝の食事会場ですと教えられても、5、6歩歩いて振り返ると、そのドアを見つけられない。すべてがスロットマシーンの群に被われている。部屋へ行くにも10分以上迷った。何を食べても胡椒と塩とケチャップだけのアメリカの味がする。しかし幸いにも、私の予測が当たったのはここまでだった。

 20年前にアトランティック・シティで賭博が公認され、競争相手が出現し、ラスベガスは新しい姿を模索した。その結果、今日、観光客はミラージュホテルの火山の噴火に頬を焼かれることになる。トレジャーアイランドホテルの海賊船の大砲の音に観衆が後ずさりした。ストラトスフィアタワーでは空中に投げ出され、ショッピングモールの天井に朝日から夕焼け、星空への移り変わりを見上げた。ダウンタウンのアーケード・ショーでも目と耳を奪われた。グランドキャニオンへは航空機で一時間だ。3日間では簡素なパンフレットに載っている見所の5分の1も回りきれなかった。

 成田から飯坂へ戻るバスの中で、招待客に1人ずつマイクを持っていただいた。全員がもう1度行きたいと感想をのべられた。

 思い返せばあの3日間、私は不愉快な思いを1度もしなかった。ホテルの巨大さには慣れるものだ。カジノで無料のドリンクを運んでくるバニーガールのお姉さん、レストランのウエートレスや道を教えてくれた地元の人、バスの運転手や土産物店の白髪のおばあさんなど、自然体で観光業に徹していたあの方達の姿に触れて、日本人の高齢者たちも心地良かったのではなかったか。様々な国籍の人々が数日滞在し、ゆったりとにこやかに炎天下を歩いていた。

 振り向いて、旅館組合添乗員の誰もが考えた、自分たちの町である飯坂は何故こうではないのだろうか、と。 もちろん、飯坂は水と電気さえあれば次々に建築物を建てられる砂漠ではないし、カジノ旅館が公認されるはずもない。そういう目で見れば、日本に数ある温泉地も二つと同じところがない。黒川温泉の道路の狭さは飯坂の比ではない。城崎の温泉の湧出量は飯坂よりはるかに少なく、草津盆地へは東京駅から四時間以上かかる。条件が同じ地域などありはしない。住んでる私たちが団結し、欠点と言われている条件を逆手に取り既にある構成要素に魅力を持たせれば、人は来たがるはずなのだ。

 今年も41260よいふろキャンペーンと銘打って、50名が招待される。来年の9月、私は添乗員としてラスベガスを再訪する。あの街に何が加わり、何が保たれているのか、それを知るのが楽しみだ。また、もちろん、カジノに一時的に預けてある私の150ドルを財布に戻す予定もある。