エッセイ4:年に一度、心が飛ぶ

 かなり以前に、アメリカ合衆国のフィラデルフィアから車で一時間ほど離れたカレッジヴィルという田舎町に一年間滞在したことがある。3つの家庭にホームステイし、公立高校にスクールバスで通った。10数年前に、住所に番地が加わった。郊外住宅地として家が増えているのだろう。同級生たちとはもう、音信はない。25年後の今も続いているのは、その3軒の奥さんたちとのクリスマス・カードのやりとりである。

 クリスマスのカードは例えば12月24日に配達されなければならないかというと、全くそんな習慣はなくて、11月末からクリスマスが終わり1月末までの間に届けば良いとされている。カードに書き添えられる文面は相手方のカードの到着日のずれに左右され、こちらがまだ投函しない12月始めに着けば、書かれた内容について何か書き添えることが可能だ。逆に、年末に向こうに届いた私の文についてのコメントは、翌年の12月まで待たなくてはならない。ずいぶん気が長い。もちろん内容は緊急を要するものではなく、例えば去年の、38歳になった娘の子供達とマイアミで泳いできました、という文についての、楽しくて良かったですね、こちらは九月にラスベガスに行く予定です、という返事を書くだけのことではあるが。

 私がカレッジヴィルを離れてから、いろいろあったらしい。1軒目と3軒目は兄弟で、建設会社を共同経営していた。何があったか詳しくは知らせてこなかったが、廃業し、1軒目はヴァーモント州に引っ越して小さなホテルを営んでいる。今は売りたいが、買い手がつかないようだ。2軒目は保険代理店を経営している。この夫婦は筆不精で、カードはまったくよこさない。しかし、21歳で医学生だった長女が軽飛行機の事故で亡くなった時には何度か手紙がやりとりされた。私が覚えているシェリルはまだ10歳で、丸顔にメガネをかけてとても聡明だった。当時私は幾つかの音声が苦手で、会話はあまり通じなかった。彼女はすぐに私の発音のクセを把握して、通訳してくれた。シェリルが可愛がっていた猫のタビーももういない。樅の木の栽培と販売をしている3軒目のホスト・ファミリーは離婚した。私は新しい妻に会ったことはないのだが、彼女がカードを送り続けてくれている。

 1軒目のペギーさんからのクリスマス・カードの構成はずっと変わりがなくて、市販のカードに個人的な手書きの言葉が添えられて、さらに送り先全員に向けた過去1年間の全家族の様子を描いたコピーが挟まれている。1文字ずつ等間隔に並んだ文面を見れば、彼女が昔ながらのタイプライターを愛用しているのがわかる。私は今年のカードに双葉旅館の電子メールの住所を書き添えた。インターネットを利用すれば、1年365日24時間たがいに電子の手紙を出し合うことが可能になる。だがコンピュータ抜きではできない。果たして、ある日、電子メールが届いたら、私はカードとは別の感動を味わうだろう。

 インターネット以前に、国際電話はもちろんかけられた。ビデオカメラで撮影したテープを交換することもできたが、向こうもそれをやらなかった。いっしょに過ごした子供たちの子供たちは中学校へ通い、私は高校生から42歳になり、ペギーさんたちは中年から初老の年代にさしかかっている。年に1度のカードのやりとりというテンポには、歳月の流れという複雑な味がある。

(1997年1月)