エッセイ5:不安を味わう
世の中は、わからないことでいっぱいだ。その全てに関わることはできないから、直面しない謎にはほとんど無関心である。身に降りかかってきて、初めて原因を探り、対処する。そして時として、理解できない事は不安となり、また恐怖となる。恐いものは避けて歩けばいいはずなのに、わざわざ見たがる時がある。推理小説を買うときだ。
ある特徴を持った小説を、私たちは推理小説と呼んでいる。事件が発生し、探偵役が少しずつ手がかりを手に入れながら、何時どこで誰がどんなふうに何故事件を起こしたのかを解き明かす。犯罪小説やカルト小説と異なるのは、推理小説が小説の最後に、少なくとも事件そのものの不明な点から読者を解放する解決を用意しているからだ。
江戸川乱歩や横溝正史は広く読まれている。その2人に強い影響を与えた、ミステリの創始者と言われているエドガー・アラン・ポーが、19世紀の中頃に「恐怖小説」と「探偵小説」の両方を書いたのには、わけがある。たぶん人は、いったんは不安に襲われて、最終的には恐いものから解放されたいという、わがままな欲求を持っている。
私たちの実生活では、以前は予測しなかったことが起こり、今の自分に関わってくる。その「昨日は考えられなかった今日」が、実は、振り返ってみれば過去のある時点で、推測できない今日ではなかったと気づくこともある。この過程がちょうど、推理小説で探偵役が、自分が触れてこなかった人間の関係や社会の性質を把握していきながら事件の本質に迫っていくのに、似ている。
おそらく、体験した世界が多ければ多いほど視野が広まり、より多くの角度から物事を見ることができる。しかし、限りある人生で、百通りの恋をすることや、複数の時代に生を受けること、5大陸に50年ずつ住むことはできない。また、青年が老人であること、健常者が障害者であること、女性が男性になることの全てを経験するのは不可能だ。どこにいようと何時の時代に生まれようと、「昨日は考えられなかった今日」に遭遇するはずだ。ミステリにはその様々なサンプルが描かれている。
一流の作家は、現実の社会性と人間性でフィクションを構成する。第一級の作品なら、探偵役も事件に戸惑う。最良の作品では、謎に関わることによって主人公の人生観さえも変わる。
現代に目を向ければ、例えば、スウェーデンの夫婦が描いたマルティン・ベック・シリーズの「密室」には反社会的な爆発があり、思いやりと疑心暗鬼があり、犯罪隠匿と捜査活動への肉体的精神的努力と大人の恋のある形が描かれる。警官が殺されない「警官殺し」では、組織のメンツのために、微罪の青年を追いつめざるを得ない警官たちの葛藤が底流に流れている。
読者も、裏切った友人に復讐するし、また許しもする。心を読み切れなかった被疑者には心から詫びる。男は小説の中の女性を守りたくなるし、女は男性を抱きしめる。読み手は刑事であり、犯人でもある。読者は先祖代々のペルー人になり、盲目の46歳の婦人にもなる。不安をかもしだす事件が発生してから、読者は事件解明の過程に辛さを感じ、甘い恋愛にひかれ、裏切りを苦く受けとめ、失敗を渋く飲み下す。
人間関係のもつれに様々な味覚を感じながら読み進むうちに、最後のページで、ミステリ特有の約束が果たされる。