バクシーシその2

【クフ王のラクダ引き】

 駐車場にバスが停まってから、ガイドのファトヒさんが滑らかな日本語で説明しました。ここではラクダ引きとのトラブルがとても多い。ラクダに乗る前の交渉では10ポンド(380円)、乗ってしまえば10ドル(1,320円)に単位が変わり、ラクダから降りるのには50ドル(6,600円)になった例があります。トラブルがあったら、大声を出して下さい。私は飛んでいって喧嘩します。それから、白い服を着て銃を持っている人が何人も見えますね。あの人たちはツーリスト・ポリス(観光警察)です。あの人たちも駆けつけます。ラクダに乗った写真が欲しければ、この後カフラー王のピラミッドを見て、その後にパノラマ・ポイント、そこでは三つのピラミッドが一枚の写真に入ります、そこのラクダ引きに1ドルで乗れるように私が交渉しますから、そこで撮れます。無理して、ここでラクダに乗らないでもいいです。では、外は暑いですから、気をつけて。

 私たち総勢27名は、北面の補修中で入場できない出入口付近や巨大な石の並びを写真に撮りました。そして、私は団体を離れ、クフ王のピラミッドの北西の角から北面を真横から一人で撮影していました。そこへ、大きなラクダとそれに乗った、髭を生やした30歳ぐらいの、ガラベーヤを着た男が近づいてきます。ニコニコしながら首の手綱を引いてラクダを止め、ムチを掲げて、「テイク・ア・ピクチャ、フリー、アイ・ドント・チャージ・フォー・ディス・ナッシング」と、私に向かってポーズをとります。カタカナで書くのがちょうど良いブロークンな音声の英語ですが、言い淀みはありません。毎日言い慣れているようです。私は、カメラを向ければ、バクシーシなるチップを要求されると承知していますので、躊躇します。彼は「テイク・ア・ピクチャ、フリー」とポーズを続けますし、絵になっています。軽い覚悟を決めて、私はシャッターを押しました。

 男はラクダをひざまずかせて降りました。「こんにちは。あなた、ジャパニーズ?」
「はい」
 立たせたラクダを引きながら、私に近づいてきます。そして右手に握ったムチを差し出し、「カメラ」と左手を差し出します。
「いい写真、撮ってあげます。ここに立って」と、座らせたラクダの太い首のあたりを指さします。「ヒヤ」と私の両肩を手の平で包んで、ラクダの曲がった首に近づけさせます。「いい写真、大ピラミッド、ラクダ、あなた。これを持って」とムチと手綱を差し出します。 私は、一枚ぐらいはクフ王をバックにした私の写真が欲しいし、それをバクシーシがらみでもエジプト人に撮ってもらうのは良い思い出になるし、これからの五日間でいずれは直面せざるを得ないバクシーシに馴れておく方が良いはずだし、シャッターを押してもらうぐらいなら大金は絡まないと予測して、ムチと手綱に手を伸ばしました。カメラも渡しました。
 クフ王の男はいったんかかげた私のカメラを降ろし、歩み寄り、「ここに座って。いい写真」と鞍を叩きます。 私が鞍に座れば、間違いなく、彼はラクダを立ち上がらせます。そこは2mの高さがあり、飛び降りて足をくじいてこれからの五日間を過ごすのは願い下げです。私が乗れば、彼は2mの高さに私を監禁したままラクダを引き、歩き回り、それから値段の交渉を始めるでしょう。私の首のあたりで、跪いてるラクダが顎と唇と舌をしゃくり合わせ、ヒュヒヒヒヒヒと、カモになる私を笑っています。「ここに座りましょう。あなた、大ピラミッド、リャクダ? ノー? ラクダ」と、笑わせることもパターンに入っているようでした。
 私のグループはすでにクフ王のピラミッドを離れて、バスに戻っていきます。
 私は「このままで写真を撮りって下さい」と言いました。
「いや、あなたはここに座って」
「バスが出発します。見えますね? 今、写真を撮りなさい」
「オーケー」とクフ王の男はカメラを構えて、シャッターを押しました。

 押して、不思議そうに私のデジタル・カメラを一瞬、見つめましたが、すぐに商売に戻り、「あなた、ここに座って。素晴らしい写真、撮ります」 ここが切り上げ時です。私は「ありがとう」と喋り始めました。「私はあなたの好意を評価します。とても感謝します。私は行かねばなりません。バスが出発しようとしています」と言いました。1ポンド札をポケットの中で数えて、右手で2枚(76円)をクフ王の男の、カメラを持っている方の手に押しつけました。私は左手で自分のカメラを取り戻し、彼の手の平に2ポンドを握らせました。彼はまずそれを握り込み、「違う、違う、違う」と、幾らかきつくなった口調で言います。
「少な過ぎると思いますか」
「テン(10)、下さい」
 欲しかったのはテンだったのです。でも、ポンドでしょうか、ドルでしょうか。
「私はあなたのラクダに乗りませんでした。2パウンズで充分です」
「違う、違う、違う。あれは2パウンズ(76円)じゃない、2ピアストルズ(7円60銭)でしたよ。さあ、10パウンズ(380円)、下さい」
 ピアストルを言い出すとは、私は想定していませんでした。確かに、エジプトのお札は両面に一カ所しか印刷されていないPOUNDSと、これは後から確認したのですが、ポンドの百分の一の単位のPIASTRESを見つけないと、判断しにくい色使いがされています。どこの国のもそうだと言えますが。 しかし私は早朝のホテルの銀行で両替したばかりで、綺麗とは言えない20ポンド札と比較的汚れていない10ポンド札と手垢で黒ずんだ1ポンド札の札束をその場で確認しています。右ポケットには1ポンド札だけ、左には10ポンド札と20ポンド札が入れてあります。それ以外の札もコインも私のポケットには入っていません。「とんでもありませんよ。あれは2パウンズです。2ピアストルではありません。私は長い道のりを経て、日本からエジプトに来ました。あなたはいいエジプト人です。私たちの国際交流には、2パウンドで充分です。私はあなたの国際親善への貢献を評価します。ありがとう。バイ・バイ」と、私は背を向けました。
「待って、ちょっと待ってください」というクフ王の男の声を無視して、バスに向かって歩き続けました。声が聞こえなくなり、クフ王の男は追って来ませんでした。 バスはクフ王のピラミッドの北面に沿った道路を西へ向かいました。西面へのカーブを曲がるときに、五、六頭のラクダに乗ったラクダ引きがたむろしていました。クフ王の男が沈んだ顔で乗っていました。