非エジプト的な正四角錐体

 大神殿の列柱の造形美、大スフィンクスの変貌、ファラオ像のリアルさ、ツタンカーメンの副葬品の悪趣味なまでの豪華さ、レリーフの生命感、ヒエログリフの具象性、初代ナルメル王のパレットの生々しさを知っていて、ピラミッドだけは見たことも聞いたこともない人がいると仮定します。その人が写真を見せられて、大昔のエジプトにはこれが93個もあったんですよと言われても、こんな、四角い巨石が無表情に重ねられた抽象性そのものといった正四角錐体なんか、エジプトの美意識とは相いれない、と信用しないかもしれません。

 しかし既に、私たちは古代エジプトとはピラミッドであると知らされています。「いつ、どこで、誰が、何のために、どういうふうに、何をしたか」と問われれば、「紀元前27、6世紀に、ナイル川西岸で、ファラオたちが、おそらく人力で、巨石を正四角錐に積み上げさせた」と答えることもできます。しかし、「何のため」に関しては、当時の人々は建造の目的と方法をヒエログリフで残さず、建設されなくなった紀元前18世紀以降の人々は首を傾げてきました。

 写真で見るカルナック神殿やルクソール神殿やアブ・シンベル神殿がいかに巨大、広大であれ、儀式の場として理解することが可能です。「何のために」の答えがあります。しかし、ピラミッドそのものには祭儀場としてのスペースが見あたりません。完成時、ピラミッド全面には磨かれた石灰岩が貼られ、白く輝いていたと言われています。レリーフが彫られていたとも言われていますが、痕跡は残っていません。もしかすると、頂上へ登る長い石段が彫られていたかもしれませんが、今となっては確認しようがありません。私が間近に見ている四角い岩の重なりは、後のファラオたちが自分の宮殿のために石灰岩を剥がして盗んだ後の、設計時には人目に触れるはずがなかった部分です。

 主だったピラミッドを年代的に並べると、階段ピラミッド、崩れピラミッド、屈折ピラミッド、赤ピラミッド、ギーザの三つのピラミッド、ウナス王のピラミッド、テティ一世のピラミッドという順序になります。

 変遷は、こうなります。まず、地中の玄室への竪穴を塞いでいた土盛りを重ねてスケールを大きくした六段の階段ピラミッドが、ジェセル王とイムホテプ大臣によって造られます。真似をしたフニ王は三段と想像される、しかし階段ピラミッドよりは急な傾斜角の(第二)階段ピラミッドを計画しますが、途中で死去し、スネフェル王が工事を引き継ぎ、同時に自分のピラミッドを初めて正四角錐体で建設し始めます。ところが、フニ王のためのピラミッド工事で崩壊事故が起き、多数の作業員を生き埋めにしたまま崩れピラミッドは放棄されます。驚いたスネフェル王は建築中の自分のピラミッドの傾斜角を途中から穏やかに変更し、屈折ピラミッドとして工事を終了させます。

 同じスネフェル王は別に、傾斜角はさらに穏やかな最初の正四角錐体の赤ピラミッドを完成させます。クフ王とカフラー王は切り立った真性ピラミッドを建て、メンカウラー王は小さめのそれを並べて造ります。規模を縮小し、崩れやすい日干しレンガを用いて、ウナス王とテティ一世は内部に初めてヒエログリフを刻ませたピラミッドを建てます。そしてその後のファラオたちはピラミッドへの情熱を失います。

 今日、旅行者の目に人間的に写る唯一の例外は、階段ピラミッドでしょう。死後に天空へ登りたいというジェセル王の希望で、平らなマスタバ墳に何度も造築を重ねさせた経緯が、400年前のメソポタミアのジッグラトが頭の隅にあったはずの大臣兼医師兼建築家兼友人のイムヘテプの人物像を伴って判明しています。在位30年目の彼が国民に体力を誇示するためのセド祭で、城壁に囲まれた階段ピラミッドの前で地球を象徴するモニュメントのまわりを額に汗しながら走り回る、カイロ博物館の石灰岩像のジェセル王の姿が目に浮かぶようです。見事30回の周回を終え、国民の喝采を浴びながら南北それぞれを象徴する神殿で、彼は荒い息をしながら満足そうな笑みを浮かべて、ねぎらいを受けます。その場面のレリーフが階段ピラミッドの地下室に残されています。

 そのようなエピソードを想起させる資料は、他ではまだ見つかっていません。

 階段ピラミッドにはジッグラトというサンプルがありました。しかし、人が登れぬ平らな斜面で構成され、大がかりな儀式の場のない初期設計だったはずの屈折ピラミッドには前例がありません。工法の未熟さで結果としては屈折しましたが、正四角錐体という考え方が初めて現れました。その後の赤ピラミッドやギーザ台地のは、工事技術を進歩させたというだけです。正四角錐体の表出にはスネフェル王が関わっているはずです。

 ピラミッドは単体で考案されたわけではありません。隣接して葬祭殿があり、そこから参道が河岸神殿に続いています。この四つの施設全体をピラミッド複合体と呼びます。ここを舞台にするならば、東岸の宮殿で亡くなったファラオの遺体は船に乗せられ、ナイルを渡って河岸神殿の港に着き、そこで二ヶ月かけてミイラにされ、神官の担ぐ船に乗せられて参道を登り、葬祭殿で葬儀が行われ、ピラミッドの内部に埋葬され、出入口は密閉される、という物語りが成立します。

 となれば、ピラミッドは墓のはずですが、盗掘しつくされたのか、ミイラの欠片もエジプトらしい装飾も、階段ピラミッドを除いてほとんど残されていません。すると、ピラミッドは象徴的な空墓で、ファラオたちのミイラはどこか別の場所に埋葬されたと考えることもできます。

 クフ王やカフラー王のピラミッドに手を触れると、10m奥にまだ知られぬ通路や部屋が隠されていてもわからない、と感じます。ピラミッドそのものが空墓なのではなく、現在見つかっている玄室が空墓であり、発見された通路はダミーであり、本当の玄室はミイラが運び込まれた後に密閉されたままになっている、とまで想像させられてしまうほどの、圧倒的な巨大さと強靭さと拒絶感を感じます。

 同時に、クフ王のピラミッドは230万個とも320万個とも言われる石の重なりです。20年間無休で作業をしても一日に315個か438個もの2トン半の石を、ナイルの上流で切り出し、運び、整形し、設置しなければなりません。鉄も滑車も車輪も用いない工法は不明ですが、結果は目の前にそびえています。

 93個と言われるピラミッド複合体の多くがまだ砂に埋もれています。発掘し、研究し、修復するのに百年かかるかもしれません。ピラミッドを崩さずに外部から透視できるようになった時、正四角錐体に人間味が帯びるでしょう。