| ジェット戦闘機Me262。それは第二次世界大戦のさなか、1942年にドイツで開発された。 レシプロ(プロペラ)エンジンでは不可能(当時)であった時速800Km/hを優に超える、 時速870Km/hで巡航できる戦闘機である。これは連合国戦闘機よりも200km/hも速かった。 さらに、レシプロエンジンに必要なガソリンに対し、灯油等の低質な燃料で飛ぶことができた。 実験的に戦線に投入されたが、ヒトラーは爆撃機化を要求。 これに対し、戦闘機としての配置を戦闘機隊総監ガランド中将(104機撃墜のエース)は望んだが 戦闘機開発はヒトラーに禁止されてしまった。 その後、日々強まる戦l略爆撃に対し、少量の戦闘機製造が認められるものの、 空軍総司令官ゲーリングとの見解の違いからガランドは戦闘機隊総監を追われることになる。 このガランド罷免に反対した第4戦闘師団司令リュツォウ大佐と 元第七戦闘航空団(Me262を使用)司令シュタインホフ大佐はゲーリングを糾弾。 その結果、リュツォウはイタリアに左遷、シュタインホフは仕事を干されてしまう。 が、この弾劾の一件を聞いたヒトラーは、 んじゃ、ガランド中将にMe262を一個中隊与えてやらせて見よ と命令。 ここに第44戦闘団が誕生することになった。時に1945年も2月。 ガランドは中将である。(一個中隊12機を指揮するのは通常中尉・大尉クラス。) これだけでも異例なのに、 人選権は空軍人事局ではなくガランドに与えられたことから 第44戦闘団はとんでもないエリート部隊となってゆく。 大戦末期ともなると性能の高い連合国戦闘機に対抗し得るドイツ機は Me262くらいしか無かったこともあり、 次々と騎士鉄十字章を持つエースたちが44戦闘団に加わる。 ガランド擁護にまわったシュタインホフはもとより、リュツォウもこれに参加。 航空団司令や飛行隊長クラスがひしめく異色の中隊となった。 第44戦闘団は最終的には保有機、パイロットとも40を超える。(保有機は90超の文献もあり) だが、連日2000機以上で飛来する連合国戦爆機群の物量は如何ともし難く、 敗戦を迎えることになる。 追記:なお、Me262は優秀な戦闘機であるが、その実情はジェット戦闘機創世記ゆえの脆弱な 面をもっていた。初期のエンジンは10時間ほどしかもたず、後期でも25時間。 急加速、急減速は不可能であった。降着装置の故障に常に泣かされ、44戦闘団でも 常に稼働可能な機体は一個中隊規模だったと言われている。 参考文献:渡辺洋二著「ジェット戦闘機Me262」光人社刊 世界の傑作機No.2「メッサーシュミットMe262」分林堂刊 |