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世の中には知っておいたほうがいいものと、知らないほうがいいものとがある。推理小説の結末は読む前には知らないほうがいいに決まっているし、清水義範のミステリー*1を読む前には、ある程度の予備知識があったほうがいいかもしれない。
この本はミステリー短編集である。短編集ではあるが、必ず順番に最初のお話から読んでいってもらいたい。ノッケから度肝をぬかれるに違いない。
表題作「茶色い部屋の謎」が、その最初の短編。はじめのページにミステリーの常識をくつがえす仕掛け*2がしてあって、本格派を心得ている読者は、早くもこの時点で脱落するはずである。あるいは脱力するかもしれない。・・・と脱線している暇はない。
題名の「茶色い部屋の謎」は、「オペラ座の怪人bk1」で有名なガストン・ルルーが書いた密室殺人ミステリー「黄色い部屋の謎bk1」からいただいている。このタイトルの付け方からわかるように、この短編はミステリーのパロディである。
主人公の神童天才(しんどうてんさい)は、ひょんなことからあるパーティーに招待された。そしてそこには、個性豊かな探偵たち*3が勢ぞろいしていたのである。
探偵の名前とその由来は次のとおりである。
・金野大地(きんのだいち)
横溝正史作品の主人公、金田一耕助。「八つ墓村bk1」などで活躍。
・ヘイスティング
アガサ・クリスティの小説に出てくる名探偵ポワロの友人で相棒。「ABC殺人事件bk1」など
・久院と蓮(くいんとれん)
ミステリー作家エラリー・クイーンの代表作は「Yの悲劇bk1」で、Yの悲劇に登場するのがドルーリ・レーンという探偵。ちなみに、エラリー・クイーンという人は存在せず、従兄弟二人の合作によるペンネームということで、日本でいえば、藤子不二雄や岡嶋二人のようなもの。
・日本語ペラペラ*4のイギリス人
もちろん「シャーロック・ホームズ」。その初登場作品「緋色の研究bk1」などで相手を見ただけでその人の職業を当てるという特技を披露している。
・麻古みす(まふるみす)
アガサ・クリスティの作品に出てくるおばあちゃん探偵*5ミス・マープルbk1。
・隅野老人(すみのろうじん)
バロネス・オルツィ著の「隅の老人bk1」より。
できれば元ネタを知っているともっと楽しめる。この短編を読む前に、あるいは読んだ後にでも、原作を読んでみてもらいたい。
「また盗まれた手紙」は、エドガー・アラン・ポー原作の短編“盗まれた手紙”の続編である。この“盗まれた手紙”は、「モルグ街の殺人事件bk1」に収められているので先に読んでいたほうがいいかもしれない。同書の表題作のパロディ*6も清水義範は書いているので、興味のあるかたは「世界文学全集 第II期」を参考にしてもらいたい。
原作と同様のシチュエーションで手紙が再び盗まれた。今回も警視総監G××氏が私の友人デュパンのもとへ依頼にやってきた。手紙の隠し場所はいったいどこに。果たして手紙は取り戻せるのか。
「浮かばれない男たち」と「幽霊探偵と全裸美女」はシリーズ物である。
三途の川の手前で探偵事務所を開いている鷺谷圭介*7(さぎのやけいすけ)が、事件で殺された成仏できない被害者たちから依頼を受けるという奇想天外なお話。
「浮かばれない男たち」では、密室で殺された被害者が、誰に殺されたかわからないというので、殺した犯人を推理していき、「幽霊探偵と全裸美女」では、殺された理由がわからないというので、探偵の鷺谷が事件の本質に迫っていく。
「誘拐屋繁昌記」と「八倍ズームの証言」は、推理小説というよりも犯罪小説*8といった趣き。誘拐を生業としている赤沼邦雄は、依頼者の話を丁寧に聞き、コースを選ばせる。Aタイプですと身代金の10パーセントをマージンとしていただくことになっています。という「誘拐屋」と、殺人を計画した男が観光客の持っているビデオカメラにおびえる「八倍ズーム」。一見シリアスな話だが、犯罪者はどこか間が抜けている。
「ベッドサイド・ストーリーお電話ください」、「分別ゴミ」、「領収書ください」は、ショートショートに分類される。日常生活で雑談からはじまる話が、ちょっとした迷宮に迷い込む。
「トンネル」は、はっきりホラー系の作品*9だ。片道2時間の通勤をしている男が、帰りの電車に乗っていると、一瞬だがトンネルの中で不思議な明かりを見つける。トンネルの中に四角く窪んだ空間があって、そこに人が暮らしているように見えるのだ。興味をもった男は、電車が終わった夜中に、ひとりトンネルの中へと歩いて行く。
「バイライフ」は、自伝風*10のSF。作家である私が、自宅で小説を書いているある日、異様な空間に迷い込んだ瞬間、どさっと草むらに投げ出される。周りを見ると場所は同じなのに、すべてが少しずつ古かった。1987年から1972年へと15年前にタイムスリップして、2回目の人生を歩む。
「やっとかめ探偵団のバス・ツアー」で最後をしめる。波川まつ尾率いる名古屋のおばあちゃんグループが、揃って行楽のバス旅行に出発する。天竜下りと昼神温泉・駒ヶ根高原のバス・ツアーで楽しんでいたみんなだったが、ツアー客の一人が天竜川で遺体で発見される。こめかみをグリグリ*11しながら、まつ尾は推理に挑む。
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*1 清水義範のミステリー
清水義範が書いたミステリー作品としては、名古屋のお婆ちゃん探偵が活躍する「やっとかめ探偵団」シリーズや、対照的な二人が事件に挑む「躁鬱(でこぼこ)探偵コンビ」シリーズが有名。いずれも光文社文庫で発売されているが、現在ほとんどが品切れで入手困難となっているのが残念。電子書籍として購入するか、古本屋を探すしかなさそう。
*2 常識をくつがえす仕掛け
いきなり最初に「あれ」があるのであるから、読者としてはどうすればいいのか困ってしまうところである。いったいどうしろというのだ、と思っていると、次の一文で肩の力が抜けるのだ。この脱力感が清水義範の本領発揮というべきところだ。
*3 個性豊かな探偵たち
この短編での本当の探偵は神童天才である。その他の探偵はあくまで友情出演のようなものであるが、彼らの独特の個性が思わず笑いをさそう。元ネタとなる小説を知らないと、なんでこんなことを、と疑問に思う描写がある。
*4 日本語ペラペラ
シャーロックホームズについては、「シャーロック・ホームズの口寄せ」(「深夜の弁明」に収録)という作品でも登場している。シャーロック・ホームズの霊をいたこに呼んでもらうというストーリーだが、そこでもホームズは日本語をしゃべっている。翻訳された本に登場するホームズにちがいない(笑)。
*5 おばあちゃん探偵
ミス・マープルのような探偵を日本人にあてはめてみて、清水義範が書いた作品が「やっとかめ探偵団」シリーズである。「おみゃあさんが犯人だがや」などと名古屋弁が飛び交うユニークな作品に仕上がっている。名古屋ローカルで演劇、ドラマ化されて人気を博している。
*6 表題作のパロディ
「モルグ街の殺人」という短編がそれ。ポー作品と同様のシチュエーションで密室殺人事件が起きる。オーギュスト・デュパンならぬ荻須重伴(おぎすじゅうばん)が事件の解決に挑む話。
*7 鷺谷圭介
鷺谷(さぎのや)という個性的な苗字は、清水義範作品の「やっとかめ探偵団」シリーズにも、鷺谷直樹という刑事が登場している。この圭介は、直樹のお兄さんだということである。弟は名古屋で殺人事件の捜査にあたり、兄のほうはあの世で探偵をしているという設定なのだ。興味深い話ではないか。
*8 犯罪小説
清水義範の犯罪小説といえば、長編では「超・怪盗入門」と「超・誘拐入門」がある。いずれもユニークな小説で、怪盗では物を盗むところ、誘拐では身代金の受け渡しの部分が読みどころとなっている。また、短編では「三億の郷愁」という三億円事件を裏側から見たものと、「超実践的犯罪論」という誘拐ものがある。
*9 ホラー系の作品
ホラー作品をまとめた自選集「黄昏の悪夢」が角川ホラー文庫から発売されている。新潮文庫から発売されているホラー短編集「ターゲット」も見逃せない。
*10 自伝風
清水義範の作品には自伝風のものが多い。高校生の時代を描いた「イエスタデイ」や上京してきた頃の生活を描く「青山物語1971」「青山物語1974」など、ノスタルジックな思いにひたれるものばかりだ。
*11 こめかみをグリグリ
主人公の波川まつ尾が、頭を働かせて推理するときにとる独特の仕草。グリグリした後には、すばらしい推理が披露される。まつ尾以外にも個性のあるおばあちゃんたちばかり。スポーツ万能だったり、いつもナンマンダブだったり、食べてばっかりいたり、嫁の悪口を言うのが生きがいだったり。そんなおばあちゃんたちがまつ尾の片腕となって事件を解決していくシリーズである。
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