これは親父が撮ったあたしの愛くるしい生後の姿(笑)なんだけど、脇に置かれたタバコの箱が泣かせるでしょ? 要するに大きさの対比なわけね。この辺が正に鑑識課だよな。親父が病気で他界したのはあたしが11歳の時だから本格的にカメラという物へ興味を持ち始めた頃には既にこの世にいなかった。もし生きてれば撮影技術についていろいろと熱く語る事も出来たろうけどね。それが残念と言えば残念。
あたしが自覚的に写真を撮り始めたのは12歳の頃かな? 当時はスーパーカーブームの全盛期で、家に転がってたコンパクトカメラ(勿論AFにあらず)を持って街に出ては道路を行き交うスポーツカーの姿を写真に収めたりしてた。当時の写真が何枚か残ってるけど、その中で我ながら感心させられたのがこの1枚。

まあ他愛もない写真なんだけど、あたしが感心したのはその目線ね。ガキなりに考えてカッコイイ写真を撮ろうとしゃがみ込んでる。道路を走る姿ではなく駐車場に停められた状態だから余裕があったって事もあるんだろうけど、こういう事って普通のガキにゃマネ出来ませんよ。この辺にカメラマンとしての素質を感じますな。
これはあたしの持論なんだけど、カメラマンに一番必要な物は技術よりもソウル(魂)だと思う。良い写真を撮りたいと心から願う事が重要なの。技術なんて本を読んだり学校で学んだり現場経験を積んだりすれば誰でも身に付きます。でも、それだけじゃ良い写真なんか絶対に撮れない。
例えばの話可愛い赤ん坊の写真を撮ろうと思った場合、世界で最も優れたカメラマンはその子の親だと思う。可愛く撮りたいと思うからこそ愛情を込めてシャッターを切る。すると、その心は被写体にも伝わるのね。だから例えピンボケでも構図がイマイチでもフレーミングが最低でも良い写真が撮れる。それはプロのカメラマンが完璧なライティング、完璧な画作りで捉えた写真をも凌駕する物である、と。まあ理想論だけどね。実際はそうじゃない場合が多いので。
でもね、心を込める事がカメラマンにとって技術以上に大事だって事だけは間違いないと思うよ。同じ技術力を持った人間が同じカメラ、同じレンズを用い、同じ条件下で被写体を捉えれば理論上は全く同じ物が撮れる筈なんだけど、そこには必ず微妙な差が生じてくる。その差が一体何なのか?と問われれば、それはもう心の部分としか言いようがないじゃない。
これだけはカッコよく撮りたい、この子だけは可愛く撮りたい、この女性だけは美しく撮りたいと強く念じる事が時には技術力すら超越する事もあり得るとあたしは信じてるし、そういった心を持てない奴にはカメラマンの素質なんか無いとさえ思ってる。
話が思いっきり脇道にそれましたが本題に移りましょう。あたしがビデオカメラマンになった訳ですね。そもそもあたしは映画狂だから映画監督になるのが夢だったんです。でも、あたしが社会人になる頃には日本映画界も衰退の一途を辿っており、既に映画監督という職業はほとんど成り立たなくなってた。それなりに知名度の高い映画監督ですら副業で食ってるのが実状だったし。
それと、大人になるにしたがってこの国の映画製作体系がガキの頃から思い描いていたイメージとはかけ離れてた物だという事実も分かってきたのね。徹底的な縦社会で仕事はキツく賃金も安い、正に情熱だけでかろうじて立っていられるような辛く厳しい世界。それが誤った道だとは思わないけど、少なくともあたしが魅力を感じなかった事だけは確か。
丁度その時期にジム・ジャームッシュを初めとするニューヨークのインディペンデントフィルムやフランスのヌーヴェル・ヴァーグに傾倒し、職業監督でなく別の職を営みながら個人で自由奔放に映画を製作し公開していく形で映画と関わっていく方法もあるよな、と悟り職業としての映画監督の道を断念。それでも映像という物とは深く関わった職に就きたかったので、大学で学んだ撮影技術を活かせるビデオ製作会社へ入社しビデオカメラマンとしての道を歩み始めた、と。
ただ、あたしって就職活動にはあまり(・・というか全然)積極的じゃなく、卒業の一週間ほど前になって教授へ「どっかに俺を雇ってくれるビデオプロダクションありませんかね?」って話をしただけなの。
半ば呆れ顔でとあるプロダクションを紹介され、実を言うとあまり気が進まなかったんだけど面接に赴いた時は既に卒業が5日後に迫ってたし就職浪人なんてまっぴらゴメンだったからあたしに選択の余地は無かった。そのまま入社を決め、部署が不景気で撤退を余儀なくされるその日まで10年もの間その職場で勤める事となる。どんな職に就いたのかは次回詳しく書きます。
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