NHK放送博物館篇 トップ頁 メニュー 前頁 次頁

 NHK放送博物館は港区の愛宕、通称愛宕山と呼ばれている丘の上にあります。最初のNHKの跡地です。NHKはその後、日比谷公園近くの内幸町、そして現在の渋谷区神南に移っています。この博物館には社団法人東京放送局、社団法人日本放送教会、そして現在の特殊法人日本放送教会=NHKの沿革、放送技術に関する資料が展示されて、一般に公開されています。観覧は無料です。原則、月曜が休館です。近くの駅は東京メトロの虎ノ門、神谷町駅等です。 (09/09/30)

nhk000.jpg nhk002.jpg
外 観 09/09/25
 博物館の建物の外観です。右に見えるエントランスが玄関になっています。周りは公園や神社になっていて、昼はサラリーマンやOLが周りのベンチで弁当を食べていました。

エレベータ 09/09/25
 愛宕山トンネル入口付近の路面から博物館のある丘の上まで通じているエレベータの上側の乗降口です。高さは25メートル位です。カメラの後方に博物館があります。このエレベータを利用しなくても、坂道を歩いて登っても博物館には辿り着けます。この丘には車も上がってきます。

nhk004.jpg nhk006.jpg
仮放送所の看板 09/09/25
 東京放送局は1925(大14)年3月初めて仮放送というのを芝浦の東京高等工芸学校の図書館を仮放送所に借りて、マイクロホン1本だけで仮放送を開始しました。1日5時間の放送で、受信契約件数は3500だったとか。画像の中の後方に、その仮放送所の玄関の写真がありますが、倉庫の入口って感じです。1階玄関のすぐ横に展示してありました。看板には社団法人東京放送局仮放送所と記してあります。この年の7月には現在博物館のある愛宕山に移り、本放送を開始しています。

放送番組プログラム 09/09/25
 これは博物館の壁に掲示してある1926(大15)年元旦の放送番組プログラムです。横書きは右から読んで下さい。まるでセレモニーの式次第です。午後1時放送開始で、君が代演奏から始まっています。そして、総裁の後藤新平や陸軍中将の講演などが続いています。元旦だからこんなものを印刷したのか、詳細は分かりません。東京放送局としては初めて迎えた新年で、力が入ったのかも知れません。この年の8月に社団法人東京放送局は解散し、社団法人日本放送協会の下に、大阪、名古屋放送局とともに入りました。

nhk008.jpg nhk010.jpg
ラジオ受信機(1) 09/09/25
 いわゆる鉱石ラジオです。小学校などで理科の実験などで作った経験をお持ちの人もいるかと思いますが、東京放送局開局当時の受信契約者の7割程度はこの種の受信機だったそうです。1925(大14)年当時のものです。

ラジオ受信機(2) 09/09/25
 大正末期から昭和初頭の頃の受信機です。電源は家庭の交流電源ではなく、電池というのも多かったようです。それでも、並4球、6球スーパーという形式の受信機が現れています。ここで球とは真空管のことで、4球というのは4本の真空管を使用しているという意味です。

nhk012.jpg nhk014.jpg
ラジオ受信機(3) 09/09/25
 昭和中期になるとこの受信機のように、複数のスピーカを音域によって使い分けるハイファイと呼ばれるように音質を重視するものが現れています。この受信機の右上の丸いものはマジックアイと呼ばれ、これの光る状況で正しく放送波の周波数に同調しているかを視覚的に確認できるようにしたものです。ナショナル(現パナソニック)ブランドです。

ラジオ受信機(4) 09/09/25
 国産、輸入品の受信機を一つのコーナーに集めて展示してありました。ラッパ型のスピーカを持つもの、大きな矩形状のアンテナを持つもの、周波数の表示に点字を加えたもの、一つ一つが興味深いものばかりです。

nhk016.jpg nhk018.jpg
玉音盤 09/09/25
 玉音番とは昭和天皇の終戦時の玉音放送の録音盤のことです。これは天皇が放送されたのを録音したのではなく、玉音放送は事前に録音された録音盤を再生して放送しました。ところが、音質が悪く、用語が難解だったために、これを聴いた人の大部分がその要旨すら理解できなかったと言われています。この玉音盤を巡っては、徹底抗戦を主張する陸軍の一部によるクーデターが未遂に終った宮城事件が発生しました。録音盤の劣化を防ぐために、ケースには窒素ガスを充填してあります。

テープレコーダ 09/09/25
 1950(昭25)年のテープレコーダです。ソニーの前身の東通工製で、重量35キロです。しかし、以後、ソニーのテープレコーダは世界中に広がって行くことになります。

 
nhk020.jpg nhk022.jpg
報時時計 09/09/25
 ピ、ピ、ポーンという時報を鳴らすシステムです。左側の大きな時計が自動制御時計という高精度の時計です。これが右隣の報時時計を制御します。最も右側のはかって、7時等の正時にテレビ画面に映されていたものです。意外に小さく、掌の大きさでした。

高柳式テレビ 09/09/25
 1926(昭元)年末、日本のテレビの父と称される高柳健次郎がテレビの伝送に成功しています。その当時のようにイの字を映し出した状況を再現してあります。

nhk024.jpg nhk026.jpg
テレビカメラ(1) 09/09/25
 NHKのテレビ本放送は1953(昭28)年でしたが、実験放送は1939(昭14)年には成功しています。左側のテレビカメラは米国RCA製で、2台輸入されました。そして、右側は国産のモノクロのテレビカメラです。いずれも、広角、望遠などの最大4本のレンズを切り替えて使用するようになっています。後で、これらがズームレンズに変わることになります。

テレビカメラ(2) 09/09/25
 1964(昭39)年の東京オリンピック用に開発されたカラーのテレビカメラです。スポーツ中継用にしては図体が大き過ぎる感じもします。しかし、当時としては精一杯だったのでしょう。カラー放送はそれ以前の1960(昭35)年に本放送が始まっています。

nhk028.jpg nhk036.jpg
テレビカメラ(3) 09/09/25
 1972(昭47)年頃のハンディーカメラと携帯用VTRです。このカメラは肩に担いで撮るタイプで、ニュース取材に活躍したそうです。

テレビカメラ(4) 09/09/25
 最近、映画の世界では立体3D映画が盛んになっていますが、NHKの技術研究所でも1990(平2)年にこの立体カメラを開発しています。2つのレンズ間の距離が可変になっています。立体テレビが技術的な開発が進んでも、それだけで立体テレビが一般化するとは考えられませんが、今後、どうなりますやら。

nhk038.jpg nhk030.jpg
テレビカメラ(5) 09/09/25
 歴代のテレビカメラを並べたコーナーです。確かに、サイズは新しくなるほど、小型になっていますが、劇的に小さくはなっていないように思われます。
テレビ受像機(1) 09/09/25
 これは1953(昭28)年にテレビ本放送開始時の受信契約第1号の視聴者が使った受像機です。米国製で、当時のお金で28万円也とか。本放送開始時の受信契約件数は僅か866件だったそうです。

nhk032.jpg nhk034.jpg
テレビ受像機(2) 09/09/25
 1959(昭34)年頃のトランジスタ受像機です。これでも一応携帯用ということになっています。そのため、電源は交流/直流を切り替えるスイッチが付いています。69800円でした。

テレビ受像機(3) 09/09/25
 1965(昭40)年頃に流行したコンソール型家具調受像機です。現在より部屋のスペースに余裕があったとは考えられないのに、大きな場所が必要なタイプに人気があったのは、それだけ、テレビ受像機の家庭内における地位が相対的に高かったのでしょう。


頁トップ