江戸東京博物館篇 トップ頁 メニュー 前頁 次頁

 JR両国駅のすぐ北側に位置しています。名前から想像できるように、江戸時代の江戸から東京までの歴史の流れをいろんな資料等を展示して見せてくれますが、当時の絵図面やその他の紙の資料から復元したモデルが豊富に準備されていて、楽しめます。ここの常設展示品はフラッシュや三脚の使用は制限されますが、写真に撮ることが認められていますので、夜景と同様な感覚で撮ってみました。料金は成人は600円です。企画展は別料金になります。   (05/04/21)  

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日本橋 05/04/19
 6階の博物館入口を入ると、すぐ目の前にあるのが、日本橋の原寸復元モデルです。実物は幅8メートル、長さ51メートルですが、このモデルは北側半分だけを、1603年建造当時の状態を復元したものです。現在の日本橋よりも欄干の装飾も少なく、機能重視?って感じです。見学者はこの橋を渡って他の展示場に入ります。

大名屋敷 05/04/19
 江戸時代初期の寛永年間頃(1624〜1644年)の福井藩伊予守松平忠昌の上屋敷のモデルです。敷地の横幅が180メートル以上の広大なもので、当時の大名の権威を誇示するに十分なものです。このモデルは細部まで作りこまれていますが、さすがに、敷地内の全部の建物を網羅してはいません。この建物のボスである松平公も、すべての部屋に入ったことがあるとは思えません。多分、建物の数さへ把握していなかったのではないかと思えます。

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江戸城松の廊下 05/04/19
 江戸城本丸大広間の松の廊下のモデルです。1845年の図面を基に再現したものということです。

江戸城のシャチホコ 05/04/19
 実物です。江戸城のシャチホコですが、どの建物のものであるか特定できていないそうです。

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江戸の街(1) 05/04/19
 寛永年間の頃の町人地と言われた下町の状況を再現したものです。見えている人物は、高さが4〜5センチ位の人形、今流に言えばフィギュアです。この画像の外にもまだ沢山ありましたし、どの位の数やら。凄いです。これぞ、マコトの歩行者天国では? 日本橋付近の街を再現したもののようです。

江戸の街(2) 05/04/19
 こちらは両国橋付近の賑わいを再現したものです。川を上り下りする船の細部まで再現されています。見にくいですが、右の橋の上にも大勢の人が往来しています。左の高くなった建物は見世物小屋です。街ばかりでなく、そこに動く人を丹念に再現されていることに驚きます。素晴らしいです。

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棟割長屋(むねわりながや) 05/04/19
 実寸のモデルです。1棟を2戸に区切った長屋という意味のようです。その1戸というのは間口も奥行きも2間(けん)の広さで、その中に6帖程度の部屋、台所、入口の土間等を含みます。現在の1K以下で、最上段の画像の大名屋敷とのギャップは凄いです。これは出産の状況を実寸で再現したもので、産婆さんが赤ん坊をたらいの中で洗ってます。

絵草子(えぞうし)屋 05/04/19
 力士、歌舞伎役者、おいらん等の極彩色版画である錦絵(にしきえ)を売っていました。その店舗の実寸モデルです。

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江戸歌舞伎 05/04/19
 江戸歌舞伎の代表格である助六の舞台の再現実寸モデルです。衣装の色彩、舞台ともになかなか華やかな雰囲気です。


芝居小屋 05/04/19
 文化2(1805)年の顔見世興行の状況を再現した代表的な芝居小屋の中村座を再現した実寸モデルです。実寸ですから、博物館の中に劇場を建築したようなものです。

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呉服屋 05/04/19
 1830年頃の呉服屋である三井越後屋の状況を再現したものです。現在の三越デパートの前身です。
寺子屋の教科書 05/04/19
 寺小屋の教科書たるお手本は先生が作って子供に与えるのが普通だったそうです。これはその実物です。私、さっぱり読めません。寺小屋の入試にはパスできそうもありません。

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かわら版 05/04/19
 安政2(1855)年の安政地震直後に出されたかわら版です。カラー版です。いわば号外とも言えるものでしょうか。下半分には火災の炎や逃げ惑う人が描かれて、上半分が記事です。記事の文字は見えるのですが、私には読むことはできませんでした。これが町人向けの出版物ですから、これを見ても、当時の江戸町民の皆さん、相当なガクをお持ちだったことが分かります。

最古の日の丸 05/04/19
 幕府の軍艦だった第2長崎丸が1862年に座礁した際、引き上げられたもので、残っている日の丸の旗としては最古のものと言われています。海中から引き上げられたという意味ではありません。

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銀座煉瓦街 05/04/19
 明治10(1877)年頃の銀座4丁目交差点付近の状況を再現したものです。明治5(1872)年の大火事で消失した後に不燃化を狙って煉瓦を使って再建されました。

浅草十二階 05/04/19
 凌雲閣(りょううんかく)で、明治23(1890)年に落成して、浅草のシンボル的存在でした。高さは67メートルで正八角形の断面です。日本最初のエレベータも備えていましたが、危険ということで運転は中止になったそうです。関東大震災で倒壊しました。展示されているのは、その10分の1くらいのモデルですから、かなり大きいです。

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浅草六区活動写真常設館 05/04/19
 浅草六区は明治36(1903)年に初めて活動写真の常設館が開設され、それから活動写真館が軒を並べるようになり、大正初期には大歓楽街を形成するまでになりました。この模型はその当時の映画館イコール活動写真館を再現したものです。

円タク 05/04/19
 タクシーは昭和初期は東京市内は一律に1円の料金たったので、円タクと呼ばれました。昭和10年の統計では、東京のタクシーの44パーセントがフォード製、27パーセントがGMのシボレーという数字があります。この画像は昭和6(1931)年製のフォードA型4ドアセダンで右ハンドルの実物です。

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戦後の雑誌 05/04/19
 終戦直後の昭和20年頃の雑誌を集めて展示してありました。世界、リーダーズダイジェスト、暮らしの手帳、婦人公論、展望などの名前も見えますが、表紙を一見しただけでも怪しげな雑誌が随分売られていたものです。それまでの軍の検閲から開放されて、言いたいことを言い、書きたいことを書くということが行き過ぎてしまったような感じだったのでしょうか。

三種の神器 05/04/19
 昭和30年頃のいわゆる三種の神器のテレビ、冷蔵庫、洗濯機です。その頃の大卒初任給が1万円に対してテレビが20万円以上、冷蔵庫が5〜6万円、洗濯機が2〜3万円でした。しかし、昭和30年に普及率が1パーセントだったテレビは5年後に54パーセントにまで伸びました。ここに展示されているものは何故か全部東芝さんの製品でした。

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売 店 05/04/19
 ミュージアム・ショップという名の売店がありました。ちょっと覗いてみました。江戸時代を感じさせる文様の風呂敷やハンカチ、絵ハガキなどが売られてましたが、私がへーっと思うようなものは目に付きませんでした。

博物館外観 05/04/19
 このビルの格好、私には鰐を連想させます。太くて短い4本の足、最上部には目玉らしき出っ張りもあります。JR両国駅のすぐ北側です。チケットを買ったら長いエスカレータで6階の入口まで登ります。私は利用しませんでしたが、レストランなどもいくつか設けられています。


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