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9月末現在の状況 
2週間に一度の通院。 クスリは不安を抑える薬1錠と精神安定剤を2錠を朝晩に服用。(仕事は続けている。)
まだ、波はあるものの、体調は良好。しかし、落ち込むと不安が止まらなくなる傾向がある。

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2005年7月上旬

「見えない心を診察する」


 重たいようなドアを開けると
そこには診察室があった。

8畳くらいはあるだろうか?とても広い。
書棚には、厚い本が何冊もあって、海外に売られてあるような
インテリアが、絵画が、その場所にふさわしい感じで小さく置かれていた。

ここが病院の診察室というには、かなり程遠いものがある。
まるで小さな美術館のようでいて、まるで私達の生活の延長線上の
きれいで落ち着ける場所、といった感じがする。
やはり、心を扱うところだから、一般の診察室とは違うのだろう。

「どうぞ」と私は声を掛けられる。私を診てくれる先生だ。
柔らなそうな大きなイスに腰掛けている。
机の上には、ノートパソコンがポツンとひとつあるだけだった。

このクリニックのホームページで見た先生の写真の印象とは
ちょっと違う感じがする。まじめそうなで、おとなしそうな・・・という点では
たぶん同じだけど、こんなにも小柄な方だとは思わなかった。
(インターネットもテレビで見る芸能人と同じ印象なのか?)

恐らく私よりも少し若いのだろう。見た目がどこにでもいそうな普通な感じ。
でも、青年というよりも(失礼ながら)おじさんという言葉が似合う。
彼の丸い小さなメガネが、さらに、彼らしさを静かに強調していた。

そんなふうにぼんやりと思いながら、私は前に進んだ。
「さぁ、どうぞこちらに」と先生がにこやかな笑顔でイスに手をむけ勧めている。

「失礼します」と少し緊張気味に、私は腰掛ける。
先生と同じ、柔らかな大きな黒いイスだ。

まず、先の私が答えたアンケートについて確認される。
私の今の気になる症状だ。

「イライラがとまらない、不安が抑えられない・・・という状況が続いてるんですね」
と先生は用紙を見ながら私にもう一度、確認の意味でか尋ねられた。
「はい・・・そうです。それに胸の辺りが痛いような感じもします」と私は答える。
「それはいつごろからですか?」と尋ねられる。
うーん、と私は考える。いつごろだったろう・・・随分昔のような気がするし
最近のような気もするし・・・・

結局、私には判断が出来ず、言葉に詰まってしまったのだった。

そんな私に先生は「では、何がきっかけだと思いますか?」と尋ねられた。
とりあえずは、私は転勤がきっかけだと思った。
そして、仕事が家電から食品に変わったこと。
その環境の変化になじめなく苦しくなる一方であること・・・
でも・・・考えてみれば私はそのずっと前から鬱的な症状はあった。
もっと掘り下げて考えてみると、大学時代に突き当たるか・・・。

最初のアンケートの際の、受付の女性にも話したことだが
大学受験に失敗し、自分はダメな人間なんだと失意のまま
滑り止めの大学に進み、最初の1年間は、高校時代の復習のような授業で
それなりについてゆけたが、2年になり、専門分野の授業中心になると
私はたちまち、ついて行けなくなった。

大学では中学時代からずっとしてたテニス部に入部していたが
先輩達とは(いろんな込み入った理由から)うまくゆかず
とうとう私は、いろんな辛い嫌なことが重なってしまい、大学へ行かなくなった。
(いや、行けなくなったと言うほうが正しいかもしれない。)
今で言えば、引きこもりのような感じになってしまったのだった。
その頃から、自分は何の価値もない人間と信じていた。心配をしてくれる友達もいない。
このまま、いつ、死んでもいいような気がしていた。

そんな状態は、長く続くはずもなく、結局のところ、
私は実家に帰り、両親と学校にかなり迷惑をかけながら、中途で大学を辞めてしまったのだった。
事実上、私は学校にも行かず、仕事にもつかず、今で言うニートの状態になった。

当時、二十歳だった私は、職安に何度も通ったが、なかなか仕事は見つけられなかった。
仕事自体は、当時はまだ、たくさんあったのだ。
でも、自分が何をしたいのか?自分がわかっていないのだから、どうしようもなかった。
担当の職員は「車の機械の整備作業の仕事があるからそれをすれば?」とたまたまのその
最新の求人情報に強引に勧められそうになったが、なんだか私は違うような気がしてそれを断った。
「せっかくのチャンスなのに・・・」とつぶやくその人に、私は本当に悪い気がして
何度も心は揺れたが・・・今となってはやはり断ってよかったと思ってる。
(もしも、その仕事を選んでいたなら、私の人生はどんなに変わっていたのだろう?)

そんな中、私はある求人の案内を見つける。

それはある電器店の求人だった。中途入社もOKと書かれてある。
”電器屋”という名前に私はとても興味を持った。
あの頃、とにかく私は音楽が好きで、よくレンタルレコード店(CDはまだなかった)
に通っては、いろんなポップスを聴いたのだった。
それに、偶然にも、システムコンポを買ったのは、その店だった。

そういう意味でも私はとても親近感を覚え、すぐに連絡をして
面接の日取りを決めたのだった。今思えば、面接は形だけのものだったのだろう。
一般常識のテストもろくに出来なかった私だが、あっさりと採用されてしまったのだった。
(思えば単に、”オーディオ好き”がその動機だった。
そこに”接客して物を売る仕事”という意識はまったくなかった。)

それから私の電器屋としての人生がスタートした。まだ、二十歳だ。
それから私に起こる人生の長い苦労と苦悩をまったく知ることもなく、
ワクワクするような気持ちの中で、私には明るい明日が見えるような気がしていた。

そして、現実はとても厳しいものだと気付くには、あまり時間は要さなかった。
その店はあまりにも忙しすぎて、私はてっきり、誰かが私についてくれて
教えてくれるものと思っていた。でも、どの先輩も忙しすぎて、声すらかけられない状況。
”そうか、私が採用されたのは、単なる頭数を増やすだけか・・・”と
私はやっとわかったような気がした。
あの頃は、まだ、競合店が少なく、それなりに安い値段をつけていれば
いくらでも売れる時代だったのだ。(当時はまだ、肉体的疲労ですんでいた。)

ほんの少し仕事に慣れてくると、また、その状況は変わってくる。
お客様からいろいろと訪ねられるのだ。
(当時、私の店では、あまり接客は重要視されていなかった。)
「あのう。私はまだ、新人でよくわからないのですが・・・」と
私はそういって何度も逃げた。(もう、とっくに新人じゃないくせに・・・。)
とにかく、お客さんに構ってる暇はない。安売りの商品を売場に出すのが精一杯だった。
(今ではとても信じられないことだ。)

それが、私からはじまるクレームの元だった。とにかく心に余裕がない。
ただでさえ、忙しいのに、接客が知らないうちに必要になっていった。
もともと私の店はディスカウントストアであり、接客をしないのが暗黙の了解のはずだった。
だから私には、そんな接客知識を持っていなかった。(もちろん、そんな教育も受けていない)

お客さんに商品説明をしようにも、クロモノ家電(テレビ・オーディオとか)
なら、なんとなくわかるものの、これがシロモノ家電(洗濯機・冷蔵庫など)になると
まるきりわからない。先輩に聞きたくても急がしそうで聞くに聞けない。
無理に聞こうとしようものなら”邪魔だ”と言わんばかりに私を無視する。
そして、また、お客様のクレームの雄叫びは、当然、私に向けられる。
そんなことを繰り返しているうちに、私は何度も泣き、苦しみ
やがて、人間不信に陥ってしまい、最初はまた持っていたであろう笑顔を
次第になくしていったのだった。

大学時代から当時の電器店でのことを、私は先生に、こんなふうに話した。
誰かにこんなにも自分のことを話したのは、初めてのような気がする。
自分の親や兄弟にも、言ったことのないようなことまで・・・。

先生は、静かに鬱についての脳内で起こるその仕組みと
改善するまでの治療についてを、ゆっくりと語り始めた。

私は”あれ?”って思い先生にこう聞いた。

「ちょっと、待ってください、先生
それって、やっぱり私はうつ病ということですか?
私はちゃんと夜は眠れるし、食欲もあるし・・・
単に私の性格の問題でもあるような感じがしますし・・・
だから、どこか違うような気がするんですけれど・・・」

先生は、それまでパソコンに向けられてた目を
私に向けて、まっすぐに私の目を見てやわらかく話し始めた。

「今までの話から、あなたはたぶん、小さな頃から軽い鬱を
抱えていたのだと思います。それが大学生になった頃から
症状としてだんだんと現れ始め、そして、仕事をするようになってから
本格化したのだと思います。確かにうつ病は、眠れなかったり
食欲がなくなるのが一般的ですが、あなたの場合は、ながく
うつと付き合っていたため、それに体が慣れてしまったのだと思います」

今思えば、私はすごいことを言われていたのだけど、先生の言葉で言われると
「別にそれはいいんですよ」と言って下さってるみたいで、不思議とそれで
大きなショックを受けることもなく、私はゆっくりとそれを受け止めていた。
”そうか、私は長い間、知らずに鬱とともにいたんだ・・・”

そして、先生は私に鬱のパンフレットを見ながら
はっきりと私に告げたのだった。

「あなたの今の鬱の段階は、この中期です・・・」と。

私は一瞬、言葉を失った。
私はそれでも、まだ、初期の段階だろうと簡単に思っていた。
それが中期だなんて・・・・そこまで進行していたのか?本当に?

私はさらに疑うように聞いた。
「先生、でも、これは私の性格の問題ではないのですか?
ただ、落ち込みやすいだけの・・・そんな鬱の中期だなんて・・・」

私はやはり、鬱ではないことを、心のどこかで願っていたのかもしれない。
そうだ、そんなことがあるはずがない。私はただ、性格的に弱いだけなんだと
言い聞かせてる私がいた。だいたい、たとえば体温のように
この病気に、それを数字で証明できるものは何もない。どう信じればいいのか?と
私の気持ちは最後になって、そう抵抗し始めたのだった。

私のそんな問いかけに、はじめて先生は、少し声に力を入れながら
私の目を見てこう言ったのだった。

「あなたにある”死にたい”というその気持ちが、今は一番心配なんです!
これは性格ではありません。れっきとした病気なのです。治療すれば
必ず直る病気なのです!」

その凛とした声に、私は一番親しい年上の友人に、まるでやさしく叱られているような
そんな感じを抱いていた。

このとき初めて、私はうつ病という現実が
自分にあることを、ようやく確信したのだった。

先生が薬についてと、診察日について話し始める。
なんだか他人事のように、私はそれを聞いている。
鬱の治療は、早くても半年から1年はかかるらしい。
(私の場合はもっと時間がかかるかもしれない。)
そして週に一度の診察もしなければならないことなど
私は今、確実に、うつ病との闘いのスタートラインにたったのだった。

これから私はどうなるんだろう?
本当に薬は効くんだろうか?

そんな隠し切れぬ不安の中、
私のはじめての診察は、こうして終わったのだった。
いや、始まったと言った方がいいのかもしれない・・・。


次回につづく。



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