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2007年12月・2008年01月の日記とエッセイ

2008/01/28(月) 裸の私



 この頃、空を見ながら思う。
一度でいいから、違う自分になってみたいなと。

違う自分・・・それは明るくて気兼ねなく、誰とも話が出来る人。
私はそういう人に憧れる。そんな人は、毎日が楽しいんだろうなと思う。
ストレスなんて、すぐに吹き飛ばしちゃうんだろうなと思う。
もちろん、見えないところでは、誰でも苦労はあるのだろうけど
明るい人はいつだって、私は幸せそうに見える。

私みたいな・・・自信がなくて喋れなくて、常に他人を気にしては
傷ついたり、すぐにあきらめたり・・・いつからこんなになってしまった?
わかってる。たぶんきっと、幼い頃から。

こんな性格は息苦しい。
(書いていて涙目になってきた。)

でも、こんな性格って、ドラマや小説じゃ、結構、主人公役が
不思議と多い。

ぐずで、のろまで、気が弱くて、すぐに泣いて・・・
でも、そんな人が次第に人間的に成長して、最後には
トラブルを解決するほどの人助けをしたり、実はものすごい能力を
持っていたりするなどなど・・・

そのギャップがいいのだろうか?

でも、そんなこと、
現実にはありえないって。

こんな私だから言える。

いわゆる根暗な人たちは、いつまでたっても
ひとりきりで根暗なままで・・・
だからこそ、そこに劇的なドラマは生まれない。

学校のクラスの中に絶対にひとりはいた、こんな暗い人間は
大人になって、みんなどうやって暮らしてるんだろう?

そんなことを、ふと、思ってみたりする。

最近、私はあらためて
自分のことを思ってしまった。

あぁ、私は暗いんだなと。


誰も私に話しかけない。せいぜい、挨拶程度。
当たり前か。私から話しかけないんだから
当然と言えば当然だけど、私が話したくないんだから
これはもうしょうがない。

じゃぁ、なんで話したくないんだろう?
大人の目で、私自身をちょっと見つめ返してみる。

「傷つきたくないから」
やはり、このひと言に尽きるのか?

おいおい、中学生の坊やじゃあるまいし、何を言ってんだ?私は?
と思わず突っ込みたくなる。

でも、他人と話していると、私は大概、傷ついてしまう。
「あぁ、言わなきゃよかった」といつも後悔してしまう。

そうしてあまり話さないものだから、仕事上で、どうしても
話さなきゃならない場面でも、ちゃんとした言葉を見つけられなくて
しどろもどろになってしまう。相手は私の言葉の意味が理解できず
困ったような迷惑そうな顔をして、”もういいよ”みたいな空気になる。

そうしてまた、私は話さなきゃよかった心から後悔してる。

まったくの悪循環だ。

昔、こんな人がいた。
精神的な病気の為なのか、彼は言葉を話しても
その意味が私にはわからなくて、まるで会話の
自然な流れに乗り切れずに、ただ、乱してしまうような人。

私はその人のことを”あぁ、可哀想な人なんだなぁ”と
ただ、同情するだけで、たまに話す機会があっても
真剣に聞くこともなく、適当に相槌を打つだけだった。

でも、私は最近になって、気づき始めたのだ。

”もしかして、あの可哀想な彼と
今の私は同じなんじゃないか”と。

誰もが私の話す言葉は、どこかずれて
理解できていないのではないかと。

これはとてもショックだった。

そう思ったとき、いや、気づいたとき
自分の足元の床がバラバラと崩れて行くような気がした。

ずっとどこかで、他人のせいにしている自分がいて
でも、本当は私のほうが変だったなんて。
まるで事実を知ってしまった裸の王様のような気分だ。
(私は偉くはないので、正確には”裸の平民”と言ったところか。)

あぁ、どうしよう。
思い過ごしかもしれないけれど
考えすぎだとは思うけれども、案外、それに近いものが
私にあるのではないかと思う。

これに気づいたことはたぶん、悪いことではないのだろう。
もう遅いかもしれないけれど、こうして心はもがいてるから。
せめて、そう、信じたい。

哀しいことに、人は一度として自分の姿を
直に見ることは出来ない。鏡で見たとしてもそれは
左右が逆の偽りのものだ。

だから本当の自分を見てるのは
いつも自分以外の他人。

だから私の本当の姿は、いつも他人しか見ていない。
当たり前のことだけど、そう思うと今、自分が抱えている
こんな大きな勘違いは、どれだけあるんだろうかと思う。

神がいるなら尋ねたい。
どうすれば、人は自分を変えられるんだろうか?


願わくば、私は違う私になって
この私を見てみたい。


笑ってるだろうか?
泣いてるだろうか?


それとも私は、裸だろうか?




2008/01/29 0:13:33





2008/01/14(月) 学生ズボン紛失事件



 誰もがこれまでの人生の中で、未解決なままの
不思議な出来事、というものがあると思う。

あれはなんだったんだろう?と、ふと、何気なく思うにしても
過去には戻れない現実に、あきらめてしまったいろんなあれこれ。

それは人生を左右したことや、ふと、苦笑いする程度のものや
案外、人それぞれに数知れずあるんじゃないかと思う。

先日、私が風呂場の中で「うぇー、ごくらく、ごくらく」と死語を連発しながら
湯船に浸かっていたとき、あることが思い出された。

名づけて「学生ズボン紛失事件」である。

”である。”というほどのことでもないけれど(タイトルからしてお間抜けだし。)
あれは中学1年になったばかりの私に起きた不思議な出来事だ。

ピカピカの新入生だった私は、以前から興味のあった軟式テニス部に入った。
そこでは初めての”先輩”という存在に、ある程度、覚悟はしていたものの
試練はすぐにやってきた。

まずは「心臓破りの自己紹介」から始まり(テニスコートの端っこから
一人ずつ大声で叫ぶと言うもの。先輩達の許可が下りないと
ずっとやらされ続ける)球拾いにコートのローラー引きにトンボがけ。
今じゃ足を壊すからとやらなくなったうさぎ跳びを、死ぬほどやらされ続た。

そんなある日、事件は起きた。
日は落ちて薄暗くなった夕闇に、部活が終わりコートを整備し
先輩達が着替え終えた後、僕ら1年生が着替えようと
部室に入ったとき私はふと、不思議に思った。

そこにあるはずの私の学生ズボンがなくなっていたのだ。
1年生に個人のロッカーなんてものはなく、どこか隅っこの机や台の上に
当時、置いていたのだが、学生服と一緒に置いたはずがなぜか
学生ズボンだけがなくなっていた。

当然、私は、あわてて近辺を探したが見つからない。
こんな狭くて汚い部室だ。探せば必ず見つかるはずだと
私はまだ部室に残っていた同じ1年の仲間にも心当たりを
聞いたけど、なぜかどうにも見つからない。

当時まだ、小学生気分が抜け切れていない私は
その不安に耐え切れずに、涙目になるばかりだった。

そんなとき「どうしたんだ?」と言う声がどこからか聞こえた。
K先輩だった。K先輩はまだ、部室のすぐ外にいたらしく
中の異変に気づいたようだ。

「青木のズボンがなくなったみたいなんすよ」と今にも泣きそうな
私の代わりにTが言った。

「なんだそりゃ?そりゃまたおかしな話だな」と先輩は笑った。
私はその笑い声に、うつむいたまま、涙だけをこらえていた。

あんなにも厳しいことばかりさせる先輩だ。
(そのK先輩に、私は心臓破りの自己紹介を、”声が小さい!”って
10回もやらされたんだ)”ばかやろー、こんちきしょう!
傷口に塩をぬる事はねぇだろ!”と私は心の中で毒づいていた。

怒りよりも惨めな思いが先立って、気づけば涙が
ぽろぽろと私の両目から少しだけこぼれた。

そんなとき、K先輩はみんなにこう言ったのだ。
「よーし、みんなで青木のズボンを探すぞぉー」

すると、他の先輩達も、同じ1年の仲間達も
みんなが私のズボンを探してくれた。

「となりのバレー部のやつらの仕業かもしれん。
あいつら悪さばかりするからな。山本、ちょっと見に行ってくれ。
それと1年、念のため職員室に行って先生に言ってやれ。
案外、落し物か何かで届いているかもしれんからな。
それから・・・」

そんなふうにk先輩はテキパキとみんなに指示を与え
先輩自身も部室内や外のどぶ周りを探してくれた。

いつしか誰もが(なぜかバレー部員も)私のズボンを探してくれてる。
私はまた、違う意味で、あふれそうな涙をこらえるばかりだった。

しばらくしてK先輩が私に駆け寄りこういった。
「これか、青木!」
それはドブに落ちていたらしく、泥まみれの学生ズボンだった。
(なぜ、そんなところに!これも謎だ。)
私は息を飲み、それをじっと見たけれど、サイズがまったく違ってる。
それは私のじゃなかった。

「そうか・・・しゃあねぇな。今日は体操服で帰りな・・・」
先輩は、泥で汚れた服をはらいながら笑顔で私にそう言ってくれた。

私は顔を上げられなかった。

その帰り道、黒の学生服に白の体操ズボンという格好の私に
見知らぬ女子中学生達が「やだ!あの子!体操ズボンはいてる!
あれって新入生よね。キャハハ!まだ小学生のつもりぃ!?」
などと笑われ、「うるさい!」と私は泣きながら走って家に帰ったのだった。

あんなに惨めな思いまでしたのに
ズボンは結局、見つからなかった。

どうしてなくなってしまったのか?今、考えてもわからない。
わからないけれども、大人になった今、こうして冷静に考えてみると
ある程度の想像はできる。

誰かが間違えて持って帰ったか、またははいて帰ってしまったか。
(特に新入生同士なら、新しいズボンの見分けがつきにくかったはず。)
たぶん、そんなところだろう。

後になって気づいても、あんなに大騒ぎになってしまったものだから
言えずに私を見るたびに「ごめん」と心でわびる人がいたのかもしれない。
(もし、いたならこちらこそ、ごめんと言いたい。)

ただ、ズボンがなくなったことよりも、こうして思い出として残っているのは
みんながこんな私のために、探してくれたと言うそのこと。
こんな金八先生みたいな出来事は、現実にはかなり少ない。

そんな少ない中のひとつを
私はこうして大切にしている。

ズボンはなくなってしまったけれども
みんながそれぞれに大切なものを
私に見つけてくれたんだと思う。



2008/01/15 0:16:50





2007/12/25(火) ブラックサンタ



 わが家では「ブラックサンタ」がいることになっている。
ブラックサンタとは、悪い子の家に忍び込み
財布の中からお金を抜き取り、空になったその財布(または貯金箱)を
枕元において逃げてゆくというもの。

これはあまりにも子供たち(小学5年の息子と中学2年の娘)が
高額なプレゼントを要求するので、私が勝手に作ったもの。
(よく考えたら、単なる泥棒ですね。ブラックサンタは。)

もちろん、家族で笑えるような明るい冗談なのだけど。

それで、今朝、中学2年の娘が「お父さん!クリスマスプレゼントが
枕元にないじゃん!」と、いかにも”私はサンタさんをまだ信じてます”
みたいな乙女の目をして言うので

「違うよ!お父さんはね、昨夜はブラックサンタと格闘して
君の財布を守ったんだ!感謝しなさい!」って私が言うと
それがウケたのか笑いながら「感謝します!お父様!」だって。

”よし!これでプレゼントの件はうやむやに・・・”って
悪代官みたいにへへって思ってたら
結局のところ、娘の好きな高い本を買わされた。


・・・軽くなった私の財布。

本当のブラックサンタは娘だったようだ。


2007/12/25 23:20:18





2007/12/16(日) 心の汚染



 自分に期限をつけないと、ダメだなぁって思う。
ちょうど宇宙戦艦ヤマトに夢中になってた子供の頃のように
人類滅亡まで、あと265日とか・・・あんな感じで。

あれはよかったなぁ。
手に汗握ると言うか、「ヤマト、早く急がなきゃ!」って
テレビの前で熱くなってたなぁ。

あんな気持ちが、今、とても欲しい。

自分に期限をつけてみるか。
”今の自分はなんちゃら汚染が心の奥まで進んでいて
この自分でいられる時間は、あと1年しかない”とか
そんなSF的ストーリーを、自分に作ってみようかなぁ。
(間違っても、命の期限なんかじゃなくて。)

そうすれば、がんばれるのかな?
急がなきゃって熱くなる
あの頃の私がいれば。

そうすれば、誰かがくれるのかな?
あの頃の私に戻す
心の汚染を除去する装置を。


2007/12/17 0:30:16





2007/12/15(土) 心の副作用



 まずいなぁ。
今の私には、とても苦手な人がいる。
私の日常において、その人と会わないわけにもいかず
どうしようか?と悩んだ挙句の果てに私の出した答えは

「出来るだけ、その人と会わないでいよう。
出来るだけ、その人と会話をしないようにしよう」
無視するような態度ではなく、ごく自然に避けようと。

そんなふうに過ごしていたら、案の定、私はその人からの
攻撃・・・と言うか、言葉の棘に、傷つくことが少なくなった。

よかった。この調子で行こう。
そう思って続けていたら、ある日、私は気がついた。
あれ?喋ることがとても面倒になっている。
今は明るく喋ればいいのに、私は黙ったままでいる。

あれ?どうしてなんだろう・・・。

よくよく考えてみると、この頃、極端に私は喋らなくなってる。
(もともと口数の少ない私がだ。下手をすると一日何も喋ってないかもしれない。)
私があまり会話をしないのは、苦手なその人に対してだったのに
いつしか誰にも、同じような態度になってしまってる。

なんでだろう?
ひとり、ぼんやりと考えてみた。

たぶん、人の心は川の流れのようなものなのだろう。
流れてしまうと、急に方向は変えられない。
心は緩やかな曲線でないと、変わることは出来ないのだろう。

”よし、ココは笑顔でいよう。”
そう心に言い聞かせても、そう心は思っただけで
その顔は無表情になってる。
やはり心は変われないでいる。

苦手な人を避けること。
いい手段だったはずなのに、思いのほかその副作用は
私の心を蝕んでる。

まずいなぁ。
どうしたらいいんだろう。


2007/12/16 0:13:29





2007/12/09(日) KY否定論



 どうして人は笑うのだろう。
それが本当の笑顔なのかそれが嘘の笑顔なのか
またまた違う意味の笑顔なのか誰にもたぶんわからない。

その人自身も、ちょっとわからないくらいの不確かさ。

その意味は誰にもわからないのに
どうして人は笑うのだろう。

そんなことを想うからか、この頃、私は
あまり笑うことをしなくなった。

誰かと話していて、こんなときは作り笑いでいいのかな?とか
ココは笑わないほうがいいのかな?とか
そんなふうに考えている自分がとても不思議に思う。

まじめな話?それとも冗談?
それすらもなんだかはっきりしなくて
想像で笑ったら、なぜかそっぽ向かれたり
逆に笑わずにいたら、どこか不機嫌にさせてしまったり。

あれ?笑うって、こんなに難しかったっけ?と
小さな不安がいくつも生まれる。

演技で笑うことが多すぎるからか
この頃、笑うと虚しくなる。

いわゆる、「空気を読め」ってこと?
そもそも「空気を読む」ってどういうこと?
もちろんわかっているけれど、
そんなふうに気を使ってたら、全部嘘になってしまう。
自分をどこかに追いやってしまう。
なんてそれは哀しいこと。

全部嘘がホントになってく。

だから私は、決めたんだ。
無理に空気を読まないと。
だって、空気に書いてあることって、私が勝手に
書いたもので、誰かが書いたものじゃない。

自分で書いて、自分で読んで
そうして自分で気を使って
結果、わかったような振りして。

何がわかったのだろう?


時々、どうでもいいことが
どうでもよくない時がある。

私は空気を読みたくない。

読むのはちゃんと心であるように。
私はその心を知りたいだけ。
私はこの心を知って欲しいだけ。

ただ、それだけ。



2007/12/10 0:15:31



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