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2007年09月の日記とエッセイ

2007/09/30(日) ピストルと運動会



 今日は小学5年の息子の運動会だった。
私は仕事だったのだけど、遅番だったので
午前中、少し見ることが出来た。

一足先に、息子は体操服姿で学校へ行き
それから私と妻は、お弁当の支度を終えると早めに学校へと向った。
(中学2年の娘は”わたしが行くわけないじゃん”と拒否。やれやれ。)

まずは昼食の場所とり。
早く来たつもりだったのだけど、すでに体育館の中では
無数の色とりどりのシートがひかれていて
もう、ビールなんか飲んでるおじさんがいたり
話に花を咲かせてるおば様方であふれていた。

にぎやかなその場所に反して
どうしよう・・と二人で少し途方に暮れている私たち。
ふと、なぜだか一角だけ空いてるスペースを見つける。

「いいところが空いてるじゃん?」と喜ぶ妻。
「うーん。でもなんか変だなぁ」と不思議がる私。
「いいじゃん、ほら、さっさと取らなきゃ!」と
ペコちゃんのイラスト入りのレジャーシートを広げる妻。

何か嫌な予感はしたけど、開会式までとりあえず
その場所でくつろぐことにした。

しばらくして、妙に人が目の前を行き来するなぁと
思っていると、見知らぬ小さな女の子が私たちを指差し
お母さんに泣きそうな声でこんなふうに言う。

「おかあさーん!おしっこー!ここ?」

「ここ?」とはいかに?

・・・と思っていると、そうなのだった。
私たちのすぐ後ろには”トイレ”なるものがあったのだった。

なんてことだ。

お花見のときにも、よくあるパターンだ。
だからこの場所が空いてたわけだ。

仕方なく、校舎裏の寂れた場所へと移った私たち。
気を取り直して、運動場へと向った。

息子の元気な姿を見ると、やはり、不思議と心が和む。
今日が仕事じゃなきゃなぁ・・・と何度も思った。
(運動会に背広姿はさすがに私一人だけだった。恥ずかしい。)

そういえば、この小学校が特別なのかどうか知らないけれど
徒競走に使うような”ぱーん”と張り裂けるような音の出る
ピストルを使わなくて、スピーカーから”パン”って音が出るような道具を
使っていた。
(ビックリするような音じゃないので、何かの配慮をしたものなんだろうか?)

これが非常に”間抜け”といったら失礼なのかもしれないけれど
まるで炭酸の抜けたコーラのようで、コーラ味だけど全然違うみたいな。
とにかく気の抜けた音だった。

そのピストルの音がなるたびに、妻は大笑いしていた。

息子の競技を観戦する。
負けたけど、誇らしげな姿にちょっと感動する。

もうすぐ午前の部の、メイン競技の”踊り”がある。
(息子が一番、練習に時間をかけた競技。手作りのはっぴを着て踊る。)
でも、残念ながら私はもう、仕事に行かなきゃならない時刻だった。
(なんとか見られると思ってたのだけど、運動会の進行が少し遅れたようだ。)

また、今年も少ししか、子供の運動会が見られなかった。
でも、まったく見られなかったわけじゃないからと
気を取り直してプラス思考する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 夜おそく仕事から帰ると、さすがに息子は疲れたのか、ぐっすりと眠っていた。
私は遅い晩御飯を食べながら、デジカメで息子の勇姿を見る。
妻がひとつひとつ解説してくれる。
すばらしい演技だったらしく、少し興奮気味の妻。

かっこよくポーズを決めている息子の背中で
手作りのはっぴが風に揺れていた。

半年前に転校して、この学校ではじめての運動会。
ちょっとは緊張したのかな?でも、きっと楽しかったんだろうね。
お疲れさま。ゆーくん。

明日、君がどんなふうに、
うれしいことを私に話してくれるのか
それがとても楽しみだ。



2007/10/01 0:23:11





2007/09/28(金) 妻の体重計



 朝のシャワーを終えた妻は
脱衣所でいつものように下着姿でつま先から
ゆっくりと体重計に乗ると決まって
ひとり、こう、つぶやいている。

「わかんないわねー。
どうして体重がまた増えているのかしら・・・?
まぁ、理由はわかるんだけどね」


私はその疑問形の
意図がよくわからない。


ケータイ写真館(by EACH TIME)


2007/09/28 11:44:24






2007/09/27(木) うぬぼれてみる



 「あなたはこうして話をして、初めてそのよさが
わかるんだね」と昔、年上の友達が言ってくれた。

今でもこの言葉が少し勇気をくれる。

でも、私は話下手で
人とあんまり話したくない。

だからみんな、本当の

私のよさを知らない。

なんて

ときにはうぬぼれてみる。



ケータイ写真館(by EACH TIME)


2007/09/27 11:22:14





2007/09/26(水) 私らしく



 とても怖い夢を見る。

亡くなって10年以上も経つというのに、
なぜか父が出てきた。
しかもかなり酔っ払ってる。

不思議なことに、父が弓矢を持ち出して
何かに向って放とうとしている。
(父は弓道なんて出来ないはずなのに。)

その矢が見ず知らずの女性のわき腹に刺さってしまう。
それを見た私が父に激怒している。

「なんてことしたんだ!」と大声で。
(この時うまく、声にならなかった。たぶん寝ながら実際に
うなるような声が出たんじゃないかと思う。)

父は酔っ払っているので、何を言ってもわからない。
目はうつろで、足はふらふらで・・・そんな父を見て私は
とうとう泣き出している。

そして、何度も父を叱ってる。
「ばかやろう!ばかやろう!」と何度も、何度でも・・・。

今、冷静に私は思う。
この夢に出てきた父は、実は私じゃないかと。
そして夢の中の私は、父じゃないかと。

何の根拠もないけれど、馬鹿げたことではあるけど
夢から覚めたとき、不思議と私が叱られたような
気持ちがずっと残ってた。

夢とはいえ、自分の親を叱るなんて・・・
こんな虚しいことはない。
(しかもすでに、この世にいない人を・・・だ。)

あの世とやらを、信じているわけじゃないけど
この夢を見てなぜだか、こんな今の私のことを
心配してくれているのかなぁと思った。

たぶん、考えすぎなんだろう。
でも、夢に出てきた事実は変わらない。

死んだ後も、心配させて・・・
そう思うと・・・。


私をあまり、叱らない父だった。
私がお利口だったわけじゃない。
ただ、おとなしすぎたから。
ただ、私が弱すぎたから。

だから私に気づかれまいと、こんな私の夢に出てきて
逆に私に叱らせて、なんとなく気づかせようとしたのか?

「お前らしく生きろ」って。


私らしくない、こんな私に向って父は
何度も、何度でも。



2007/09/27 1:00:01





2007/09/24(月) 幼い頃の不思議な記憶



 時々、無性にぼんやりとしたくなるとき
私は小学校の頃のあのことを思い出す。

”あのこと”とは、実はちょっと悪いこと。
大きな声じゃ言えないけれど
小さな声じゃ、言えそうな・・・そんな小さな悪いこと。

それはドがつくほどまじめだった私にとって
心臓が飛び出るほどの失敗だった。

それはたった、一度だけ。

ほとんど忘れ物をしたことがない私が
体操服を忘れてしまったのだ。

今思えば、他のクラスの誰かに借りたってよかったのだ。
(体育がなくても、机の中に置いてるヤツはいただろうから。)

でも、僕は”借りる”なんて発想自体が
まるで持ち合わせていなかった。
(堅物なドまじめ人間だった。)

どうしよう・・・。

泣きそうなほど悩んだ挙句、
私にある考えが浮ぶ。

体育の授業は午後からだ。
そうだ!昼食時間に家に帰って
体操服を取りに戻ればいいんだと。

家まで走れば10分もかからない。
十分に間に合う。

私はそう考えると、昼の給食を誰よりも
早く終えて、誰にも内緒で学校を飛び出た。


平日の午後の町・・・・。
本当なら私の知るはずのない世界。


それはとても不思議な体験だった。
すべての世界が落ち着いている。
何もかもがゆったりしている。
その静かな世界で、鳥のさえずりの声が聞こえたり
畑ではおじいさんがクワを持ってゆっくりを
地面に打ち込む音が聞こえたり・・・。

すべて聞こえてくる音は、とても滑らかで
そのスローテンポなリズムは、どこか遠い過去の国から
流れてくるような気がした。

もしかしたら小さな不安が、私をそんなアリスの国のような
イメージに見せていたのかもしれない。
でも不思議と怖くはなかった。

ただ、なんとなく寂しいと
ずっと思ってた。

家に帰ると、誰もいない。
親は共に仕事に行ってる。

私はガチャリと鍵を開ける。
すぐに体操服を持ち出す。

家を出ようと思ったとき、何を思ったのか
私はおもむろにテレビのスイッチを入れていた。

暗い部屋に、ぼぅっと青白い光が包む。
そのときどんな番組だったのかは覚えてないけれど
ただ、ぼんやりとそのテレビを私はじっと見つめていた。

気づくと時間がかなり過ぎていた。
あせった。かなりあせった。

急がなきゃ!
そのとき玄関で何かを落とすが
(たぶん、鍵のキーホルダーか何か。)
かまわず家を飛び出してゆく。

学校までの道を走る。
世界はやはり、どこまでも静か。
すべてがゆっくりと動いてるだけ。
静かな世界を私は走る。
おばあさんが縁側に座ってる。

私は見つからないように、目をつむって力の限り走る。
息が上がっている。
学校に間に合うだろうか?ととても心配になる。

畑仕事をしてるおじいさんと、途中、目があってしまう。
(おじいさんも、少し驚いた顔をしている。)

私はかまわず走り抜ける。

ようやく学校が見える。
けれども学校もとても静かだ。

もしや私は間に合わなかったのか?
すでに、自分の目に涙がたまっている。

誰もいない運動場をひたすら走る。

間に合ったのか?間に合わなかったのか?
そればかり考えるが、不思議と私は覚えていない。
それが現実のことだったのかさえも。

もしやあれは幼い頃に見た夢だったのかもしれない。
そう思うと、気持ちがだんだんあやふやになる。

けれどもあの時見たテレビと
縁側のおばあさんと、畑のおじいさん。
それらは確かなものとして、私の記憶に宿ってる。

とても静かなあの世界。
普段は見ることのない国で
私は見てはいけないものを見てしまったのだと
そんな小さな過ちの中で、子供心に不安になって
いつしか夢の出来事のような記憶の入れ替えをしたのかもしれない。


今でも時々、思い出す。
あの不思議と静かな世界を。

あれは本当に私の住んでた町だったのだろうか?
そして私は本当に、自分の家に帰ったのだろうか?

無性にぼんやりしたくなるとき
私はふと、知らないうちに
そんなことを考えている。


2007/09/25 0:48:20





2007/09/23(日) 見知らぬこの僕のままで



 たとえば街のどこかで誰かが、憎しみあっていたとする。
そしてそれが暴言になり、暴力になり、激しいものになったとする。

それでも僕は周りの誰かと同じように、それを見て見ぬふりのまま
通りすぎてゆくのだと思う。たとえその拳が老人に向けられたり
子供や女性を倒したとしても、僕は、通りすぎてゆくだろう。

でも、もしも、その弱い誰かが僕に「助けて」と言ったなら
僕はたぶん、その瞬間、怯えた情けないヒーローになる。

そのとき僕は、「助けて」に、恐らく聞こえないふりなど出来ない。
それは勇気なんかじゃない。加害者もたぶん、手を休め
「助けて」の先の僕を見てるだろうから。

だからそのひと言によって、
たちまち僕は選択しなければならなくなる。

助けるか、そして、見捨てるか。

僕はきっと、見捨ててゆく。
僕はヒーローにはなれない。だからたぶん、逃げてしまう。
そして僕はそんな僕も、同時に見捨ててゆくのだろう。

正義が正しいと、子供の頃、ヒーロー達は教えてくれた。
けれども、大人になった僕には、変身ベルトも必殺技も
気づけば何も手にしてない。

そんなものどこにもないんだって、誰も教えてくれなかった。
本当はそれが現実なのだと、冷めたいいくつもの目たちが笑う。
だから僕は立ち尽くす。果てが見えない砂漠のような
現実感に押しつぶされながら。

今、この瞬間にも、どこかで誰かが憎しみあっているだろう。
そしてそのまわりでは、誰かが選択を迫られているだろう。

助けるか、そして、見捨てるか・・・。


空を見上げ僕は思う。

僕はどう変わればいいのか?
ヒーローのいないこの世界で

誰も見知らぬこの僕でままで。



2007/09/24 0:20:23






2007/09/21(金) どこでもないどこかであるように。



 休みの今日、近くの温泉に行った。
(今回で二度目だ。)

数年前に出来たばかりの温泉らしく
人気もあるようだ。

平日の昼間なのに、温泉には20人近くのお客さんがいた。
でも、とても広いので、隣を気にせずゆったりと入れる。
そんな点が、私は気に入っている。

私が温泉に来た目的は、この腰痛を治すため。
いろんなタイプのお風呂があるけど、特に私は
ジェットバスのお風呂に入っては、腰に当てて”治れ!”と祈った。

仕事柄、腰が本当にまずい状態になっている。
この頃、慢性的な痛みがずっと続いている。
(奥さんも心配してくれて、腰痛に効く漢方の
薬を買ってきてくれたほど。)

早く治さなければと、温泉でぼんやりと考える。

でも、そんな思いはすぐに消えてしまう。
こんな平日の昼間から温泉に入っていると
幸せ感が満ちてきて、天使の歌声が聞こえるかのよう。

まるで・・そうだなぁ 現実感が薄れてゆくようで
あの世とこの世の中間地点にいるような・・・
そう・・・どこでもないどこか。それが今、ココにある。

なんて・・・気がした。

大きな窓から、日差しが波打つ湯船に映ってきらめいている。
そんなものを眺めていると、何か美しいものが私の
心をやさしく包むかのようだ。

温泉に入ると、これほど私に幸せが満ちてくるのは
たぶん、幼い頃の想い出が、そうさせているのだと思う。

小学3年生くらいだったか、家のお風呂が壊れてしまって
それを直している間、どこかの温泉に数日間、家族で通った記憶がある。
(今思えば、近くの安い銭湯でもよかったはずだ。)

夜、家族で車に乗り、その温泉まで行った。
夜のドライブもワクワクしたし、温泉に入るのも、もちろん楽しかったけど
その後に飲む冷たいジュースや、家族で卓球をして遊ぶのが楽しみで
それはもう、うれしい思い出ばかりがつまってる。

親父はビールを飲みながら、赤い顔してそんな私たちを見てたっけなぁ・・・。
なんて、そんなこと思い出しながら、今日は一人でポカリを飲んだ。
家族があんなふうに揃って温泉だなんて、もう、二度とないだろう。

そもそも親父は、もうこの世にはいない。
そう思うと、思わずひとり、たそがれた。

私たち兄弟には、それぞれ家族があって、もう、あの頃とは違ってる。
たぶん、それぞれの家族の中で、こんなふうに子供たちに
想い出を与える番になったんだろう。

私は何をあげられているのだろうか?
そう思うと、なんだか少し自信がなくて
また、ひとり、たそがれてしまった。

もともと近くにあるからと、いつでも来れると思いながらも
一度も家族をこの温泉に、連れて来たことがない。
とてもささやかなことだけど、今度は家族で来ようと思った。

この頃、私はふとこう思う。
哀しいけれど人生は、思うよりずっと短いものだと。

だからちゃんと与えようと思う。
子供たちがいつか、思い出せるように
どこでもない、どこかであるように。

たとえ、そのとき、たそがれても
私があげた、ささやかな思い出として。



2007/09/21 20:26:04





2007/09/20(木) 風に揺れるレシート



 通勤途中の信号機に、いつも私は捕まってしまう。
そして私はいつものように、ふと、足元を見る。

”あった”とまた、思う。
捨てられたレシートだ。

それはアスファルトの隙間に挟まっている。
とても古そうで、ピラピラに乾ききっていて
色は茶色く変化している。

最初はその古さ加減から「どれだけ古いレシートなんだろう?」って
程度に思っていた。立ったまま、日付のあたりを見てみる。
かろうじて23日という数字が見える。
でも、何年の何月かが、砂のような汚れで
立った位置からはよく見えない。

半年前?それとも1年・・・まさか2年前?
そんな興味がわいてくる。

だからといって、その汚れたレシートを
座ってまで見ようとは思わない。
ましてや拾ってしまったら、周りの人の
眉が一斉に変な形になるだろう。

そして、いつも”ま、いいか”であきらめる。

そしてその翌日も、その信号機で捕まり私は足元を見る。
”あった”とまた、思う。けれどもやはり、よく見えない。

よく見えないと、さらに気になって”どんなものを買ったんだろう?”とか
”どんな目的でどんな人が、それら買ったんだろうか?という
いらぬ興味まで沸いている。

そんな他人のものを覗き見るような・・・
なんて小さな後ろめたさで、一度は気持ちを打ち消したけれども
道端の名もない捨てられたレシートに、個人情報もないだろう。

そう思うと、変に罪の意識が軽くなり、余計に興味がわいてきた。
でもやはり、私はそのレシートを拾うことは出来ない。

信号が青になる。熱い風が吹き渡る。
私はいつものように歩き出す。
明日もあのレシートはあるのだろうか?
こうなると、私はレシートそのものが、
なにかかわいい小動物のような存在に思えてくる。


今日、そのレシートはあの風に揺れていた。

誰に捨てられたのだろう?
どこで忘れ去られたのだろう。
そして明日もあるのだろうか?と
ふと、私は心配になる。

こんな想いが生まれては、また消える。
たぶん、あれは私に似ている。

あの風に揺れてるレシートは。



2007/09/21 0:57:54





2007/09/19(水) 真夜中の詩人



 どうもうまくいかないな。
この頃、いろんな問題が、押し寄せては端に寄せるけど
どうすればいいのか、わからなくなってきている。
時だけが過ぎていって、歳だけをとっていって・・・。
気づけば一人、取り残されたかのような・・・。

いかん。真夜中の詩人になってる。
恥ずかしいことを書かないうちになんとかしなきゃ。

音楽を聴いてみる。
モーリスホワイトの”アイ・ニード・ユー”
かなり懐かしい歌。でも、いい歌だと思う。
私がブラックコンテンポラリーの曲を好きになった
原点の歌だ。

こんな感じの歌を聞いていると、夜のドライブを思い出す。
あの頃、いつもBGMはブラックミュージックだった。
音が夜にとけ込むようで、とても心地のいいものだった。
風とこの音楽に当たっているだけで、どこまでも夢心地になれた。
これで夜の海辺まで走ったのだから、こんな最高なドライブはない。

今じゃ、真夜中に一人で出掛けるなんて
ありえないし、不可能に近い。
まぁ、そうしたいわけでもないけど。

早く何とかしなきゃなぁ。
なんてことを、真夜中の詩人は考える。

誰かに何かを、ふと尋ねてみたくなる。

”答えは風の中にある。”
なんて答えだったらイヤだなぁ。



2007/09/20 1:10:39





2007/09/18(火) 腰痛と電気風呂



 腰痛がだんだんひどくなっている。
私は肩が凝ったことがないというのが
密かな自慢の持ち主なんだけど
腰ばかりはそうはいかなくなったみたいだ。

立ち仕事、それに重たい荷物を抱えることが多いので
仕方がないといえば仕方がない。
元々、無理をして2足歩行している人間にとって
腰痛は避けられぬ持病みたいなものだ。

というわけで、私はエアーサロンパスを使っている。
これが家族に大不評。

「お父さん、くさい!」と娘は叫び
「お願いだから、やめて!」と妻は涙目で訴えている。

あのう・・・サロンパスさん・・・
いや、久光製薬さん(メーカー名を確認したら、こうでした。)
におい何とかなりませんか?

そういえば、先日、近くの温泉に行ったのだけど
そこで「電気風呂」という珍しいものがあった。

ちょうど誰も使っていなかったので
湯船に浸かりながら、イスのようなところに座ったら・・・

まるで五寸釘を腰に思いっきり打ち付けられたみたいで
すんごい痛くてビックリした!その「電気風呂」の名の通り
そこには微量の電気が流れているらしかった。

効用とか注意書きが書いてあったので、読んでみると
「血行を良くする為の微量の電流が流れてますが
痛みはほとんどありません」と書いてある。

「すんげー痛いじゃん!」と私は漫才の突っ込みのように
片手で張り倒したくなった。

とにかく、腰が砕けそうなほどに痛い。
ちょうど私が腰痛に苦しんでいるときの痛みと同じだ。
私はすぐに、その湯船から上がり、イスに座って休憩した。

しばらくすると、ご老人がその電気風呂を試そうと
さっき私がもがき苦しんだ場所に、座ろうとしていた。

「止めたほうが・・」と思わず声に出しそうになったけど
私は黙って、そのご老人を見守っていた。

すると・・・ご老人はその電気風呂に、気持ちよさそうに座っている。
私は決して深く座る事は出来なかったのだけど、そのご老人は
姿勢も正しく、奥の奥まで座っている。
電流でも、なんでもかかってこい!といった状態だ。

私は不思議でならなかった。
なぜ、痛くないんだろう・・・。

やがて、ご老人がいなくなった頃
私は再挑戦してみた。

その結果は・・

「すんげー痛い!」
さっきと同じだった。

早く何とか直しておかないと
厄介なことになりそうだ。
(特に腰痛は癖になりやすいって言うし。)


・・・あぁ、今度こそ再挑戦して
早く腰痛を治したい。




2007/09/19 0:05:25





2007/09/17(月) 初恋



 中学2年の娘が知らないうちに
「かわいい」、から、「きれい」、になっていることに気がついて
呆然とした。

”あぁ”とか、”うぅ”とか、そんな言葉にならないような
感情に飲み込まれ、ちょっと困惑してしまった。

なんてことだ。
いつの間に、こんなふうに・・・。

冷静に見ても、娘の顔はニキビでいっぱいだし、髪は私と
同じくせっ毛なのに、着ている洋服にこだわりが見えたり
そのポーチが服にさりげなく似合っているのに気づいたとき
子供だと思ってた娘が、いつしか街にとけ込んだ、その他多くの
女性の中の、ひとりの”彼女”に変わった気がした。

もうすぐ恋をするんだろうか?
(いや、もうすでにしているのだろうか??)
娘はどんな人を好きになるんだろう?
そして私の知らない秘密は、今どれほどあるんだろう・・・

なんてことを考えてたら、ふと、切なくなった。
午後の賑わう書店の中で、真剣に本を選んでる娘の
横顔はまるで、恋を探しているかのようだ。


 私が中学生の頃(ちょうど今の娘と同じ頃。)
ずっと好きだった女の子がいた。
そのきっかけは、とても不思議なものだった。

ある日、教室である女子が、ひどく、先生に叱られていた。
その女子は、決して悪いことをしたわけではなくて
どちらかというと、その鬼教師が意地悪をしているだけのことだった。

今で言うと、教師のいじめだ。

教室の中では”誰かが助けなければ”という空気が充満していた。
けれども僕ら男性群は、日頃はプロレス技で遊んだりするのに
叱られているその女子を援護することもなく、ただ、黙ってうつむいていた。

そんなときだった。
その彼女が・・・私が好きになった彼女が
教室の隅でひとり、涙を流していたのは。

はじめてだった。
あんなきれいな涙を見たのは。
(その涙に気づいたのは、たぶん、私だけだったと思う。)

そのとき、その涙の理由を、私はずっと探していた。
別に叱られているその子が彼女の友達というわけでもなかった。
ましてやすぐに泣いてしまうような、そんな弱い彼女でもなかった。

そんな彼女が、ひとり静かに泣いている。

そのときなぜか、私にはすぐにわかった気がした。
それは”こんなにも何も出来ない自分を知っての涙なんだ”と。
たぶん、私にも似た感情が、心のどこかにあったからだと思う。

それに比べ・・・そんな感情を持ちながらも・・・私はただ、目の前の出来事は
すべてテレビで見るような他人事で、うわべだけつくろって、神妙な顔して
はやく終業ベルが鳴らないかな、くらいにしか思っていなかった。

そんな自分が恥ずかしくなって、消してしまいたい気持ちにもなって
そんな中、私は静かに花が咲くように、彼女のことを好きになっていた。

それからの私は、ただ、いつもの私のままで
気づいて欲しいような気づかれたくないような
そんな不思議な気持ちのままで、とうとう打ち明けることはしなかった。
(その理由はあの頃の自分に聞いてみないとわからない。)

そんな中でも、二人にいくつかの出来事はあって
それでもう、十分な気がした。

今思えば、はじまりも終わりもない、
私の中で勝手に生まれ、そして消えていった・・・。
そんな小説にもならない恋だった。


 あれからいくつか時が流れ、二人とも二十歳をすぎた頃
ただ一度だけどこかの駅で、彼女を見かけたことがあった。

頭の小ささと目のかわいさは、相変わらずだったけど
あの頃、短かった彼女の髪は、肩にかかるほど伸びていて
とても美しかった。そして、その彼女自身も。

あんなにきれいになってなかったら
あの頃のままの彼女だったなら
私は気軽に声をかけられたのかもしれない。

ただ、いくつか彼女に聞きたかったこと。

それは私の気持ちに気づいていたかどうか
ということと、(たぶん、気づいていたと思う。)
あの時流した涙の理由を彼女の口から聞きたかったことと・・・。

それがわかって、はじめて私のこの恋は
はじまりと同時に終わることが出来たのだと思う。

あのとき彼女は、私に気づいたような気づかないような
そんな切ない微笑を残して、やがて人ごみに消えていった。
それはあの頃と、なんら変わりはしなかった。

・・・なんてことだろう。
ちょっと大人になった娘を見て
こんな淡い想いが蘇るなんて。


いつしか街の夕暮れが、赤くどこまでも広がってる。

どこか見覚えのある夕暮れ。

確か最後に彼女を見かけたのも
こんな季節だったような気がする。




2007/09/17 23:39:08





2007/09/16(日) 見知らぬ本の続き



 さっき、今朝、読んでた本の続きを読もうとして
挟んでたしおりでそのページを開き
目で文字を追っていたら、あることに気がついた。

話の続きがまったく違っている。

なんだ?と思い、前のページをめくってみる。
やっぱり今朝、読んだのと、ストーリーがまったく違っている。

変だ。おかしい。ページの先をめくってみても
ずっと前を確かめてみても、私の覚えているストーリーと
まったく異なっている。

これは短編小説だ。
栞を挟む位置がまったく違ってしまったのか。
結局、本の全部のページをめくってみたが
やっぱりあのストーリーがない。

確かその小説の最初の出だしは”私たち夫婦のコミュニケーションは
いつもお風呂場だった”というもの。
はじめは新婚生活にありがちな、いちゃいちゃするだけのものだったけど
結婚して4年目のこの頃では、さっき見たテレビがどうの
とか明日の予定のこととか、そういったさほど重要ともいえない
生活的な内容を話している。とその男性の視点から始まる小説だ。

文章が、ぐいぐいと読者の気持ちを引き込むので、面白いなぁと
思いつつ、楽しみにしていたのだけど、そのストーリーが見つからない。

アレはなんだったんだ?
もしや、あれは私の夢・・・。私のオリジナルストーリー?
ってことは、これで物語が作れるかも・・・となぜか
にんまりと思った矢先で、とても単純なことに気がつく。

そうだった。
私が読んでたのは、まったく別の本だった。
(なぜそれに気づかない!情けない!)

私は2.3冊の本を、同時進行で読んでいるので
いつもはそんなことはないのだけど、単純な思い違いを
してしまったようだ。

完璧に調子が狂ってる。

昨日をまだ、引きずっているせいか
気分が重くなんだか気だるい。

あぁ、ゆっくりと本が読みたい。
明日は久しぶりの休日だ。

早く気持ちをリセットしたい。



2007/09/17 1:00:36





2007/09/15(土) 見えない存在



 怒りを文章にするのって、難しいなと思った。
心の中でいろんな言葉が、いっぺんに叫びたがってる。
まるで暴走したかのようだ。

そのひとつひとつの言葉が、先を争って順に出てこない。
みんな一度に向ってくる。何をそんなに急ぐのか。
何をそんなに恐れているのか

怒りはそんなふうにして、言葉にするのを怯えているのか。

今日は最悪だった。

私の努力した行為が、まるで下手な冗談みたいに
すべてを無意味なものにされてしまう。

これほど屈辱的なことがあるだろうか?
久しぶりに胸が震えた。

そしてその人たちは言う。

「余計なことはするな」みたいな
「もうお前は要らない」みたいな・・・。

わかった、よく、私はわかった。
要らないなら、進んで捨てよう。

私は抜け殻になって、
あなたたちからは見えない存在になろう。

そして誰かからは見えるような
そんな私になってやるんだ。

私はきれいな抜け殻になる。
私は見えないものになる。

もう何も誰にも言わせない。

私はこの私を生きる。


2007/09/16 0:45:22





2007/09/14(金) 仕事不幸自慢



 最近、ずっと休んでないので正直、体が重い。

今晩のごはんは、なぜかオムライスからシチューに変わってた。
理由はわからないけれど、たぶん、
急にシチューが食べたくなったのだろう・・・

うちの奥さんが。
(子供が、じゃないところがミソ。)

明日からまた、セールが始まる。
売上が悪いので、店長の機嫌も悪い。
悪いところしか見ようとしない。マイナスな感情しか出さない。
だからそこにあるよい点を、見逃してしまうんだろうね。

言葉一つとっても、違ってくる。

下を見るな!といわれると人は下を見てしまう。
逆に、「上を見よう」と言えば人は下を見ないものだ。

だから「売上を落とすな、これより下げるな!」と怒鳴るよりは
「売上を上げよう!がんばろう!」のほうがよっぽどいい。

私は思うのだけれども、どうして人は仕事の辛さを
自慢したがるのだろうかと思う。

仕事の話になるとみんな、「昔は仕事に休みなんてなかった」とか
「仕事が終わらなくて、深夜まで仕事なんてざらにあったなぁ」とか
「部長がキレると怖くてさぁ、オレ、何度か殴られたことも・・・」とか
「忙しすぎて点滴打ってた」とか・・・
なんでそんな仕事の不幸を自慢したがるんだろう?

それってその仕事を選んだのは、他ならぬ自分なのだから
そんな不幸を我慢しなくても、イヤならイヤと言えばいいだけだ。
そんな不幸は自慢にはならない。みんなほとんどが忘れてる。
覚えているのは、たぶん、その人ひとりだけだ。

今はただ、この自分を信じる。
”下を見るな”、じゃなくて、ただ、
広い空を”見上げればいいんだ。”



2007/09/14 23:08:28





2007/09/13(木) 転倒事故



ものすごく、ね、眠い・・・・
ので、とりあえず、今日あったことを簡単に。

突然、お客様からこう言われた。

「あのね、あの方、さっき、転んだわよ!」

もう、夜も遅い時間で、売場には(レジ以外には)私しかいなかった。
詳しく聞いてみると、どうやら通路に水濡れがあったらしく
それですべって、転んだ方がいらっしゃるようだった。

すぐにその方に、教えてくださったお礼をいい、
現場に向ったがすでに誰もおらず。

その床だけがなぜか水浸しだった。

さっき、教えてくださった、おばさんがやってきて
「私が見ていてあげるから、雑巾を持ってきな!」と
威勢よく言ってくださった。

あぁ、ありがと・・・というわけにも行かないので
近くのアルバイトを呼びつつ、水濡れの箇所を
雑巾で拭いた。

さらに教えてくださったおばさんが私に教える。

「ほら、あの方よ!あの方が転んだのよ!」

そんな大きな声で言わなくてもいいようなものを
と想いつつ・・・。

結局のところ、転んだ方にお詫びを言うと
「大丈夫ですから」というばかりで
「病院までお連れします。」と言ったものの、最後までやさしく
断られるのだった。(あぁ、本当に申し訳ない・・・)

名前も告げず、ただ、その出来事を教えてくれたおばあさん。

今でもあの笑顔を思い出せる。
こんな方もいらっしゃるんだなぁ。
(なんだかお友達になれそう。)

ありがとう。
あなたが教えてくださらなければ
もっと体の弱いご老人が、大きな怪我をしたかもしれない。
本当にありがたい思い。



さてと、も、もう、今日は寝ます!
おやすみっ!


2007/09/13 22:55:05





2007/09/12(水) にいじゅま



 今日、仕事から帰ったら、晩御飯が
ごはんじゃなくて、「お粥」だった。

私や家族の誰かが病気をしているわけでもない。
なのになぜ・・・
訳も分からず困惑したけど
そりゃないだろうってていう想いも、正直抱いた。

で、「なんで?」って奥さんに聞くと
「だって、子供たちがご飯をあんまり食べないから
お粥にしたの」って言ってた。
(なんだそれは?)

そしてそのすぐあとに、小学5年の息子が
「本当はお母さんがお粥が食べたくなって
残ったご飯、全部お粥にしたんだ」と説明する。

やっと納得。

こんなふうに、うちの奥さんは、私の晩御飯に細工をする。
(べつにわざとじゃないんだろうけど。)

たとえば朝、「今晩はカレーだからね」と私に言った場合。
私は仕事帰りには、”今晩はカレー、今晩はカレー”と
カレーの好きな私は完全に頭はカレーモードになってるわけだけど
いざ、帰ってみるとテーブルには、「鮭」が並んでいたりする。

当然私は質問する。
「カレーじゃなかったの?」

「あ、ごめん。気が変わった」

なぜ、気が変わるんだっ!

せめてシチューなら話はわかるが
なぜ、カレーから鮭に・・・
その発想が私には信じられない。

その程度のことは、まだ、いいほうかもしれない。

久しぶりにホットプレートで焼肉を焼いたときのこと
その焼いたあとで、奥さんははっと大事なことに気がつくのだ。

「あ、焼肉のたれがない」

なぜ、確認しないんだっ!

そのひと言によって私たちは、めったに食卓に並ぶことのない焼肉を
エバラの焼肉のたれ(中辛)なしで食べることになる。

心の中では「あぁ、あのたれがあれば10倍くらいおいしく食べられるのに・・」
と考えている。でも、子供たちもわかっているのか、心で思っても言葉にしない。
そんなふうに焼肉を食べている私たち。あんな哀しいことはない。
(当然ながら、夏場はそうめんを食べようとしても
「つゆ」がないなんてことは、すでに基本中の基本だ。)

そして奥さんは照れながら
こう言い訳するのだ。

「に、新妻(にいじゅま)だから・・・」


長女はすでに中学2年だ。
何が「”にいじゅま”だっ!」と思うけど
こんな私たち、夫婦のやり取りを
子供たちは面白そうに笑ってる。

だからつい、許してしまう。
そのとき私も、
笑ってるんだからしょうがない。


がんばれ!にいじゅま。


2007/09/12 23:20:13





2007/09/11(火) 返事をしない私



 つくづく私は、人と話しをするのがとても下手だなぁって思った。

今日はちょっとした用事があって、見知らぬ人と4人で車に乗ることになった。
ドライバーは30代の男性。後部座席には20代の女性と
40代の女性。そして、ドライバーの横に私。

ドライバーはとても明るい人だった。
(サザエさんの世界で言えば「かつお」と言ったところか。)

「今日は天気がいいっすよねー」とかつお(仮名)が言う。
私はいつものように「はぁ」と言葉少なく、
静かに返事をしようと思ったけど、今日は自分を変えてみたくなった。

「そうですね、これが仕事じゃなくてドライブだったらいいですよねぇー!」
とやたらハイテンションで返事。
自分の中で設定を、無理やり「たらちゃん」モードにした。

「青木さんって、ドライブとか好きなんですかぁ?」と後部座席から
20代のポニーテールの似合う女性が聞く。
(同じハイテンションの流れだ。)

「えぇっと、そうですねー・・・僕は・・・あのう・・・」てな具合で
急に私は気持ちがしぼむ。
(テストで0点をとったときの「かつお」くん状態になる。)

言葉で説明することが、途中で面倒になってしまうのだ。

文章では、すらすらと書けるのに、いざそれを声に変換しようとすると
まるで間違った漢字に変換されたかのように、それをうまく言葉に出来ない。

あえてここには書かないけれど、そのあと私は突拍子もないことを言ってしまい
その場の空気が波のように、サーって引いてゆく様が、肌で感じられた。

(やっぱりあえて書いてしまえば、突然私は、アニメの話をしてしまい
それは最後にはドライブの話に、直結するものだったけど、そこまで辿り着けなかった。)
言わなきゃよかったと思うけど、声で言ってしまった言葉は取り消せないから恐ろしい。

それから私は3人の明るい話題を黙って聞いて
気付けばそこにいたみたいな、おとなしい人に徹していた。
(いつもの私のパターンだ。)


 そういえば奥さんからも時々、こんな具合に
叱られてしまうことがある。

テレビを見ていた奥さんが「俳優の**さんって結婚したのかなぁ?」と
私に聞いていることを、私は十分理解しているのだけど
私は何も返事をしない。

数秒の沈黙のあと、奥さんが怒る。
「また無視して!もうっ!」

はじめて私は”あぁ、そうか、返事をしなきゃいけなかったんだ”と気づく。

私はその質問を聞くだけで十分だと思ってしまっているのだ。
それにその俳優さんのことなど、まったく興味がないので
完全に頭がオフラインになっている。

めんどくさい。
返事をしようっていう気が起きない。
(書いていて、なんて嫌なヤツなんだと思う。)

別に機嫌が悪いわけじゃないんだけれど
すべての問いかけに、すべて答えるなんてことが
私には果てない作業に思える。

特に何かをしているときに、聞かれると困ってしまう。
その世界に入ってしまっているので、外部情報は脳に届いても
言葉までは届かない。

・・・こう書くと、正当な理由があるように見えて実は
ただ、ぼんやりしているときも、返事をしないときが多々あるから
始末に負えない。

あぁ、私の後頭部に、電光掲示板で「オフライン」って
わかりやすく表示が出れば助かるんだけど・・・。
(そうすれば、奥さんも”あぁ、今はオフラインなのね”って
納得してくれそうな気がする。)

どうして私は、うまく人と会話が出来ないんだろう。
どうして私は、うまく返事をすることが出来ないんだろう。

・・・とこれを書いていたら、
奥さんが何かを尋ねている。


どうして私は・・・・


いや、だから返事をしろって、私。



2007/09/11 22:02:50





2007/09/10(月) 生まれ来る子供たちのために



 先日、久しぶりにレンタルCDでCDを借りた。
オフコース ”i(アイ)”っていうアルバム。
2枚組みのベストアルバム、プラスDVDが1枚。

聞いてみて驚いたのが、たとえば「めぐる季節」とか
かなり初期の古い歌が、とてもきれいな音で聞ける。
映画でよくあるデジタルリマスター(?)ってヤツかな。
サーっていう音がしない。な、なんて感動的なことっ!

昔、オフコースのアルバムを、ミュージックテープで聞いていたので
(どれほど昔のことなんだ。)サーって言うノイズの音が
名曲のメロディにのせて頭に、ずっとインプットされていた。

だから、思わずこんなきれいな音に、空がすっと
晴れたかのような、そんなすがすがしさだった。


 「生まれ来る子供たちのために」を久しぶりに聞いた。
この歌には、私にとっての切ない想い出がある。

大学でひとり暮らしをしていたあの頃。
学校がどうにもイヤになって、ずっと登校拒否をしていて
下宿先の部屋にずっとこもりきりで、一歩も外に出ることもなく
心配をした大家さんが、ドアを何度も叩いても黙ってひざを抱えてた頃・・・。
(今覚えば、ひきこもり&鬱状態だったんだなぁって思う。)

晴れた日の真夜中の、誰もが寝静まった中。
ずっと閉じたままのドアをそっと開けて、ウォークマンを持って
外に出ては星空を眺め、この歌をよく聞いていた。

何でそんなことしたんだろうって、今でも思う。
たぶん、恐らく・・・自分なりに、泣きたかったんだと思う。
こんなになってしまった自分を、どうにかしたかったんだと思う。
実際、夜空を眺めては、切なすぎるこの歌を
聞いてはよく泣いていた。

ずっと星を見つめていると、星が自分をどこかに連れて行ってくれるような・・・
そんな不思議な感覚がして、いつかそうなるんじゃないかと思った。

夜空をずっと眺めていると、必ず流れ星が見える。
星が流れるたびに夜空が、生きているような感覚に陥った。
生きているなら私の願いを、聞いてくれるって本気で思った。

でも、夜は深まるばかりで、黙って私を見おろすだけで・・・
誰も何も答えてはくれなかった。

私にとってあの頃が、一番辛い時期だった。
そんな辛い時期に歌が、私を救ってくれたような気がする。

あの夜の雰囲気、風の匂い、葉が擦れ合うかすかな音、虫の声
遠く街の小さな明かりたち。
この歌を聞くと今でも、そのすべてが蘇る。

歌は想い出をも包んでくれる。
そして、私たちに運んでくれる。かけがえのない感情を。
辛かったはずなのに、なぜだか今はとても優しい。

今でもこの歌を聞きたいのは
そんなどうでもいいような自分も、その歌で思い出し
”ちゃんと心から愛しなさい”と、私の願いのその答えを
何かが教えてくれているのかもしれない。

あの頃の答えにしては、随分と遅い返事だけど
その何かを私はいつも、心のどこかで感謝したいと思う。



2007/09/11 0:25:24





2007/09/09(日) 生きる



  「生きる」っていうテレビドラマ。
ちょっと、見たいなと思っていたのだけど、すっかり忘れていた。
まぁ、仕事から帰ったのが夜の11時前だったから、
どっちみち見られなかったのだけど。

でも、録画予約しとけばよかったな。
松本幸四郎さんが出ていたし・・・。
(幸四郎さんの役柄が、きまっていつも私は好きになる。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 こんな季節だからだろうか。
この頃よく「人生」について考えている。

ニュースで私よりも若い人の死を知ると「あぁ・・」って思う。
それが事故だったり、事件だったりすると「うわぁ・・」って思う。
いきなり終わらされた人生。その死の直前は、どんな想いだったのだろう。

他人事のはずなのに、なぜか私には
明日はわが身のような気がする。
まるでその順番を、長い廊下で待っているような・・・。
(別に思い当たる点があるわけじゃないんだけど。)

私はその人よりも多くを生きている。
でもそれは、ほんのわずかな偶然でしかなく
その生きた長さはたぶん、幸せに比例してるわけじゃない。

こうして私は、今日も誰かが望まぬ死を迎える中、普通に生きて
日記を書いて、そして眠りにつこうとしている。

明日は必ず来るんだって、誰かが教えてくれたわけじゃないのに
私は当たり前に明日を待ってる。
誰かが迎えたくて、でも、迎えることのなかったその明日を
私はどんなふうにして、過ごせばいいんだろう。

たぶん明日も忙しく、時間はたちまち過ぎてゆくだろう。
「生きている」ということさえ意識することもなく
私は明日を生きてゆくだろう。

だから私は時々思う。

明日をどう生きればいいんだろうって。
誰かが生きたくて生きれなかったその明日を
私はどんなふうに生きればいいんだろう。

誰かが望んだその明日を
その誰かに恥じることなく。



2007/09/10 0:31:57





2007/09/08(土) 小さく日記再開宣言



 リリー・フランキーさんの「東京タワー」読了。
一気に読めた。面白くそして、もの悲しく・・。
「何が本当の幸せ」なのかを、改めて考えさせられた。
そのヒントはこの本の、あちこちにポツンとあるように思う。

 先日のこと、偶然、私の本を読んでくださった人に会った。
どこかのレストランの店員さんだったのだけど
「今年はエアコンがよく売れてるでしょう?」と
その女性が笑顔で言われるので
「はぁ・・・」と照れるように答える。

今はもう、電器屋じゃないことを、この方は知らないようだ。

クレームを受けることは今じゃあの頃ほどないし
苦情を大量生産し続ける電器屋なんて、いつか絶対辞めてやる!と
そのたび、心で毒づいていたけれど、予期せぬうちに
仕事内容が変わってしまい、いざ、その夢が叶ってしまうと
それはそれで不具合が生じる。

本当に夢を成し遂げた人がそうなるように
いざ叶ってしまうとその後は、とても退屈になってしまった。
今の仕事が退屈なわけじゃない。逆に、イヤになるほど忙しい。
同じサービス業には変わりはないのに、接客がほとんど必要ないせいか
ただ、物を売ってるだけの、日々がずっと続いている。

漠然と疑問を感じている。私はこれでいいのかと・・・。

それが今の私の抱えている悩み。
足がよろめくほどに重い。どっこいしょってな感じで
そろそろどこかに置きたいんだけど。

私はもともと、売上とか、お金とか、そういったものに興味がない。
興味がないので、自分の給与明細さえ見ない。
(奥さんにそのまま手渡ししている。)
いわば、サラリーマンであるはずの私にしてみれば
それは大きな欠陥だろうな。

でもお金って、いらないと思う。本気で。
もちろん絶対、必要だけど、心だけで想いたくなる。
だってキリがないものだから・・・。

やっと涼しい季節になった。
はだしで駆け回る少年達が、夕雲の隙間に消え去って
やがて木陰で本を読む少女が、風に微笑んでいるかのよう。

エアコンのないこの部屋では、猛暑で日記どころじゃなかったけど
そろそろちゃんとこの日記を、再開したいなと小さく宣言。

今、人間関係は最悪な状態にある。
その多大なストレスのためか、鬱も再発(?)したかもしれない。
時々この自分のことが、何の価値のない人間に思えて
途方に暮れてしまうことがある。

最近、大人のケンカもしたし、それによって涙も流したし・・・
この忙しくも退屈な日々も、クレーム日記を書いてた頃のような
出来事はいくつも生まれては、波のように消えてゆく。

その消えゆくものを私は、心に刻んでゆくように
日記に残してゆきたいと想う。

明るくうれしく、時には切なく
情けないくらいに裸になって。


2007/09/09 0:08:39



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