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3月の日記とエッセイ

2006/03/26(日) これからについて



 とても忙しい日々。少し久しぶりになってしまった。
このサイトについて、いろいろと想いを巡らせているところです。

思えばクレームについて立ち上げたこのサイト。
気付けばすでに6年が過ぎている。

何気なく日記を書き始めて、数ヶ月で終わらせるつもりが、読者のみなさんに励まされ
勇気付けられ、私の中の想いが言葉があふれ出し、いつしか本まで出版してしまい
私にとっては奇跡としか言いようがないものを、みなさんから与えてくれたのだと思う。

本当に心から感謝しています。

今、思うことは(それは特別なことではないけれど)
随分と中途半端になってしまったクレーム日記を
そろそろちゃんと、区切りを付けたいと考えているところです。

本当は、クレーム日記をきちんと終わらせて、まったく新しいサイトとして
もう一度はじめからはじめてみたい気持ちではあるけれど、
でも、まだまだこのサイトには、クレームについて、叫びにも似た苦しみに
訪れてくださる人もいらっしゃるので、これまでのクレーム日記は
(いくつか削除するにしても)そのまま残して、そういった人たちに
ほんの小さな救いになってくれたらと願います。

これからは、まったく違ったもの、というよりも、これまでのように
”言葉と心について想うこと”を中心に、エッセイ(日記)という形で
書き続けてゆきたいと思う。(もともとそれが、このサイトの原点。)

現在、ブログのほうでは「まるで詩のように」という”詩のようなもの”を
とても小さな声でささやくような、気持ちで作っているけれど
このサイトでは新しいこととして”小説のようなもの”
(私には小説はたぶん、書けないので)を、作りたいと考えてます。

どうなるかわからないけれど、書きたいことはいろいろとあって
これまでもいくつか書いてきたけれど・・・今、私が考えているのは
こうして、私がネット上に日記を書くようになって
それが本になるまでのいろんなエピソードを、小説のように、物語のように
書いてみたいと考えているところ。それなら私にも書けると思うので。

そうは言っても、「私の個人的鬱メモ日記」のように
途中になったまま、中途半端に、なってしまうのかもしれない。
でも、少しづつ新しく変えてゆきたい気持ちは強く抱いてます。

今、現在、あることが進行中です。
それもどうなるかわからないけれど、いい形でココで伝えることが
出来ればと願ってます。

ほんの少しだけ・・・明日は晴れるかな?程度の気持ちで・・・
期待しててください。



EACH TIME

2006/03/27 1:05:28





2006/03/23(木) 村上春樹さんへのメール



 先日買った「これだけは村上さんに言っておこう」の本を
さっき、読み終えたところです。

本の内容は、いろんな読者の悩みとか、春樹さんへの質問事項なのですが
そのメールのやり取りの内容は、7、8年前のものなので
ちょっと話の内容が古かったりして、少し新鮮味には欠けていたかなぁ。
でも、相変わらずの村上春樹さんのテンポのいい、しゃれのきいた
コメントに、笑ったり苦笑いしたり、ふーんふむふむと考えこんだりと
十分に楽しめるものでした。(村上ファン、必読ですよ!)

そういえば、最近、村上朝日堂のホームページに、また、メールを
出してしまったのです。日頃、どこかのHPに、メールを出すことはないのだけど
つい、本が面白くって、それでその軽いノリで書いてしまって・・・
日頃、冷静な(?)私なんだけど、気付けば明るいイチロー状態に
なってしまっていました。

そして、これが、その内容。

以前にも、メールした青木詠一です!
今日、念願の「これだけは村上さんに言っておこう」を買いました!
 
村上さんの本を読むときは、いつも失礼がないようにと
スーツ姿で正座をして、飼い猫の背中をなでなでしながら
瞑想しつつ読んでいます!(嘘です。)
 
とても楽しみにしています。
感想は、また、書きます!チャオ!
 
ps「これだけはイガラシさんに言っておこう」
  早く村上朝日堂のホームページを更新してくださいっ!!

・・・いえ、ですから十分に反省してるんですっ!

村上さんは、返事は出さないにしても、メールはすべて
目を通しているということですから・・・どうしよう。こんなふざけたメール。
あぁ、穴があったら叫びたい気分です。(叫んでどうする?)

でも、村上さんの本を読むこの姿勢については
思いつきで書いたんだけれど、自分の中ではかなりヒットしちゃいまして
気分的にハイだったのか、自分ひとりで大笑いしていました。
これってかなり虚しいけれど、でも、これで、送っちゃったんだよなぁ。
あの村上さんに。

あぁ、村上春樹さんが気分を害されたらどうしよう?
などと今は反省しているところです。

そうそう、話は変わってうれしいことひとつ。
今日、ブックオフに、ふらっと行って、ふらっと眺めていたら
単行本の105円コーナーに、なんと!市川拓司さんの「いま、会いにゆきます」
の本を発見!以前から読みたいなぁと密かに思っていた本。
この本がもう、105円だなんて!となんだかとてもショックだったけど、
その反面、うれしさが込み上げてきました。

でも、たぶん、破れてたり汚れてたりで安いんだろうなぁと思っていたら、
なんと、帯つきで汚れてもいなくて、ほとんど新品!(うっひゃー!)

「これは値札の付け間違いじゃないか!?」と思わず思ったけれど
105円で付いているんだから、と迷うことなく私はレジに持って行きました。
すると、店員さんがその本の値札を見て、小さな戸惑いがほんの1秒間。
とりあえず、その安値で買ってしまいました。(本当は間違いだったんだろうか?)

ブックオフで掘り出し物を見つけると、本当にうれしいんだけれど、
いい本が、あまりにも安いと、随分と複雑な気持ちになります。

ま、とりあえず、次はこの本を読むのがとても楽しみです。



2006/03/24 0:48:33





2006/03/22(水) 中学生になる君へ



 昨夜はまーちゃん(12歳)の卒業祝いに
家族みんなで外食に行った。

車で30分のその場所は、前から奥さんや
まーちゃんが行きたがっていたところで、
中華料理のバイキング形式の店だった。

とてもきれいな店内。ほどよく広くて、まるでどっかのホテルのロービーみたい。
外は夕闇が近づいている。間接照明が夕暮れ時を、おしゃれに演出している。
店員さんはみんなチャイナドレスを着ていて、スタイルがよくて
別に水着姿じゃないのに、私は目のやり場に困った。
(気を抜くと、じっと見つめてしまいそうなので・・・やばいなぁ。)

祝日は2時間で大人2千円。子供千円と
お値段は、ためらうこともなく程よく値ごろ。店内はすでに満席の状態だ。
とても人気があるのだろう。恋人同士と思われる2組のカップルの後に
私たち家族は並んで待った。そして間もなく、私たちは座ることが出来た。

まーちゃんは、育ち盛りになったせいか、やせているのによく食べる。
(気付けば家にあるお菓子を全部食べてしまっている。それで弟と戦争が勃発。
だから今は危機管理として、別の場所に隠してある。)
こんなとき、バイキング形式は財布の中身を気にしなくてすむので
とてもありがたい。

子供たちが料理を選んでいる間、私は奥さんと、のんびりと
ウーロン茶を飲みながら、そんな子供たちを眺めていた。
大きな窓から見下ろせば、街のきれいな星が流れている。
恥ずかしいことだけど、私たちにとってのこんな贅沢は、
よっぽどの記念日がなければありえない。
日頃、奥さんも、パートで忙しい日々を過ごしている。
私にしても、朝から晩まで、息つく暇もなく疲れてしまってる。

「自分へのご褒美としても、楽しまなきゃね」と奥さんは小さく微笑んでる。
最近は家族とのすれ違いが多くなった。一緒に生活しているのに
なんだか別々に暮らしているような感じだ。
だからこんなひとときを、私は大切にしたいと思った。

ふと気付くと、隣のテーブルにさっきのカップルがいた。
まーちゃんも、あと数年もすると、あんなふうに誰かと二人で
食べたりするのかなぁ・・・なんて、早くも心配したりしている。
やれやれ、困ったもんだなぁ、この父親という生き物は。

そういえば、そのときのカップルを見ていて、
私はとてもカルチャーショックというか、逆文明開化というか、
なんて表現していいのかよくわからないのだけど
そういう意味不明な驚きに、とても驚いてしまっていた。

そのときカップルは二人とも、うつむいてメールを打っていた。
いや、それはどう考えても間違っているだろうと私は思った。
こんな場所ではケイタイは切って、食事を楽しむのがあるべき姿。
(こんな風景を時々目にしたりするから、私はケイタイが嫌いになるんだ。)
目の前に、大切なものがいくつもあるのに、なんだか気付かぬまま
そっぽを向いているような感じがしてならない。ケイタイは確かに、
便利で楽しいけれど、もっと大切なものを忘れないで、って思わず目で訴えた。
まぁ、彼らは相変わらずメールしてたけどね。

さて、そんな他人の心配事など、今はどうでもいい。
まーちゃんに、今までずっと話してなかったことを、私はその場でやっと語った。

「まーちゃんは今度、中学生になるけど
中学生になると、今の世の中のように、競争社会になるんだよ。
テストなんかでもね、成績順に順位が付けられたりするんだよ。

お父さんがね、中学生になって最初の中間テストのとき、
学年で順位が付けられたんだ。正直に言うと、そのときのお父さんの
成績は、ビリから数えたほうが早かったんだ。つまりは、ひどい点数だったんだ。

お父さんはそれがとてもショックだった。
小学生の頃はそれなりにテストはよかったし
別にお父さんは頭が悪いなんて思っていなかった。

でも、現実はそうじゃなかったんだ。
お父さんはね、人よりも、頭がよくないほうだった。
そう知ったとき、ショックでずっと手が震えてたんだ。
そんなお父さんを、お父さんの両親、つまり、おじいちゃん、おばあちゃんは
まったく叱らなかったんだ。今思えば、そのとき、お父さんが落ち込んでいることを
わかっていたんだと思う。

それでお父さんは、一生懸命に勉強したんだ。
勉強して勉強して勉強しまくったんだ。
それで次の期末テストの成績は・・・」

「で、どうなったの?お父さん?」
娘がこんな私の落ちこぼれ話を、興味しんしんで聞いている。
私はちょっと複雑な感じになったが・・・でも、ココからがこの話の山場なんだ。

「その結果に、実は、一番驚いたのが担任の先生だったんだ。
クラスのみんなが一人ひとりが、お父さんに話しかけてくるんだ。

”おい、青木、お前、すげえよな。中間テストで300人中ビリから20番目で
次の期末テストじゃ、トップから20番目だったんだって!?”

・・・そう、お父さんは、奇跡的にもすごく成績がよかったんだ。
それに驚いた担任の先生が、クラスの一人ひとりを呼んで
”これ、見てみろ!青木はな、こんなにも悪い成績だったのに
一生懸命頑張って、こんなにもすごい結果を残したんだぞ!”って
クラスのみんなに励ましてたんだ」。

あの時は、クラスのみんながそれを知っていることに、本当に私は驚いた。
それに今思えば、それは立派な個人情報の流出に他ならないけど
まぁ、とにかく、それはもう、ひとつの伝説となるようなほどの
すごいことには違いなかったんだろう。

「でも、結局、あんなすばらしい成績は、その一度限りのことで
それからはずっと真ん中くらいの成績で収まったのだけど・・・」

「へぇー、はじめて知った。でも、すごいじゃん、お父さん!」
そう言って、娘は思いのほか喜んでくれていた。

単なる私のただ、一度きりの、まぐれともいえる武勇伝ではあるけれど
そんな落ちこぼれだった自分を、正直に話せてよかったと思った。

別に私は、娘に頑張って勉強して、いい成績を取ってくれって言う意味で
言ったつもりではない。ありのままの私を、ほんの少し大人になる前の
まーちゃんに話したかっただけ。

そして、まーちゃんも、ありのままの自分を素直に受け止めて
それで頑張って欲しいと思っただけなのだ。

まーちゃんに私はこうも話した。
「中学生のうちに、自分の好きなものを見つけなさい」と。
すると、まーちゃんは、すぐに私にこう言った。

「もう、決めてるもん。わたしは将来、漫画家になるんだもん」

前から娘はそう言ってるので、娘なりに本気なんだろう。
でも、それは娘くらいの年頃には、よくある願望に過ぎないだろう。

少し厳しすぎるかと思ったけれど、私は娘に現実を話す。
「漫画家になることは、お父さんは反対しない。
本当に自分が好きだと思ったら、それを目標に頑張ればいい。
ただし、漫画家は自分との戦いになる。誰も助けてはくれない。
いつも孤独だ。普通のOLとかよりも、かなりの苦労はしなきゃならない。

それに漫画家だけじゃ食ってはいけない。何か副業もしなきゃだめだろう。
それくらいの覚悟はしなきゃならないんだ」

そう言った後で、私は夢を壊してしまったかと
少し後悔しかけたけど、娘なりにその事実を受け止めたのか
うん、と力強くうなずいていた。

漫画家、イラストレーター、編集者、出版関係・・・
好きなものひとつ見つけたなら、その道は広がりを持ってくる。
その結果がどうなろうと、好きになったその事実は、
それを自分で見つけたその意味は、かけがえのない価値となって
まーちゃんの人生のいろんな架け橋に、やがてなるのだと思う。


中学生になる君へ。
君にとっての本当に大切なことを、早くその目で見つけてね。
そして、それに向ってすぐにでも、突っ走っていて欲しいと私は願う。

そのために、私はちゃんと君を守るからね。
命がけで守るからね。そのために、私たちはココにいるんだからね。
だから後ろを気にすることなく、前へ前へと進んでね・・・。


中学生になる君へ。

かつて、落ちこぼれで、
それで頑張った父より・・・。



2006/03/23 1:08:48





2006/3/21(火) 宮川泰さん・・・。



 宮川泰さんの突然の訃報に、心がピタリと止まってしまった。
心が静かに泣き叫んでいる。
こんなとき、本当にどうしていいのかわからない。

私は中学高校と、ずっと宮川さんの音楽に触れていた。
本を読んでいるときも、勉強しているときも、
ひとりでこっそり泣いているときも、ずっとウォークマンで聞いていた。

初めて買ったミュージックテープ
それは「宇宙戦艦ヤマト交響組曲」。

まだ、CDもなかった頃、みんなが松田聖子やマッチやキョンキョンを
夢中になって聞いてる頃に、私はずっと歌のないヤマトの曲ばかり
聞いていた。

一番好きなヤマトの曲。
それは「序曲」と書かれただけで、ちゃんとしたタイトルもないけれど
一度はヤマトを見たことがある人なら、その曲は耳に残ってるはず。

無限に広がる大宇宙・・ヤマトの一番最初のナレーションの場面に
ひっそりと流れてくるメロディ。

女性の美しいソプラノとともに、流れてくる静かなメロディに
私はひとり、恋をした。

あの曲に、あの美しい声に、私は何度救われたことだろう。
何も言葉はないというのに、その曲は、私の心に語りかけてくる。
ときには優しく、ときには厳しく、そして、ときにはそっと抱きしめるように。

音楽のすばらしさを、多感な思春期の時代に私は、あきることなく
ヤマトから教わった。それは同時に、宮川さんの想いが私に
届いた証拠なのだと思う。

今はもう、想いを伝えることは出来ないけれど
それでもちゃんと、私は伝えたい。
あなたのファンのひとりとして。

本当にありがとうございます。
あなたの音楽で、私はあんな青春時代を
何度も立ち上がることが出来ました。

ときには哀しくて、ときにはうれしくて
私のそんな大切な日々には、いつもあなたの
音楽が流れていました。

今も時折、聞こえてきます。
心の中で、勝手にあなたのメロディが流れているときは
決まって急ぎすぎたこの私の、何か気付かない過ちを
正してくれているときです。

ありがとう。
心からありがとう。

あなたが残してくれたものは
はるか宇宙の彼方まで、きっと届くことでしょう。

ありがとう・・・

ありがとう。



2006/03/21 21:15:37





2006/3/21(火) 夢の出来事



 夢を見た。夢のことは何度かこの日記に書いているけど
私はよく、夢の中で、これが夢と気付くことがある。

この夢は初めから、なぜか夢だと気付いていた。
場所は私の今、住んでいるこのマンション。
けれども、どこか違っている。いや、全然違っている。
まるで大きなリフォームをしたような感じ。

部屋には誰もいない。大きな窓からは
暖かな日差しが差し込んでいる。
私はこの部屋へと向う。すると、ドアに変な突起物がある。
何かのインテリアだろうか?その形は、もう、うまく思い出せないけど
何かかわいい動物のようなものが、取っ手のようについている。
まるで失敗したかのように付いているそれを見て、
娘が勝手につけたんだろうか?と私は少し苦笑い。
気付けばドアに、小さなカレンダーが貼ってあった。

それを見て私は思った。えぇー!カレンダー!?
”これは夢だけど、カレンダーがあるってことは、
この夢が、一体いつの時代なのかがわかるじゃないか!”と。
夢なのに、何か具体的な事実がわかるそのことに、
私の胸はドキドキした。

それは今も、はっきりと覚えている。
その夢の中で、カレンダーが次第にアップになる。

夢の中のカレンダーは、桜色したデザインだった。
そして、西暦は2004年。月は4月になっていた。

ん?2年前?それを見て、がっかりした。
「なんだ・・・ これはやっぱり、ただのデタラメな夢なのか」と。

2年前、この部屋は、こんな部屋にはなってはいない。
あーあ。これがたとえば”2008年”なんてことになっていたのなら
「おおー、これはまさしく未来に起きる現実かぁー!」って
すごいことになったというのに。

それにしても、なぜ2004年になっていたんだろう・・・。

次はまた場面が変わる。
その夢は、私は夢とは気付かなかった。
久しぶりに、兄が遊びに来ていた。
何年ぶりだろう?こうして会ったのはと、夢の中で喜び合ってる。
私がこの街を案内しようと、兄を外に誘う。

外の景色は、まるで広大な中国大陸というか
遠く山々が連なっていて、あきらかに日本とは違っていた。
(今思えば、あれはどこの国だったんだろう?)

私が兄に説明している。
「あれが、今度新しく出来たタワーだよ」と。
まるでスターウォーズに出てくるような未来的な巨大タワーを
私はちゃんと、それがそこにある意味も知っていて
(今は思い出せないけど)なんとも不思議な感じだった。

そして、近くに遊園地があって、兄とそこに行こうとして
なぜかふたりは、”ちゃんちゃんこ”を着ていて
「そういえば、家にいたときのカッコウのままだったんだ!」と
ふたりして笑ってる。で、遊園地に入るのはあきらめて
外から見える遊園地の巨大な遊戯施設のひとつひとつを、
私は兄に説明していた。

なんで私はそんなことを、ひとつひとつ知ってるんだろうかと
本当に不思議でならなかった。はじめて見る場所だというのに
私はなぜか、その場所のことを詳しく知っている。
そして、それが夢だとも気付いていない。

あれは、もしや、もうひとりの別な私だったんだろうか?と思った。
そんな馬鹿げた疑いさえ、疑いもなく思い浮んでしまう。

でも、少し真剣に考えてみる。
私たちは、眠っている間は、本当にただ、眠っているんだろうか?と。
もしかしたら、この世界は、もうひとつあって、私たちが眠っている間は
心は、時折そっちの世界に行っているんじゃなのだろうか?と。

その別な世界は、この現実世界と違って、実にへんてこりんな世界で
魔法でも何でも出来ちゃうんだろう。でも、心はこの世界と通じていて
時折、私たちが眠っているあいだには、ハイブリッドの車みたいに
私たちの心を使っているのかもしれない。

・・・なんて、馬鹿げてる。
でも、すべての想像は、なきにしもあらず。
思うだけなら自由だろう。

そして、人が死んだとき、心はもうひとつ別のその世界が中心になり
そして、時折、この世界にあっちの世界の「夢」として戻ることが出来る。

そんな途方もない考え方も、まんざら悪くないような気がする。
さぁて、今日も、私は夢を見るんだろう。

今日はどの街を、自由に旅しようか・・・。



2006/03/21 9:21:56





2006/03/19(日) 冷静と情熱のあいだ



 好きな球団が何もないくらい、野球のことは
あんまりよく知らないんだけど、いろいろすったもんだがあって
それで国別対抗野球試合で、念願の勝利を日本が収めたとか。

とにかくイチローさんが、すごいことになってるなぁ。
どうしたんだろ?興奮してるイチローさん。強気な発言のイチローさん。
対戦国の応援団からは、激しいブーイングの嵐を受けるイチローさん。
何かあるなぁ、これはきっと。彼の中にきっと何かが。
うーん、わくわく。一体、何を見せてくれるんだろう?

「冷静と情熱のあいだ」

ちょっと昔の小説じゃないけど、(映画にもなったね、確か。)
そんな人の”温度差”が、本当の温かさを作るような気がする。
(冷たさを知ってるから温かいような。)
うまくは言葉に出来ないけれども、情熱よりも冷静さが、どことなく大人を
位置づける世界では、まだまだ難しい環境なのかもしれない。

相手とか、誰かのことを気にも留めず、自分の情熱を信じられる人は
すごいなぁ、というか、憧れさえ抱いてしまう。

そんな人生を、こんな私でも
堂々と歩いてゆけたらなぁ・・・。




2006/03/20 0:34:17





2006/03/17(金) 卒業の言葉



 今日は小学生の娘の卒業式だった。
残念ながら、私は仕事で行けなかったけど
うちの奥さんが見届けてくれた。
とても立派なものだったらしい。


仕事から帰ると、机の上に一通の手紙が・・・。

それは娘が書いたもののようだった。
春色の封筒の中には、こんな言葉が綴られていた。

お父さん、お母さんへ


今まで私を大切に育ててくれてありがとう。
わけの分からない、そんな私の一年生の頃なども
ニュースで見る親のように、見捨てたりもせずに
見放すこともなく、幸せに育ててくれたことに感謝します。

これからも、困らせたりケンカしたりすると思いますが
よろしくお願いします。

私はこれから中学生になります。
また、いろいろな壁にぶつかると思うので
もしも、道が見えなくなったら、そのときはよろしくお願いします。

私が大人になったら、今度は

私が支えますので。



   その言葉で

   もう、すでに支えてもらってるよ。


2006/03/18 0:05:53





2006/03/16(木) ひとりで生きてゆければ



 ひとはどうしてひとりでは、生きてはゆけないのだろうか?
私はそんなことを思う。私はいつも、ひとりが好きだ。
私には、私だけのすべてがあって、そのすべての中で
私はこの私を生きている。それが正しいこととは思わないにしても
この私はそう思っている。

たとえばそこに、まったく異なったものが入り込もうとすると
私のすべてがどこか少しずつ、壊れて行くような気がする。
だから私はそれに対して、どこか拒否反応を起こしてしまう。
それはまるで、私たちの体が、別の異物を拒むように
私の心もそれと同じように、出来ているのかもしれない。

でも、それが間違った考えであることは、この心は哀しいくらい
十分すぎるほどわかりすぎている。人はひとりでは生きてはゆけない。
誰かと係わり合いを持たなければ、この人生は生きにくいし、
それに知らないうちに誰かに、助けられてこの人生が
成り立っていることも、ひとつの事実だ。

ならばどうして、私はひとりを好むのだろうか?


・・・今私は、意識もせずに、疑問形で問いかけたけど、
なんて愚かな問いかけなんだろうと、今、この瞬間に思った。
別に誰かにその答えを、求めているわけじゃない。
そんなひとりよがりな答えを、誰か答えてくれるというんだ。
それじゃ、私は一体何に・・・そう考えたとき
私はすでに心に出来た大きな壁を
知らずに叩いているのかも知れない。

私は幼い頃からまわりの人と違っていたような気がする。
同じ歳の友達とは、なぜか私は遊ばなかった。
(いや、”遊べなかった”と言うほうが正しいのかもしれない。)

そのときは何も不思議には思わなかったけれど、小学生の頃
私はいつもひとりか、または、近所に住んでいる私よりも
四つ年下の男の子とばかり遊んでいた。

時々、親から注意を受けた。
「年下の子とじゃなくて、同じ歳の子と遊びなさい」と。
でも、私はその言葉の意味を理解できなかった。
今、思うに、私は同じ歳の子では、私の心は追いつけなかった。
それくらい、私の心は幼すぎたのだと、今の私は思っている。

学生の頃、先生に、少し、注意されたくらいで、私はいとも簡単に泣いた。
それが面白かったのか、担任の先生は、私をことあるごとに
クラスの笑いものにした。また、青木が泣いてるぞと。

別にそれが悔しかったわけじゃない。
これは私と似たような、心の人にはわかるのかもしれないけれど
泣くほどでもないことに、泣いているこの自分が悔しくて、私は私を泣いている。
だから先生が面白がっても、私はそんなこと、どうでもよかった。

大学を途中でやめたのも、人との係わり合いが、結局、苦しくなっていった。
友達は、いたけれど、でも、その友達に助けを求めようとはしなかった。
この頃から、私は私の”ひとり”に気付き始めていた。
理由はわからないけれど、心はその”ひとり”を望んでいる。
だからひとりを望む私は、私のことで、誰か他人を求めたくなかった。

この頃から、私は私の心に大きな壁を作り上げたのかもしれない。

今も時々、「また、青木が泣いてるぞ」と笑うような声が聞こえる。
大人になった今の私は、その大人のずるさ加減で、もう、涙は流さなくなった。

でも、心の中では小さな、私がひとり泣いている。
泣くほどでもないことに、泣いてる自分が悔しくて

私は今も泣いている。


2006/03/16 11:24:13





2006/03/14(火) ふたつの虹



アルバムを整理してたら、こんな写真が出てきました。

これは”消えないうちに!”と、
あわててシャッターを切ったものです。
(見やすくするために、コントラストを高めにしてます。)

これ、わかりますか?空に咲いたふたつの虹です。
雨の後に咲く虹は、それだけでも
うれしいのに、それがふたつ見られるなんて
まるで奇跡が二度、起きたかのよう。
それでうれしくって、思わず撮ったもの。

この写真から、”まるで詩のように。”の言葉が浮びました。
こっちは少し、哀しいんだけど、でも、私には優しく響きます。

   ブログサイト まるで詩のように。 3/14「雨に濡れる虹」


2006/03/14 20:51:24





2006/03/13(月) パラリンピック



 パラリンピックを見ていると、オリンピックとはまた少し違って
ものすごい勇気を私に与えてくれる。(思わず心がぶるぶるっと震えるほど。)
こんな小さなことで落ち込んでいる、自分は何て小さいんだと
握りこぶしに力を込めるような、思いで心は満ち溢れてくる。

テレビや新聞の扱いは、オリンピックほど大きくないけど
でも、なぜなんだろう?うまく言葉に出来ないけれど、もっと、もっと
肩を落としてしまった大人たちに、もっと派手に見せればいいのに。
と私は思っている。

彼ら彼女らを見ていると、「努力する」とか「がんばる」とか、
そんないつしか使い古された言葉が、まるで新鮮なもののように
輝いて見えるからとても不思議だ。

過労であるとか重い病であるときとか、「がんばらない」という考え方は
私もとても大切なことだと思うけど、でも、夢を追うときの「がんばる」は
いつでも、どんなときでも必ず、必要なことなのだと私は思う。

でも、それでさえもあきらめるような、「がんばらない」という考えなら
それは混同してしまったものであり、私は一切、必要ないんだと思う。

もう一度、がんばってみようか、と思う。

そのためにも、どんなに小さな夢でもその先に
私はちゃんと抱えていたいと思う。


それにしても、なんてすばらしい笑顔なんだろう。
私があんなふうに笑ったのは、いつが最後だったんだろう。

その人の笑顔の中に、あの頃の頑張っていた私が見える。
もう一度だけ、あの日を取り戻してみたい。


がんばれ!私。
がんばれ!がんばれ!



2006/03/14 0:35:07





2006/03/12(日) 幸せとともに歩く



 この頃、私が思うことは”幸せになりたい”と人は軽く口にするけど
人はどんなに願っても、幸せにはなれないのだと思う。
そんな言い方をすると、救いようもないような気もするけれど
誰もがどこか哀しみを、ずっと心に抱えているし
今がどんなに幸せであっても、その先に不幸はきっと
どこかで私たちを待ってる。哀しいけれど、それがこの人生の
現実というものなんだろう。

だから私はこう思う。幸せになろうなんて思わないで”幸せとともに歩いてゆく。”
その決意にも似た想いのほうが、本当はいいのではないかと。

ともに歩いてゆくのだから、時にははぐれるかもしれないし
時には離れてしまうかもしれない。そんなときは哀しくても、でも、また
”幸せとともに歩く”その想いさえあればまた、幸せはどこからか現れて
または、私たちがきっと見つけ出してまた、ともに歩いてゆけるのだと思う。

幸せになろうなんて思わないで、幸せとともに歩く、そのことが
私は幸せなんだと思う。

そんな想いを、この小さな言葉に込めて・・・。

(ブログまるで詩のように。より。)



2006/03/13 0:22:02




2006/03/11(土) 幸せな不幸



 まだ、無気力感が抜けない。
何の不自由も苦しみもなく、今がたぶん、
幸せなはずなのに、胸の中がからっぽで
何も満たされない感じ。

見えない不安が私を襲う。
何がどれがいったいどうして?わけも分からず
襲ってくる、この気持ちは何だろう?

夢はもう、届かないと私はどこかで思ってる。
その夢が何かさえ、何もわかってないというのに。

だめだなぁ・・・
また、こんな私になってる。
また、誰かを傷つけている。


「幸せな不幸」

こんな愚かなことはない。
私よ、早く目を覚ませ。

もっと、もっと、やるべきことを
早く、早く、早く気付け。



2006/03/11 23:49:51



2006/03/10(金) 村上朝日堂の復活



 まぶたを中心に、顔のあちこちがピクピクと痙攣する。
寝不足か?それとも何かの病気だろうか?
いつもなんだか疲れた感じがしている。
やだなぁ、こんな自分。よくそんなことを思う。

こんな無気力な大人になっているなんて・・・

就職した頃のもっと若い頃には、「絶対あんな大人になってやるもんか!」って
やる気のなさそうな先輩達を見ていて、何度も心に誓ったものだけど
いざ、大人になってみると、私も同じようになっている。
歳を重ねなきゃわからないことが、こんなにもあることを
あの頃の私はまだ何も知らないで、ただ、いただけなんだなぁって
思うようになったらそれはもう、戻れない場所まで来てる証拠なんだろう。

「今はとにかく休みたいなぁ」

そんな弱気でどうする!と自分を叱りたくなるけれど
弱い自分でいいじゃんか、と、今は自分を認めてあげたい。

強いことがいいことなんて、一体誰が決めたんだろう?
勝つことがいいことなんて、誰が私たちに求めたんだろう?

それが正しいか間違いかなんて、誰に任せてしまったんだろう?
気付けばそこに自分がいない。いるのはいつも他人の目ばかり。
人生を考えるには、遅すぎることはないだろう。
ここいらで、私は何のために生きているのか
もう一度ゆっくりと考えてみたい。

それにしても・・・・ 私はなんで、こんなに深刻になっているんだろうか?
でも、そろそろそんな時期なのかなぁ・・・とも思ってみたりして。

やれやれ、随分と暗い話になってしまった。
ちょっと明るい空気に入れ替えて。

今朝の新聞に村上春樹さんのあの伝説(?)のホームページ
村上朝日堂ホームページ」の復活を目にした。
村上さんの大ファンである私は、もう、うれしくってうれしくって
思わず新聞紙の上で踊ったね、私は。(よい子は真似しないで下さいね。)
で、早速アクセスして、村上さんにお便りを送りました。
(30分悩んで、結局、「頑張ってください!応援してます!」的なものになったけど
・・・あぁ、自分が情けない!)

そういえば、今朝の新聞に出てたっけ。ネットオークションに
村上春樹さんの生原稿が高値で売られてるってこと。
詳しくは知らないけれど、それで村上さんが怒ってるらしい。
(あの村上さんが、だ。)

ネットオークションって、私はしたことがないからよくわからないけれど
やはりこれもやり方を間違えれば、大きな過ちになってしまうんだろうな。
便利なものほどその副作用は、計り知れないほど大きい。
便利になればなるほど私たちは、人にとっての大切なものを
簡単に見失ってゆくような気がする。

それが結局は、自分を見失うことにもつながってゆくんだろうな。
もっともっと、自分を取り戻さなきゃ。それが道に落ちてるわけじゃないけれど
ネットで検索するような安易さではなく、一歩一歩この足で、歩かなきゃそれは
見つからないものなんだろうと思う。

だから今は目の前の道を
私は歩いてゆこうと思う。

その先は見えなくても
後ろばかり見てためらうよりも
よっぽどいいのかもしれないから。




2006/03/11 0:35:20


2006/03/09(木) 映画「県庁の星」を見て



 今日は、以前から奥さんと約束していた映画「県庁の星」を見に行きました。
(といっても知らないうちに、奥さんが前売り券を2枚買っていたんだけど。)
まだ、見ていない人のために、詳しくは書かないけれど・・・

うん、とても面白かったです。

奥さんも私も同じスーパーの仕事をしているので、その内容に余計に身近に感じられて
(特に奥さんなんか映画と同じお惣菜の仕事だし)例えばパートさんの
「人手が足りなくて出来るわけない!」とか「在庫管理なんてしてる暇ない!」とか
そんな現実味あるセリフや、倉庫の在庫の山や、放置されたままのカートや
話し相手が欲しいばかりにクレームを言ってくるおばあちゃんに
お茶を出して苦笑いをして、「そうですよねぇ」なんて言ってる姿に
「うん、わかる、わかる!」なんて思ったりして。

予想外だったのは、単なる「がんばって、恋してハッピーエンド」っていう映画に終わらず
意外な展開が最後にあって、(そのシーンでは、見ている人から驚きの
「えー!」っていう声も聞かれた)でも、それがその先の「県庁さん」(主演の織田さん)の
更なる挑戦を示唆していて、結構、「おぉ!がんばれ!」って気持ちになった。

そういえば、先日、レンタルビデオでトムクルーズの「宇宙戦争」を見たけれど
特撮とか最先端のCGとか、そのシーンを見ているときは、すごいなぁって驚くのだけど
見終わったときは残念ながら、ただ、”終わった”という感覚しか残らなかった。

今の私には、宇宙や未来や非現実的な映画よりも、身近な人間ドラマのほうが
何かをあきらめかけたこの心に、素直に響くのかもしれないなぁ・・・

・・・なんてね。そんなことはどうでもいいや。
もっと気楽に映画を楽しまなきゃね。

こんなふうに奥さんと、一緒の休みは本当に久しぶりのことで
これはいわゆる「デート」なんだなぁと途中で気が付いた私。
立ち寄った某電器量販店では、ポイントが一気に500円分ついたとか
たまたま行ったスーパーでは、激安商品をゲットしたとか
奥さんの鼻歌が止まることがなかった。

なんか、とても不思議な一日だった。

こんな日が、今度、いつ、あるんだろうな。
今はきっと気付かなくても、いつかこの日が
二人にとって、本当に素敵に見えるんだろうな・・・
なんて思ったりしてね。

映画の中のセリフにもあったけど
いつも気付くのが遅くても、でも気付いたそのときから
人はいつでも変われるんだろうな。

そう思えるこの気持ちが、今日の私の大きな収穫。
本当にいい一日だった。

あらためて「ありがとう」。

県庁の星と、鼻歌の君に。



2006/03/09 21:29:30




2006/03/07(火) 春のしりとり



 とても陽気な一日。
空気があたたかさを含んだ透明なシャボン玉みたいで
ぷかぷかと心も体も浮んでしまいそう。

ずっと忙しい日々が続いているから、こんな日はありがたい。
何に感謝をすればいいのか、今の世の中、わからないけれど
とにかく心から「ありがとう」。こんなやわらかな素敵な気持ちを。

夜、小学3年の息子と久しぶりに一緒にお風呂に入った。
子供って、つくづく不思議だなぁと思う。
先日、あんなに叱ったばかりなのに、もうケラケラ笑ってる。
私のこと、嫌いにもならずに、憎んだりもしないで笑いながら
「お父さん!しりとりしよう」なんて言ってる。

実は、叱ったそのことが、ずっと私は気がかりで
こうしてお風呂に誘ったというのに
私のそんな裏工作の、なんてみっともないことか。

いいなぁ、澄み切った子供の心は。
私もきっと、あんな気持ちで、昔、いられたはずなのに
今じゃ、傷つくたびにそれと、同じだけの傷を誰かに
与えなきゃ気がすまなくなってる。

時々、はっと、気がついて、泣きたい気持ちになっている。
それでもずぐに、また、わすれて、醜い私になっている。
なんて愚かな私なんだろう。

時はこうして過ぎてゆく。
私も確実に過ぎていって、そして知らないうちに年取って
想い出の中でしかもう、生きてゆけなくなってしまうのかなぁ。
それはなんて哀しいんだろう。そして切なく優しいんだろう。
・・・なんて少し、絶望に浸って、春の空を見上げていた。

春はまるで、子供の笑顔。
どんなに世界が冷め切ってても、こうして
あたたかな季節を運んでくれる。

私たちがどんなにいろんな形で、方法で
いろんなものを傷つけても、すべて許しているように
春は私たちに、訪れてくれる。

それに対して私たちは、どんなお返しをしてきたんだろう。

息子が「はる」って明るく答える。
私は「る」から始まる言葉を探すけど
息子が知ってる言葉となると、なかなか見つからない。

「なつ」でもいい?って、私が言うと
息子は大きく笑いながら
「つ」から始まる言葉をさがしてた。



2006/03/07 23:25:51





2006/03/06(月) 私で、いていい



 その人は気付かなかったみたいだけど
その人の価値観を、随分と押し付けられて
私はとても窮屈だった。

その人は気付かなかったみたいだけど
それがすべて正しいと、誰かが言った言葉をそのまま
神様みたいに信じてしまって、でも、その真実基準がその人にとっては
まるで風に流されて、枝にかかった風船みたいに
子供は泣いてるというのに、哀しいくらいにぴったりと
そのまま当てはまってしまったんだろう。

だからといって、そのピッタリ感が
私も同じとは限らないというのに。

その人は気付かなかったみたいだけど
私は私であって、決してその人自身じゃない。
心も体もまったく違って、また、さらに厳密に言うなら
育った環境も想い出も、生き方も、歩き方も、大切な人も
すべてにおいて違っているのに、どうしてそんな考え方を
そんなふうに押し付けるんだろう?

時々、そんな人がいる。
私にとっての戸惑わせる人たち。

でも、私も時として、離れた場所からこの私を思う。
そうしないと私としての、その間違いを見失ってしまいそうだから。

そして、不安に思うのは
私のほうが”おかしいの”だろうか?ということ。

でも、私が思うのは、おかしいと思うそのことは、他人の行動を
”まとも”と考えてしまった私の弱い心でしかない。
だから今は、私を信じる。


おかしいと思うことが、私にとってはおかしいこと。

私は私で、いていいんだ。

こんなにも簡単なことのはずなのに
人はどんどん上書きしてしまい、やがて
元の形もわからないほどに。

愚かなのか、滑稽なのか?


その人は、この私は。



2006/03/06 23:58:15





2006/03/05(日) もうちょっとだけ



 この頃、やたらと疲れてしまって、日記が途切れ途切れになってしまう。
書くことは、そんなに苦にはならないんだけれど、(というか、好きなんだけど)
眠ることを優先している。そうしないと、疲れがまったくとれなくて
まぶたがピクピクけいれんしてしまって、体が密かに悲鳴を上げる。
これじゃいかんなと思う。
昔は半分寝ながらも、日記を書いていたというのに。(これは異常か)

今日は思うことがあって、この先の見える未来ついて
いろいろと考えをめぐらせる。
すると、頭がふらふらしてしまって、思わずすぐに現実逃避。

「あしたがどうなるなんて、誰にも何もわからない。
地震が起きたって、宇宙人が来襲したって、
何も不思議じゃない世の中なんだから」といろんなことを打ち消した。

とりあえず、もう少しで私の休みが訪れる。
あともうちょっとだけ、頑張らなくちゃ。


2006/03/06 0:34:11





2006/03/02(木) その間違いに気付くこと



 昨夜、小学3年の息子を初めて真剣に叱った。
今思えば、理由はたいしたことではなくて
(寝る前に、歯を磨かなかったとか、そんなこと)
ただ、そのことに対して、息子が「むかついた」と
言った言葉が、それまでのいろんな多くの積み重ねから
私はどうにも見逃すことが出来なくて
少し、声が大きくなって、でも、ちゃんと教えなきゃと思って
でも、気付けば息子の目からは、大粒の涙がぽろぽろと
そのまあるくて赤いほっぺの上をすべり台みたいに
何度も何度もこぼれていった。

私はかがんで、息子と同じ目線になって
そして何度もこう聞いていた。

「どうしてむかつくの?お父さん、ゆーくんに何か間違ったこと言った?
ねぇ、ゆーくん、ちゃんとお父さんの目を見て、ねぇ、どうして?教えて」

「知らない!」
(唇をとんがらせて言う)

「いつも、そうやって”知らない”って言うよね。ゆーくんは。
知らないってことはないよ、きっと。よく考えてごらん。
何が間違っていて、何が正しいかって。
知らないはね、答えじゃないよ。考えていないだけだよ。
逃げてるだけだよ。考えてみて、もっと、ね」

「・・・何度も・・・何度も同じこと、お父さんが・・・言ったから
だから、ぼく・・”むかついた”」
(時々、むせながら、言葉をようやくつなげるゆーくん。)

「そう、それで”むかついた”の?
でもね、それでドアを思いっきり閉めたり
床を思いっきり足で蹴ったり、本当にそれでいいのかなぁ?
床は泣かないけど、ドアも泣かないけど、でも、そんなふうに
何かを傷つけて、それで本当にいいのかなぁ。
ただ、”むかついた”というそれだけで、傷つけていいのかなぁ・・・」

真っ赤になった息子の目が、この私をじっと見ている。
私は今、この子に対して、本当に正しいことを言ってるのか。
本当に、こんなふうに、泣かせてまで伝えるべきことなのか。
ほんの少し弱い心になってしまう。

でもね、でもね、仕方がないんだ。
心が君を許そうとしないから。

「ゆーくんは、今、どうして泣いているの?
痛いの?悲しいの?それともつらいの?ね、どれ?」

「・・・・・知らない」

「ううん、それはね、ゆーくん、知らないんじゃなくて
わからないんだよ。きっとね、ゆーくんは、悲しいんだ。
痛いんじゃなくて、つらいんじゃなくて たぶん
こんなふうに叱られて、ゆーくんの心がね、しくしく悲しがっているんだよ。
うれしいときに泣くのと違って、悲しくて泣くときには
自分のどこかが間違っていることに”気付いた”という意味なんだよ。
それをね、心が今、教えようとしてるんだよ。

ね、ゆーくん。君はね、間違えちゃったんだ。
その言葉で間違っちゃったんだ。
間違いはね、いいんだよ。気付けばね、それでいいんだよ。
だからね、よく考えてみて。大切なのは気付くこと。
間違いをしないことじゃない。
人なんだから仕方がないよ。ロボットじゃないんだからね。
でもね、いつもそんなふうに”知らない”で済ませたりしないで
よく考えてみて。するとね、ちゃんとね、いつかわかるから。
その意味がわかるから、ね」。

「・・・・・・・・・・・・・・・・うん」

長い沈黙の後、ゆーくんのその返事が
とてもとても重たくて、でも、私はちゃんと受け止めていた。

本当にわかってくれたのかはわからないけれど
でもね、それが私にとっての、ひとつの大切なことなんだ。
それを教えてあげることが、私がココにいる意味なんだと思う。

あんなに息子は泣いていたというのに
不思議と私は悲しい気持ちにはならなかった。
よかった、私の言った言葉は、私にとっての
間違いじゃなかったんだ。

ケンカをした後のような気まずさがちょっと苦しい。
返事をした後のゆーくんの頭をなでながら私は言った。

「おやすみなさい・・・ゆーくん」

「・・・・おやすみ」

息子の小さないつもの返事が、こんなにも、心揺らす。
叱られて無視するのかなぁと思ったけれど
それだけで、少し泣きたい気持ちになる。
その”泣きたい”という間違いは、

私にとって、痛い?悲しい?
それとも・・・何?・・・・。



2006/03/03 0:01:12



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