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1月の日記とエッセイ

2006/01/31(火) 個人主義



 何を急いでいるのかなぁ、なんて、ひとり、しんみりと思った。
やっぱ難しいね、この人生は。生きれば生きるだけ
答えは遠く離れてしまう。

まぁ、簡単じゃないからこそ、この人生は
それだけの価値があるんだろうけどね。

どうすれば、人は素直になれるんだろうか?と
ずっとそんなこと考えていた。
考えていたけれど、考えるだけこれもまた、その答えは
どんどん遠くなってゆくみたいだ。

意地悪だよな、そういうのって。

何がそうさせるのか?私にはわからないけれど
素直になって何が悪いんだ、って
何かに怒鳴りたい気持ちだ。

今はね、とにかく考えたいんだ。
考えるだけなら自由なはず。
誰にも縛られることもないはず。

間違ってるなんて、誰にも言わせない。
言えるのは、唯一、この私ひとり。
私の考えは私しか否定できないんだ。

個人主義でも構わない。
今はね、きっと、それでいいんだ。


2006/02/01 0:03:29





2006/01/30(月) 二度と戻りたくない場所へ



 自分のことが時々、わからなくなることがある。
この私の根源的な間違いは、どこに一体あるんだろう?
そう思うと、私の行き着く果てはいつも、大学時代になってしまう。

あのときの経験が、すべて今の私につながってるように思う。
その繋がりが鉄の鎖のように硬くて重くて、私はまったく身動きが出来ない。

私は自分で言うのおかしいのだけど、本当にあきれてしまうほどまじめな性格だ。
だから、やれ、って言われたことは、なんの疑問も持たず、愚痴も言わずに、
ただ、やってしまうし、こうしろって言われたら、それを忠実にやってしまう。
120%以上のことをやろうとさえしてしまう。
だからいろんな意味で私は、ただ、疲れてしまうんだろうな。

そんな私が唯一、やり遂げられなかったこと。
もちろん、私はそんなにすぐれた人間じゃないから
そんなことは両手足じゃ、数え切れないほどたくさんあるけど
ただ、本当にやるべきことを、やらずにいたその希少的なこと。

それは大学を途中でやめてしまったこと。
いつも、そんな答えが私に用意される。
認めたくないけど、私はたぶん、これはトラウマになって私を
がんじがらめにしているような気がする。 ・・・ということに
最近になって、やっと気付いたような気がする。

親に多くのお金を使わせてしまったのに、親の願いを殺すみたいに
私は逃げるように大学を離れた。いや、本当に逃げたんだ。
それがこの私を許さない。決して許そうとしない。

この頃は、あまり見なくなったけど、私はいまだに夢の中で
大学へ戻ってゆくシーンを見ることがある。
途中でやめちゃいけないんだと、私が一生懸命になって
まだ、あの大学で勉強しようと(いや、ただ、通うというそのことを)
がんばろうとしている私がいる。べつに今更、勉強がしたいわけじゃない。
ただ、ちゃんと終わらせていないその事実が、私の心の奥深い場所で
まるで私を許そうとしない。

もう20年もはるか過去の出来事なのに、何をバカなことをしようとしてるんだと
夢の中で私は想いながらも、それをなかなか打ち消せないでいる。
とにかく心は、大学の教室に行こうとしているんだ。

大学を辞めた理由は今も、ちゃんと書けないでいる。
いろんなことがもう、ダメだった。人とか何かが信じられなくて
私はただ、ひとりになりたかったんだ。

そんな想いが今も私から離れなくて、こうして私はひとりでいる。
誰かといることを、誰かと何かつながりを持つことを
私は極端に恐れている。いまだにケイタイを持ちたくないのも
その理由と言えるのかもしれない。

こんな私を、いつか、私はちゃんと許してあげられるんだろうか?
信号待ちとか何気ない小さな時間の中で、私は時々そう思う。

でも、いつかはそうしなきゃならないと、心のどこかで思っている。
そのために、どうすればいいんだろう?ありふれた答えなら
過去のことなんてもう忘れて、今を精一杯生きることなんだろう。
でも、そんなこと、今は何か違っているような気がする。

ここに私の小さなひとつの答えがある。
それは辞めてしまったあの大学に、あの場所に、
もう一度だけ、私は行ってみたいということ。(そう書いてしまってから、
私は何を考えているんだろうかと、この心は不思議がってる。)

もう、あの校舎はすっかり、変わってしまったことだろう。
あの頃の、面影さえも、もう、何も残ってないのかもしれない。
それに別にその場所に行ったからといって、何が変わるわけでもないだろう。
それじゃ、なぜ、そんなふうに思うんだろう?あの場所を私は捨ててきたと言うのに。
写真さえ、一枚も残さなかったというのに。

そんな私に、その行動に、なんの意味があるんだろうか?と
この私は思っている。まるで私を遠くから、私が見つめているみたい。
でも、私は一度、行ってみたい。なぜかその想いがとまらない。
それが正しいとは思わないし間違っているかもしれないし、
そのトラウマがひどくなるだけのことかもしれない。

でも、私は、たぶん、何か痕跡を見つけたいのだと思う。
私がそれでも、そこにいたというその事実を。

(今、思うままにこれを書いている。
時々、思考が中断して、また、書いているから
前後の文章は支離滅裂になっているかもしれない。)

ここからその場所はかなり遠い。ちょっと行ってくると言ったような
距離じゃない。家族にも説明しなきゃならないだろう。
それなりの大きな決心が必要だ。
それに私のしようとしている事は、たぶん、私へのごまかしだと思う。
どうあがいても、私はもう、あのとき、あの場所から逃げてしまった。
途中で放り投げてしまった。わずかな友達やいろんなものさえも・・・。

その事実はどうしようもない。それでも私はそのままに
ちゃんと受け止めなきゃならない。恐らくはきっと。
それが本来の覚悟だったはずが、それさえも出来ないでいる。

私は覚悟しなきゃならないんだ。
そのために、私はあの場所に戻る。
一番戻りたくない場所へ、いつか、私は。

そうしてそこで、私は何かを見つける。
そこで止まってしまったものを、私がもう一度、はじめるために。

そのときが、ちゃんと私に来るのかはわからない。
ただ、今は小さな子供みたいに、願うしか私にはない。

今はこんな許せない私でも、
いつか、必ずという小さな希望で。



2006/01/31 0:39:33





2006/01/29(日) 心のバランス



 ぽっかりと心に大きな穴があいてるかのような
虚しさの意味がわからなくて、心は遠く途方に暮れてる。

時々、こうして生きていると、思わず立ち止まりたくなるときがある。
これでいいのかなぁとか、流されてないかなぁとか。
とにかく今さえよければいいんだと、結論付けてごまかしている
自分を見つけるとため息が出る。

そんなとき、私は唯一の手段を使う。

唯一と言っても、別に特別なことじゃない。
とてもありふれた方法だ。

私は時々、とても大きな、自分じゃない、人間じゃない自分になって
宇宙の果てから地球に住む、この私のことを見ている、と想像する。

とても馬鹿げた想像だとわかっていても、これが結構、いろいろと驚く。

なんでだ?こんな小さなことで、小さな場所で
私は何を苦しみ、何を悩んでいるんだ?と。

どうしても、日々の生活の中、知らないうちに、私は自分が小さくなって、
この広い世界を忘れてしまう。というよりも、小さな自分になって
この小さな世界だけをただ、小さく見つめている。
小さな自分だけを、想像して、考えてる。

だから、その逆のことを考える。
それによって、心のバランスを取ることが必要なんだと。

想像してごらん。
音も何もない世界で、雲よりも大気圏よりも高い世界で
ただ、ゆっくりと動くだけの青く光る地球を眺めているところを。

そこに何か急いでいるものが見えるだろうか?
いや、たぶん、すべてがゆっくりと流れゆくのが見えるだけだろう。
ただ、急いでいる人間達が、アリのように見えるのかもしれない。

私達はアリが列をなして働いてる姿を見てもあまり感動というものはない。
ただ、そういうものと思うだけだ。たぶん、私達がアリに見えるとき、それを見ている
大きなものは、同じようにそう思うんだろうな。ただ、動いていると。

そうしたとき、本当に大切なことって、なんだろうか?と
私はつい、悩んでしまう。頭を悩めてしまう・・・。

仕事も大事だし、生活も大事だし、隣の誰かも大事だし。
でも、そういう大切なものって、本当にそうなんだろうか?
そういうのもひっくるめて、もっと大きな意味での大切なものって
この世界にはあるんじゃないだろうか?

たぶん、言葉では言い表せないもっと広く大切なもの。
ただ、それは生きている、そのことだと思う。
それらはその生きていることの、ただの一部分じゃないのかと。

人は所詮、ちっぽけなもので、たいしたことは出来やしない。
時間はただ、終わるために過ぎてゆくにしか見えない。

そんな時、そういう”生きてる”そのことを忘れちゃいけないんだと思う。
時には呼吸を意識してみたり、時には歩く足の運びを
意識してみたり・・・生きてるそのことを、実感することも必要なんだろう。

そんな滑稽な方法は笑いながら、ただの愚かな夢と思えばいい。
それでも私は、時折、こう思う。
空の遠い果ての宇宙の中に座ってるんだ。
そこからこの地球を見下ろしているんだと。

人なんか見えない。
ただ、海が蛍のように
青く光って見えるだけだ。


なんてそれは素敵なんだろう。

なんてそれは美しいんだろうか・・・。



2006/01/30 0:32:13





2006/01/26(木) カレーという家族の温度



 久しぶりに、切なくなった。

それは昨夜、仕事が忙しくって、終わりの見えないような
やるべきことや、秒単位のスケジュールを、無理やり終えて
自宅に帰ったとき。

玄関のドアを開けるとほのかに、カレーの香りが漂っていた。
台所の明かりをつけながら、そうか、カレーか、とぼんやり思う。

家族はすでに夢の中。
嫌なネクタイをすぐに取り外して、私は鍋のカレーを温める。

温めならが私は思った。
このカレーを家族が食べる頃は、確かに
とても温かかったんだろうなぁと。
とてもおいしかったんだろうなぁ。
そして、今日あったいろんなことを、あんなふうに
話したんだろうなぁと。

でも、私は今、このカレーを温めている。
ひとり、温めなおしている。

小さな泡がひとつ、ふたつ生まれる。
でも、なかなかカレーは温まらない。
コンロは強にしているはずなのに、香りさえもまだ、冷たい。

そうしたとき、なぜか急に、この流れてる時間に
切なさがこみ上げてきた。

そうか、と、ふと、私は気付く。

冷たくなったこのカレーが、その温かさを過去に変えてるんだと。
たったそれだけの当たり前のことに、それだけ家族との隔たりが
この温めなおしてる時間のような・・・ そんな気がした。

もしも神様がいるとしたら、私にこんな小さなイタズラを
いじわるするみたいにしてるのかなぁ・・・なんて。

そう思うと、ほんの少し寂しく思えた。

こんなこと、何度もあったはずなのに
なんだろうな、今日に限って。



2006/01/26 9:46:14





2006/01/23(月) 逮捕劇



 テレビは堀江社長逮捕で、すごいことになっているなぁ。
なんだか「白い巨塔」の財前教授を思い浮かべてしまった。
悪い人とは思わないけれど、どこか大きく間違っているような・・・
そんな感じ。

たぶん、すべてのこんなことって
いくらお金がありすぎても、困らないからいけないんだろうな。
その欲に果てがない。果てがないから”もういいよ”っていう
ラインが存在しない。

神様が人を創ったとして、その欲望は満たされれば満足する。
お腹がいっぱいになれば、もう、食べたいと思わないし
十分眠れば、それ以上、もう眠りたいと思わない。
だから人は、健やかでいられるんだろう。

うまく創ったよなぁ、神様って。

お金もいっぱいになれば、”あぁ、もういらない”って
誰もがそんな気持ちになればいいのに。

尽きないものって、その終わり方は
いつも突然にやって来る。

結局、尽きてしまってること、
人は早く気付かなきゃならないのかも・・・。



2006/01/23 23:56:34





2006/01/21(土) 見えない言葉



 久しぶりに、クレームがあった。

それはお客様からの投書であり、それはとても
長い文章であり、とても丁寧な言葉であり
そしてそれでも、それはひとつのクレームだった。

内容は、ある商品についてのことで、ほんのささいなことで
起こりうると言えば起こりうることで、しょうがないといえば、しょうがないことで
普通ならあきらめてしまうような、そんなことで・・・でも、その人はそうじゃなかった。

投書に電話番号がちゃんと書いてある。
その人のまっすぐな、気持ちが透き通るように見える。

夕方の落ちついた頃、私は電話をした。
電話をする瞬間、私はいつも緊張する。
このたった一本の電話に、どんな小さな未来が待っているのかと。

「この度は、貴重なご意見をありがとうございます。
今回の原因ですが、商品的な特性ということもありまして
すぐに特定することは難しいのですが・・・」

そんなふうに、私は説明する。
ゆっくりと、それでいて真摯な気持ちで。

相手の方は年配の女性で、わからない数学を
教えてもらいたいような姿勢と言葉で、私にその答えを求めている。

詳しくはいえないけれど、たぶん、原因ははっきりしている。
恐らくは、その人自身の、とても単純な過失にあると思われた。
とはいっても、それは大げさなものではなくて、ちょっと電車に乗り遅れたみたいな
そんなとても小さなものだ。でも、その人は、すぐに次の電車が来ることに
気付いていない。

相手が「お客様」という立場でなければ、私は簡単に説明できたかもしれない。
でも、お客様である限り、「あなたのせいです」とは言えない。
だから、話がだんだんややこしくなる。

自分の言ってることが、少しづつ、言い訳になってゆくのがわかる。
あぁ、ダメだ、と思うけど、うまく言葉が見つからなくて
でも、言葉は中断できなくて、道は間違った方向へと突き進む。

だから私は電話が嫌いなんだ。
考える時間をくれない。沈黙が作れない。ニュースキャスターじゃあるまいし。

ひと通り説明して、返った答えは、そのお客様の「沈黙」だった。
電話で伝えて、何もそのとき言わないことほど、恐ろしいものはない。
つまりは、納得していないことを、沈黙という言葉を通して私に伝えているのだ。

また、私はつまるように言葉を始める。
あせっている自分がわかる。あ、今、間違った答えをしている。
そう気付いて、直そうとするが、向う方向はどんどんずれてゆく。

いつしか私は、この自分を正当化しようとしていた。
つきつめれば、仕方のないこととはいえ、小さなことでさえも
何か罪に問われそうな、そんな場所の近くをふらふらと
歩いているような気がした。

相手の女性は、怒ることなく、ただ、その見えぬ不満に
その不満を抱いていた。どうにかしてあげたいと思ったけど
どうもしようがなかった。だから私は、ただ、怖くて仕方がなかった。
どうしても、ちゃんと形に出来なくて。

相手に小さな苛立ちを残したまま、私は静かに電話を切った。
「わかりました」とは言ってくれたけど、それはそういう簡単な意味じゃなく
もう、あなたじゃわからないから。そういう見えない言葉だった。

私に夕方の現実が戻る。
見えない未来は、今、終わった。
でも、大きなものを私は、まだ、心にかかえている。

少し重たいこの荷物は、私がちゃんと強くならなきゃ消えない。

たぶん、きっと、消えない。



2006/01/21 10:20:17





2006/01/19(木) 小早川伸木の恋



 「小早川伸木の恋」を見ました。
第一回目も見ました。
日頃、テレビドラマはめったに見ない私だけど
原作が”柴門ふみ”さんというところに惹かれた。

私は柴門ふみさんの書く漫画が好き。
かなり昔、ビッグコミックスピリッツ(だったかな?)で、「東京ラブストーリー」を
夢中で読んでた記憶がある。(どれだけ昔なんだ?)
今じゃ、漫画を読まなくなったので、この原作も読んではないのだけど
ストーリーはやっぱり期待を裏切らない。どこにでもあるような日常のありふれた風景。
でも、ちょっと危ういような、よそ見でもしようものなら落っこちてしまいそうな・・・
そんな具合に引き込まれてゆく。

柴門ワールドが、私の中で広がるのがわかる。

唐沢寿明さんが主役というところもいい。
この主人公の性格が、少し私に似てるところもいい。(?)
いえ、まじめとか、そういったところなんだけど。

ただ、少し気になるのは・・・あまりにも漫画しすぎていて、ドラマ的じゃないところ。
(それはたとえば、伸木の奥さんの極度な不安症とか、初プロポーズのいろいろなこととか。)
ドラマ的ってなんだ?って聞かれたら困るけど、ドラマを見ているのに
なぜだか柴門ふみさんの漫画をそのまま見ているような感じがする。
もしかしたら、柴門ふみさんの漫画のセリフとかそのまま使っているのかなぁ?って
ふと、思った。

でも、それもこのドラマの魅力かもしれない。最初は少し違和感があったけど
今じゃそれが、なんだか心地いい。

時折、えぇーって思うけど、やがて、ふんふんという感じ。
余計にわからないか。ま、そういうことです。

これから木曜日が、少し楽しみな私です。



2006/01/20 0:17:26





2006/01/18(水) 笛を吹く男



 たまたま昨日の日記を見てたら、声が裏返るほどの
誤字脱字。軽く落ち込む。(とりあえず修正。)

アノ病気がまた、暴れだしたのか
どうも落ち込んだまま、浮上しない。

何か楽しいことがあっても、すぐに忘れて
嫌なことばかり思い浮かべてしまうような感じ。
何を書いてもダメだなぁ、こんなときは。

だから詩を、私は読みたい。
(いや、見たい?か、感じたい?か。)
まぁ、どう受け止めても、それは構わないだろう。

こんなときは詩が一番いい。
言葉のようで言葉じゃないから。
何かを伝えているようで
何も教えたりしていないから。

その詩に自分のこの心が、欲しがったりしたら儲けものだ。

別に恥ずかしさも気取りもいらない。
私はそんな詩が好きだ。


「笛を吹く男」


一人の男が笛を吹く

誰も来ないが笛を吹く

一人が来たが笛を吹く

二人が来たが笛を吹く

十人来たが笛を吹く

百人来たが笛を吹く

何も知らずに笛を吹く。



武者小路実篤



そんなふうに私は生きたい。
ただ、そう思った。



2006/01/19 0:21:15





2006/01/16(月) メガネとお片づけと



 なんだかこの頃、嫌な夢ばかり見る。

夢の話ほど、あくびの出るようなつまらない話はないけど
昨夜は、奥さんがメガネをかけていた。
うちの奥さんは目は悪くないのだけれど、夢の中で
メガネをしていて「どうしたの?」と私が聞くと
「よく物が見えなくなってね・・」って、そういいながら
うつむき加減で目の前の、そのお皿を洗ってる。

これからの彼女の人生は、いつもそのメガネがあるんだ。
そう思うと、少し切なくなった。

場面は切り替わる。
ゆーくん(小学3年の息子)が、お片づけをしない。
それを私が猛烈に怒っている。
これでもかってほど、ゆーくんのお尻を叩いている。
ゆーくんが泣き叫ぶほどひどく、私は何度も叩いている。
まるで自分の心が壊れてしまったのではないかと思うほど。

目覚めると、もう、部屋には誰もいなくて
ゆー君も奥さんも、学校に、仕事にと、もうすでに出掛けてて
部屋は静かな空気だけ残して、どこもかしこも空っぽだった。

わけのわからない後悔が、この私を責め立てる。
何か伝えたいのに、どうしようもないほどひとりきりで。

こんなとてもちっぽけな、この自分が少し

つらい。


2006/01/16 10:52:12





2006/01/14(土) あの夢、ふたたび



また、あの夢を見た。
電車で降りるべき駅を過ぎてしまい、いつまでも
目的の駅に辿り着けないと言う夢。

この夢を見ているときも、見た後も、とても切ない気持ちになる。
本当は、みんな優しいのにその優しさが、うまく伝えられないような切なさ。
幼い頃、仲良しだった友達が、突然、転校して行くような切なさ。

早くその場所に辿り着きたいのに、いつまでも、いつまでも
うまく行かなくて、思うように私は動けない。

もう、夢の断片が粉々に砕けてしまって
インスタントコーヒーみたいに溶けてしまって、具体的に思い出せない。
とにかくこの、「駅を過ぎて辿り着けない夢」の心理は何なのか?
さっき、ネットの「夢占い」で調べてみた。(こういうとき、ネットは便利だ)

その結果はこうだった。

あなたの夢は、あなたが将来に対し不安を抱いていることを示しています。
自分をよく見つめ直してみましょう。今は変わることが求められています。
この機会に自分のいいところ、悪いところを再認識し、
よりよい自分へとなるように、努力しましょう。

だって。
なんだかとてもありきたりで、ふーん、としか思えない。
だれだって、将来は不安なんだから、だから?え?って感じ。
ま、占いなんだからいーか。

ちなみに夢に出てくるシンボルの意味。

電車・・・電車の夢は、恋がうまく進展することをさしています。
駅 ・・・駅の夢はあなたにとって好ましい展開が広がり、
     環境が変わることを意味しています。

うーん、既婚者なんで、恋がうまくいっては困る。
でも、好ましい展開が広がるっていうのはいいなぁ。
でも、結局その駅に私は、いつまでも辿り着けないんだよなぁ・・・。

やっぱり、どうでもいいことにした。

話を変えよう。

最近、ヤフーのサウンドステーションにはまっている。
今も一青窈さんの歌を、ヘッドホンで聞きながらこの日記を書いている。
彼女の歌では、やっぱり「もらい泣き」が一番好き。
魂が、ぶるんぶるん、と揺さぶられるような感じ。
日本版のソウルミュージックと言ったところか。

さっきまでは、中島美嘉さんを聞いていた。
彼女の歌では「桜色舞う頃」が好き。
この歌は、とても静かな歌なので、彼女の息継ぐ音さえ聞こえるのだけど
それがとても色っぽい。そこがなんだかとても好き。
(ちょっと危ないか?私は。)

昨日はケミストリーを聞いてた。
ケミストリーって、私の中では
「年上の女性に思いを寄せる大人になれない少年」
っていうイメージがある。あくまでもイメージだけどね。

あと、平井堅さんの歌も聞いてた。彼の場合は
「絵本を優しく読み聞かせしてくれている若いお父さん」
っていうイメージがある。あくまでもイメージだけどね。

さて、もう寝なきゃ。明日も忙しい。
それでは、アロハ!


2006/01/15 1:12:38





おぼえがき日記。

小学3年と6年の子供を抱えてるせいか
気付けば我が家に、いろんな電子機械が存在している。

小さなゲーム機に、安物のデジタルウオッチ
それに少年少女教育雑誌の何かのおまけの意味不明な電子機械。

携帯電話の時代を反映してか、どれもやたらとコンパクトで
手のひらに隠れてしまうようなものばかり。
子供たちが、飽きてどこかにぽいっと置こうものなら
すぐに行方知らずになってしまう。

困ってしまうのが、いきなり鳴り出すその電子音。
警告も予告もなしに、まるでスピード違反を取り締まる、
かくれんぼ上手な警察みたいに
いきなりどこかで笛を、いや、電子音を鳴らしているみたい。

さっきもぴーぴー鳴っていた。
私が本を読んでいたら、いきなり鳴り始めたのだ。

見渡しても、どこで鳴っているのさっぱりわからない。
最初に「炊飯器」だろうか?と思う。確認する。いや、違った。
そして、次に「石油ファンヒーター」だろうか?と思う。確認する。
これまた違う。あぁ、そうか、私の目覚し時計か。と思うがこれも違っている。
あぁ、もう、ネタが全部尽きてしまった。

そうか、あれか、思い出した。
さっきお風呂のお湯をためてたから
お湯がちょうどいい量になった合図の音だな、と私は確信する。
すぐに風呂場に直行する。でも、まだ、お湯はたまっていなかった。

やがて、音は気まぐれのように止まる。
なんだったんだ、あの音は?
それ以後も、どう考えてもわからなかったのだけど
考えられるのは、恐らく、子供のおもちゃの何かだろう?ということ。
電子音の幽霊なんて、まだ、たぶん、いないだろうし。

思えばこの電子音。
鳴り物商品が、気付けばやたらと家の中で増えてしまってる。
しかも、どれも似たような音だから、区別の仕様がない。

あぁ、明日もどこかで鳴るのかなぁ?
なんだか屋根裏に居座ってる、迷子の子猫みたい。

みゃー、みゃーって。
寂しいよ、見つけてくれって、
それでも泣いて、いるのかなぁ・・・。



2006/01/13 0:19:38





2006/01/10(火) 生きているということ



 小学6年のまーちゃんの国語の教科書に
谷川俊太郎さんの「生きる」というとても素敵な詩が載っている。

それをまーちゃんは一日で覚えてしまった。
(それは宿題だったかもしれないけれど、それにしてもすごい!)
それで弟のゆーくん(小学3年)もつられて少し覚えたみたいで
今日、お風呂の中で、ゆーくんとこの詩のことについて
話をした。

「ゆーくんはあの詩、どれだけ覚えたの?」

「僕はね、『生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ・・・』までだよ」

「ふーん。そっか。
生きてるってさ、どういうことなんだろうね。
たとえばさ、『生きているということ それは”歩くこと”』かなぁ?」

「ううん、違うよ。それだったら、『歩けること』だよ」

その返事に、とても考えさせられた。
親バカも半分入っているけど、すごいよなぁ、子供って。
ちゃんとわかってるんだ。この詩のすばらしさが。

ここで私は、ちょっと意地悪な質問をしてみた。

「じゃあさ、歩けない人はどうなるんだろう?」

ゆーくんは、ほんの少し天井を見上げ
そしてちょっと考えてる。
なんて答えるんだろう?
私は興味しんしんで、その返事を待っている。
やがて、ゆーくんは私に言った。

「わかった!きっとね、『生きているということ
それは歩けない人がいるということ』だよ」

一瞬、言葉を失った。
ここまでくると、もう、私は脱帽だった。
谷川俊太郎さんのこの詩には「歩けない人」という言葉は
ないんだけれど、そういう受け入れ方ってすごい。

こんな素直な感受性。
きっと、私の子供に限ったことではなくて
すべての子供たちが持ち合わせてる素敵な心なんだろう。
私だったら何て答えただろうか?
大人の私が、とっくに退化してしまった気持ちで。

私にとっての「生きていること」って、一体なんだろう?

生きているということ、それは
生きているということ、それは・・・。


尽きることのない問い。
繰り返し、考えてる。



2006/01/10 21:48:44





おぼえがき日記。


 さっき、ふと、思い出したこと。
まだ、父が元気だった頃、定年退職をして、家でのんびりしていた頃
それまでわりと頑固だった父が、いきなり私にこんなことを聞いた。

「何か口ずさむいい歌はないかなぁ?」


・・・なんなんだそれは?


私が不思議に思っていると
父は勝手に自分で話を進める。

「とても気分のいいときに、気軽に口ずさむ歌はないかな〜。
あぁ、そうだ。サザエさんの歌がいい。
♪お魚くわえてどら猫、お〜おっかけってぇ〜・・・以下省略」。


なんだったんだあれは?


でも、今じゃ、とても懐かしい。
サザエさんの歌を聞くたび、思い出す。

外は少し曇り空。
いろんなこと、思い出させてくれそうな日。



2006/01/10 8:48:00





おぼえがき日記。


 正月になっても、誰も凧 上げないね。
 正月になっても、誰もコマ 回さないね。

 正月になっても、ゲームボーイしている子供たちって
 なんだか進歩しているようで、なんだか進歩してないなぁ
 なんて思った。

 大人もみんな 同じだけど
 新しくて古い大切なものが
 また、ひとつ消えてゆく。

 年々廃れてゆく正月を、終えてふと、思ったこと。


2006/01/09 0:18:20





おぼえがき日記。

 また、不思議な夢を見た。
二人のおじさんが、商品を配達に来て
それがシャワートイレと知って、大喜びしている私。

なんなんだ私は。

今日は休み。少し遅い正月休みみたいなもの。
また、あらためて更新します。
ただ、の夢の”おぼえがき”です。

そこまでする意味はないけど・・・
っていうか、なんでシャワートイレに大喜びしたんだ?


2006/01/06 11:01:16





2006/01/05(木) 最悪な福袋



 それはとてもすごい福袋だった。
うちの奥さんが、パート先のスーパーで買った物だ。
金額はずばり千円。

たかが千円の福袋とはいえ、どんなものが入ってるんだろう?と
ワクワクしながら私達は子供みたいに、その福袋をバリバリと
音を立てながら開けた。

すると、その中身に私は、思わず大笑いをしたのだった。
すごい、すごすぎる、こんなことってありえない。
というか、考えられない!どうなってんじゃい!こらー!である。

そのすごさに、あきれてしまって、怒りというか、そういうものを
通り越して、私はただ、笑うしかなかった。
きょとんとして見ているうちの奥さんは、まだ、その状況が
わからなかったみたいだ。

「何?どうしたの?何がそんなにおかしい?」

「いや、これってすごい!というか、こんなこと平気でするのか?
と思うと、もう、ただ、ただ、おかしくて、あきれてものが言えないよ」

「え?どうして?」

「だって、これほとんどがメーカーの景品だよ。
この福袋の中身、無料で配っている景品ばかり集めてるんだよ」
(ビールのケースに貼り付けてあったり、または懸賞商品のあまりものだったり。)

つまり、元手がほとんどかかってないのだ。
中身は100円程度の菓子が5個とミニ缶ジュースが200円分。
あとはメーカーの景品で成り立っている。
つまり、本当は高く見てもせいぜい700円くらいの金額なのに
その景品を混ぜて1000円で販売していたのだ。

これって、相当まずいんじゃないか?メーカーの景品は非売品のはずだ。
私が食品スーパーの店員だから、それが景品だってすぐにわかったけど
店員じゃなくても、よく見りゃ景品にメーカー名がしっかりと宣伝してある。
(しかも、菓子はそのメーカーと関係のないものばかり)
うちの店の倉庫にも、メーカーの残った景品がゴロゴロしている。
店員達が「これを入れちゃえばいいじゃん」と軽いノリで福袋に入れる様が
まるで目に浮かぶようだ。

「でも、このコアラのマーチのぬいぐるみ、かわいいよ」と奥さんは言う。
いや、そういうことじゃなくて、これって、いけないことだって。
警告をかねて、クレームの電話をしたくなったけど
奥さんの職場だけに、やはり、思い止まった。

私が注意しなくったって、たぶん、誰かが猛スピードで
電話を掛けていることだろう。

その店の店長は、店長にしてはちょっと稀な20代前半の若者だそうだ。
もちろん、年齢は関係ないけど、たぶん、頑張ってきたんだろうけど
お客さんをなめちゃ困るよな。

そのクレームに十分反省してもらいたいなぁ。

福袋って金額に関係なく、年初めに夢を売るものなんだよな。
そしてそれを楽しみに、お客さんがその夢を買ってゆくものなんだよな。
それをカルピスを10倍に薄めるような売り方でごまかして欲しくない。

ただでさえ、夢が見にくい世の中なんだから
この頃よく見る事件みたいに、夢さえもだまして欲しくないよなぁ。

なーんかね、こんなちっちゃなことが、年初めに起こると
とても憂鬱になる。福に逃げられているというか・・・意外と心の被害は大きい。

本当は、あまりにもあきれてしまったので、
ココでその中身を画像でアップしようか?とも思ったけれど
やっぱり止めた。

なーんかね、自分まで、あきれた人間になってしまいそうで。

でも、うちの家族は、そのコアラのマーチのぬいぐるみが
結構気に入ったみたいで、ま、結果はオーライのようだ。

金額の損得に、固執している私のほうが、
とてもちっちゃい人間のように思えた。


・・・ま、いいか。

夢はつかんだその瞬間に冷めてしまうもの。
また次のその先の夢を、また、人は見なきゃね。

・・・なんて
たかが千円ごときの福袋に
何を大きなことを言っているんだ私はっ!



2006/01/06 1:01:49





2006/01/04(水) 最悪な初夢。



 初夢にとても不思議な夢を見た。
なんだかよくわからない。まぁ、それが夢なんだろうけど。

私は閉店後のどこかの店で仕事をしている。
私以外には誰もいない。照明は暗く、しーんとしている。
そこには、ドラえもんの変なおもちゃがある。
私はそれを売場の棚に並べている。
(そのおもちゃは、全体がデジタル画像になっていて
アイボの「ドラえもん版」といった感じだった。
でも、あと20年は過ぎないと出来ないようなシロモノだった。
なんだろうな、これって。)

やがて私は帰ろうと思い、店を出る。
そこから突然、記憶がなくなる。(夢の中で。)
気付けば私はいつもの帰りの電車の中だった。(これも夢の中で。)
今、どのあたりを走っているんだろうか?と窓の外を見ると
真っ暗な夜の中、そこには見慣れないネオンや景色が流れていた。

どうやら私は自分の駅を過ぎてしまったみたいだった。
「あぁ、しまった。知らないうちに寝てしまったんだな」と私は少し悔やむ。
でも、一体、いつ電車に乗ったんだろうか?と夢の中でそのことを
ずっと不思議に思っている。
(店から駅までの記憶がどうしても途切れたままだった。)

とにかくもうすぐ終電だから、このまま乗っていても
折り返すだろうから、まぁ、いいか。と私は思っている。

ふと、隣を見ると、そこにはA君がニコニコ顔で私を見ていた。
A君は、レジのアルバイトの男の子で、でも、ほんの少しだけ
知能に障害を持っている。

「あぁ、A君。この電車で通っていたんだね」と私は話しかける。
そして、A君は”バイバイ”を3回繰り返すと、駅を降りていった。
本当は、少し心細かったので、私は何か話をしたかったのだけど・・・と
そんな想いが私に満ちてくる。A君はまだ、窓の外で手を振ってくれている。
彼は何か喋っているのだけど、窓の外じゃ聞こえない。
仕方がないので、私は適当に相槌を打って、手を振っている。

やがて、電車が走り出す。
彼の姿が小さくなって、また、ネオンが流れ出す。
寂しさが、また、漂う。周りに座っている人たちは誰も何も話さない。
とても静かで、電車のガタンゴトンという音しか聞こえない。
私は窓の外を眺めている。息が詰まりそうなほど切ない気持ちでいっぱいだった。
なんだろう?この気持ちは。いつかどこかでこんな感じと似たようなことがあったような・・・
そんなふうに不思議に思っていたら、すぐにわかった。

あぁ、そうだ。これはちょうど「千と千尋の神隠し」の映画の中で、千尋が”かおなし”と
一緒に海の上の電車に乗ってるシーンで、誰もがみんな他人顔で、不思議な寂しさを
抱えて走っているその電車・・・そうだ、あんな感じと似ている。

私はいつ、帰れるんだろう・・・とぼんやりと不安に思っていると
外の景色はまた見たこともない、ネオンがずっと流れている。
もしや・・・と思ったら、その最悪な事態が的中してしまった。
その電車は折り返しているのではなく、違う路線を走っているのだった。

もう、こんな真夜中だ。今降りてももう終電はないかもしれない。
そう思いながら、私は見知らぬ外の景色を眺めている。

どうしよう・・・どうしようと思いつつ、まるで電車は銀河鉄道999みたいに
夜の中へ、星の中へと走っている。

いつまでも、ぼんやりと私は街の星を眺めている。
いつ、家に帰れるんだろうか?とまた、不安に思う。

電車はガタンゴトンと私をどこかに連れてゆく・・・。


私が覚えているのはココまで。
それにしても、夢の中で夢の記憶が
一時的に切れているのが不思議でならない。
いい夢のような、最悪な夢のような・・・。

もう、どちらでも構わないような気がする。

ただ、あの寂しさが、懐かしいような哀しいような・・・・

あぁ、何か釈然としない。
この夢は、何を暗示してるんだろうか・・・。



2006/01/05 1:35:57





2006/01/03(火) 「あらしのよるに」とハリーポッター



 今日は今年最初の私の休みだった。
のんびりとしたいところだったのだけど、そういえば子供たちと
映画を見に行く約束していたんだった。

でも、ここで私は大きな過ちに気付くのだった。
何の映画を見るのか決めていなかった。
私はてっきり子供たち(小学6年の娘と小学3年の息子)が
決めているものと思っていた。

私がたずねる。
「さ、今日は何の映画を見に行くの?」
子供たちが元気に叫ぶ。

「ハリーポッター!」
「あらしのよるに!」

二つのタイトルが同時に並ぶ。
そこで小さな戦争(兄弟げんか)が始まる。

息子「絶対僕は、ハリーだからね!」
娘「わたしは”あらしのよるに”だからね!
だって、ハリーポッターは本で読んだもん!」

息子「おねーちゃん!”あらしのよるに”だって、絵本で読んだじゃん!」
娘「でも、ハリーは3時間もあるのよ!あんた、そんなに座って見れるの?」

息子「絶対ハリーポッターだもん!」この時点で息子はほぼ半泣き。

見計らって、私が仲裁に入る。
「じゃあ、じゃんけんで決めてどっちかにしようか?」

「絶対やだ!」(ほぼ同時に答える。意味がなかったようだ。)

「じゃ、どうすりゃいいんだよ。両方見れないし
ましてや、ゆーくんや、まーちゃんにしても
どっちかがひとりで見るわけにもいかないし・・」

などと、うだうだしているうちにお昼近くになってしまい
時間的にも、今から行っても間に合うかどうか、という具合に。

結局、兄弟げんかは止みそうになく、少々、イラついた私は
「じゃ、今日はもう見に行かない!」と言ったら、あっさりと
「わかった・・・」と、それで決まってしまった。

見に行かないことが、ちょうど程よい解決策だったようだ。

あーあ。せっかくのお正月休みなのに・・・。

最近、子供たちも大きくなったせいか、意見が割れることが多い。
ちゃんと自分の意見を主張するんだよね。
なんだか下手なテレビの大人を真似てるみたい。それ自体は
いいこと、といえば、いいことなんだろうけどね。

昼過ぎに、パートから帰ってきた奥さんが
いきなり元気よく「さーみんな、ビンゴ大会に行こう!」と
叫びだし、気付けば近くのスーパーの狭いおもちゃ売場に
私達は立っていて、子供二人と大きな子供(奥さん)が
ほくほく顔で、ビンゴカードを手にしている。

小一時間が過ぎると、子供たち(プラス大きな子供1名)は
ビンゴ大会でもらったおやつセットに大喜び。

さっきまでの、映画事件の私の苦労は何だったんだろうか?と
思わず途方に暮れた。大人をまねても、やっぱり子供なんだな。

映画だったら約4千円の出費だけど
このビンゴ大会は、出費ゼロのプラスお菓子セット。
この大きな違いは何だ?子供たちの喜びって
つくづく、お金じゃないんだなぁ。

「とにかく一緒に楽しんじゃえばいいのよ!」

と大きな子供はこれまた大きなおやつセットを片手に
喜んでる。

そういうものなのか?子供って。
そうやって父親は、いつか知らないうちに
取り残されてるんだろうな。

あーあ、まいったよなぁ・・・。



2006/01/04 0:03:12





2006/01/01(日) 映画欲求



 時々、映画欲求が止まらなくなることがある。
独身の頃は、レンタルビデオを週に最低5本は見ていた私だ。
今じゃ、子供たちがいたりして、なかなか見る時間が限られてくる。
戦争物やホラー物や、恋愛物にしてもベッドシーンがあったりすると
なかなか難しい。

気付けば映画を月に1本見れたらいいほう。

これまでずっと映画を撮りためているけど、いつ見れることやら・・・。
(現在私のDVDレコーダーに録画しているのは「遊星からの物体X」
「アメリ」の2本。 今度の休日に見るつもり。とても楽しみ。)

今、とても見たい映画。
それは「サウンド・オブ・ミュージック」
私の中でベスト10内に入る映画。
この映画を見ると決まって、とてもやさしい気持ちになる。
たとえどんなに嫌なことがあっても、すぐに心がしっとりとする。
この映画は恐らくきっと、魔法のような効果があるんだろう。

気付けば随分と見ていない。
あんなに好きなのにストーリーさえも、もう、うろ覚えになっている。
あぁ、まずい。乾いてきたこの心を、早くこれでなんとかしなきゃ。

今日はさすがにお客さんは少なく、久しぶりにみんながイラつくことなく
仕事をしている雰囲気を味わった。あぁ、いつも、こんなだったらいいのに。
いや、暇だからいいというのじゃなくて、みんながちょっと余裕のある
仕事の中で、笑顔がちょっとあふれるような職場の中で。
こういう雰囲気が一番大事。接客業はね。

いつも、人手が足りなくて時間に追われ、部下や上司に他人事のように言われ
ぴりぴり(またはカリカリ)し続け、挙句の果てにお客様に
「邪魔だどけ!」と言わんばかりの鬼の形相をして
荷物を運ぶパートさんや店員達を見ると、とても重たいため息が出る。

余裕がない。あぁ、ダメだ。
今年の私は「いい加減に」生きるんだった。
ならばこれが、まず第一歩だ。
まずはこの「ちょっと余裕」を私は作らなきゃ。


がんばれ、私。
がんばらないために。


2006/01/01 23:59:47





2006/01/01(日) 一生懸命をやめる



 あ、そうなのか。
新年なのか。

長いこと、店員をやってると
もう、そういう感覚がない。

でも、とりあえず

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さて、私の新年の抱負。


「一生懸命をやめてみる」


これに決めました。
一生懸命考えました。
いや、テキトーに考えました。

これからは、「いい加減」に生きてみようかと考えます。
投げやりじゃありません。適当にごまかすわけでもありません。
「いい加減」とは、熱すぎず、冷たすぎず、ほどよい暖かさを
持ち続けるという意味。実はこの「いい加減」とは
とてもいい言葉であり、とても難しい言葉なのです。

とにかく今年は実験的に、いい加減に生きてみます。
がんばりません。でも、怠けません。
私が私である限り、私が誰かの言葉で誰かに
決してならないならないように私は
この私で居続けます。

「一生懸命をやめてみる」

もしかしたら、すぐにでも
誰かに追い抜かれるかもしれない。
ひとり、社会から残されるかもしれない。

それでも一生懸命をやめてみる。
ずっと、一生懸命だったから、私はここらあたりで歩くんだ。
ゆっくりと雪のように、今まで見えなかった周りの景色に
いちいち驚いたりするんだ。

それはなんて素敵なことなんだろう。
私は私を生きてるだろうか?ほんとうに
私の望む結果としての私の中に
私はいるんだろうか?

知らないうちに、誰かの言葉に居ないだろうか?
誰かの心に居ないだろうか?


私は私を生きてゆく。
生きてゆくんだ!


2006/01/01 0:35:42





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