娘のまーちゃん(プライベートフォトへ) エッセイ つれづれノート
HOME 最新の日記 クレーム日誌 読者投稿 掲示板 読者の声 絵本 フォト
4月の日記とエッセイ

 2003/04/29(火) 哲学な日々。



 ゴールデンウイークだからというワケではないのだけれど
この頃、日記をちょっとお休みしたりしています。

そのかわり、この3年の間、ほとんど作りっぱなしの状態だった私のこの
数あるページを、見直しながらもあちこちと、手直しをしているところです。
スタイルシートを利用して、より見やすくを心がけていますが(難しいんだな、これが。)
もしも、表示がおかしくなってたり、見難くなっていたら、教えてくださるととても助かります。

・・・・・・・・・・・

今、私が読んでいるのは、池田晶子氏の「あたりまえなことばかり」という本。
いわゆるこれは哲学の本なのですが、私は彼女の何も恐れることのない
ストレートに表現している文章がとても好きで、彼女の本はもう5、6冊は読んでいる。

「なぜ、人は生きるのか?」と人は問う。

「それは生まれたから」・・・と彼女は言う。

べつに冗談で言ってるわけじゃない。
そこに行きつくまでの長い道のりを、人の真理を、比喩でたとえることもなく
言葉のもつ力のままに、わかりやすく教えてくれている。

人は生と死の問題を、どこか果てしなく遠い場所へと
そのまま置き去りにしてしまうけれど、平気で人が殺されて、見知らぬ誰かと
自殺してしまうような、こんな意味不明な時代だからこそ、その思考は重要になる。

今朝の新聞に、こんな哀しい記事がポツンと載ってた。
1才の子供が、踏み切り内に入ってしまい、それを37歳の母親が
助けようとして、ふたりとも特急列車にはねられてしまったとのことだ。

それは母親が子供を抱き上げた瞬間に、だったそうだ。

たぶん母親は、列車が目前に近づいていることは分かっていただろう。
自分の死よりも子供の生を、脳が判断するよりも早く
心はすでに走り出していたのかもしれない。

そう思うと、”生きる”とはなんだろう?と
心は途方もなく、奈落の底へと落ちてゆくようだ。


・・・・・・・・・・・・・・

他人の死を、私たちは何度か目にするけど、自分の死は
永久に見ることは出来ない。そんな死って、そもそも一体なんだろう?
生きるってどうして?なぜ人は存在するの?幸せって何?
こんなに苦しいのに、自分ってなぜここにいるの?
・・・そう、考え出したら切りがない。でも、今は大切なことだ。

哲学なんて難しい、と思われる方は、彼女の本を、ぜひ、おすすめしたい。
ちなみに池田氏は、小柳ルミ子さん似のきれいな人で、その辛口な文章との
ギャップがあまりにも大きすぎて、なんだか不思議な感覚が残る。
まるで、中学の頃の好きな先生に叱られてるようで、感謝しつつも驚いてしまう。

彼女に限らず、女性はどんどん強くなってゆくような気がする。
なのに今は男達だけが、愚かな過ちをくりかえしているような気がする。
ま、いつかしっぺ返しを受けることになるのだろうけど。


最近、私が見つけたとても素敵な言葉を
これを読んでくださっているみなさんに届けたいと思う。

これもまた、素敵な女性の素敵な言葉です。
単純な言葉だけれど、人生に壁を感じたときに
よく効くクスリ・・・いや、言葉です。



失敗したって、いいじゃない。

機械じゃないんだから。



フジ子 ヘミングウエイ




2003/04/30 0:08:56





 2003/04/27(日) あざやかな色彩たち。



 とてもいい天気でした。
ちょっとした用事があって、車で街中を走っていたら
小学校の校門あたりに、ツツジがたくさん咲いていました。

その美しさは見事なもので、その場所だけちょっとした南国のようで
まるで”ぼわっ”といくつもの陽だまりが、何かの偶然に出来たかのような
そんなあざやかな色彩が、太陽のようにとてもまぶしかった。

思いきりのいい咲きっぷりに、もう急ぎの用事なんかこの際忘れて
ずっとこのまま信号待ちをしていたい・・・
いつしかそんな気分になっている、自分がなんだか可笑しかった。

外を歩いている人達も、そのあざやかな色彩に
いつもよりゆっくり歩いているみたいだ。
小さな子供がお母さんの手を、ぎゅっとつないでいる。
子犬があくびをするような、のどかな小さな幸せが
この街にいくつもあふれていた。

同じように、私の中にあるいくつもの小さな悩み、大きな悩み。
この自然の美しさに比べたら、それさえちっぽけでつまらないものに
思えるから不思議だ。

人が花を美しく感じることに、なんの意味があるのか知らないけれど
より強力な武器を使って、戦争をなくそうと戦争をする愚かな人間に比べたら
花は語ることなく私達を、魔法のように癒してくれる。

ただ、存在することの大切さを、思いがけずに思い知る。



やがて、信号が青になる。

向こう側に広がる空のほうが
あざやかな青だった。



2003/04/28 1:15:09





 2003/04/23(水) 忘れた傘のように。



誰かが投げた言葉の意味のその深さに
私は何も答えを見つけられないでいる。

嫌われたかな、と不安になったが
見えない心は、何も私に語ろうとはしない。

今、はっきりしていることは

この気持が、駅で忘れたビニール傘のように
ただ、そこに残されている。誰に拾われることもなく・・・。

・・・・とココまで書いていて、一体何を書いてるんだろう?と
思わずぼんやりと考えてしまった。

心なんて、たぶんそんなあやふやなものだ。
自分が書いていることさえ、どこか確信が持てないでいる。

最近忙しいせいか、隙間の空いた時間の中で
ぼんやりと考え事をすることが多くなった。
まるで小さな気泡のように
気持が浮かんでははじけてるみたいだ。

もしかしたら、何も書けなくなってしまったのかもしれない。
もしかしたら、これはスランプなのかなぁ・・・なんて思ったりもして。
単なる私の気まぐれかもしれない。はっきりとはわからないけど。

書きたくないときは書かない。書きたいときにはとことん書く。
そんなふうに気楽に思えるような心に近づけない。
この日記のことだけでなく、いろんな気持の表現として。

あぁ、もっと楽しまなきゃと
心ではわかっているつもりなのに・・・

どうしちゃったんだろう?

この心は・・・。



2003/04/23 23:54:24





 2003/04/21(月) 追いかけるべきもの・・・。



 たけのこを友達から頂きました。(確か今が旬だよね。)
早速奥さんが、”やったね!調理しよう!すぐ食べよう!”と
はしゃぎながら言っていたけど、「料理できるの?」と私が聞くと
「疑問形で聞くとは失敬な!」と威勢良く言っていた。

でも、その右手に持った料理本はなんなのだ?

ま、それはともかく、おいしく頂きました。
ただ、昨日の残りのカレーがそのまま今日の晩ご飯になるという
わが家の暗黙のルールの中、その妙な組み合わせで
ちょっとワケわかんない味になりましたが・・・まぁ、いいや。


ここで、お知らせになりますが
今日も自己ベストエッセイを追加更新致しました。
(2002年4月〜6月までのクレーム日誌ダイジェスト版)

3年も日記を書いていると、その量は膨大なものになってしまった。
HP容量確保の為、月ごとに過去の日記から削除しているのだけど
なんとか残したい日記もあって、でも、なかなか時間もなくて・・・
果してこの過去の日記が読者にとって必要なのか?もわからない。
でも、やっぱり残したいとずっと思っていた。

この日記が私にとって人生の、唯一の小さな歴史になるのだと思う。
たとえ無駄なことだとしても、そういう思いが強くある。
私がこの世界に存在した証にはなるのだろうから・・・。

この日記のたな卸しが終わったら、新しい何かを、と考えているところです。
まだ、それがなんだかわからないし、あるいは何ら変わりもしないのかもしれない。
でも、自分を進化させなきゃという思いだけは、この心に抱いている。
どうなるかわからないけど、今は風に吹かれるままにいきたい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たとえ夜空に流れ星を見つけても
夢をかなえようと消えゆくまでに
3回願いを唱えることは、現実的には不可能に近い。
それでも、私は願い続ける自分でありたい。

それが愚かだと他人に言われても
星空を見上げ続けることにきっと、人生の意味がある。
夢は叶えるものではなく、ただ、追いかけるべきものだと・・・。



2003/04/22 0:34:12





 2003/04/22(火) 心の一番明るい場所



 今日一日、私はずっと、この欠けた心について考えていた。
それはかなりストレスの溜まるやっかいな作業のように思えた。
ある出来事が、あんな歪んだ心を生んで、そして一部をなくしてしまっていた。

でも不思議なことに、心に涙があふれるくらい思いつめてゆくうちに
心はどんどんと癒されてゆくのだった。とても信じられない現象だった。

ちょうどそれは、長距離マラソンで走っているランナーが
苦しみぬいたそのあとに、急に快楽を得るような、そんなイメージによく似ていた。
誰も信じられないくらいに、苦しんで悩みぬいて心の一番深い場所へと
いつしか辿り着いたとき、はじめて神は”やさしさ”というものを
人に与えてくれるものかもしれない。

この悩みが、私にそんな大切なことを教えてくれた。

心がまるで何かやわらかいものに包まれてゆくようだった。
いつのまにか、その人への憎しみも和らいでいた。
いつのまにか、その人と笑顔で話している自分にビックリした。
なんだ、簡単じゃないか、と調子に乗って思ったりもした。

そのとき、たぶん私の心は、憎しみの規準線から遠く離れ
形さえわからないような歪んだ心に、向って落ちているのだと思った。

危ない、危ない、憎しみのまま流されていたら
私はどうにかなってしまうところだった。

いつも私は心の中で、日の当たる坂道のてっぺんのような
そんな心のあるべき場所を、名もない花のように求めていたい。
どんな物事もそうであるように、坂道の上から走って降りて行くことは簡単だ。
簡単だけど、自分の意思もないままに下った先には必ず”憎しみ”がそこにある。


何かのドキュメンタリー番組だろうか?
日曜日の公園で、まるで明るい日向のように微笑んでいるご老人がいた。
過去に偉業を成し遂げた人だ。今は現場を去って、静かに時を過ごしていた。
そんな人を見ると私はふと、こう思う。

あぁ、この方は人生の坂道の頂上に辿り着いた人なんだなぁと。
だから、あんなにニコニコしているのだと思う。

そこは一体、どんな場所なんだろう。
私はその場所にあこがれてしまう。

でも、その場所に辿り着くまで、その老人にどんな試練があっただろう。
いっそのこと、登ることをあきらめたいと、どれほど思ったことだろう。
”死にたい”と思わずつぶやいた夜も、何度もあったのかもしれない。

でも、こうして長い季節をめぐり歳をとり
そのありふれた花を見て、日向でニコニコ笑っている。
そこに辿り着くまでのそのご老人の人生を私は知らないけれど
結果として、幸せな笑顔を浮かべている老人に私はあこがれる。

老人がくしゃみをして、思わず唾が飛んでしまう。
若いレポーターが笑いながらも、汚いものを見るように身を引いていた。
その大げさなリアクション。視聴率の為の笑いがそんなに欲しいのか。
老人は、申し訳なさそうに照れながら笑っていたけれど
私はちっとも汚いなんて思わない。

あの人はきっと、この人生の坂道の中で
心の一番明るい場所に辿り着き
そして、こうしてここで日向ぼっこをしているのだ。



2003/04/22 22:30:25





 2003/04/20(日) 日記のたな卸し・・・



 今まで、少しずつコツコツとやっていたのだけど
この度、やっと自己ベストエッセイを更新することができました。
(2001年の日記と2002年の1月〜3月までのダイジェスト版です。)

前回の更新から、なんと半年ぐらい経過してしまったような気がする。
われながらイヤになってしまう。

今回、あらためて(本当に久しぶりに)過去の日記を読み返してみたら
2年前と今とを比べて、日記の中身の違いに愕然としてしまった。
昔の日記は、ネガティブな中にも、ちゃんとしたポジティブなものを
持った文章を書いているのに、今じゃ、そのポジティブなものが
スッポリと抜け落ちてしまったような気がする。

どうしてだろう?
自分で言うのもおかしいのだけど、ちょっとショックだった。
2年といえば、少しは成長していてもよさそうなものなのに
逆に、自分の何かが退化してしまったような気がして
随分と反省させられてしまった。

昔の日記の中にいる私は”接客はこうでなくてはならない!”なんて
まるで若い新入社員みたいに、時々妙に力が入りすぎているけど
それが逆に、読者の勇気になったのかもしれない。

で、今の私はどうなんだ?って問い掛けてみる。
うーん、やっぱり後悔ばかりしている・・・まいった、まいった。

日記はビデオを見るように、昔の自分と巡り合せてくれる。
”うわぁ”とか”うおぉ”とか後悔することは多いけれど
それでも私の宝物だ。

大切なのは、なくしたことに気づくこと。
それを思えば、私のしたことは無駄じゃない。
気づけはそれを取り戻せるのだから。


日記が教えてくれるのは
まだまだ私には遠くて深い・・・。


人生は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのはばかばかしい。
重大に扱わなければ危険である。

芥川竜之介

自己ベストエッセイはこちらからどうぞ。


2003/04/20 22:44:34





 2003/04/17(木) 日記という不安なもの。



 今日は久しぶりに読者の声を更新致しました。
いつも笑顔がこぼれるような、そして、静かに心に語りかけてくるような・・・
そんなやさしいメールをありがとうございます。

私はいつも、返す言葉が見つからなくて、お返事もできずに申し訳ない気持で
いっぱいになりますが、それでもみなさん、素敵な方達ばかりで
私の抱えているどんな悩みも、一瞬にして吹っ飛んでしまいそうです。

私の場合、それほどたくさんのメールを頂いているわけでもなく
だからこそ、読者にしてみれば”たった1通のメール”と思われることも
私にしてみれば”かけがえのない1通”になっています。

本当に感謝の気持が尽きません。

自分の文章を、世界の窓とも言えるネット上に公開するのは
正直言って、いつも少なからず不安がつきまとってしまいます。

昨日書いた日記は、あの表現でよかったのだろうか?
あの文章は、誰かを不快にさせていないだろうか?
あの言葉は、やはりどこか間違っていないだろうか?
・・・仕事をしながら、時々ですが、そんなふうに思うこともあります。
何か間違いに気づいた時は、今すぐ帰って、削除したくなる時さえあります。

それでも、今日も日記を書こう!という気にさせるのは
たった1通のメールの力なのです。

最近、”メインである接客エピソードのクレーム日記が少ないよ!”というメールを
頂くこともあるのですが、どうしても、書きたい時と書きたくない時とがあります。
これはただ単に、私のわがままでしかないのですが、最近、ちょっと日記に書けないような
いろんなことがあって、精神的に少し不安定なのかもしれません。

いつかこのことを書く日が来るかもしれませんが、やはり、私は私でしかない。
私の言葉で、偽ることなく、心のままに私を書いて行きたいと思う。


こんな私ですが、心から感謝の言葉として・・・。


読者の声はこちらから。



2003/04/18 0:54:53





 2003/04/16(水) せつないね・・・。



 今、私が読んでいる本は、江國香織氏の
「いつか記憶からこぼれおちるとしても」。

まるで初恋をした頃の、少女の日記を読んでるみたいだ。
彼女の心の中にはきっと、思春期の頃の彼女がいて
さっきまではしゃいでいたかと思うと、急に背を向け
ひとりでずっと泣いているような・・・そんな”せつない”イメージがある。

”せつない”という言葉の響きが、なぜか私はたまらなく好きだ。
言葉としての”せつない”は、よく文章の中で見かけるけど
声に出される”せつない”は、美しい希少価値がある。

それは”せつない”と言う言葉そのものが
誰かに向けた言葉でなくて、唯一自分の心の中に
捜し求める言葉だからだろう・・・そう、私は思う。

その言葉に、私は思い出していた。
誰かに言われた”せつない”というあの時の声を・・・

あぁ、確かあれはもう10年くらい前のこと
社員旅行に行ったとき、どこか灯台のような高い場所に
数人のグループで登った時のことだ。
目の前には、波の音を響かせながら海がどこまでも広がっていて
季節は秋の終わり頃だったような気がする。

そこはとても狭い場所だった。風が強くとても冷たかった。
仲間のうちで、たまたま私は偶然にも、あまり喋ったことのないような
同じ社員である若い女性と、隣り合わせになっていた。

パセリのようなみずみずしさ・・・そんな表現が、とてもよく似合う彼女だった。
きれいな長い髪をしていた。彼女に彼がいることを私はなんとなく知っていたし
誰にでも明るい彼女だったから、ちょっとした仕事上の会話や挨拶くらいは
互いにする程度の私達だった。でも、その状況に、私はとてもあせっていた。

理由はわからないのだが、彼女の寂しげな横顔が私を途方に暮れさせた。
いつもの彼女と何かが違っていた。何か言葉が必要だと思った。
今ここで何か喋らないといけないような・・・そんな感覚が私を苦しめた。

私は自分であきれるほど口下手なほうだ。
彼女はそんな私をよそに、風に踊る髪を右手で押さえ
遠くを静かに見つめるばかりだった。

・・・「風が冷たいね」

やっと言えた私の言葉は
情けなくも、実にありきたりなものだった。

そんな私に、彼女はじっと海を見つめ
小さくもこう、つぶやいたのだ。

「せつないね」と・・・

まるでそれは、さっき目覚めたばかりのような
そんなかすれた声だった。

その意味が、今も私にはわからない。
ただ、その場面が、私の心に強く焼き付いてしまっていた。

今思えば、それが私に言った言葉なのかさえも、どこか自信が持てない。
時として女性の言葉には、そんな魔法めいたものがある。
間違ってもそこに、特別な感情があったわけでもない。

ただ、唯一の手がかりとしては
彼女の視線の向こうには、名も知らない白い鳥が
寒そうに震え、片足で立っていた・・・ただ、それだけ。


私の中の”せつない”は
今もあの時のイメージのままだ。



2003/04/17 0:34:12





 2003/04/13(日) 底知れぬ不安と苛立ち・・・。



 申し訳ないが、今日の私は怒っている。
腹ただしくて、どうにも気分が収まらないので
読者のみなさんには申し訳ないのだけど、誰もいない山のてっぺんで
「ガオー!」と雄叫びをあげるような気持ちで、これを一気に書かせていただく。

それは、今日の午前中のことだった。
「いらっしゃいませー」と私が元気よく挨拶しながら
売場を歩いていたら、それはいきなり起こった。

突然に目の前を歩いていた12才くらいの男の子が
猛スピードで私の横を通りすぎていったのだ。

なっ、なんなんだ?わけがわからない。
しかも、走っているわけでもなさそうだ。
まるでローラースケートのようにスイスイと滑っている。
どこをどうみても普通のスニーカーにしか見えない。

その得体の知れないものに、思わず私の思考が止まった。
でも、そんな場合じゃなかった。
暴走する少年に、幼い女の子がよけようとして、危うく転びそうになったのだ。

「ちょっとぼく!売場を走っちゃダメよ!」

パートさんが慌てて注意してくれた。
あぁ、助かった。それにしても、もっと許せないのは親が知らん顔してるということだ。
自分の子供が走る凶器になっていると言うのに、何を考えているのだまったく!

「あれは今流行りのローラースニーカーね」

プンプンと怒っている私に、パートさんがなだめるように教えてくれた。
ローラースニーカー?そんなものがあるのか?
私にとって、それははじめて聞く名前だった。

「簡単に言えば、スニーカーにローラーが付いているの。
まぁ、そのまま言葉通りなんだけどね」

とても気になった私は、家に帰ってからネットで調べてみた。
どうやらこう言うものらしい。
今年の2月から、すでにこう言うものがあったとは・・・まったく知らなかった。
これが流行し始めているらしい。

それにしても、この商品はいかがなものかと私は疑問に思う。
スニーカーの作りに何も問題はないのだろうか?

だいたい、靴がいきなりローラースケートになるのはかなり危険だ。
特に店内のような限られた公共の場所においては、その危険度はレッドゾーンに達する。
小学高学年と言えば、走りたがり、何かとスピードを好むものだ。
いくら注意書きで”人ごみの中では使用しない”などと書いてあったとしても
それはただ書いているだけで、実際にはなんの意味も持たない。
もっと皮肉に言ってしまえば、それは逃げの口述にしか聞こえない。

構造から作り直す必要はないのだろうか?
見かけがちゃんとローラースケートのようなものであったならそれなりに
身構えることが出来るものだが、あれはどうみてもスニーカーだ。
突然にスピードを上げて走り出したら、逃げるタイミングもないだろう。
お年寄りなんかはビックリして、どうにかなってしまうんじゃないか?と
そんなことまで心配になる。

確かに普段はスニーカー、時にはローラースケートになる構造は
画期的なアイデアだし、友達にも自慢が出来てカッコイイ。
使いようによっては、とても便利な乗り物にもなるだろう。

でも、使ってる本人はヘルメットをしてるわけじゃない。
転倒すれば、大怪我も十分に考えられる。
これをカジュアルみたいに、使うわけにはいかないはずだ。

せめて見かけがローラー付きとわかるようにならないものか?
それに年齢制限も必要なのではないのだろうか?
大袈裟かもしれないが、私はそう心配する。
親も買い与える場合は、その必要性を十分に考えるべきだ。

・・・とはいえ、私はまだこの商品の、すべてわかっているわけではない。
もしかしたら、ピント外れな事を言っているのかもしれないし
作ったメーカーを非難しているように聞こえるかもしれない。
ローラースニーカー愛好者にとっては、不快感も抱くことだろう。

ただ、この手の気軽にスピードの出せる商品は
ブームになっては、その危険性が指摘され、いくつも消えていったような気がするが
どんなものか・・・(確か1、2年くらい前にも、折りたたみ式の小さな乗り物が流行ったような・・・。)

他人に迷惑をかけない。
便利なものは、それが大前提なはずなのに、それが守られることはあまりない。
今のケイタイの使い方を見れば、疑う人はいないだろう。

大切なのは、他人と言う存在を、自分のことのように感じること。
そして、それを大人が、子供達に教えてあげること・・・。
一番の問題は、私も含め、私達大人が、それをちゃんとしてあげていないことだ。

マナーは他人を思う気持ちから生まれるもの。

生きているのは、自分ひとりじゃないってこと
教える大人がもっと、自覚しないといけないのだけど
商業主義の名のもとで、私達は何を作り上げ、マーケティングし、商売し
利益を求め、そして最後に、何を子供達に教えているのだろう。

底知れぬ不安と苛立ちが、そんな場所にあるのだとしたら
私達大人は、誰に何を学べばいいのか?

すでに遅いと十分承知でも・・・。



2003/04/14 1:40:16





 2003/04/11(金) サクラ舞う空へ〜3年前の4月の日記〜



 外はよく晴れています。
サクラがそろそろ舞いはじめたようです。

さっき、近くの公園で息子と遊びました。
(だだをこねるので。)
近くに子供が少ないせいか、だれも遊んでいません。
この公園には、ブランコと滑り台があるだけです。
うちの子供はよくここで遊びます。

私は、1冊本を用意しました。
息子は勝手に、お気に入りの滑り台で遊んでいます。

私はベンチにねっころがって、本を読んでいました。
青空を見ていたら、なんだかどこまでも吸い込まれそうな・・・
そんな気持になります。

高いところで、点にしか見えない鳥が優雅に飛んでいます。
風に吹かれているのか、羽を伸ばしたままでゆれています。

さぞ、気持ちのいいものでしょう。
鳥自身は、何を思っているのか知るすべはありませんが
私も鳥のように風にまかせて、空を飛んでみたいなぁと憧れます。

まわりはとても静かです。
私達二人だけ、世界に取り残されたような気持ちになります。
息子がいない?と一瞬心配に思ったら、三輪車で遊んでいます。
私がもしも3才になれたら、もっと楽しく遊んであげられるのにね。


でもね、お父さんはいつも君のそばにいるよ。
君は一人じゃないからね。

君の笑顔のために生きてるってこと
大きな声でいつだって言える。


さあ、君のその魔法で
あの空を一緒に飛んでゆこうか・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、3年前の4月の日記。
今でも大きな声で言える。 よしよし。



2003/04/11 23:16:07





 2003/04/10(木) 私の小さな天使。



 突然ですが、ビッグニュースがあります!
娘のまーちゃん(小学4年生)が、なんとクラスの学級委員長になってしまった!

しかも、自ら立候補して、その他にも3人の立候補があって
それで多数決になって、そして、まーちゃんがダントツ1位になったのだ!
(あぁ、スミマセン!私はりっぱな親ばかです。)

なんてことだろう。自分に自信がなくて、いつまでも小さなことを
うじうじ気にしてしまうあのまーちゃんが・・・(あぁ、私と同じか)

実は、そのまーちゃんの悪い性格を象徴するような出来事が
最近までずっと続いていたことがあった。

それはいつも学校に行く前に、玄関から”忘れ物ないよね・・・”と自信なく親に聞くのだ。
それはもう、しつこいくらいに何度も何度も聞いてくる。
自分のことなのに、毎日、同じ事を言って気にするものだから、
うちの奥さんも少々イラついてしまい「さっき何度も自分で確認してたでしょ?
まだ、気になるの?」とヒステリックに聞く始末だった。

これはたぶん、私のネガティブなこの性格が、大きく影響しているのだと思う。
うちの奥さんとしては、”どうしてまーちゃんは、いつまでも自信が持てないんだろう・・・”と
真剣に悩んでいて、”ねぇ、どうしたらいいと思う?”と私に相談することもあった。

なんだかその責任が、すべて私にあるような気がして
”心配ないよ”なんて無責任な言葉は、私からは言えなかった。

切ない思いが蜂みたいに
”チクリ”とこの胸を刺していた。
思えば奥さんもきっと、同じ気持だったのだろう。

それで悩みに悩んだ奥さんは、結局、特別なことは何もしなかった。
ただ、また”忘れ物ないよね”と同じことを聞かれても”どうして?”と
疑問形で聞くのではなくて”大丈夫よ”と素直に肯定してあげることだった。

今思えば、それで十分だったのだと思う。

まーちゃんはきっと、見えない不安に
どうしていいのかわからなかったのだ。
心の不安は、見えない領域が多すぎて、たとえ親でも
不透明でわからないもの。

何が悪いでもなく、そんな時は、不安な気持を抱きしめるように
”大丈夫よ”と言ってあげること。親が出来ることはそれだけでも
それは親しか出来ないことなのだ。

いつしか、私達でさえ気づかないほどに、まーちゃんはもう
あの極度な心配性はなくなっていた。
この春から、弟のぶーちゃんが同じ小学校の、1年生になってからというもの
急におねえちゃんらしくなったまーちゃん。

今じゃ弟の準備をしてあげながら、”ぶーちゃん、忘れ物ないよねっ!”なんて
かつて自分に言ってたことを、弟に言っている。

そんなまーちゃんを、奥さんがククッと小さく笑っている。
朝のそんなにぎやかな風景が、私たち夫婦を幸せにしてくれている。


さっき、まーちゃんが寝る前に、私はこう尋ねてみた。

「ねぇ、まーちゃん。
どうして自分から学級委員長を立候補しようと思ったの?」
すると、まーちゃんはちょっと照れながらもこう言った。

「うーん、なんか自分でも出来るかなぁ・・・
なんて気がしたの」


まーちゃんの、不安だらけの小さな心に
きっと羽根が生えてきて、今は大空を飛んでいるんだね。

がんばったね。
私の小さな天使・・・。



2003/04/10 23:23:32





 2003/04/04(金) 花束とうれしそうな横顔



 さっき、奥さんとふたり、ぼんやりテレビを見ていたら
「世界にひとつだけの花」の歌が流れて、奥さんが私に尋ねてきた。

「ねぇ、この歌の中の”花を選んでる人”って、どんな人だと思う?」

「はぁ?なんのこと?」

「ほら、”困ったように笑いながら、ずっと迷っている人がいる”って歌うじゃない。
私ね、きっと、30代の男性で、スーツでびしっと決めてて、ちょっと緊張してるんだけど
それでもうれしくて、これからプロポーズする為の花束を選んでると思うの。
ねぇ、どう?こんなの素敵でしょ。あなたはどう思う?」

「そうだなぁ・・・僕だったら、こう思うな。
きっと50代後半の男性で、会社ではリストラの対象になりかけてて
日頃、窓際からちょっと人生なんかをぼんやりと考えている」

「なにそれ、ぎゃははー!」と奥さんが笑い出す。

『いや、ちょっと待って、この話にはまだ続きがあるんだ。
実はその男性には今、悩みがあって、27になる娘が今度
彼氏を家に連れて来るって言うんで、それで猛反対をして
(・・・彼が茶髪というのが気に入らない・・・)それで娘とケンカしてしまって・・・
妻からは”もう年頃なんだから覚悟したら?”なんて言われてるけど
家じゃ結構、頑固親父で通っているんで、なかなか素直に言い出せないでいる。

そんなことを考えながらの、ある日の夕暮れの仕事帰り。
ふと、花屋のきれいな色とりどりの花が目につく。
娘に似たかわいい店員さんが「いらっしゃいませ、いかがですか?」と声をかけられてしまう。
男性は思わず顔が赤くなって、照れ隠しに笑顔をこぼしながらも
「いや、あのう・・・見ているだけですから」と小さく答える。
そして”あぁ、そう言えば、うちの玄関の花が枯れかけていたなぁ”とぼんやり考える。

「贈り物ですかぁ?」と、娘が見せないようなかわいい笑顔で店員さんが聞いてくる。
「いや、娘にちょっと・・・」とつい、いい加減に答えてしまう。
「だったらこちらなんかいかがですか・・・」とその店員さんの優しいそのまなざしに”はっ”とする。
・・・確か娘も昔、こんな素敵な笑顔を、私に見せてくれてたんだよなぁ・・・と。

いつからだろうか?
仕事ばかりの毎日に、こんなにも心が遠くはなれてしまったのは・・・。


・・・・。

やがて男性が”ただいま・・・”と我が家へと辿り着く。
玄関で、色とりどりの花束を抱えた父を見て、娘がビックリしてこう聞くんだ。
「どうしたのよ、父さん、その花束?もらったの?
それにしても、こんなにもたくさん抱えちゃって・・・あきれたぁ!
そんな格好をしてまで持って帰ってきたの?あーあ、いい年してみっともない!」

そして、その50代後半の男性は、ちょっと機嫌悪そうでいて
ちょっと照れながらもこう答えるんだ。

「何言ってるのだお前は!ものごとは第一印象というものが大事なんだ。
えぇと・・・ゴホン!そ、そのう・・つまりだな・・・お前の彼氏が我が家にやって来た時に
玄関の花が枯れていたらみっともないだろ!」

そう言いながら男性は、娘の目を見ないままに
でも、あの頃の優しい目をした父がいる。

娘は驚きのあまり、ちょっと言葉をなくしながらも
思わず男性を抱きしめながら、涙声でこうつぶやくんだ。

「・・・お父さん・・ありがとう・・・」って。


ま、そんな感じかな・・・』

と思いつくままに私が言ったら
「ブラボー!」と奥さんがパチパチと拍手してくれた。
(でも、同時にお腹を抱えて笑っていたのが、とても気になるところだけど・・・まぁいいか。)

結構まじめに即興で作ったんだけどなぁ。
でも、ちょっといいでしょ。こういうの。

みなさんは、どんな人が花を選んでいると思いますか?

困ったように笑いながら、ずっと迷ってる人がいる。
頑張って咲いた花はどれもきれいだから仕方ないね。
やっと店から出てきた。
その人が抱えていた色とりどりの花束とうれしそうな横顔

名前も知らなかったけれど、あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で、咲いてた花のように・・・


〜「世界にひとつだけの花」より〜

PS この土日は、花見に行かれる人が多いのでしょうね。
私の街にも桜がめいっぱいに咲いています。
春だよね。うれしい春が来たんだよね。
残念ながら心から喜べないような世界だけど、でも、うれしい時はうれしい!でなきゃ。
それから始まる大切な何かって、確かにあるんだと思う。

それが何かは、桜の花を見ながらぼんやりと・・・ね!


2003/04/04 23:50:00





 2003/04/01(火) 困った彼女の悪い癖。



 今朝起きると、台所の机の上に、100円玉3枚が
ビニールテープでくっ付けられていた。

なんだろう?と不思議に思った。
どう考えてもわけがわからない。

「これ、なんの意味があるの?」
台所で朝食の準備をしていた奥さんに、私は尋ねた。

「あぁ、その300円ね。今度、幼稚園のY先生が辞められるんで
それで、みんなで何か贈り物をしようってことになって
300円づつ出し合うことにしたの」

「理由はわかるけど、どうしてテーブルに100円玉をビニールテープで
貼る必要があるわけ?」

「ほら、私って忘れやすいでしょう。だから忘れないようにする為よっ!」
それがさも当たり前のごとく、私に明るく答えている。

・・・あぁ、そうだったのだ。
うちの奥さんは、とにかく物忘れがひどいと言うか、注意散漫と言うか
ちょっと天然ボケも入ってしまってるんだった。

先日も確か、テーブルの上に「銀行・郵便」って書いた紙が貼ってあったし
「1時20分 ごぼう トイレットペパー」という意味不明なものもあったけど
ま、それはいいとして、とにかくよく物事を忘れる。

冷蔵庫に、マグネットでくっつくホワイトボードがあって
それに買う食品なんかを気付いたら書いているようだけど
いざ、買物に行く時になって、わざわざそれをメモ用紙に書き写して(要領も悪い)
「よし、これで完璧ね」と言って出掛けるが、そのメモ用紙を忘れてるんだから
救いようがない。

ま、それくらいなら、まだかわいいものだ。
たまに生活に支障が出てくるようなこともある。

いつだったか「今晩はカレーだからねっ!」と明るく私を見送ってくれたのだけど
いざ仕事から帰ってくると、平気で塩サバが食卓に並んでいたりする。

もう慣れてしまっているので、今更私は驚かないし、その理由を聞いたりしない。
たぶん買物に行って、塩サバが特売セールで安くなっていて
すっかりカレーが心から、どっかに行ってしまったのだろう。
その時の、特売に喜んでいる奥さんの顔が見えるかのようだ。

いや、まだこれくらいはかわいいものだ。
こんなことも、そういえばあった。

「今日は焼肉だからねっ!」と奥さんはご機嫌に料理を作ってくれるのだけど
いざ、焼肉を食卓に並べてから、「しまったー!焼肉のたれ、買うの忘れたぁー」なのだ。
塩コショウで食べる焼肉のなんと切ないことか・・・。
(我が家ではカレーの時も、私の好きな福神漬けがないことが多い。)

あと、奥さんは人や物の名前もよく忘れる。
先日もテレビを見ていて、ふいに奥さんが私に尋ねてきた。

「そう言えば、ディカプリオが出ていたあの船の映画のタイトルってなんだっけ?」
私も、一瞬思い出せなかったけど、すぐにタイトルが思い出せた。

「あぁ、思い出した!すっきりしたぁー!」と言って、私はわざと答えを言わない。
「わぁーひとりだけずるい!教えて教えてよー!」と本当にたまらない感じで言ってくる。
よしよし、私としては非常にいじめがいがある。

教えてやるもんか。と思わずにんまりしている。

「じゃ、ヒント出して!」と言うので、しぶしぶヒントを出す。
「最初に魚の名前がある」とか「パニックに似ている」とか
最後のヒントの「タからはじまる」で「あぁ、タイタニック!」とやっと答えを見つける。
ほとんど小学生レベルの遊びだけど、これがなかなか面白い。

私が唯一、奥さんをいじめられる時なのだ。

奥さんは、”トムクルーズ”という俳優の名前が、なぜか思い出せないらしい。
トムクルーズに関しては、テレビで彼の映像が出るたびに奥さんによく尋ねられる。
(信じられないことに、そのたびに忘れているのだ。)

そして、私はまた素直に教えはしない。
彼女はまた「ずるいー!」とひとり叫ぶ。
あの楽しさだけは、堪えられない。もう、病みつきなのだ。

・・・さて、彼女のことを書いたら、キリがないほど我が家には伝説があるのだけど
最後にもうひとつだけ、最近あったこんなことを書いて終わりとしよう。

ある日のこと、奥さんが
「このカメラ、現像に出すからフイルム出して!」と私に言った。
「どこをみても、ふたがないのよね」とも言っていた。

見ると、それはどこをどう見ても、使い捨てカメラだった。

奥さんは使い捨てカメラは、そのまま現像に出すことを知らなかったようだ。
「だって私、めったにこんなカメラ使わないし、あぁ、これってもしかして恥ずかしい?」
と私に聞くので「うん」と答えると「あぁ、絶対に誰にも言わないでねっ!」と
顔を真っ赤にして言っていた。

仕方ないので、このことは誰にも言っていない。
というか、話せないよね、こんな恥ずかしいこと。
(でも、ネットに書いちゃったけど。)


それでは、彼女の話題の
次回更新がないことを願って・・・。



2003/04/01 23:52:51



ご意見・ご感想は、お気軽にお客様ご意見箱(掲示板)へどうぞ。
または下のメールに書いていただけるとうれしいです。更新の励みになります。
お名前 

メールアドレス

メッセージをどうぞ



お返事が遅れています。ごめんなさい。・・・いつもメールは楽しく読ませてもらっています。
*お願い。メールの内容を”読者の声”のページ等で紹介させていただく場合がございます。
掲載不可をご希望の方は、その旨を書いていただくとありがたく思います。ご了承下さいませ。

Copyright (C) 2000-2003 EACH TIME All Rights Reserved