まーちゃん(プライベートフォトへ) お客様クレーム日誌
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4・5月の日記とエッセイ

私の日記が本になりました。(2004年1月21日発売 大和書房)
「それでもお客様は神様ですか?」詳しくはこちらから。

ご訪問者の方々へ。
*現在、職種が変わったため、03年10月より過去の日記が、電器売場店員時代のクレーム日記になります。


2004/05/31(月) ひとり遊び(音のない記憶)



 仕事が終わって、トボトボと歩く。
駅のホームでぼんやりとする。結構待ち時間があることに気づく。
昔はちょっとした時間つぶしには、薄い文庫本を1冊用意して
何気なく立ち読みしていたけれど、この頃は、それさえも疲れるような感じがして
ただ、ぼんやりと、駅の雑踏を眺めていることが多くなった。

頭が何かを考えたくない。
仕事でずうっと考えていたものだから、せめてこんな時くらい
ひと休みしたいのだと思う。
でも、頭は、常に何かを考えてしまうもので
油断するとつい、明日の仕事の事なんかを考えている。

”あぁ、ダメだ、ダメだ、もう、考えるな!勘弁してくれ!”と
私は何度も頭を抱えてしまうことになる。

それこそ本当にダメだ。

そんなことがあってか、最近では、そんな余計なことを考えなくて
済むように、いつしかこんな”遊び”するようになっていた。

名付けて「自己年代別想い出ゲーム」。

これはたった今、自分でその名前をつけた。
そのへんは結構いい加減なものだけど、まぁ、名前があったほうがわかりやすいだろう。
これは簡単に言えば、とても単純な”ひとり遊び”だ。

やり方としては、まずそのひとり遊びの条件として、
”今は何も余計なことは考えたくない、今を隔離したい”、という悲痛な思いが必要となる。
また、ひとりで立っていても、誰にも不審に思われない環境と(または自分ひとりの部屋でも構わない)
また、適当な待ち時間(あるいはひとりきりの時間)があるということも必要になってくる。

それらの環境が、整っているのなら、少し、深呼吸をする。

”よし、はじめてみよう!”と少しだけ、心構える。
まず、ぼんやりとした頭のままで、自分の心の中にある検索エンジンを起動させる。
イメージとしては、Yahoo!でも、Googleでも、好きなトップ画面でいい。
(ちなみに私は、シンプルなGoogleがしっくりくる。)

そして、適当な年代を頭の中で入力してみる。(そうだな・・・例えば”17才頃”とか。)
頭の中で検索ボタンを押す。すると、いくつかの記憶が頭のあちこちに思い浮んでくる。
どれもぼんやりとしているのだけれど、とりあえず、頭の右端にある綿菓子のような
記憶の固まりを選択してみる。

すると、自分の高校時代のある風景や、友達の笑顔や何気ない授業風景が
頭の中に、広がってくる。まるで起きていながら新しいタイプの夢を見ているような気分だ。
・・・と、まぁ、そういったような感じでこの「自己年代別想い出」ゲームは
自らの頭の中で思い出し、懐かしみながらも進んでゆく。

最近私は、このひとり遊びのゲームの中で、とても面白い発見をしたのだった。
それは、記憶が古くなればなるほど、どんどん映像ばかりが残り
その音が消えてなくなってきているという事実だった。

しかも、その記憶に残っている映像は、たとえば、自分の誕生日とか
文化祭の一番想い出深いシーンとか、そういうものなら納得が行くけど
どれもそうじゃなく、記憶の中に残っているものは
何気ない生活の中の、どうでもいいようなシーンばかりなのだ。

そして、どれも音がない。
実に不思議な現象。

しかし、その音がなくなっている代わりにというか、そのとき自分が想った
”心の声”というものが、その記憶に根付いているのだった。

例えば、先ほどの私の”17歳頃”の記憶としては、なぜか”とてもきれいな午後の青空”というものがある。
それは、中間テストの期間中で、何日目かのテストが終わり、明日も現国か何かの
テストがあって、学校から自転車で午後の1時過ぎに帰って行く途中のシーンだ。

そのとき、空はとても晴れていて、なぜかとても美しく見えたのだった。
まわりがキラキラ輝いている。自分のそのときの気持としては
明日の苦手なテストと、これからそれを勉強しなきゃならないこととで
最悪なものだったのだけど、そんな気持ちを吹き飛ばすくらい
・・・いつもと変わらない午後だったはずなのに・・・それは
きれいな額に飾られたような、とてもきれいな青空の午後だった。

不思議にその記憶には、音というものがない。
そのとき、誰か友達と一緒に帰ったはずなのに
何か言葉を交わしたはずなのに、友達の言葉は何も残っていない。
きれいな映像と自分の心の声だけが、ただ、鮮明に残っているだけなのだ。

”なんてきれいなんだろう・・・このままずっと自転車でこいでいたいなぁ”
なんのことはない。心の声といっても、たった、それだけのことだ。
でも、20年以上たった今でも、17才頃でヒットするのは、
その何気ない無音の記憶なのだからとても不思議。

思うに人の記憶というものは、音はそのデータが膨大すぎるのか、
先に消えてしまうものかもしれない。そして、あまりにも思い出深いシーンも
逆にそれもデータがあまりにも複雑すぎて、音の次に次第に薄れて行くものかもしれない。
(だから、そういうシーンは、記憶の一場面しか思い浮ばないのか。)

そういった中、心が何気なく気に留めたもの・・・誰かのささいな行動とか、美しい風景とか
そういうものが、一番、記憶として残りやすいものかもしれない。

もちろん、これは私ひとりの個人的なデータだから
すべての人が、そうだと限らないし、もしくは、私だけの
特異体質的なものかもしれない。

でも、私のこの一人遊びの中での、”音のない記憶”というものは
なぜか、とても新鮮で心地よい。たまに思いがけないような発見もある。
例えば、小学校の時、学校の校舎裏に、ひとりで秘密のカプセルを埋めたシーンとか、
教室の隅に、飼育器の中に何か鳥の卵があって、結局いつまでも生まれてこなくて
ずっと卵をながめていたシーンとか・・・。

すっかり記憶から抜け落ちていたはずのものが、心がどんどん透き通ってゆくと
するすると坂をすべりおちるように、私の心へと戻ってくる。

これほど楽しくも、有意義な”ひとり遊び”はないだろう。

やがて、音のないその記憶は、電車の到着を知らせる音で
幕切れとなるわけだけど、心は水ですくったように
いつしかとてもすがすがしい気持ちになる。

それらはすべて、私の人生の中で、特別なものではないにしても、
”あ”っとちょっと心に留まったものを寄集めした小さな宝石のようなもの。
いつまでも衰えないその輝きは、すばらしいものには変わりない。


私の中のあの”きれいな青空”は、今でも私の心の中で、思い起こすことが出来る。
たぶん、私がどんどん歳をとって、いろんな記憶の音がなくなって
そして、いろんな風景さえも薄れていっても、あの時の”美しい青空”だけは
まだ、私の中で広がっているのだと信じている。

もしも、私が最後のときに
あの青空さえ残っていたなら、うわごとのように
”あぁ、きれいだ・・・”と言うかもしれない。

それが私の最後の言葉だったら、いいなぁって密かに思う。
(家族に、愛人か何かを疑われたら困っちゃうけど。)


・・・なんて想像しながらも、
明日も私はこの”ひとり遊び”を
楽しみに電車を待っているのだ。



2004/05/31 22:34:45





2004/05/30(日) 夢と中途半端な人生



 とても久しぶりに夢を見た。願望のような淡い夢だ。
私はどこかの店にいて、また、電器売場の店員になれるようになって
とても戸惑っている私がいた。

「どうしてまた、私はココに・・・
今更、また、電器売場の店員としてやってゆけるのだろうか・・・」

私はとても不安に思っていた。
無理もない。電器売場を離れて、すでに、半年以上が過ぎている。
あれからどんな新製品が出て、どんな新しい機能がついて・・・
そんなことが、私にはもう、まるでわからない。もう、今の私の接客知識では
まったく通用しないものだし、何も役にも立たないのだろうと、
私はそんなふうにひとり、夢の中で途方に暮れていた。
もしかしたら少し、泣いていたかもしれない。

その夢から覚めたあと、外はいつもと変わらぬ朝で
子供たちは早くから、ヒーロー番組のテレビを見ていて
”あぁ、いつもの日曜日なのだ”とすぐにそう気づいた時、
もう、あの頃へと戻ることのない現実の世界に、何かホッとした気分と同時に、
今まで生きてきた人生の、中途半端などうしようもなさに
やり切れないような想いだけが、ただ、私の中で込み上げていた。

そうだ・・・いつも、そうなのだ。
私はずっと、中途半端に生きてきた。

少し前までは、遠い過去のことなのに、中途退学をした大学の教室に
そして、下宿先に、また、戻っている夢をよく見ていた。
また、ココで生活をするのかと、私は不思議に思っていた。
そのときも、夢の中のものだから、理由も何もわからずに
ただ、戻ってきたという感覚だけが、私を随分と悩ませていた。
また、やってゆけるのだろうか?また、あんなふうに傷つくのだろうか?と
底知れぬ闇を見つめるように、ただ、不安で恐ろしかった。

今度はその仕事バージョンになろうとは・・・。

大学を卒業しなかった私のこの心の奥底には
卒業しなかったという重罪が、たぶん、重くのしかかっている。
どうしようもないことと、知っていても、この心だけは許さないようだ。

後悔はしていないはずなのに、自分ではどうにもならない想い。
まるで、好きな人がいる人を、好きになってしまったような・・・
そんな幸せと不幸のあいだを、不安定に揺れ動いている。

はじめのうちは人生は、ただの一本の道だった。
その道を転ばないように、ただ、まっすぐ歩いて行けばよかった。
でも、こうして歩いて行くうちに、それが途中で途切れていたり
どこかでふたつに分かれていたり、または大きな山がそびえていたり
そして、急な崖にどこにも進めなくなっていたりして・・・

道は次第に、どんどん複雑になってゆく。
そうしたとき、自分の心がどっちかを選択するようになって
そして、いつしか知らないうちに、あの時はやっぱり違っていたと、
どこかで後悔するようになって・・・自分では気づかないうちに
心はそんなふうに随分と、疲れているのかもしれない。

夢はたぶん、そんな心の選択肢を
・・・正しかったのか?間違いだったのか?・・・という疑問を
夢という唯一の個人的な場所で、もう1度見つめなおしているのかもしれない。
もし、そうなのだとしたら、二度と不安に思う必要はないのだろう。

今度また、同じ夢を見たならば
私は素直に命ずるままに、電器売場の店員でいよう。
今度また、あの頃のままの、大学生に戻ったのならば
私は素直に大学生活を、最初から何度もやり直していよう。

そうして心がその想いを、ひとつひとつ納得できたとき
私はたぶん、ひとつの山を(または大きな崖を)
歩き終えることが出来るのだろう。

そうしたとき、心は抱えた大きな荷物を
ようやくその場所に降ろすことが出来る。

その荷物はもう、この背中には必要ない。

そのものたちは、魂が故郷へと帰ってゆくように
その本来のあるべき場所へと、やがて消えてなくなるのだ。


いつしかまた、次の道を、私はゆっくりと歩き出すのだろう。
身軽になった心と体で、その先にあるいろんな荷物をまた

この背中に抱えながらも・・・。



2004/05/30 20:50:22





2004/05/29(土) 私達は要らない。



 売上が悪いのは、本当に悪いことだし
どうにかしなければと思う。

でも、うちのエライさんは、いつもいつもミーティングで
言うことは決まっている。

「お前達はぜんぜん、仕事をしていない」
「仕事を放棄するなら辞めてもらうしかない」
「お前達の代わりはいくらでもいる」
「お前達は、すぐに忘れる、しようとしない」

それしか言わない。
「ふーん。つまりは、私達はいらないというわけか」と
ひねくれた私はいつもそう思うのだが、でも、その”お前達”と言われる私達は
みんなまじめで、そんな言葉でさえも、メモしようとしている。

思わずため息が出る。

本当に大切なことは、そんなことをメモするよりも
もっと、私達が伝えるべきことがあるのではないか。

私は何度も、大きな声が出そうになる。
でも、私も家族を守らなきゃならない。
黙ってその人を見つめるだけだ。

自分の終業時間がきても、誰も帰らず
いつも足りない人数で仕事をしている現実を
この人は知らないのだろうか?と思う。

出来ない理由は、確かに私達の、そして私の
要領の悪さと出来の悪さが、あちこちにあるからなのだろう。

でも、それも、こんな労働法も守れない環境で働いている私達にとって
どんなに時間があっても足りず、やるべきことがありずぎて
ひとつふたつを犠牲にしなきゃ、本当にやるべきことが出来なくなる。
出来ない理由はそれなりにある。

仕事に厳しさは必要だろう。
でも、これはそれに該当しないことと、私はいつもその度に思う。
そんな言葉でやる気の出る人がもしも、この世にいるのなら
私はその人を尊敬したい。思いきり拍手を送りたい。
パチパチ。ブラボー!最高だと。

でも、みんな元気を無くしてる。うつむいている。
とても拍手を送れるような状態ではない。まるで死人が立っているようだ。

そんな中・・・仕事をしていて、お客様相手に笑顔で仕事が出来るわけがない。
私は上司といえども、相手を”おい”と呼んだり、呼び捨てにするような人は
信用などできやしない。距離を置きながら仕事する。それが私のやり方だ。
今日も私は”おい”と呼ばれたが、私は返事もしないでその人へと向う。
部下の名前も呼べやしない。その人のほうが初歩的な仕事を放棄している。

あわせようなんて思いはしない。
それで何度か、痛い目には合っているけど
それでひとりになっても構わない。私は私を無くしたくはないんだ。

これは私の勝手な思い込みかもしれないから
それが正しいとは言わないけれど
どうにも部下が思いどうりに動かないと思うのなら
自分も一緒になって、同じ汗流して、動くべきだと私は思う。

そうしてはじめて、本当に出来ない理由がわかるはず。
そうしてはじめて、本当の言葉が交わされるはず・・・。
言うだけなら、誰でもできる。一番簡単で容易いもの。
言葉でしか言えない人は、言ったことをしたためしがない。
それはなんて哀しい矛盾なのか。

人は思うほど、そんなに愚かではない。誰にだって何らかの理由がある。
その理由を知ることが一番大切なこと。
それを知るためには、同じ苦労を分かち合わなきゃわかるはずがない。

今、心から望むことは
私は、いや、私達は、仕事をしたいのではなくて
人生の中でやるべきことを、ただ、成し遂げたいだけなんだ。

ひとりひとりを見ないのなら
”お前”と呼ぶその人はもう、少なくとも私には要らない。

これは私の人生なんだ。



2004/05/29 22:27:30





2004/05/24(月) さらけ出せない



 今朝はとてもいいお天気です。
隣のベランダから、パンパンと、布団をたたく音が聞こえます。

このマンションの1階からは、幼稚園の園児たちの
大きな声で「いってらっしゃ〜い」なんて明るい声が聞こえます。

”会社に行くお父さんにでも言ってるのかな?”と思って
窓から下を覗いてみたら、保育園バスを待っている園児たちが
通りすぎてゆく車に一台、一台に、小さな手を振りながら
元気に声をかけている風景でした。

なんとも可愛い朝です。

きっと、車の中の人も、園児達の可愛い声援に
照れ笑いしながらも(中には手を振っちゃったりして)
素敵な朝を迎えているのでしょう。

今の大人たちを、一番元気にしてくれるのは
政治家や大人たちの、テレビや新聞の言葉じゃなくて
こんな無垢な子供たちの、明るく元気な声なのかもしれません。

朝からうちの奥さんは、懐かしい友達に会いに行くとかで
るンるン気分で出かけてしまって、私は一人、のん気な気持ちで
今朝からこんな日記を書いています。(さっき、ゴミも出してきました。)


先日、ある人と心の衝突をしてしまいました。
私は一方的に、いくつもの傷つくような言葉を
傷つけると分かっていながらも、その人に、何度も投げつけてしまった。

その結果、その人はとてもやさしくなった。
その人の扱いとか、そんなことじゃなくて、態度や言葉そのものが・・・。

それは私が望んでいたはずなのに、なぜか心は不安なままで
気持ちは晴れないままでいる。

どうしてだろう・・・。

その人が、私に対して、どこか無理をしているのが分かる。
それが、作られたやさしさや思いやりだからなのだろう。
私はたぶん、見えないムチで、その人の心を縛ったのだ。

人はどうして無理をするのだろう。
どうしてもっと、自分をさらけ出せないのだろう。

”あれからやさしくしてくれて、ありがとう。
でも、それは、本当のあなたじゃないんですよね”

いつも言えないでいる。

私もさらけ出せないひとりだ・・・。



2004/05/24 9:56:36





2004/05/20(木) 小指のないクレーマー?



 昨日のクレームのお客さんは、いわゆる”クレーマー”と
言われている人だったようで、何度も警察のお世話になっていたらしい、
ということが分かった。

近隣の店でも、なんだかんだと因縁をつけ、金をせしめていたそうだ。
かなり、危ない人だったようだ。

「へぇー!そうだったんだ」と私はすでに終わったことなので
そんなふうに明るく答えていたのだけど、A君は続けてこう言った。

「でもさ、小指の先がなかったらしいしさ、前科もあって・・・」

いや、ちょっとまて。

私はそんな危ない人の相手をしていたということか?
私はその人の「土下座をしろ!」という言葉を
もろに拒否していたんだぞぉ!
うぅ・・・ 知らぬが仏とは、このことを言うのか?

人生は本当に目隠しされた綱渡りだよなぁ。
知らないから恐くなくて、知っているから恐ろしくて
その先が歩けなくて・・・ これに限ったことじゃないけど
案外、人生って、知らないことのほうが幸せなような気がする。

今はあまりにも知りすぎて、変に不安になったりして・・・
情報を知ることは容易いけれど、どれが本当に大切な情報か?
または、どれが必要のない情報なのか?今、私たちは、それを探すのに忙しい。

週末もまた、忙しくなりそうです。
提出しなきゃ、ならない書類があるというのに
まだ、全然手をつけていません。

このぶんだと、ギリギリにならないとダメみたいです。
というか、形式だけのこの書類。なんの意味もありません。
出すことが目的であって、その内容は不必要。
読まれることなく印鑑が、かすれて紙に押されるのでしょう。

名前だけ書いて提出したい気持ちですが、そうもいかない。
困ったものです。会社という生きものは。

そんな書類よりも、私はこの日記を書いていたほうが、よっぽどいい。
日記はそのあとも、何年も記憶に残るだろうけど
期限のある会社の書類は、出してしまえばそれでおしまいです。

この頃、怒ってばかりの私で、イライラすることが多い。
まったく変な世の中です。
こういい切ってしまうと、誤解や語弊はあるだろうけど
この広い世界には、頭のいい人たちがたくさん居るのだろうから
いつも世の中は、誰かが何とかしてくれるものと思っていた。

でも、テレビ画面に映る人達は、なんら私達と変わらないみたい。
簡単なミスはしちゃうし、変なところで怒ったり、笑ったり、笑えなかったり・・・。

っていうか、もう、眠いです。
明日も早いし・・・。

なんてことだ・・・自分の時間がほとんどないなんて。
なんてつまんない一日だったんだ、と思うばかりでつまんない。

ま、いいか。
とりあえず、明日はそれでもあるから・・・。


(えっと、その前に何かすることがあるんだったけ?)



2004/05/21 0:29:11





2004/05/19(水) 怒鳴り声とクレームと。



 悪い出来事というものは、こうも簡単に続くものらしい。
レジでお客さんが、パートさんに怒鳴っていた。
ふたり組の中年男性だ。みるからにガラの悪そうなお客さんだった。

「なめとんのかお前は!このボケがぁ!」

その後ろで、レジ待ちで並んでいたお客さんは
何も言わずにそそくさと逃げて行く。賢明な判断だろう。
パートのおばさんは、成す術もなく、ただ、岩のように固まっていた。
どうすればいいのか、というよりも、
何もせずに逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだろう。

どうやらレジでトラブルが起きたようだ。
詳しくは書けないけれど、その対応は複雑なものだった。
私はたまたま運悪く(と言ってはいけないか。)
その前を通りかかってしまった。
レジのパートさんが、目で私に助けを求めていた。
でも、私にはその対処の仕方はわからない。
レジの責任者の課長(年配の女性)は、いたが
あたふたとするばかりで、何もことが進んでいない。

”はやく店長を呼んだほうがいい”
私は目で、そう言ったが、レジの課長は
”呼んでいるけどなかなか来ないのよぉ!”とそんな感じで
今にも泣き出しそうだった。

気づけばレジで男性のお客さんは、あたりかまわず怒鳴り散らしていた。
気づけば誰も何もしないままでいた。

「はやく責任者を呼んだほうがいい。あれじゃ、まわりに迷惑だ」
通りすがりの男性のお客さんが、気遣ってそんなことを言ってくれた。
というより、何ぐずぐずしてるんだ、あんたら?
あんなお客を野放しにして、なにやってんだ?
というのが、本当の気持ちだったのだろう。

「すみません、今、店長を呼んでいるところなのです」と
私は小声でその忠告してくれた人に話す。

レジの課長は店長を探すとか言って、どこかへ行ってしまう。
”おいおい、あなたがココにいて対処しなきゃ!逃げてどうするんだ?”
それよりも、いつのまにか、キレたお客の相手を誰もしていない状態だった。
野放しのままで、まるで野性の猿のように、どうにも手のつけられない状況に・・・。

「いつまで待たせるんじゃー!ボケどもが!」

まぁ、それは確かにおっしゃる通りだった。
たまたま、商品補充のために、
その場所を通りすがった私が、ポツンといるだけだったのだ。

最悪だ・・・でも、仕方ない・・・。

キャシャーンがやらねば誰がやるっ!
・・・ってそんな感じで、こんな私が行くしかなかった。
(ふざけている場合なんかじゃない。)

でも、何も状況も対処の仕方もわからない。
そんな私が行っても、何がどうなるというものでもない。
「どうしてくれるんだ?」と聞かれたとしても「えーとぉ?」としか私には言えない。
「わからんやつが、来るなっ!このボケが!」と怒鳴られるのがオチだ。

それでも私は久しぶりのこの緊張感に、胸はワクワクしていた。
不謹慎ではあるけれど、”久しぶりのクレーム日記だ”なんて思ってた。
まるで悪者をやっつける、ヒーローのような気分だった。

私は言った。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。
只今、店長を呼んでおりますので、少々、お待ち下さいませ」

男は言った。
「土下座しろや!」

私は立ったまま言った。
「申し訳ございません・・・」

男は更に言った。
「お前は日本語がわからんのか?
アホかお前は!土下座しろや、おぅ?」

不思議と何も恐くはなかった。
不思議な正義感で、私の気持はみなぎっていた。
昔の私なら、恐くて土下座なんかもして
そして、いいなりになって・・・ただ、震えていただけだろう。

私は心に言い聞かせた。
”ただ、お詫びしろ、それ以外、今は何も言うな”
それを、心に何度も繰返していた。
何も分からない今の私の、最善策は、ただ、お詫びして
店長が来るまでの時間、このお客を、見守るだけだった。

「土下座で詫びをいれろ!」と怒鳴り続ける男。
「申し訳ございません」と土下座もしないで、同じことを言い続ける私。
何も言うな・・・何も言うな・・・誤解を生むだけだ・・何も言うな・・・。

それにしても、本来、関係のない私が、どうしてこんなことに巻きこまれるのか?
私以外にも、男性社員はいるくせに、みんなどこか行ってしまってる。
(というか、逃げたのだろう。)

それにしても、なんて酒くさいんだ。
男は缶チューハイを開け、ドラマの中の、酒に酔った人のように
フラフラとしながら、上目使いで私をにらむ。

私は越後屋の商人のように
試しに少しだけ、”エヘヘ、エヘヘ”と、演技で愛想笑いをしてみる。

状況は、何も変わるものでもなかった。
(あーぁ、やるんじゃなかった。)

男は言った。
「ちぃ!土下座しないなら、そこに立っておれ!」

・・・なんとなく、私は勝ったような気分だった。

ようやく店長がやって来た。
(遅すぎる!いなくていい時は居るくせに!)
少し緊張気味なその表情は、きっと、その事情を聞いたからなのだろう。
(それともためらっていたのか???)

男は店長に言った。
「お客様、この度は大変失礼いたしました」

「おい、お前!ココでオレが叫んでもいいのか?」

変なところで冷静な男だった。
店長は慌てて、事務部屋まで案内していた。

残された私は、ただ、ひとり、
なんだったんだろう?と変に疑問は沸いたけど
”今は何も考えまい・・”と、また、同じことを思うばかりだった。

その男性客と店長が、レジ前の人ごみの中、
消えてゆくのを、私はずっと見送っていた。

男は私に何か言ったが、私には聞こえてなかった。
たぶん、仁義ドラマのような汚い捨てゼリフだったのだろう。
思いのままにならなかった私への・・・

それでも、不思議と何も恐くなかった。



・・・・・・・
そのあと、レジのパートさんに聞いたのだけど
結局は男性の落ち度だったらしい。

店側の責任、というわけではなかったのだ。

そう思うと、腹がたって仕方ない。
なんだったんだ?あんな思いをした私は?・・・
でも、まぁ、いい。

私の進歩が、ここには確かにあったのだ。


土下座とか、怒鳴り声とか
私には何も恐くはなかったのだから・・・。



2004/05/20 0:19:37





2004/05/18(火) 愚かな心よ



 つまりは、やってしまったということだ。
昨日の日記を読まれた方は、なんとなく想像がつくかもしれない。

気づけば、私は声を荒げていた。
気づけば私は、自分でさえも、もっとも愚かと思える行動を
この私自身が、その人に対して、迷うことなく行っていた。

昨日の歪んだあの心が、まだ、そのままでいたのかもしれない。

私に対してのその人の言動が、すべて間違っていると思った。
そう思った瞬間、心はもう、止められなかった。
まるで動いているエスカレーターに乗っているようなものだ。
心はどんどん、登ってゆく。いまさら元の場所に戻れない。
私はプラスティックのバインダーを、思いっきり床に投げつけた。
まわりが少し、ざわついた。

そして、私はその人に言った。

「あなたは間違っている!」

それ以外にも、何か言ったと思うが、今はよく覚えていない。
人はよく、私のことを、優しいとか、思いやりがあるとか
そんなふうに言ってくれるけど、現実の私はそうじゃない。

こんなふうに、とても愚かしい人間なのだ。

人間関係において、大声を出したり、言葉で相手を落とし入れようと
することは、どんな本にでも「最悪だ」と書かれていることだろう。

単純に、私はそれをしたというわけだ。

その人は言った。

「そうは思わないし、そうとは気づかなかった」

私は言った。

「それさえ今まで、あなたは気づかないでいたというのか・・・」

・・・愕然とした。あきれもした。

”気づかないでいた”だなんて、よくそんな無責任なことが言える。

気分が悪くなってきた、頭がぼんやりとしてきた。
なんだ?この宙に浮いたようなはっきりしない感情は?
もしも相手のその心の内が、嘘やその場限りの言葉だとしたら
私は何をしただろう?

どうなんだ?
それでことが終わるのか?

それからしばらくの言い争いが続いて
そして、終わった。結果も出ずに。

こんな感情だけが、私の中に残ってしまった。
何も残らない感情が、この私の心のどこかに・・・。

そのあと、誰も何も私に聞かなかった。
その気遣いが、かえってぎこちなく私を苦しめた。

なんて虚しいのだろう。
いつか、結局は、こうなっていただろう。
時間の問題だったのかもしれない。
そのいつかが、気まぐれに今日になっただけのことだ。
今も私は、私の言葉や行動が、間違っているとは思わない。

それは、心が叫んでいるから。
この叫びは、この私にしか聞こえない。

今も相手が、間違っているのだと思う。
私のそれは、決して気まぐれなんかじゃない。

きっと気まぐれなんかじゃないんだ・・・。


明日の私はどう思うのか、今はわからないにしても
明日、その人と、どういう関係を続ければよいのか・・・

心はふるえて、今は何も思いつかない。

まるでずっと友達でいて、失恋したようなものだ。
その後に続く関係が、どうしようもなく、この心を傷つけてゆく。


後悔なのか?
それとも憎みたい気持ちなのか?


私よ、もう1度だけ、尋ねる。

何を残したのか?
そして一体、何をなくしたのか?


答えよ、
この愚かな心よ・・・。




2004/05/19 0:08:40





2004/05/17(月) 見えない最低な武器



 とても疲れてしまった。
怒鳴っている人のそばにいると
自分が叱られているのではないにしても
声にならない心があちこちと動いてしまい
とても、せわしない。

そのエライ人は唾を飛ばし、その年配の男性社員を
ただ、罵っていた。

「もう、辞めたらどうか」とその人は言った。
どんな愛情も込めなくて言った。
「お前の代わりはいくらでもいる」とも言った。
それは憎悪しか感じられなかった。

その年配の男性社員は、何も答えず
ただ、死んだように肩を力なく落としていた。

こういう言葉の暴力は、私は断固として許さない。
その人に、そんな落ち度が実際にあって
そういうことを言われたのだとしても
「お前の代わりはいくらでもいる」は、
果して本当に必要な言葉なのか?

それこそ私はその人に言いたい。
「あなたの代わりもいくらでもいるのだ」と。

人は誰もが仕事に対して、特別な存在ではない。
ほとんどが・・・そう言える。それが現実。
自分と似たような人間はいくらでもいる。
私自身もそうだ。別に特別なんかじゃない。
もしも、私が明日死んでもそれほど仕事は困らない。
誰かが代わりをしてくれるだろう。

代わりは確かにどこにもいる。
でも、だからこそ、人は仕事が出来るのではないのか?
その言葉には、人格やその人の人生さえ、否定しているような気がする。
権力を誇示して、相手を否定することは、とてもたやすくストレスも発散できる。

その人に私は「ごくろうさま」と言いたい。
嫌味とわかればいいのだが。

ただ、私にわからないのは・・・
どうしてそんなことを言う前に、その失敗の本当の理由を
1度として聞かないのだろう?
「お前はダメだ」と、どうして頭ごなしに
決め付けてしまうのだろう?

本当の失敗の根源は、もしかしたらその人であることを
どうしてその人は気づかないのだろう?

ある日、私は階段から落ちた。(本当に落ちた)
その人が、私のことを、仕事が遅い、段取りが悪いと
同じように罵っていた。それはそれで構わない。確かに私が悪いのだろう。
仕事が遅いのだろう・・・

そうしてその人の前で、仕事を急かされ、私はそのために
大きな荷物を抱えたまま、無理をして、踏み外して
大きく転げ落ちてしまったのだ。

パートさんが、大丈夫?と少しビックリして私を心配してくれていた。
私は頭を抱えながら、ゆっくりと立ちあがった。
足から血が、流れていた。

そして、その人が私を見下ろしながら
言ったその一言は、こうだった。

「商品の被害のほうが大きかったな」


・・・愕然とした。

期待はしなかったが、「大丈夫か?」の一言もなかった。
私が転んだせいで、確かにいくつかの商品がダメになったが、
それはわずかなものだった。


言葉のもつ、影響力は、とんでもなく大きなものだ。

その人のことを、もう二度と信用できないと
思っている私がいる。

こんな私に、どんなすばらしい仕事が出来るというのだろう?
肩を落としたあの人も、その繰り返しではなかったのか?


その人の、見えない凶器の名は「パワーハラスメント」。

それは世界中で、見えない最低な武器になる。



2004/05/18 0:24:34





 2004/04/09(金) ターニングポイント



 今日、本の一部を抜粋したページを作ってみました。
はじめて私のHPに来られた方にも、本の雰囲気というか
そういうものを知っていただけたらいいなぁって思います。
(私の本は、単なるクレームの事例集ではなく、エッセイというか日記なのです。)

そこで、どのエピソードにしようかと本を見ながら考えたのだけど・・・
今回、本の中から第2章クレーム現場の人間模様より
『セーラー服の女の子の買物』にしました。

この日記は、もう2年前くらいに書いたものですが
私としてはこの日記から、クレーム日記のスタイルというか
考え方が変わったターニングポイントとなった大事な日記だと思っています。

それまでの日記は、クレーマーに対する憎悪が強く、また
自分の力のなさに、ただ、落胆したものばかりだった。
でも、この日記から、クレームに対する喜びというか感謝のような感情を
はっきりとはしないけれど、はじめて抱いたような記憶があります。

今はもう、電器売場の店員ではなくなってしまったので
あの頃のようなクレーム日記は書けなくなったけれど
この本の中の想い出たちは、私にいつでも新たな想いを
心に呼び起こしてくれます。

私は最近、思うのですが、想い出というものは
単に過去に過ぎ去った記憶ではなくて、その瞬間から心に芽生えた
小さな花のようなものではないかと・・・なぜかそう感じるのです。

そして、いつしかその想い出は、りっぱな実をたくさんつけて
そして、その幸せを誰かに、分け与えてゆくものではないかと・・・
今、なぜか、そう思うのです。

私の小さなたくさんの実たちが、本やこの日記を通して
あなたの心に届いたなら、どんなに素敵なことだろう。
私にある願いはたぶん、ただ、そのひとつだけです。

今、私の伝えたいことは

”想い出は過去に過ぎ去った、ただの記憶なんかじゃない”
ただ、そのこと・・・


2004/04/09 23:04:19
本の抜粋ページ(立ち読みコーナー)はこちらから。





 2004/04/08(木) あとに続く道



 なぜだかこの頃、とても心、穏やかでいる。
心がとてもやわらかな素材で出来たかのように
あまり傷つかなくなった。

今はただ、前を歩く道が私にはあって
それがいつからそこにあるのか、見当もつかないけど
その理由を探すより先に、今はこの道を歩いていたいと思う。

いろんなことが、この道に落ちていて
私はそれをいちいち拾いながらも歩こうとしている。
そのままほっとけばいいのに、それでも後に続く誰かのために
私はどうしても拾いたいと思う。

どうしてなんだろう・・・

気付けば誰かが、私を追い越すのかもしれない。
ただ、笑い飛ばすのかもしれない。
いつしかそれらを抱えきれなくなって
私は倒れてしまうのかもしれない。

でも、私は信じている。

そのあとに続く人たちが、何も言わずに私の腕を
そっと支えてくれることを・・・



2004/04/09 0:53:01





 2004/04/07(水) 「社長を出せ!クレームとの死闘」



とてもうれしいメールを頂きました。
なんと!あのベストセラー「社長を出せ!クレームとの死闘」
「社長を出せって、また来たか!」の著者 川田茂雄さんからの
メールでした。

私の本「それでもお客様は神様ですか?」が出版された時から
注目してくださっていたみたいで・・・。
(この日記も読んでくださっているみたいです。)

私の本は、ほどんどの書店で、川田さんの本の隣に
ちょこんと居座っている事が多いので、会った事もないのに
ずっと前から出会ったことがあるような・・・
そんなデジャブみたいな不思議な感覚が、私にはありました。

いつか、こんなふうに言葉を交わせたらと
どこか、心で思っていました。

すぐに私は返事を書いて、そして、川田さんもすぐに
返事を書いてくださって、また、私は返事を書いて・・・
うれしくて思わず私の言葉が、軽くステップを踏むように
心から楽しんでいるようでした。

川田さんは、本では知ることの出来ない出版までの
いろんな苦労の経緯を、私に書いてくださっていました。
あのベストセラーには、こんな裏話があっただなんて・・・
私はただ、驚くばかり。

そうか・・・そうだったんだ。
その努力が読者の心に届いたからこそ、本は爆発的に売れたのでしょう。
熱意は必ず、誰かの心に届くものなのですね。

川田さんの、そのやわらかな言葉の口調に
私は思わず、今の悩み事などを、つい、自分のことばかり書いてしまったのですが
川田氏の言葉はどこまでもあたたかく、私の心を癒してくれていました。

(失礼を承知で言ってしまえば)父親を早くから無くした私にしてみれば、
まるで父から助言を頂いたような・・・そんな気持ちで、ただ、ただ、うれしかった。

川田さんとのメールのことは、まだ、いろいろと書きたいことがあるのだけど
また次回ということで。

明日、また、朝が早いです。
でも、今の私はこう思います。

「私はひとりじゃない」って。



2004/04/08 0:54:41





 2004/04/05(月) 順応した者



 思いがけず、果てしないような言葉に出会うと
心が別宇宙へと、ワープしたような感覚を覚える。

3月号の「販売革新」に、こんなことが書いてあった。

『もっとも強いものが生き残ったのではない。
もっとも賢いものが生き残ったのでもない。
もっとも環境に順応した者が生き残ったのだ』

〜ダーウィンの「種の起源」の言葉より〜

いろんな意味において、とても考えさせられる言葉。
その受け止め方は、人、それぞれかもしれない。

頭のよさとか、力とか、人はそれを競いたがるけど
その行きつく先には、ただ、同じ過去をくりかえすだけ・・・
それが私の受け止め方。

あるがままに、そのすべてを受け止める。

これも、私の受け止め方。
間違いでもないし、正しいでもない。



2004/04/06 2:04:22





 2004/04/02(金) 苦しみのあと



 税込み総額表示になってから二日目・・・
なんとか、クレームも大きなトラブルもなく、無事、終えることが出来たようです。
(あなたのお店ではどうだったのでしょうか?)

でも、実際にはその初日、開店1時間前の状況といったら・・・

「げー!どうなってんだこれはー!まだ価格が違ってる!」
「あぁ、パソコンがまた固まった!」
「どうしてエラーが起きるんだ?価格チェックが出来ない!」
「あぁ、開店まであと1時間もないのにっ!」

・・・ってな状況で。
ま、結果、オーライだからいっか。
つくづく人生って、なんとかなるモンなんだなぁ。

いよいよ4月になりましたね。
4月は私の誕生月でもある。こんなにあたたかな季節に生まれたものだから
私はいつまでたっても縁側で、日向ぼっこをしているネコのような
そんなのんびりとした性格は、いまだに治りそうにない。

だからと言うわけじゃないんだけど、最近、自分の時間がなくなってしまった。
仕事から帰ってきて、お風呂に入って晩飯を食べて、やっと一息つけたら
もう、すでに夜中の12時だ。

なんてことだ・・・自分の時間がないままに
すでに明日になってしまってる。

それから日記を書こうと思うけど、書きたいのに睡魔が私に邪魔をする。
でも、転勤により、まったく別の未経験の売場で、慣れることのなかったこの仕事が
辛いことばかりではあったけれど(一度は”辞める”と言ったほど。)
ようやく楽しいと思えるようになってきた。
それが、今は何よりだ。

そういえば、新聞にこんな興味深い記事があった。

”仕事は本来、つらいのが当たり前なのだ。
もしも、仕事が楽しくて楽しくて仕方がなかったら
社長は会社の入り口で入場料を頂かないといけないだろう。
でも、そんなことはありえない。
誰もが辛くも、苦しい仕事をしてゆく中で
給料を頂いているのだと・・・”

”仕事は苦しくて当たり前。”

今まで私は、たとえ仕事であったとしても
それは、楽しいものでなければならないと
どこか、ずっと思ってた。

でも、現実は苦しみを伴う。どうあがあいても痛みを伴う。
それは、認めなければならない動かしがたい事実だ。

たぶん私たちは、その苦しみの後の
楽しさを少しづつ、知ってゆくことを
それこそ、どこかで、知っているんだろう。

よかった・・・
こんな気持ちの今の私がいて。

長距離マラソンのランナーには
もうこれ以上、走れないような苦しみの中
不意に足が軽くなって、やがて、不思議な快楽が訪れるという。

ただ、歩いているだけの人に、その快楽は得られない。
もちろん、そんな人生も選択のひとつ。

でも、ひとつしかない人生。

苦しみの後の喜びがあるから、人はあんなに笑うことができるし
そして、あんなに泣いてしまうんだ。

やはり、人生はそっちのほうがいい。

私はもっと、もっと笑いたい。
そして、もっともっと、泣きたいんだ。

苦しいこと、辛いこと
たとえどんなひどいクレームであっても

今の私には大歓迎だ!



2004/04/03 1:06:11



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