まーちゃん(プライベートフォトへ) お客様クレーム日誌
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10月の日記とエッセイ

 2003/10/19(日) ひとつの罪悪



 こんな結果になるとは思いもしなかった。
最悪だ。どうしようもない。
久しぶりに書くこの日記が、こんな形になるなんて・・・
申し訳ないけど、また、意味不明な日記になりそう。

ある人との意見のすれ違いから、初対面にもかかわらず
随分と嫌悪な雰囲気に終わってしまった。
決して望んだことではなかったのに、気付けば私から仕掛けていた。

私は今も思うのだけど、私達は一体、何のために仕事をしているのだろうかと?
上司の為?誰かの為?そうじゃない、それは自分自身のためのはずだ。
もちろん、価値観の違いはあるだろう。
でも、そんなにまわりを気にしてまで仕事をして、その後に何が残ると言うのか?

私にはそれが、どうしてもわからない。

本当にすべきことはきっと、私達にはたくさんあるはずだ。
そんなことだけのために、私をどうか、巻きこまないで欲しい。
人生は、そんなに悠長に待ってはくれない。
時間を無駄に浪費しているだけだ。
それに気付いていながらも、どうして私の言葉と行動は
こんなにもかけ離れたものになるのか?

意味不明な思いのままに、怒りに任せて書いているので
私が何を書いてるのか、書きながらもどこか、自信がない

・・・どうしよう。

憂鬱がどんどんひどくなっている。
こんな日記になるくらいなら、書かないほうがマシというもの。
なのに私は書いている・・・なんなんだこれは?

なんだか支離滅裂だ。
私は何が気に入らないんだろう?
このままじゃ、いつまでも、ただ、ずっとこのままで
私は何かを変えたいのに、それが何かわからない。

答えはいつも、見つからない。


そして私は気に入らない、それをいつまでも続けている。
時間を無駄に浪費しながら・・・




2003/10/20 0:18:20





 2003/10/15(水) メールの涙



 彼女はそのメールの中で、ひとり静かに泣いていた。
言葉からも、こうして涙が零れ落ちるのをはじめて見たような思いがした。
私はとても不思議な気持で、気付けば時を忘れるくらいに
ひとり、ずっとそのメールを眺めていたような気がする。

ケイタイを持っていない私にしてみれば、個人的に知ってる特定の誰かに
メールを送るなんてことは、今まで1度もなかったのだけど
今回、私なりに必要があって、はじめて彼女に一通のメールを送ったのだった。

断っておくけど、彼女に特別な感情があるというわけではない。
ただ、いつもいつも、影でその度に助けられていたし、彼女が急に
仕事から離れてしまったので、なんとなく今までのお礼を言いたくなっただけだった。
それはもしかしたら、私の気まぐれに近いような、ただの思い付きなのかもしれない。

なのに彼女は・・・ひとり泣いてくれていた。
”言葉”という見えない特殊な感情の中で、精一杯の気持を使って
私のメールを、とても喜んでくれていた。

こんなふうに、思いがけず、感情のこもったお返しがあると
なんだかとても申し訳ない気持と同時に、メールしてよかったと
どこか安心しきっているふたりの私が、しんみりとそこにいるような気がした。

それにしても、どうしてだろう・・・

どうしてもう会えないと、はじめて知ったその時に
人は誰かの優しさを、今更に気付いてしまうのだろうか?
その本当の優しさを、相手に気付かせてしまうのだろうか・・・

まるで後悔しないと人は、終わりを迎えられないかのようで
それが宿命なのだとしたら、どんな別れも、人は罪を背負うのだろう。

でも、このあたたかな気持は、どう説明できるのだろう?
もしかしたら、神さえも、この想いだけは何も気づかず
見過ごしてしまったのかもしれない。

秋が深く染まってゆく度に、どこかこの街もよそゆき顔で
いつもと違って見えるような気がする。

秋の別れはどの季節よりも、一番哀しく、そして切ない。
それは、あまりにも終わりが美しすぎて、人を無口にさせるからだろう。



 「あなたがいてくれて、本当によかった。
 だから、あなたも、がんばって下さい。
 それで、私も頑張れるのだから・・・」


言葉が心を越えてゆく。

すべての涙を道連れにしながら・・・。



2003/10/15 22:48:11





 2003/10/05(日) 心の引出し



 高額な電器製品を買うときは、もっと時間に余裕を持って
買いに来ていただきたいと、常々思っているのだけど、どうだろう?

2点も3点も配達商品を買って下さって(それは感謝してます。)
おまけに支払いはクレジットで、リサイクルの引取りがあったりで
一部入金だったり、工事が必要だったり、セール商品なので
値引きや割引処理をしたり、配達日や配達時間を決めたりで・・・

それらの処理を順を追ってしなきゃならないのに
もちろん、こちらの勝手な都合もあるけれど
「あと5分でここを出ないと間に合わないの。だから早くしてよねっ」と
まるでホカ弁の催促でもするかのように、気軽に私に言っている。

あの・・・いくら急いでも、10分はかかってしまうのです。
思わず私は”あしたのジョー”みたいに、真っ白になってしまいそうだった。

「あのう、5分ではちょっと間に合わないのですが・・・」と言うと
「どうして出来ないのよ!」と、なぜか最初っからケンカ腰。
それを説明する時間すらもったいない。

一体、どうすればいいと言うのだ?

結局、不完全な処理のまま、無理やりに終わらせた。
(その後の処理のほうが、数倍、時間がかかってしまった)
結局、お客さんの意味不明なストレスは終わらず
その時間までに、なんとか間に合わせたというのに
捨てゼリフのようなことを言って、さっさと帰って行かれた。

帰って行かれた後で、近くでそれを見ていたレジ係や
仲間達が、ビックリするほど怒っていた。

でも、・・・今はそれをココでは言うまい。
ストレスを、これ以上広げても仕方がない。

お客様は、それでもお客様だ。

心の引出しを大きく開いて、そこに閉じ込めておくしかないだろう。

接客をしていると、まるで、世の中の縮図を見ているようで
とても複雑な気持になる。何がよくて、何が悪いのか
この頃よくわからないことが多い・・・



店員の心の中の引出しは、今日もいっぱいありすぎて
なかなかちゃんと、閉まることがない。



2003/10/06 1:15:37





 2003/10/03(金) 心、見える人



 時々、この私には、鬱的状態に陥ることがあって
今日はなぜか、そんな日だった。

何をやるにも、何もする気にもならずに
なんとなくぼんやりしていたら、突然に声をかけられた。

「なんか・・・元気なくないですかぁ?」

変な日本語ではあるけれど、19才の彼女の言葉には
とても優しさがこもっていた。
でも、その言葉よりも、もっと不思議に思ったことは
それまで彼女とは、ほとんど話をしたことがなかったことだった。

なのに、なのに私のことを心配してくれている。
そう思うと・・・なんか、くるものがあった。うまく言えないけど。
突然こんなふうに優しくされると、どうしていいのかわからなくなる。
たとえ相手が19才で(というか実際19才だけど)
私よりも大きく歳が離れていても、そんなの全然関係ない。

心は、まるで気まぐれみたいに、時を行ったり来たりしながら
未来も過去も自由に変えられる。心に決まった歳なんてない。

「僕のこと?」と気付けば私は聞き返していた。
「うん」と彼女は小さく答えていた。

「ほんの少しだけ疲れてるんだ」と私はちょっと苦笑いしながら
そんなふうに適当に答えた。
彼女はほんの少し笑い声を立てて、そしてまた、お客さんのレジをしていた。

その仕草や言葉や態度から
”あぁ、彼女はきっと、人の心が見えるんだ”と私は思った。
時々私は自分の心が、きれいなガラスを透かして見るように
見られていることに気付くときがある。

久しぶりにそんな人を見つけた。
もちろん、それが恋だとか、特別な感情だとか
そんなありきたりなものではなくて、ただ、心が見えるという特別な意識。
私の中の見えないものが、どこか守られているような安心感。
うまく言葉には出来ないけれど・・・いつも、本当に大切なことは
うまく言葉に言い尽くせないものだ。

しばらくして、少しだけお客さんが少なくなったとき
また、私は後ろから声をかけられた。

「疲れてるときは、甘いものがいいんですよ」
それは、また、あの彼女だった。

差し出した彼女のその手のひらには
ペコちゃんの包み紙に包まれた、小さな飴玉が一個あった。

「あ、でも、飴玉は嫌いでしたっけ?」

彼女はちょっと”失敗したかな?”と
小さく不安そうな顔をして私に言った。

「いや、大丈夫、頂くよ」と私は言って
そっとその飴玉をポケットにしまった。

そんな私に安心してか、小さな笑顔とともに
「いらっしゃいませ」とまた、彼女はレジに戻っていった。

それは、たった数秒間の出来事だったけど、何よりも私が驚いたのは
私が飴玉が苦手だということを、彼女が知っていたと言うことだ。
確か、みんなと何かの雑談の中で、そんなことをしゃべった覚えは
あるのだけど、それは随分と昔のことだし、彼女に言った言葉でもない。

なのにそれを、ごく自然に覚えていてくれた。

それが私には、うれしくて、うれしくて・・・
正直に言うと、ほんの少しだけ彼女を抱きしめたくなった。

私は本当に自分のことを、ダメな人間だと思っているので
こんなふうに優しくされると、自分が誰だが忘れそうになる。

自分じゃない誰かのことを、この人はきっと間違えて
私に優しくしてるんじゃないだろうか?とさえ私は思い疑い深くなる。

そんなふうに思う度に、自分がひどくイヤになって
なんの曇りもない優しさに対して、ひどく申し訳ない気持ちになる。
誰も心配なんかしてくれてない、と思っていても
どこかで誰かが、心配している。

自分が思うよりもきっと、人は優しく、少しだけ哀しい存在なんだ。

いつもはそんなこと、まったくしないのに
彼女のことを、ちょっとだけ眺めていた。

そこにはいつもと何ら変わりはしない
小さな笑顔がちょこんとあった。

私は少しだけ元気になった。

明日がなんとなく、見えるような気がした。
こんな私でも私の心を、見ていてくれる人がいる。
そう思うと、何か信じられるような気がした。



そんな私をポケットの飴玉は
今もずっと、私を励まし続けている。




2003/10/04 0:59:16





 2003/10/01(水) 負け犬の唄



 自分は負け犬だ、と思うことが時としてある。
特にあんなことを言ってしまった場合とか
あんなことをしてやれなかった場合とか・・・

それはもう、後悔の域をとっくに越えて
私は私をどこへもやれないままでいる。

傷つくことにはなれているけど
その直し方がいまだにわからない。
こんな私はどんな海辺で、その深さを知ればいいのか?

”やめたい”と思うことは、”やめたくない”とその奥底で
心がまるで叫んでるみたいで、素直になれない子供に帰る。

ただ、泣けばよかった頃へと、心が戻りたがっているにしても
特に哀しいワケではないのに、夕暮れの空を見つめてるみたいで
何を浮かれていたんだろう?と
そんなふうに思うたび、心は遠く離れてゆく。


私はたぶん、黄昏の街を
4本足で歩いてゆくしかないのだろう。

これは私の負け犬の唄だ。



2003/10/02 0:03:20




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