台湾・50年代白色テロル
〜2000年8月・馬場町記念公園落成式から〜
光復後、大陸から乗り込んできた国民党政権の腐敗に、台湾民衆が怒りを爆発させた2・28事件(1947年)が残酷に弾圧されると、台湾人の国民党政権に対する敵対意識は決定的になりました。大陸の内戦で中国共産党の勝利が確実になると、国民党に失望した台湾の青年・学生の中には、新たに誕生しつつあった大陸の共産主義国家に、希望を追い求める傾向が広がりはじめます。内戦に敗れた国民党政権は、1949年12月台湾に撤退し、これとともに100万人を超える人々が台湾に渡ってきました。台湾人はますます政治的に冷遇され、「省籍矛盾」と呼ばれる本省人と外省人との間の心の溝が、社会の中に根を下ろすようになったと言います。
国民政府の台湾移転を前後して、「共産分子」摘発を名目に、再び国家権力による政治的暴力が吹き荒れました。大陸を失った蒋介石政権が台湾確保を目的に実行したと言われる、この「50年代白色テロル」は、国民党の支配体制が確立する50年代半ばまで続けられました。一連の事件で処刑された者は3千名ないし5千名、投獄者は4千名から1万名と推測されていますが、正確な数は不明です。とくに50年代初めごろには法的手続きを無視した形での逮捕、裁判が行われ、なかには判決文さえないまま処刑されたケースもあると言われています。
タブーとされてきた「50年代白色テロル」の補償を要求する声は、1993年、六張犂墓地で犠牲者の墓碑が発見されたことを契機に高まりました。98年には不十分な内容ながら「戒厳時期不当政治審判補償条例」が成立し、2000年8月には「政治犯」の処刑場であった馬場町に紀念公園が落成しました。
ここでは、馬場町紀念公園落成式に出席した服部良一さん撮影の写真を中心に、50年代白色テロル関連の写真を紹介します。
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馬場町紀念公園
2000年8月26日に開催された、落成式典の模様です。
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| 公園の入口には犠牲者の氏名と遺影が飾られた。 | |||||
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| 刑場の跡を示す碑文、垂れ幕など。 | ||||
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| 会場には当時20〜30代だった犠牲者の経歴と写真がパネル展示された。 | ||||||
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| 除幕式を待つ処刑場跡地。 | 除幕する台北市長と政治受難者互助会の呉会長。 | 除幕式後の献花。人数が多いので一般参列者は花弁のみ。 | 夜7時からは、若者たちがコンサートや芝居などで、50年代の恐怖を再現。 | 冥土に持っていく金を焼いている。 | 淡水河に浮かぶ灯籠。 |
2・28和平公園
2・28和平公園内の2・28紀念館では、公園落成に合わせ、記念写真展が開催された。
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| 記念写真展会場前に立て掛けられた看板。 | |||||
六張犂墓地
1993年にこの墓地で最初に墓が発見されたのをきっかけとして、「50年代白色テロル」被害者への補償を求める動きが高まった。
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| 整備を待つ白色テロル犠牲者の墓群 | |||||