私家版「本草学」

〜パイプスモーカーから見た指輪物語中のパイプ及びパイプ草、喫煙について〜


    ◆序


指輪物語のファンであり、パイプスモーカーでもある私は、かねてより日本の一般的な喫煙事情のみでこの物語を推し量るには、やや難しい部分があるのではないか、と感じていた。

喫煙されない方々はもちろん、シガレットスモーカーの方々にも、パイプによる喫煙をわずかでもご理解いただけたなら、この魅力あるストーリーをさらに楽しめる手助けが出来るのではないだろうか、と思い立ち、つらつら書いてみた。


まず前提としてお知り置きいただきたいのは;

・英国紳士にとって、パイプ喫煙は「紳士の嗜み」である。
・トールキン教授はかなりのパイプ愛好家であった。

という2点。

「指輪ファンならば当たり前」と即断される向きもおありだろうが、ここはひとつ迫害されつつある現代の喫煙事情からうんと遊離された上で、以下拙文にお目通しいただければ幸いである。



    ◆「ホビットの冒険」導入他で出てくる、とほうもなく長いパイプ


「チャーチワーデン」と呼ばれるクレイ(粘土=陶器製の)パイプに端を発したクラシックシェイプと推察。

「とほうもなく長い」とあるが、人間用だとするとごく普通の、現在も流通しているチャーチワーデンの平均的なサイズであろう。

私が所有しているストレートのタイプでも約30cm、長いものならばゆるくカーブして40cmに達するものも珍しくない。
これは身の丈が平均的な人間の半分に満たないホビットからすると「とほうもなく長い」もの、となるのだろう。

churchwaden1
Bjarne Rhodesian Straight Churchwaden

いや、ホビットが発案、製作した「とほうもなく長い」パイプが人間界に定着したものが、「チャーチワーデン」として今の世に伝えられているという解釈こそが正しいのかも知れない。(笑)

現世のパイプの歴史にあっては、まず前出の「クレイパイプ」が発案され、多々作られた上で、ブライアー(木製)パイプの発見となる。
しかし物語中では当たり前に「木のパイプ」が登場するのだ。

廃墟となったアイゼンガルドで、ピピンがギムリに差し出した「広がった平たい火皿の付いた小さな…」古い木のパイプ。
これは今ではソーサーとも呼ばれる、スクワットローデシアンというクラシックシェイプ(パイプの型)ではないだろうか。

これは、現世では主流になっているものの、出自としてはかなり後発であるはずの「ブライアーパイプ」を、すでにホビットたちが作り、使っていたという示唆を秘めている。


物語中ことあるごとに出てくる、自生する植物の名前の中に「ヒース」があるが、この根瘤こそ木製パイプの原料「ブライアー」なのだ。(厳密にはホワイトヒース:学名エリカ・アルボレア)
ちなみにブライアーは密度が高く、火に強く、余計な香りを発しない、まことに都合の良い素材なのだが、パイプを作れる大きさに根瘤が生育するまで45〜50年かかる。
ギリシャ、アルジェリア、コルシカ島などといった温暖な所に育つが、とりわけ雨の少ない痩せた土地に良質なものを産する。

ホビット達はどこでブライアーを採取していたのだろう。
物語中にヒースが散見される場所として、トロルの森付近、裂け谷入り口、鏡の湖、ドル・パランの丘(アイゼンガルド)、北イシリアン北部、馬鍬谷(ローハン)などがあるが、多数が緯度的にはホビット庄と同じエリアにある事から見て、条件さえ揃えば近隣に自生していたと推察するに難くない。



    ◆パイプ草

破壊されたアイゼンガルドの前庭で、メリーがセオデン王に解説する下り、


「何故と申せば、これはわれらとしましてもほんの数世代前から嗜んでまいりました芸でございます故。初めて本当のパイプ草をその栽培園で育てましたのは、南四が一の庄の長窪村の住人、角笛吹きトボルドにございます。わたくしどもの数え方でいいますと一〇七〇年頃のことでございました。トビィじいがどうしてこの植物を手に入れたかと申しますと……」

で、ガンダルフの横やりが入って終わっている。
続きがぜひとも聞きたいところだ。

さて、やはりアイゼンガルドで、上の顛末ののちギムリが両の掌でこすって香りを確かめた樽詰めの長窪葉は、いわゆるフレーク(プレスタイプ)だったのではないだろうか?
プレスされ、熟成されたたばこ葉の香りは内にこもり、乾燥するとほとんど香りがしなくなる。
掌で揉みほぐす事により、物理的な刺激と体温により暖められて本来の香りを発しはじめるのだ。

Samuel Gawith-Best Brown Flake
Flake Tobacco (Samuel Gawith-Best Brown Flake)


これに対して帰路、躍る仔馬亭でバタバーがガンダルフに都合したブリー村産の大きなままのたばこ葉
「南丘辺印」 は、ヘイタイプ(干し草)であったろうと推察する。
これは収穫したたばこ葉を日干しなどにより乾燥させただけのもので、あくや雑味がそのまま残っており、プレスして余分な夾雑物を水分と共に除いた後熟成、といった手間をかけたものに比べて数段香りも喫味も劣る。

とすれば長窪葉の優位性は、微小気候や育て方にあった可能性もあるものの、なにより収穫後の処理にあったのではないだろうか。
もしそうであったならば、これを発見した時のトビィ爺の喜びはひとかたならぬものであったろうし、企業秘密として門外不出の扱いにしたであろう事は想像に難くない。


ここで簡単に、現世におけるたばこ葉について品種と製法による分類を。

品種は大まかにヴァージニア・バーレー・オリエント・ターキッシュ・シガーリーフ・日本在来種 etc.とあるが、バーレーを初めとするケンタッキーなど、アメリカ原産葉、シガーリーフや日本種など産地が限定されるものは省いて差しつかえないだろう。
ただ、品種として学名や通称が存在するからには、使われるたばこ葉は単品種であると想定すべきかも知れない。

この場合やはり名前が挙がってくるのはヴァージニア種であろう。
単種でも楽しめ、またブレンドベースにも使用出来るバランスの良さ、栽培気候をさほど問われない順応性などを鑑みてもこの品種の優位性は揺るぎない。
製法としてはキャベンディッシュ(漬け込み)・ラタキア(燻製)・ペリク(プレスのまま漬け込み=漬け物)・トースト・日干しetc.とあるが、複雑な工程の必要なキャベンディッシュなどはこれも除外する。



    ◆「角笛吹きトボルド」の製品ラインナップ

「国内産の最上級品は長窪印、トビイ爺印、南星印」と、ブレンドタイプにバリエーションのあるトビィ爺の品揃えを考えてみる。


長窪印はまごう事なきフラッグシップゆえ、一番の出来のヴァージニアブレンドを。
トビィ爺印は製法を発見した自分の名前を冠するに足る、熟成の進んだフレークタイプ。
南星印はひょっとしたら何らかの着香(=香り付け)がなされていたかも知れないし、ペリク葉のように、プレスしたたばこ葉を染み出した水分で漬け物にした、より熟成の進んだヘヴィーなタイプをブレンドしたものだったかも知れない。

また、ベーコンの製法が存在したからには、研究熱心なトビィ爺の事だから、たばこ葉を燻製にすることも考えついたかも知れない。
ということはラタキア葉が存在した可能性すら考えられるわけで、こうなるとなかなか侮れない。
現行でも存在するクラシカルなイングリッシュブレンドが多岐にわたって作られていた可能性がある、という事になる。

という事は「南星印」をラタキアブレンドと仮定しても不自然ではなくなってくるのだ。
う〜ん、ホビットたちのスモーキングライフは相当充実したものであった、と認識を新たにする必要が出てきたぞ。(笑)



    ◆吸い口について


ビルボは「真珠の吸い口のついた」パイプをエルフに作ってもらう。


現世でパイプに付いている吸い口=マウスピースは半数以上がエボナイトで出来ている。
これはゴムに硫黄を混ぜて加熱する事により産する樹脂で、万年筆の軸や木管楽器のマウスピースにも使われているものだ。
ところがゴムの木に関する記述は無く、ハラドやハンドの南方にはあったとしても(象がいるくらいだからね)国交自体がなかったようなので、エボナイトは存在しなかったと断言して良いだろう。

もうひとつ、マウスピースの素材として使われるアクリルは合成樹脂なので無論除外。
高級メアシャムパイプに使われる琥珀も、質実剛健を旨とするホビットのライフスタイルにはそぐわないような気がする。

とすると現世でVauen社などから発売されているLOTRシグネイチャーモデルの、マウスピースまで木で出来ているパイプが正しいありかたなのだろう。
実際映画の中で使われていたパイプは、すべてVauen社製のものだったらしい。

とすると真珠の吸い口は、歯で噛むリップ部分だけが摩耗しにくいよう、真珠で作られていたという事か。
これは細工が大変だったろうと想像する。

しかしチャーチワーデンが市民権を得ていた中つ国では、「パイプは手に持って喫煙するもの」であった可能性も否定出来ず、さほどの強度が要求される細工ではなかったのかも知れない。
・・・いやいや、なにしろエルフのやる事だから寸法は完璧、ひょっとしたら真珠と木部が接触部分で融合している、なんて細工もありえるかも知れない。(笑)



    ◆パイプ喫煙の習慣性について


モリアの坑道の中でのガンダルフ、ファラミアと別れた後のサムの夢、モルドールでのフロドなど、喫煙自体を忘れていたかのような言動がそこかしこにあるが、実はパイプスモーカーにとって禁煙はさほど難しい事ではない。


現世でも喫煙者のほとんどが愛用しているシガレット=紙巻きたばこ。
これは燃焼促進剤を染み込ませた紙で巻いてあり、たばこ葉の刻みも細かいため、一度火を点けたら何もせずとも最後まで燃え尽きるよう作られている。
しかも手っ取り早くニコチン補給をするために、ほとんどの人は肺喫煙という形態を取っている。
主流煙をそのまま肺に吸い込むやり方だ。

対してパイプのためのたばこ葉は、シガレットのそれに比べて刻みが大きく、低い温度でじっくりと燃焼させる事を前提に作られている。
これはシガー(=葉巻)と同じで、純粋なたばこ葉のみに火を点けて燃やすため、空気の動きがないとすぐに火が消えてしまう。
火種を保ち、良好な喫煙を行うために「吹き戻し」というテクニックが必要となる。
このあたりにも、パイプ喫煙を習慣とせず「芸」と位置づけたトールキン教授の慧眼に感服しきり。

パイプやシガーの喫煙は口腔喫煙といい、主に口中の粘膜でニコチンを摂取するスタイルで、おおむね主流煙を直接肺には吸い込まない。
いったん口中にとどめた煙をゆっくりと吐き出し、その香りを楽しむというスタイルが大半である。

そして、シガレットのように巻紙が燃える匂いが混じらないため、その香りは芳醇にして濃厚。
ぜひ諸氏も一度体験いただきたい。


振興委員会的な発言はさておき、口腔喫煙が直接の原因かどうか関連性を云々するには、私の知識でははなはだ心許ないのだが、体験から申し上げても私の周りを見渡しても、確かにパイプ喫煙を主とするスモーカーたちは、喫煙出来ない状況に長時間置かれても、「我慢する」という努力無しに喫煙しないでいられる方が多い。

私事で恐縮だが、シガレットを吸っていた頃は1日に20本入りを2箱以上消費していた。
これが20余年続いたのだが、この頃はなにがしかの作業に集中していてさえ、2時間もすれば「あぁたばこが吸いたい」と感じる事が多々あったのだが、パイプ喫煙にシフトしてからはこれが全くなくなった。

パイプにたばこを詰めて火種を作ってそれを安定させて、という面倒な作業がパイプ喫煙には必要なことと、途中で止める事も可能ながらいったん火を入れると小さなパイプでも小一時間、大きなものになると2時間以上喫煙出来るというパイプ喫煙の性格上、時間に追われながらの喫煙をするぐらいなら「あとでゆっくり楽しみたい」と考える余裕を持てる。
切実な喫煙欲求は感じないのだ。
なんとなれば丸一日喫煙しなくても平気でいられる程に。

それだけに章の冒頭で述べた、彼らが「喫煙を忘れていた」というくだりは、シガレットスモーカーには疑問を感じる向きも多々おありかと思うが、パイプスモーカーとしてこれにはいたく共感を覚える。



    ◆最後に


パイプによる喫煙の形態と指輪物語への関連性について、やや手前勝手な解釈ではあったと思うが、少しはお楽しみいただけただろうか。


トールキン教授にとって、パイプによる喫煙が執筆中の思索やブレイクタイムにとって無くてはならないアイテムであったのは、まず疑いようのない事実であろう。
のみならずホビットやその他登場人物にもパイプをくわえさせ、感情表現やキーアイテムとして縦横に有効利用された事実には、パイプスモーカーの一人として惜しみない拍手を送りたい。

くわえて拙文をお読み下さった諸氏には、指輪物語を少し違った理解の仕方で楽しんでいる私のような者もいる、という事を発見いただければ、そしてその上で、パイプスモーカーの視点からも指輪物語を楽しんでいただけたとしたならば幸いである。

願わくば拙文が、魅力多いパイプスモーキングの世界にどなたかが足を踏み入れられる契機にもしなったとしたら、そしてここに記したような事柄を身をもって実感していただけたとしたら、私にとってこれほどの誉れは無い。
遠慮なく快哉を叫ばせていただく。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。



"duncan" Hayashi


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