BOOK
重光会佐藤医院&本町訪問看護ステーション
家で生き家で死ぬためのサポート
網野皓之の著書と論文
著書
なぜ村は集団検診をやめたか
1992年 自費出版
検診批判の書/07.08再出版しました/佐藤医院にて販売1200円
みな家で死にたいんだに
1996年 日本評論社
泰阜村の経験と現代医療批判、施設福祉批判
満足死宣言
2000年 日本評論社
「患者よがんと闘うな」の近藤誠序文
網野他3名の地域医療経験者が
現代医療の問題点と満足な死の
必要性について述べる
やっぱり家で死にたいんだ
2008年 日本評論社
12年間の東京での在宅医療の経験
と、日本の福祉の未来について述べる
メタボ健診はナチスドイツ以来の暴挙である
2008年8月15日発行
最近の論文の紹介
なぜ泰阜村は集団検診をやめたのか
公衆衛生61:246−250,1997(医学書院)
「われわれは間違った思考にとらわれ、誤った方法論で医学の社会
適用を行ってきたのではないだろうか。今までの常識は新しい認
識にとって障害とならざるを得ない。その常識を疑うこと、固定
観念を打破することが検診問題解決にとって不可欠なのではない
だろうか。」
診療所活動には固定観念の打破が必要か
GPnet44(1):32−35,1997(厚生科学研究所)
「日本の福祉の未来を展望したとき、それは開けていない。地域は
自己防衛的に福祉の町づくりを行わざるを得ないと考えるのであ
る。そして、一つひとつのエリアで福祉を充実させ、その成果を
政策に反映させるべきではないだろうか。机上で考えだされた上
意下達の施策は画一的になり、地域性を失わせ失敗に終わるだろ
う。今、重要なのはミクロの視点で医療や福祉の問題を考え、解
決していくことである。」
望めば家で最期を迎えられるネットワークの試み
生活教育41(12):33−37,1997(へるす出版)
「死は誰にでも訪れる人生のゴールであり、老いは死への重要な過
程です。これらを支えるという観点から、地域のあり方を考え直
してみたいと思います。」
在宅医療における輸液療法
内科82(4):698−699,1998(南江堂)
「延命という錦の御旗の下に思考を停止し、節度を失った現代医療
は反省を迫られているといえる。このような観点を輸液に当たっ
ても保ちながら在宅医療に勤しんでいただきたいと考える次第で
あり−−−−」
かかりつけ医は医療商人にあらず
月刊総合ケア9(1):40−43,1999(医歯薬出版)
「ミッシェル・フーコーは著書「監獄の誕生」の中で、現代社会の管
理的側面を鋭く分析している。監獄の中で囚人は、常に監視されて
いるという意識から模範囚とならざるを得ない。このような意識を
もつのは囚人のみならず、現代を生きる私達も同様であるという。
死に逝く人間の場合はどうであろうか。彼の家で死にたいという願
望は現代社会にあってはわがままとみなされている。そこで、彼は
自らの死を管理してもらうべく病院へと出かけ、模範的死にかたを
演ずるのである。老いについてはどうであろうか。彼は人間として
生きるのではなく、自らを抑圧し模範的老人を演じなければならな
い。そして、家で老いることをやめ、老人ホームへと出かけるのだ。
さもなくば、収容施設としての老人病院へ入れられるのである。ま
さに現実は、老人にとって非情な管理社会である。」
みんな家で生き、家で死にたいんだ
現代農業 2月増刊号:64−69,2000(農山漁村文化協会)
「老人という言葉が死語になろうとしている。いつのまにか高齢者
という無機的な言葉に置き換えられてしまった。老人のための福祉
は介護一辺倒の偏った世論に変質を余儀なくされつつある。−−−
社会の末端で経験する事柄はミクロ的ではあるが、机上で考え出さ
れる国レベルのマクロ的施策の問題点を浮き彫りにする。介護問題
の解決に当たっても、大所高所からのみではなく、少なくとも一度
は目線を低く視野を狭くし、地域の問題として見つめ直すことが必
要であるように思われる。」
地域住民のボランタリーな安否確認活動
分権型社会を作る(11):234−239,2000(行政)
「地域住民の自発的活動は社会へのひとつの意志表示であり、今ま
で無視されがちであった個の権力行使といっても差し支えないので
はなかろうか。すなわち、地域社会は行政との関係において上意下
達の関係を脱しつつあり、下意上達あるいは平等な相互関係を構築
しようとしているようにみえるのである。行政と地域住民との関係
性の変化、あるいは個と全体との権力関係の変化が到来したとみる
べきではないだろうか。」
在宅医療における輸液管理
輸液実践ガイド:415−419,2001(文光堂)
「最後に再び、在宅医療は老人医療であり、終末期医療であること
がほとんどであるということを強調しておきたい。そこでは、延命
至上主義のもと治癒を目指す医療は無力であると言わざるを得ない。
その自覚が在宅医療を行う医療者にとって重要なのである。また、
老人や終末期の患者は、ホームという老いの施設や病院という死の
施設に、隔離され管理されることを望んでいないという事実を知ら
なければならない。彼等は地域でそして家で死んでいく自由を求め
ている。」
住み慣れた地域で暮らすためのネットワーク作り
実践・福祉文化シリーズ第4巻
地域福祉と福祉文化:70−76,2002(明石書店)
「地域住民による相互扶助は、決してアナーキーなものではない。
動きの鈍った行政を補完し、結局は行政そのものを立ち直らせ、
住民全体の利益に繋がっていくことを企図していると理解すべき
である。21世紀は、国や地方の行政府ではなく、池袋本町のよ
うな末端の小さな地域から、改革の萌芽がみられるようになるに
違いない。」
訪問診療・わが病院の試み
文芸春秋 第八十一巻第一号:302−307,2003(文芸春秋)
「老いても福祉で支えられていれば、私達は安心である。死を恐
れて、役に立たない検診を受け、病人にさせられることもなくな
る。老後は自然体で家で過ごし、家で死ぬのがよいようである。」
つれづれ往診録 その1
月刊ことぶき 24巻1号:104−105,2004(寿出版)
「患者の柴崎さんは英語で詩を書くことが多く、簡潔な表現力は
他の追随を許しません。その一つを紹介しましょう。
It is enough as you are,
Keep todays fragrance forever
いろいろな解釈が成り立つと思いますが、最初の「そのままで
いいんですよ」という表現は、「寝たきりでも、どんな状態でも
人間としての価値がある」ということなのだと教えてくれます。
福祉にとって大変重要な観点を、すでに彼は詩に託して世に訴え
ていました。」
つれづれ往診録 その2
月刊ことぶき 24巻2号:100−101,2004(寿出版)
「介護保険は、お年寄りではなく介護者の立場から、老人問題を
解決しようとしているような感じがします。したがって、お年寄
りにとって切実な暮らし・生活の問題は対象外とされています。」
つれづれ往診録 その3
月刊ことぶき 24巻3号:92−93,2004(寿出版)
「ご老人の皆さんは、孤独であり、老齢故に連帯することもでき
ず、そして、施設入所を嫌だともいえず、社会にただ従うだけの
ように見えます。今、福祉にとって大切なことは、老いの価値を
見つめ直し、ご老人や障害を持たれた方々中心の福祉へと変えて
いくことのように思えてなりません。」
満足死を求めて
ホスピタウン12巻4号より毎号コラムに連載,2004−2005(日本医療企画)
「地域における死のあり方について考察し、満足死の患者さんを
紹介、現代医学の問題点に触れます」[満足死について知りたい方はこちらへ]
在宅医療における輸液管理
Medical Practice vol.23:410-414,2006(文光堂)
「日本では一見、患者や家族の自主性が重んじられているようではある。
しかし、現実には医療への信仰心あるいは依存心の強いことが窺がわ
れるのである。」