1972年解説

木枯らし紋次郎

フジテレビ 脚本・演出:市川崑(1〜3、最終回)
        出演:中村敦夫、小川真弓、上田俊、小池朝男、山本一郎

 虚無と孤独を友とする渡世人、木枯らし紋次郎が「あっしにはかかわりのねえことでござんす」のセリフにもかかわらず、個人的な怒りから虐げられた人につい手をさしのべ悪へ挑んでいく。
 その生き方がしがらみで身動きのとれない管理社会に生きるサラリーマンの支持を、またニヒルさが女性層の人気を得る。

 市川崑劇場と銘打たれる通り、巨匠が中心になって制作。股旅映画をつくるための資金づくりとして着手。東映チャンバラ時代劇的な様式美ではなく、着物は薄汚れた合羽、地毛をいかしたかみはぼざぼさのまげ、立ち回りも型をつけず殴り合いのように転げ回る泥臭さ。

 主演は、田宮二郎が原作にほれこんで自薦してきたがギャラの高さから「春の坂道」の石田三成役で人気の出始めていた中村敦夫に。

 途中、制作の大映京都が倒産したり、中村敦夫がアキレス腱を切るトラブルがおき、放送は1ヶ月中断、しかし話題が高まり視聴率を押し上げた。

 18回の放送終了後、同年に続編が開始、77年に「新・木枯らし紋次郎」。また映画で先行公開された後、94年に金曜エンタテイメント枠で単発ドラマとして放送された



太陽にほえろ!

日本テレビ 脚本:小川英他 演出:竹林進他
        出演:石原裕次郎、萩原健一、露口茂、竜雷太、小野寺昭、下川辰平、関根恵子(初期レギュラー)

 七曲署を舞台にする14年間、718回続いた刑事ドラマの代表作。

 日本テレビ金曜8時台はこれ以前はプロレス中継枠だったが、放送権が他局に移行したため急遽後番組が必要になり、「青春シリーズ」の岡田晋吉プロデューサが企画。そのため狙いは「刑事が職業の青春ドラマ」。
 そのための切り口は事件を描くのではなく、刑事たちの若さ、情熱、正義感、といった人間性をメインに描こうとした。しかし、メインライターの小川英は犯人の動機や心情を出すことを主張し、真っ向から対立。そのぶつかりあいがまたドラマを熱いものに。

 青春ドラマらしいのは操作手順より全力疾走だ、と理屈抜きで走る若手刑事たち。

 大きな売り物は「殉職」。第1号はマカロニ刑事(萩原健一)。本人からの、もう新米刑事としてもうやることがなくなったので殺されて降板したい、との申し入れがあったのがきっかけ。この殉職の回が高視聴率を上げて、新人刑事が成長して殉職して卒業するパターンを確立した。

 初めての連続ドラマの石原裕次郎のボスがいつも中心にいたが、81年に胸部大動脈瘤で入院。ここはボス休暇で乗り切ったが86年の再入院ではついに本人が降板を申し出る。ボスの後任はなく、ここで終了が決定。
 最終回ではボスが犯人説得シーンで5分間アドリブでわかれの言葉をかたり、8ヶ月後に亡くなることになる。



パパと呼ばないで

日本テレビ 脚本:松木ひろし 演出:千野皓司
        出演:石立鉄男、杉田かおる、長内美那子、大坂志郎

 5才の千春(杉田かおる)が離婚した母と死に別れて28才の独身サラリーマンの叔父、右京(石立鉄男)に引き取られての生活を描く人情喜劇。
 タイトルは「パパ呼ぶなよ、おにいちゃんっていえよ」「いや、だってパパみたいだもん」という掛け合いによっている。

 なんといっても見所は8才の杉田かおるの演技。取材などでは子ども離れした本音トークもみせる。長じて杉田かおるは本音トークタレントして復活していて、「金八先生」や「池中玄太」のころからすると、ずいぶんイメージが変わったような気がするけど、このあたりから考えると戻っただけともいえる。
 このドラマについては「最近よく再放送されるけど、25年たって権利が切れているのでわたしには一銭も入らない」そうである。

 フジテレビ「世界で一番パパが好き」はこのドラマを下敷きにしているそうだ。



中学生日記

 今なお続く、全国放送としては最長放送テレビドラマ(ローカルをいれると「新・部長刑事」の「新」をどうみるかを考えないといけない)。

 名古屋市内にある公立の名北中学を舞台に、きめ細かい取材に基づき毎回違った子どもたちを描いていく。割り切れない現実にあわせるため、あえて答えをださずに終わるのが特徴。

 原型は1962年の主人公が1人の「中学生次郎」。NHK名古屋でドラマをつくるにあたって、ローカル枠の教育相談番組にドラマの要素を組み入れていた。そのためいまだにNHK名古屋でもドラマ班ではなく教育班がつくっているので、ドラマよりは教育番組色が強い。

 1963年には現在のような週替わり主人公の「中学生時代」に、その後対象があがって「高校生時代」「われら高校生」となるが、1969年に原点に返って「中学生群像」に、そして1972年に「中学生日記」となり現在に至る。

 名古屋には東京のように児童劇団が多くないため生徒は素人中心で、生々しい実感がでるというメリットもある。生徒役出身者には、中野良子、森本レオ、竹下景子、小西博之、TBSのディレクター今井夏木など。
 また父母は先生もアマチュア劇団の人が多く、曽根先生役の藤田康雄は92年まで中学の国語教師だった。

 先生役は初代の風間先生(湯浅実)、82年からの東先生(東野英心)、89年からの南先生(岡本富士太)の3人が印象深いが、最近は若い先生がよくかわり印象が薄くなっている。

 2000年4月から日曜朝に移行とのこと。

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