黄昏の覇たる王・第1話『いつか時を環って』
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「ロッド、俺を森へ行かせてくれ。【水の座】のソードマスターとして、何があったか見てくる」
腰の剣の柄へフィルザーイは手を触れた。ソードマスターの神髄が、そんな腰の剣にあるのでは
ないことをロッドは知っている。
「お前が行ってくれるというのならば、私も少しは心が休まる」
ウールヴァーンを信頼しつつも、本当は誰よりもロッド自身が飛び出して行きたいはずだ。
ペンドラドにもそれが分かる。そしてそれは、フィルザーイも分かっているのだろう。
「ウールヴァーンは、俺が首にヒモをつけてでもひっぱってくるさ」
フィルザーイはロッドの肩を軽く叩くと扉の方へと向かう。
入れ違いにエルトアルナが入ってくる。
「ロッド様、もうすこしで月が天頂に達します」
「そうか…」
ロッドは手元に残された腕輪を見る。ディスレーンスがそれをしていたのを、ロッドには
見覚えがあった。ロッドはウールヴァーンからだという、その腕輪を自分の腕にはめると、
儀式へと向かった。
【ブール大陸】に住まう八つの民は、それぞれ世界を創世したといわれる八柱の神のなかより
それぞれ一神を一族の神として奉っている。このサークアの民では【風神】がそれにあたる。
【風神】に問うのだという。己が長に相応しいのかどうか…
月が天頂に昇ると、一番に光を浴びることになるのがこの塔。そしてそこには同心円状に配置
された家々の屋根から塔へと反射された光も加わる。集められた光は、塔に寄り添うように建てられた
一枚岩より削り出した石柱に伝達、集約され…長の認を受ける者に光の認を与えるという。
かつて、長に相応しくない者がその場に立ったときは、月は雲に隠され光が射さなかった
ことがあったとも伝えられている。
そして今、ロッドは石柱と向かい合って壇上に立っている。壇の下には見守るように、
彼の民となるべき人々が立っていた。
ロッドはペンドラドには知りようもない言葉で空中に問う。
−私が長となるための認を賜い給え−−と
風は今はまったくそよとも動かない。ロッドの声だけがあたりに響きわたる。
人々は息をのみ、ロッドを見つめた。はたと、やんでいた風がふんわりとそよいだ。
石柱を中心として光の煌きがひろがっていく。輝きはわきあがってロッドに降り注ぐ。
おお、ロッド様が我々の長になられたぞ…ロッドの耳に遠く観衆の声が聞こえてきた。
「サークアの一族の最後の長になるか? ロッド…」
馬上から光り輝く【ファグルリミ】を、ディスレーンスは目に焼き付けるように眺めた。
ディスレーンスの右手には、深く赤く影を落とす宝玉の姿がある。
「ディスレーンス様」
ディスレーンスの馬の横に、彼の従者だろうか…同じ灰色の髪の男の乗った馬が並び立つ。
「追手が近づいてます」
「しかたあるまい。獲物を燻し出すか…」
ディスレーンスは朱の宝玉を懐にしまうと、かわりに何かを取り出した。
「魔精霊ですか」
ディスレーンスの手の内を見て、横で従者が目をしかめる。それは黒い玉。いや、球ではなく
卵型をした物体だ。
「精霊を操る一族には相応しかろう」
ディスレーンスは二、三言つぶやく。と、黒い卵型をしたものの表面に一瞬文字らしきものが
光となって浮かんで消えた。
「封印は解いた。精霊と呼ばれるもののなれの果てよ。行くがよい」
やがて、月は天上の座を下り…、【ファグルリミ】は光のきらめきを失っていく。
「長さま…」
消えていく石柱の光を眺めていたロッドを、声が現実へと引き戻した。
「エルトアルナ」
「兄は、ラクネスクはどんなにか今日を見たかったか」
「すまぬ」
壇上からロッドはつぶやくと、下へと降りる階段へと足をかけた。
戦地で友でもあった彼を守れなかったのは自分だ。
「いいえ。謝ることなんてしないで下さい」
少年が言う。
「ん…?」
かすかな気配を感じて、ロッドは少年から目を離す。
「長老」
ロッドは少年の横に立っている老人へと目を走らせた。長老の目にも緊張が宿っていた。
「殺気ですじゃ」
ロッドが感じた気配とはまさしくそれだった。
「来るぞ」
ロッドは周囲に目をこらす。
石柱から最後の光の煌きが消えた、瞬間。石柱は突然、別の色に染め上げられていく。
青白い炎。石柱ですら、燃やし尽くすことが可能な高温の熱。
それが石柱から周囲へと広がろうとしたその時に、とっさにロッドは自分と人々に結界
を張りめぐらした。
『見事なものだその手際。これからが楽しみじゃの』
心底楽しんでいる・・・、と分かる声が辺りに響いた。そんな声と共に石柱の上に青白い姿が
浮かび上がった。それは人の姿はしているものの表情はなく、白い仮面のような顔をしている。
結界を除いて周辺は青白い炎で彩られた。
「精霊か?」
ロッドはそう言って、とらえどころのない相手の顔を見た。
「ただしすでに神に属するものではなく、暗黒の御名に属するものであろうがな」
ロッドはそう付け加える。ロッドの周囲で人々がざわめいた。
(どういうことなの?)
ペンドラドはロッドにたずねた。
(誰のあのような姿にされたかは分からぬが、あの精霊の【真なる名】は奪われ、変わりに
暗黒に属する名をその魂に与えられたのだと思う)
ぎり・・とロッドは唇を噛む。
通常の呼び名の他に隠し名として【真なる名】を持つ人に
対して、【真なる名】しかもたない精霊にとってそれを支配されることは即致命傷に
つながる。
(しかもあの精霊、決して低位の精霊じゃない)
「我らは精霊と語る一族じゃ。その都を友である精霊の方が、傷つけようとおっしゃるのか」
長老が精霊に語りかける。
「長老様」
エルトアルナがその横で不安げにたたずんでいる。
『我に与えられし命は、この都の人々を燃やし尽くすこと』
精霊の言葉にロッドは息を飲んだ。自分が今度こそ、エルトアルナや皆を守らねばならない。
「なんてことを!」
身構えるロッドを長老が制する。
「駄目ですじゃ、長!我々は精霊に向かうことはできませぬ」
「では、むざむざとやられろとおっしゃるのか?」
ロッドは長老へ向かって叫び返す。
「それが神のご意志ならば」
長老は静かに答える。
『つまらぬな…』
精霊は自分の纏う熱すぎる炎とは正反対の冷たい声で言うと、すっと指を伸ばした。
その指は長老を指差している。
「何を…」
ロッドが言ったときだ、結界の中に炎が生まれた。それも、長老のところへだけ。
『広い結界は端々の結び目が甘くなる』
じゅっ…、鉄板に水滴を落としたときのような音がした。
ただ、それだけだった。炎と熱がひとひとりの存在を、あっというまに焼き尽くし無くしていた。
悲鳴すらない。
「ああああ!」
横で代わりにエルトアルナが声を上げる。
『邪魔はいなくなった。若き長よ、せっかく我が姿を現したのだ。我に向かってこい』
「きさま…!」
『それとも、結界をはりながら戦うのでは負担が大きいかの?』
無表情な精霊の顔が、にやりと歪んだようにロッドには見えた。
そのとたんだ。ロッドの結界は破れ、全員がすさまじい炎のなかに放り込まれていた。
今度は、蒸発するような音すらなかった。彼らの悲鳴の代わりにロッドの耳元で風が
ひゅひゅうと叫びに似た音を立てている。ロッドが精霊の方から、背後の人々の方へ振り返った
時には、そこには青白い炎がちろちろとゆれているだけだった。
「なっ」
『お荷物を消してやったのだ。すこしは楽しませろ』
そこにいた人々の姿はかき消すようになくなっていた。即座に現実とは捉えがたい。
ロッドは夢でも見ている気分だった。
(そんな…)
ロッドの気持ちを代弁するようにペンドラドがつぶやく。
結界はすでに破られているのに、ロッドの周囲だけ炎がなかった。精霊がロッドだけを
わざわざ避けているのでもない。楽しませろなどと言いつつも、精霊は今ここでロッドが
死んでしまってもよかったらしい。
『ほう』
精霊が感心したような息を付いたのと、ロッドが自分の右腕の腕輪を見たのとは同時だった。
『おもしろい腕輪をしているようだの。魔法陣が刻まれておるのか?』
ロッドはディスレーンスの属するサールレラの民が、魔法陣を刻んだりカラクリを造ったりと、
太古からの技が伝えられていると言われる一族であるいうことに思いあたる。
『炎を退けるようじゃの…、まるで今日この都が炎に滅することを知っていたかのよう』
くつくつと精霊が笑う。
「まるで、今日この都が炎に滅することを知っていたかのようだと?」
ロッドは精霊のその言葉を反復する。
ウールヴァーンが託したディスレーンスの腕輪…? ウールヴァーン、またはディスレーンスは
知っていたと…?
『命拾いしたの。さあ、次の手を見せてみろ。若長よ』
精霊は青白いその姿を、優雅に空中に舞わせるとロッドの前に立つ。
『むざむざと己の民を殺されておきながら、それでも我に向かってこぬというのか』
精霊の声が隠しようもなく苛立つ。
「今となっては、あれは遺言だ。長老の」
我らは精霊に向かうことはできぬ。静かな声で言った長老の言葉がロッドの中に蘇る。
(ロッド)
ペンドラドはロッドの気持ちを思って、静かにその名を呼ぶ。呼ぶと後を続けた。
(ちょっと待ってよ、ロッド。じゃあ私はどうなっちゃうのよ!)
ペンドラドの続けた後の口調は、とても静かではないものに変化していた。
(私が自分の体を見つけるまで、客人として守ってくれるって言ったじゃない)
非常に非難めいた口調がロッドに届く。
(ペンドラド)
ロッドにその言葉は痛く響いた。この少女は自分の命惜しさに、非難がましいことを
言っているのではないことが分かったからだ。
自分にかこつけてでも生きろと、生きさせようと無理にそんな口調をとっているのだ。
『なんとした愚か者よの』
精霊の手がすいと動いた。
ぱきん…、澄んだ音がして首飾りの琥珀色の宝石にひびが入る。
(きゃあああ!)
それは絶叫として、ロッドに届いた。
『その腕輪は、若長そなたを守ってはいるが、すべてを守っているわけではない』
あわててロッドは首飾りに手を伸ばした。
肉体を持たずに宝石に宿っていたペンドラドにとって、今はその宝石が肉体に等しかった。
激痛と共にペンドラドは空中へと解き放たれる。青白い炎はペンドラドを焼くことはないが、
宝石に入った亀裂は耐え難い苦しみを呼び起こす。
「ペンドラド!」
ロッドのそんな声が聞こえたのか聞こえてないのか…、苦痛に耐えているような顔を
一度ロッドへと向けると、ペンドラドの姿は空中に溶け込むように消え去った。
『消滅したかな?』
他人事のように精霊が言った。

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