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「ではやってみるがいい。やっと手に入れた肉体と自由を捨てて、あの暗い封印へと戻りたい
ならば」
ディスレーンスは動けぬ少女のあごを捕らえると、くいっと持ち上げる。
『ずいぶんと変わったようだな、そなた。かつて私を人に害を成すものだと封じておきながら』
「人は変わっていく生き物だ。変わらぬのは精霊族のみ」
ディスレーンスのその言葉に、されるがままの少女が笑った。
『人とな。そなた自分を人というか?』
少女のあごをつかむディスレーンスの手が、つかの間緩んだ。
「こんなにも矛盾や葛藤、欲やらからいまだに逃れられぬ。これが人でなくてなにかね」
逆に少女を呪縛する圧力は高まった。怒りに瞳を輝かす少女にまけぬ、狂おしい暗い光がディスレーンスの
瞳には、いつのまにか宿っていて見返してきていた。
【苦難の運び手】の背筋にぞくりとしたものが走る。それは、人ではない自分にはないはずの感覚だった。
あるいは人に宿っている今だから感じたのか…。
『だが、この程度の鎖であれば指を動かさずとも断ち切ろう』
それは【苦難の運び手】が感じてはならない感覚だった。その感覚をこそ断ち切らねば、と
【苦難の運び手】は力を放出した。少女の口元に、にいっとした笑みが浮かぶ。
ぱし…、ぱしっと少女の周囲で弾けるような音がした。そして、破られた術はかけた術者へと返る。
返って、逆にディスレーンスを縛りつけようとした。
「ディスレーンス様!」
今まで沈黙していたルディラズリは声を上げた。
「かまわん。お前は動くな」
ディスレーンスはルディラズリへと短く命令すると、返ってきた力にそのまま身をまかせた。
見えぬ刃がディスレーンスの顔をかすり、背後で髪を結わえていた皮ひもを切っていた。
ぱさりと、ディスレーンスの灰色の髪が頬へとたれる。
そう、【苦難の運び手】を動けぬほど縛り付けていた力が、返ってディスレーンスにあたえたのは
たったそれだけ。
顔にかかった髪を払うと、ディスレーンスは新たな呪言を口にしようとした。
『もうよいわ。しょせん、我は封じられた者にかなうわけがない』
あわてて、少女の中から【苦難の運び手】は言う。
「今日は物分りが良いのだな」
『我を気まぐれといったのは、そなたではなかったかの』
明日は分からぬがな…、そんな感じで【苦難の運び手】は軽く言葉を返した。
そして、自分の宿っている体の心地を、確かめるように腕を動かした。
「どうだ、それはお前のために調達したようなもの」
二人の会話からは、先ほどまで散らしていた対立はあっさり消え去る。
『気に入ったわ。この肉体に飽きるまでは、そなたの命に従ってもよいかな』
実に気まぐれらしい【苦難の運び手】の曖昧な口調が戻ってきた。
「それは苦労のしがいがあったというもの」
満足するようにディスレーンスは少女をながめる。
生前と変わらぬままに…、やや視線が鋭くなったということを抜かせば、確かに少女はそこに
いた。
『しかし、本当に我を解放してよいのか』
どこか意味あり気に【苦難の運び手】はつぶやいた。
「私が後悔なんてものをすると思って聞いているのか?」
ディスレーンスの返事に【苦難の運び手】は楽しげな笑みを浮かべた。
『さっきまでは、矛盾や葛藤などと言っておったくせに』
「性格の良さはお互いさまだ」
『で、我に何をさせたい』
【苦難の運び手】の関心はそちらへと移る。
『そなたほどの力の者が、何をこのように手間のかかることをしているのだ?』
言霊の盟約のかかった封印を解くより、よほど横のルディラズリでも使った方が楽なはずだ。
あるいは自分が赴くなりと…
「見えぬのか?」
ディスレーンスの言葉に【苦難の運び手】は首をかしげた。
「あのような盟約以上に、この体を縛りつけるこの封印が」
少女の手が、ディスレーンスの額へと伸びて触れる。
『そなた…』
びくりと震えて、少女は手を離した。
「私の体には、今だに残り香が残っているだろう。あの宝玉の放った魔術の残滓が」
『【闇の炎】とは…』
【苦難の運び手】は沈黙する。
いつ誰がこの宝玉をつくり出したのか、それは古くより生きる精霊に尋ねたとしてもはっきり
とした答えは答えは返ってこないだろう。
それほどの昔からその宝玉は、このブール大陸にあった。
「そう、あの【闇の炎】の力によって、私はこの島に封じられているのだよ」
【苦難の運び手】に負けぬきまぐれさで【闇の炎】は時折、歴史の狭間に顔を出す。そして
血を代償に、その力を人にゆだねる時があった。
伝説に姿を現す使い手たちは皆、あるものは力の大きさに堕ち…、新たに力を望むものに
殺されたりと、誰もあまり良い結末は向かえていない。
「私は先の使い手により、ここに足止めされた。その封を解きたいのだ」
『今の使い手から【闇の炎】を奪ってこいと?』
「気にいらぬか?」
高慢そうに顔をそらした【苦難の運び手】にディスレーンスは聞く。
『やはり分からぬ、なぜ我なのか? 奪うなど簡単なこと、あれは血を求める宝玉。血に汚れた手の
方をあっさりと選ぶだろう』
自分もディスレーンスも、血を厭わない者であることは分かっている。むしろ血塗られた自分
だからこそ、ディスレーンスは選んだはずだ。
「もしお前が【闇の炎】をもってこの島へと帰還したのならば、完全に開放しよう」
『なんと…!』
少女の目が見開かれた。
『しかし、まるで帰還できぬような言い草よの』
「そうだな。私はそう思っている」
そっけもなく、ディスレーンスはそう言い切った。
『そなたがそのように弱気になるとは、よほどの使い手なのか?』
逆に【苦難の運び手】は興味をそそられた。この男にそこまで言わせるものは何なのか。
【苦難の運び手】はディスレーンスをながめたが、その表情は無表情だ。
「いや、ただの少女だ」
ディスレーンスは言うと、そこで言葉を一度切ってから後を続けた。
「その娘の記憶の中に、割と頻繁に藍の髪の少女が出ては来まいか?」
【苦難の運び手】はこめかみあたりに、手をやるとゆっくりと記憶を探っていく。
『ほう、この肉体の主の娘…。なかなか波乱万丈な生涯をおくったのだな』
そこには【闇の炎】の姿があった。そしてもう一人の少女の姿も…。
『このもうひとりの娘の方、この瞳の色は思い出させる。あの男なんと言ったか』
古代紫の瞳。そしてこの少女が今の使い手らしかった。それは【苦難の運び手】の中である人物に結び付く。
「ウールヴァーンか」
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