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「やればいい」
ペンドラドは【苦難の運び手】に向かって言う。
「それがお前の本心であるのならば」
『本心に決まっておろう。我の胸はこんなにも高揚している』
【苦難の運び手】は空いている手でルビュールの胸を指し示した。他人の血や争い、諍いを
眺めるときのその興奮。それは確かに【苦難の運び手】の中に息づいていた。
「それはルビュールの体であり胸だ。私にとどめを刺そうというのならば、その体から出てきて刺せ」
これ以上の死者への冒涜は許せなかった。
「私は、剣も【闇の炎】も使わない。ならば、お前も…、ルビュールのその体をそれ以上使うな」
ペンドラドの言葉に【苦難の運び手】が笑う。
『それは無理というもの、我が名はこの身体に刻み付けられているのだから』
【苦難の運び手】が自由に出入りできるものではなかった。【苦難の運び手】の笑みは自然と皮肉気になっていた。
「【苦難の運び手】、お前は私によく似ている」
『我とそなたとがだと? どこがだ』
「柵に縛られているところが。その体に宿っていることは本当にお前の望みなのか?」
『我が望みはこれ以外あり得ぬ!』
【苦難の運び手】はカッと目を見開くと、手の内に生まれていた牙を解き放った。
本来、精霊にためらいという気持ちはありえない。言霊に縛られ、言葉に厳格なゆえに。
精霊の心は自然であり、その存在が自然を乱すことはありえない。
しかし【苦難の運び手】は人の手により、人を傷つけるためだけに本来の【真なる名】を奪われ
偽りの名を与えられていた。それだけが、【苦難の運び手】の存在理由なのだ。
『封印という呪縛から開放されたと思ったというのに…』
【苦難の運び手】の口からそんな言葉がこぼれ出していた。【苦難の運び手】は唇をかみしめる。
「私はお前が許せない。けれど同時にお前をそんな風にした奴への怒りを止められない」
そう言ったペンドラドへ、新たな牙が落ちてざっくりと傷を身体に刻み付けた。
『【闇の炎】を使わねば死ぬぞ』
「言ったはず。命を賭けてるって」
肩の傷からの血が腕をつたって、ペンドラドの手の上の【闇の炎】へと滴っている。しかし、
これだけの血が流れているというのに、【闇の炎】は今は何の反応も示そうとはしなかった。
『そうか。ならばやらせてもらうのみだ』
そう、なにをためらう必要があるというのか。しかし、なぜもこんなに苛立つのか…
「【闇の炎】よ」
ペンドラドが囁く。
『とうとう使う気になったか』
【苦難の運び手】は鼻で笑う。
『そうとも、人であれ精霊であれ、己が危機におちれば身を守ろうとするのが、本当の姿。そなたとて
ルビュールを傷つけたくないなどとぬかしたところで…』
やはり最後は【闇の炎】を使うのだと。自分の身を守るために。
【苦難の運び手】の表情に、どこかほっとしたものが浮かびあがっていた。そしてなんのためらい
もなく【苦難の運び手】は牙を放った。
「【闇の炎】よ、かつてあの人の血を浴びたこともあるお前。お前ならあの人の気持ちを知っている
だろうか…。私はあの人の意に反したことはしてないよね」
ペンドラドの手の上で、そのときはじめて【闇の炎】は小さく光をともす。
『なんだと。攻撃しない?』
【苦難の運び手】のそんな声と共に、ペンドラドは再び牙の攻撃にさらされた。
「あぁっ」
ペンドラドは【闇の炎】を持っていない方の手で、牙にかすられたわき腹を押さえる。
「【苦難の運び手】、お前と記憶を共有している人は、私のせいで命をなくしたけれども…その私に
向かって最後の最後まで微笑みをくれた人でもあるんだ」
『そしてこの娘のようにむざむざと、無意味な死を選ぶと』
【苦難の運び手】は知っている、自分の宿主たる少女がどのような死に様をしたのかを。
「違う。意味はある」
そしてペンドラドは【苦難の運び手】に向かって微笑した。痛みに引きつったそれとなったが。
「生きていくためには勝ち抜かなくてはいけない。けれども、人の生き方はそれだけではないと、それを
身をもって教えてくれた人がいたから。だから私はルビュールが最後まで選び抜いた方法を選ぶ」
だからこの微笑を【苦難の運び手】、あなたへと贈ろう。
「あなただって人に【真なる名】を奪われたりしなければ、自ら好きで放棄した訳ではないでしょう。
精霊であることを」
しかし、ペンドラドの言葉は同時に、滅びてでさえ人に与えられた名を拒否できたであろう
精霊としての誇りを思い出させた。【苦難の運び手】はもはや自分が何の精霊であったかでさえ、
思い出せなくなっていたというのに。
『黙れ!』
【苦難の運び手】の前にいるのは、弱い小さな少女だった。そうあるべきだった。
【苦難の運び手】の感情の乱れが空間を歪ませ、巨大な牙を生み出す。そして、それは振り下ろされる。
その時、【闇の炎】が赤い光を周囲へと放った。
「何が…」
ペンドラドは赤い光に目を細めた。その光の向こうに人影が見えた…
◆
「死ぬな、死なないでくれよ」
私はまだ何も知らないのだから。ロッドはつぶやく。
ウールヴァーンのように、いつのまにかに死んでしまって、屍と再会なんてことはもうまっぴら御免だった。
荒野へとやってきたロッドの目の前の大地に、ウールヴァーンの剣が突き立っている。
「ご丁寧に剣を置いていくとは…、お前何で身を守っているんだ」
ロッドは剣へと手を伸ばした。
−−ロッドが生きていてくれたなら逢える−−
【ファグルリミの都】の滅亡の炎の中でロッドに向かってそう言った、ペンドラドのその言葉が
ロッドに生きようという道を選ばせた。
ペンドラドがいなくて、自分の一族を1人も守れもせずに都が滅びたというのならば、ロッドもまた
一族の後を追っていたであろう。
ロッドは大地に突き刺さる一本の剣を引き抜いた。
ピキィィィィ…
空気が震えるように鳴く。
「なんだ…、共鳴?」
ロッドは手にしている剣からの振動を感じた。
「呼んでる?」
ふと見た大地の先にロッドの視界に入ってくるものがある。
「ペンドラド!!」
「ロッド…?!」
空間は別々のはずだ…。なのに二人はお互いの姿を認めあっていた。
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