◆
疲労に顔を満たした少女が大地を駆けている。手に握られている剣が不釣合いだ。
少女の目の前にひろがるのは荒れた大地と風のみで、生命の影はない。
走っているといってもその息は乱れ、すでに歩いているに等しいかったのだが…。
その足もとで水分というものを含みそうにない砂が舞い上がる。
「あっ」
何かに耐えきれなくなったかのように、少女は小さな声を上げて大地に倒れ込んだ。
「痛っ…」
手にしていた剣が手から離れ、少し前の方まで転げてカランと音を立てた。
−−ペンドラド−−
呼ぶ声がする。いや、したような気がして少女は首をふる。
聞こえるわけがない。聞こえてはならないのだ。
もし聞こえているのだとしたら、それは自分の心が求めているからに違いない。
それは本当は呼んで欲しいと、独りは嫌だとそう思っている自分の心がもたらすもの…。
ペンドラドは大地に手をついたままつぶやく。
「捨てなくては。この想いを…誰かを求めているなんて」
小さなつぶやき。だけど叫びにも等しいつぶやきは、風に掻き消されてすぐに霧散した。
もう誰も失わないためには、この想いを断ち切らなくてはいけない。
ルビュールを失って、もう2度と逢えぬ人を求めて求めて、だからそんな存在はもうつくっては
いけない。求める心と、求めて得たその存在を失なったときのあの喪失感。
この手に【闇の炎】がある限り、誰も近づけてはいけない。
「逃げることでしか守れないなんて最低だけど、でもこんなことだけど…それが今の私に出来る最善の術」
じゃり、と手が荒野の砂を握りしめた。
ロッドが最後に自分に向けてくれた笑みが、ペンドラドの目には焼き付いていた。
その微笑する瞳が、亡くしてしまったルビュールの瞳と重なっていく。最後の瞬間までペンドラドに
笑みをくれた大切な人と。
「ひとりで行って、ひとりで決着を付けねばね」
ペンドラドは自分に言い聞かせるように言う。
そして剣を拾うと立ち上がる。
−−ペンドラド、お前はあの女に剣を向けられるのか? −−
聞こえもしない声にペンドラドは耳をふさいだ。
「それでも踏みにじらせない」
逢えぬはずの人と会う。それがどんな気分か…。
大切なあの人であるけれど、そうではない冷たい手の感覚をペンドラドは覚えていた。
あの体に流れているのはすでに人間の暖かな、むしろたぎるような熱い血ではないのだ。目は開かれて
いようとも、天を見ることはなく…大気を胸に吸い込むこともない。
そして、こんな胸の痛みも多分感じることすらないのだろう。
「私を外へ出してくれたあなたを、今度は私が解放しよう」
出来るのかではなくやるしかない。
ペンドラドはウールヴァーンのものだったという剣を大地に突きたてた。
剣先がガツッと乾いた大地にもぐりこみ、剣の細長い影が伸びた。
「ロッドこの剣は置いていくよ。私には重すぎて持てない」
言って、ペンドラドは数歩を歩いたところで振り返る。
【ファグルリミの都】が遠くに見えた。はじめてその地へとたどり着いた時のように、大地に溶け込むように
塔が見えた。
「風が教えてくれたのよね」
ペンドラドの顔に笑みが浮かぶ。
今も風霊はペンドラドにまとわりつくように吹いている。
【ファグルリミの都】へと訪れる前までは、ルビュールを亡くしてちょうど独りになれてきたところ
だった。しかし、めぐり合わせは今になって独りであることの苦しさを見せつける。
「風霊よ。私から離れていた方がいいよ」
ペンドラドは剣と、そして【ファグルリミの都】から背を向けて再び歩きだした。
「私のために命を賭けてくれたルビュールのために、今度は私がこの命を賭そう」
ペンドラドは誰もいない荒野で、語りかけるように言った。
「そのぐらいの覚悟で事に臨んでいるんだ、姿くらい見せて欲しいものね」
『ずいぶんと真剣なのだな』
声だけがした。
『しかし、私の存在に気が付くとは少しは楽しませてくれるか?』
「あの人の声でそんな言葉を言うな」
ペンドラドの視線の方が殺気をはらむ。
『たった1人で私の相手がつとまるつもりか? ロッド共々でも私は全然かまわなかったのだがな』
むしろその方が楽しかったのにと声は不満そうだ。
完全に優位な表情と声で、その人はペンドラドの目の前の空間をグニャリと歪ませると再び姿を現した。
もはや【苦難の運び手】はルビュールの仮面を取り繕うとはしない。
「不本意だけど、この子を使わせてもらうわ」
ペンドラドは手に【闇の炎】を取った。
『面白い。少しは考えるようになったか? しかしこの少女に手を上げられるのかの』
ルビュールの、【苦難の運び手】の視線が【闇の炎】の上で止まり、笑う。
ペンドラドは無言のままに【闇の炎】を握り締めてルビュールを見つめ返した。
沈黙が2人の間に落ちたのと同時…。
風になぶられていたペンドラドの髪がぱさりと肩に落ちた。
暑くなりつつあった荒野の空気が瞬間、ひやりとしたものへと変わった気がする。
『ほう、空間を閉じたか。どうする気だこれではロッドもこれないぞ』
「1度あなたと話がしてみたかった」
ペンドラドはルビュールにではなく、その肉体に宿っている【苦難の運び手】へと言う。
『話す? 何を話したくなったのだ。この娘が死んだ時のことでもをか?』
閉ざされた空間内で、双方の声以外の音は消えていた。
『我もこれだけは聞きださねばと思っていたところだ。いったいどのようにして【闇の炎】を手なずけた』
ペンドラドは無言のままでルビュールを見つめる。金髪に若葉色の瞳。華奢な肩、細い腕…ひとつひとつは
どれを取っても優しげな趣を生前のルビュールのまま含んでいた。
しかし、その印象は暖かさとは無縁のものとなっていた。
『流血よりも【闇の炎】がひとつの命を選ぶとは。そなたと【闇の炎】の血よりも濃い絆どのように結んだ』
「それをどうしてあなたが分からない?」
ペンドラドは苦痛に満ちた声で言う。
「ルビュールの記憶を読めるというお前にどうして分からないんだ。【ファグルリミの都】へ行けと言ったのは
ルビュールだったのに…」
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