黄昏の覇たる王・第2話『幾千の悲しみと幾億の想いを懐いて』

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 アルテセーナの気持ちを否定するのは、同じく彼女を守りたいと思っている自分の気持ちをも 否定することのようにロッドには思えた。
「同じことを考えているのならば分かってくれるはず。ふたりで一緒に行けるところまで行って 見たいの。私は別に死にに行くわけではないわ」
 戦で死ぬのが誰なのか、知るものがいるわけがない。
「それはもちろん。私だって死にに行くわけじゃない。ただ何があるのか分からないのが戦場だろう」
「どうしても、うんって言ってくれないつもりなの」
 アルテセーナは言うとロッドから視線をはずした。
「ねえ、ロッド」
 ロッドを見ぬままに、アルテセーナは続ける。彼女の視線は森の木々の枝の合い間から見える 空を見ていた。
「ウールヴァーン様も言っていたのでしょう。今は小さくてもいずれ大きくなるって、そのためには 私みたいな小さなものからでもではなくて?」
 そう、そうだ。あれはまだ戦が終わる以前のこと。結局、自分は最後にはアルテセーナにうなずいてしまった。 そうして知ったのだ、一度失ってしまえばもう2度と取り返せはしない存在があるということを。 ウールヴァーンやディスレーンスがいて、そしてアルテセーナが居てくれたもう2度とない日々。
 では同行を認めねばよかったのか? そうすればアルテセーナを失わなかったのか?
『私は同行を認めない』
 ロッドの内の気持ちに少女の声が重なる。
「いや、違う」
 呪縛のなかで、ロッドは微かに口を動かすと言葉を吐き出した。
 ロッドの目の前に広がるのは赤茶けた大地だ。豊かな緑の森はない。
 そして風が紡ぐ呪縛の糸が見えた。細いけれど強く。柔らかいけれども幾重にも。
「ペンドラドにしては上出来だな」
 己の【真なる名】が埋め込まれた呪縛。
「私をもっと長時間縛り付けておきたいのならば、束縛の言霊のひとつでも…」
 ロッドは言って、ペンドラドが言霊を知るはずがないことに思い当たる。
「そう、その割には強固なのだが」
 ロッドは意識を大気へと滑り込ませた。
 いくら呪縛されようとも、感情と意識を縛ることは出来ない。
 よく見なれ、よく感じた幾つもの風の気を感じる。
「なるほどペンドラドの呪縛だけじゃないのだな」
 呪縛、ロッドは自分を縛る力の中に違う何かを見つけると、外へ向けていた意識を今度は 自分の内側へと向けた。
 ゆっくりと静かに自分の内側にいる、今は自分の一部にも等しい存在へと呼びかけるために。

『もし今でも私の中で自己というものを保っているのならば、我が呼びかけに応えてくれ。 お前の力が必要なのだ…。』
 ロッドの自分の内への呼びかけへ、声といえぬ声が浮かび上がるかに心に響いた。
『【呼び声(セルゲーホ)】よ』
 その声はロッドを【真なる名】で呼び、後を続ける。
『我は、我の力ばかりかすべてを汝へと託した身。必要あれば何なりと使うが良かろう』
『だが私は己の【真なる名】で縛られている。この戒めを破るために自分で自分の力を振るえば、 自分で自分を引き裂くこととなる』
 【真なる名】とは本質。その人間の最も無垢にして、根本なる部分の名称だという。
 理性や感情を超えた、それぞれの魂が奥底に隠した何か。それが【真なる名】。
 死すときに、あるいは己の役目を終えたその瞬間にこそ、【真なる名】の意味を知るとも…悟るとも 言われる。
『だから私であり私ではない、お前がお前の意思で力を発揮して欲しいのだよ』
 ロッドは声へと告げた。
『多少の危害は覚悟の上か?』
『もちろん。己で己を引き裂くよりよかろう。それに…』
『それに?』
 ペンドラドはこう言ったのではなかったか? 長をそう長い時間足止めが出来るとは思わないけど…と。
『期待には応えねば、ね』
『荒っぽいことをなさる…』
『荒っぽいのはお互い様であろう』
 そしてロッドはその【真なる名】を呼ぶ。
『【炎の王(ロギ・リーグ)】よ』
 ロッドの内にして、彼とは異なる名を持つ存在そのものを。
『もとより我にそなたの望みを断れようはないのだ。そなたの内でのみ、我の存在は許されているのだから』
 その存在はため息とともに告げた…、ようにロッドには思えた。
 ため息などという人間のような動作をとるとは思えない相手なのだが。しかし、ロッドは確かめる間を おくこともなく【炎の王】へと命じる。
『炎よ。その身を創りし始めのほむらよ。出でて望みをかなえよ!』
 
「……っ!」
 ロッドの体から、炎が吹き上がるかに火の手を上げた。その炎は呪縛を説くのではなく、焼き尽くした。 その炎がロッドを傷つけることはない。けれどもかなりの重圧を体と精神に感じて、ロッドは顔をゆがめた。
 突然の喪失感が体を襲う。たとえて言うのならば、腕にはめられた腕枷を取るために、腕を切りおとして しまったような。
 白い髪がふわりと、空中を舞ってロッドは膝をつく。それは呪縛が解けたということだ。
 胸が苦しい。動悸を追いやって、ロッドは呪縛の解けた開放感に大きく息をつく。そして空中に視線を 走らせた。
 ロッドの視線が空中を彷徨う。その視線の前で砂塵が舞っていた。それを舞わせているのは風。
 ロッドは立ち上がる。わずかに顔をしかめつつ…、けれど顔にはうっすらとした微笑すらあった。
「ペンドラド、お前は私を名による呪縛で縛ったが、それ以上に重い呪縛で捕らわれているのは むしろお前の方」
 ロッドは空中をにらみつけたまま言う。
「ペンドラドの呪縛に便乗してこの私を縛りつけた代償として、協力してもらいましょう」
 風がロッドの髪をなぶる。ロッドの耳元で風が鳴った。
『お前にいまさらこの大地を離れてほしくないのだよ』
「私に【真なる名】を呼ばれる前に姿を現してはどうです」
 ロッドの言葉にふわりとしたものが大地に姿を現した。
「風姫様も子供みたいなことをなさる。そのようなことで私を縛ったのですか?」
 風を体現したような薄絹をまとう、まさしく姫と呼ぶにふさわしい存在。そしてこの地の風霊たちの王にも 並び立つ存在が出現する。
 姿かたちは人とほとんど変わらない。しかし人でないとはっきりとわかるとがった耳と瞳。 虹彩のない青い眼がロッドを見下ろしていた。
『そう、あの娘の下等しかいえぬ魔術に便乗させてもらったのじゃ。我が名を統べるものが、 あのような小娘に【真なる名】を明かすとは今だ信じられぬわ』
 ロッドはこの精霊の名を支配している。それはつまり、その主人の【真なる名】を知るものにも 支配されるということだ。もっともペンドラドは、そんなことなど思ってもいないだろうが。
『我らが愛し地は、あの娘が手にしている宝玉のせいでこのありさま。好きになれるとでも思ってるのかえ。 ましてやあの娘について行けば、この地と同じような運命がお前にも降りかかるかもしれぬというに』
「先見は精霊の御技を持ってすら出来ぬはず。それは予言ですか?」
 それが出来るとしたら神自身。しかしその存在はこの大地にはない。神は世界を去ってもういない。
 おだやかに微笑を続けるロッドに、風姫がほうっと息をついたように見えた。
 ため息のようなそれに微かに大気が動く。
『人とは強情なものよ。精霊を【空界】より召喚したり、そのくせ死に急ぐ』
 そういうしぐさは人間臭さをただよわせて、それはそれだけこの精霊が人との付き合いが長いということだ。
 伝説は語る。精霊は人のように肉体というものをもたぬ分、現世への執着が少なく純粋だという。 その存在は再び自然の内へ、無の内へ溶けていってしまったほどに。
 だから神は彼らに彼らを守り包むべき楽園【空界】と、その存在を示すべき【真なる名】を与えたと。
『そなたは我ら精霊族と交わりし一族の最後のひとり』
 ロッドは風姫に対してくすりと笑う。
「本当に私の命を惜しんで言ってくれているのですか?」
 名を取られる、それは精霊にとって本来恥ずべきことだ。命じられ使役されることも。
『おお、見破られてしまったかの』
 あっさりと言って風姫の仮面のような顔が笑った。
「私は知りたいことがある。協力していただきますよ」
 過去よりも今と言ったのはペンドラドだった。しかしその本人こそが一番過去に捕らわれている。 もう待つつもりはない。
「聞きたいことがあるのですよ。山ほどね。なにしろ私はここにいて外にはうとい」
 いつ来るかわからぬ待ち人に、己に暗示をかけて眠りについた。
 風は吹き、目覚めてペンドラドと再会した。
 そして止まっていた時間は動き出した…

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