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あれは木々と、その合間を吹き抜ける風。
森の木々により、空気には適度な湿気が溶け込んでいて、水と緑の若々しいかおりを運んでくる。
しかも時は初夏、段々と強くなりゆく陽射しに若葉はますます輝いていく。
そこは【ファグルリミの都】を出てすぐの浅く木々がまばらに茂っているらへん…
まだ生えたばかりの優しい草の感触が手に心地よかった。
「すこし前まで会議で部屋の中に閉じ込められていたから、やはり外はいいものだな」
開放感に身をまかせるまま男は足を伸ばして、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
木々の葉が風にゆすられて、微かなざわめきをかなでている。
一本の木の下に、白の一対が若草をクッションがわりに座り込んでいた。
「しばらく帰ってこれないかもしれないから、この景色を目に焼き付けておこう」
男の言葉に横の女は軽く目を伏せた。
「じゃあ、やっぱりここを出て行くのね」
「ああ、私たちはいつまでもこの森に守られてばかりいるわけにはいかないよ」
大地は森を育て、森はその内にたくさんの生命を包み込み守っている。【ファグルリミの都】は
赤子を守るゆりかごのようだ。深い森という目隠しがそこにすまう彼の一族を戦火から守ってきた。
女を見ていた男の視線が遠くなる。それは恋人を見るまなざしから、長の息子としてのまなざしへと
変貌する。
大陸で続く戦火、この森は大陸の要所から遠いこともあり、さほど酷い争いに巻き込まれた
ことはない。
そして、気性の穏やかな民草。精霊の声を聞くことの出来る者が、それらを含めた世界を
傷つける行為をはたらくことなど出来ようはずはないのだ。
その瞳は存在をそこに示すように赤い。けれども逆にその髪と肌は存在感を危うくするように白かった。
ともすると病的にも見えかねない容色を持つ、それがこの【ファグルリミの都】に暮らし精霊と
語ると言われるサークアの一族である。
その体色のせいなのかもしれない。一見すると男からはひょろりとした印象をうけてしまう。
しかし、肩の広さや腕の太さなど衣服で隠されてはいるが、必要なだけの筋肉は身につけている
ようである。
「だからアルテセーナ、君の姿も目に焼き付けておくよ」
好き好んでこの地へと火の粉を呼ぶようなことをしてくれるな、と言う父親に公然と男は逆らった。
自分ひとりででも戦地へと赴くと。
その脇で男の横顔を眺めつつ女はつぶやいた。
「それがあなたの選んだ道なのね。ロッド」
「すまんな」
ロッドとアルテセーナの瞳が出逢う。
アルテセーナの夕ぐれ前の空のような薄い朱色をした瞳が笑う。完全な赤の瞳は長の血統だけだ。
「あやまる必要はないわ。わたしも行くから」
「何をいっているんだ」
仰天したのはロッドの方だった。
「私は同行なんて認めないぞ」
まだ完全な緑になる前の若葉色の森の中で、色のないその姿は同族からみても華奢に見えた。
ロッドはアルテセーナの肩に手を置く。
「こんなに小さくてはかなげに見える君を戦に放りこむなんてことを、私は認めない」
「放りこまれるんじゃない。私は自分の未来を選び取りたいだけ」
きっぱりとアルテセーナが言う。
「ロッドは、ウールヴァーン様と初めて逢われた時の話をしてくれたわよね」
「ああ?」
アルテセーナの言葉の意図がつかめずにではあったが、ロッドはうなずいた。
『俺に力をかしてくれないか』
それがウールヴァーンがロッドに向かって言った第一声だった。
出逢ったのは森の中。馬に乗った自分と同じ歳くらいの男。
ロッドにはひと目見て分かった。あの目は戦場で戦ったことのある人間の目だと。
男の言う力とはつまり、ロッドの一族が操る【全知の言葉】とも呼ばれる精霊と語る音。
『それは無理だろう』
ロッドは男へ向かってそう言い放ったのだ。はじめこそは。
『我らの力は他人に命じられて使えるものではないからな』
精霊と意思を交わすといっても、それは精霊を下僕として使う言葉ではないのだ。
警戒しているロッドに彼は笑って馬から降り立った。
2人の視線の高さがほぼ同じとなる。わずかにロッドの方が下だろうか。
見たことない色の瞳、古代紫の目がロッドを見ていた。
『それで充分さ。君がその力を自分から、使いたいと思うようになってくれればいいだけの話だからね』
その男の名をウールヴァーンというのだと、ロッドが知るのはまだ少し先の話だ。
『お前は私たちひとりひとりに洗脳でもしてまわる気か?』
それが出来ていたらロッドの一族はとっくに戦場に立っていただろう。あるいは他の氏族の手によって
立たされていたはずだ。精霊により気候の変化を読み、時に操り…人の治癒力すら高める。
突拍子のないことをいう男にロッドは懐疑の視線を向けた。けれど男の方は別段変わった様子もない。
『そんな面倒なことはしないな。要は俺と考えを共有してもらえばすむことなんだ。俺は戦を終わらせたい』
誰も成しえなかったことを男はあっさりと言った。なにげもないように。
『我々ごときで…』
ロッドはただ絶句した。力を貸す貸さないの話など吹っ飛んでいた。そんな発想の持ち主が存在したことへの
驚きだった。
争いは生まれたときからあり、それがあたり前だった。
『いまは小さくても、いずれ大きくなる』
男はロッドにそう言い切った。
その言葉通り少しずつではあったが、彼のもとには人が集まりはじめていた。
たとえば、ロッドの民のように精霊に頼り治癒を高めるのではなく、己の能力によって治癒を行う
治癒士とも呼ばれるナーラスの一族の人たち。
その能力ゆえに奇跡の民とも呼ばれるが、ロッドの一族以上に他人に命じられては発揮されない
能力を彼らは持つ。治癒の能力と相反する、傷つけるという行為を病的に嫌う民なのだ。
戦のなかで戦えない一族は滅亡の危機を迎え、今は辺境の山岳地帯にわずかな生き残りの人々が
隠れるように暮らしている。そして人を治癒するため山を降りた同族を再び受け付けないほどの
排他性。
だがそれでも下山を選び、ウールヴァーンのもとには数人の治癒士の民がいる。
故郷へは帰れない。けれども、自らの意思で未来を選び取った人たちが。
『破滅的だよ、今の大陸は。戦は人の命を奪う、その戦を戦でやめさせようという考えは間違って
いるのかもしれない。だが…』
そういった男の声に迷いがなかったわけではなかった。
それでも彼の目は自分の目で選び取るべき未来を見ていた。
大陸の統一。夢の夢かもしれなくても。
『お前名前は?』
思わずロッドは尋ねた。
『ウールヴァーンだ』
その時ロッドは男の名を知った。
ウールヴァーン。その男と一緒に夢を見たいとそう思ってしまったのだ。
夢を共有したいと……
「だからロッド、私も選び取るわ」
「アルテセーナ。私は自分の力に自惚れるつもりはない。もし、お前に何かがあったら
それは私が守りきれなかったということだ」
2人の視線は真っ向からぶつかりあった。
「私はそんなことになったら一生後悔するだろう。ここで帰りを待っていてくれないか」
ロッドの言葉にアルテセーナがため息を付く。
「ここで私が引き下がってロッドに戦場で何かがあったりしたら、私も一生悔やむのよ。
私の気持ちは考えてはくれないの?」
アルテセーナの言霊を操る術者としての力は一族の中でも決して低くはない。戦場で欲しくない
人材でないと言ったら嘘になる。
「しかしな…」
「2人でいたことで変わる運命があるかもしれないのよ」
みつめあったまま2人は笑い出す。
しばらく笑いあった後、ロッドはつぶやく。
「なるほど、私たちは実にふたりして同じことを心配しているわけだ」
笑いは消えて二人は真顔になる。
「ロッドともう会えなかったらなんて思うと…。最後の最後まで一緒にいれる方が私はいい。
この感情は間違っている?」
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