◆
(僕は、はやまってしまったのだろうか?)
ルヴェンは思う。そうかもしれない…。
【ファグルリミの都】へと向かう森の中の野営地で、ルヴェンは横になったままぼんやりと
たき火のほむらを眺めていた。炎の向こう側ではリアイダが寝ている。
リアイダに連れられて深い森の中に入りこんでもう3日となっていた。
こんなに歩いたのは、はじめての事だ。足の筋肉とそして節々が悲鳴を上げている。
今日の1日のことをルヴェンは振り返った。
昼の休息に木の下に腰を下ろしていた時のことだ。
足元の草々からのぞく、ひとつの花をリアイダが指し示す。
花といっても、白い本当に小さな目立たない花弁をつけた地味な野草だった。
「ルヴェン、この花の名をソシアスの一族では何と言うんだい?」
たぶん、街に暮らしていて森へと出たときなどにも目をしたことはあるだろう。しかし、
名などは分からなかった。
大陸統一言語と各一族の言語。文法的には似ているところが多いが、特に固有名詞は
それぞれの一族固有のものなどが多い。
「知らないよ」
疲れてへばっていて、ルヴェンの声はなんとはなしに投げやりになっていた。
「そうか」
リアイダの返事に感情はない。ルヴェンのつっけんどんな返事に、何ら気分を変えずに
リアイダをうなずいただけだった。
そしてそれではその野草をリアイダの属するサークアの民では何と言うのか? あるいは、
【言霊】では何と言うのか? を教えてくれるわけでもないのだった。
「この野草の葉をすり潰したものを、布に浸して巻くと筋肉痛に良く効く」
リアイダはその野草の効用を述べるとそれを摘み取る。
「見つけたら摘み取りながら行こう。もうそろそろ筋肉痛がキツイころだろう?」
そう言うとリアイダは立ち上がった。
「もう行くの」
不満顔のルヴェンを、疲れているからだとリアイダは思ったらしい。
「長い道だからね、少しでもかせいでおかないとね」
リアイダは決してその野草の名を口にはしなかった。
森を行きながらリアイダから、【言霊】を教えてもらえるのだろうとルヴェンは思っていた。
歩きながらリアイダが野草を見つけては摘み取っていく。
何の変哲もない野草だった。どこにも生えていそうな…。
なのにルヴェンが視線をめぐらしても見つけられないのだった。
「何で…。見つからないんだ」
なんとなく呟いたルヴェンにリアイダが振り返る。
「お前が本当に見ていないからさ」
「え?」
どういうことかと問おうかとしたルヴェンを、かわすようにリアイダは再び森を
歩き出してしまっていた。
ルヴェンは横になったまま、自分の足に巻きつけられた布を上から触った。筋肉に
染み込むように、つめたい感覚が足のほてりを冷ましていってくれる。
自分が大切に扱われていることは分かっていた。それはこうして痛む足を手当てして
くれたリアイダからも分かった。しかし彼は必要以上のことは話さないのだった。
いったいいつになったら、本当に必要なことを学ばせてもらえるのだろうか。
もうみそっかす扱いも半端者あつかいもご免だった。
そんなことを考えながらルヴェンはいつしか眠りの中に落ちていった。
◆
そういえばいつも囁きをくれたはずの声がないことに気が付く。
今はもうあの声が【風霊】と呼ばれるものだということも知っている。いや、今はそれよりも
風霊とともに、リアイダの姿がないことにもルヴェンは気がついた。
「姿がないって言うより僕が見失ったって感じだよな」
ルヴェンは呟くと森を見渡す。朝起きて、再び森を歩きだしたのは数刻前の事だ。
ぼうっとしているうちに、リアイダの姿を見失ってしまったらしい。
まいったことに方向が全然分からない。行くべき方向も着たはずの方向もだ。
どうしたものか…、動かない方がいいかもしれない。
「けどなあ」
ルヴェンは森を歩き出した。このままじっとしている方が辛い。
慣れぬ森を行くために、がさごそと背の低い木々や草の合い間をかき分けた時だ。
しゅっっ
かすかな摩擦音がしたと思った。
「なっ」
足に鋭い痛みが走る。
慌てて藪から引き抜いた太ももに蛇が噛み付いていた。
蛇をはらおうと手を伸ばすが、痛みとしびれ出した体にルヴェンはそのまま地面に倒れ込んだ。
「ど、毒蛇…」
体が指先などの末端から冷えていく。やがて呼吸をするのも苦しくなって…。寒い…
意識が、そして世界が暗転した。
お前など生まれなければよかったんだ。
…何度か言われた言葉に心が冷えていく。
不気味な…、あれはあやかしに【取りかえっ子】された子供。
…ひそひそと囁かれる言葉。
お前は本当にソシアスの人間なのか? お前のような者がなぜここに存在するのだ?
…ではどこへ行けばいいとうんだ。いらないというなら僕はどこにいればいいんだ?
オマエ ナド ウマレナケレバ ヨカッタンダ
ならば、もういい。僕の居場所などないのだ。ならばどこへでも行ってしまおう。
ここではないどこかへ。
もう、いい。帰らない、ここへは。
寒い…。
暗い、この闇の中へこのまま意識を放棄してしまおう。
考えるのが、痛いと感じる心が辛かった。
だから忘れてしまおう。なにもかも…
それでいい。僕という存在などいらないんだ。
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