|
木漏れ日が安眠をさそう。
ふりそそぐ光の破片とそよぐ風にゆられて、少年はまどろみの中をさまよっていた。
−−ルヴェン…、ルヴェン…。
声がそんな少年の名を呼ぶ。囁くような小さな声だ。
「ん…」
ルヴェンは声に身を起こし上げた。
枝がしなって葉をさやさやと鳴らす。
そこはルヴェンお気に入りの隠れ家であり、昼寝のための特等席だった。
−−ルヴェン。
再び聞こえた声にルヴェンは濃い茂みの中から下界を覗き込んだ。
「旅人?」
街へと続く小道の脇に立つ古木のことなど誰も気にもしやしない。
枝や梢は奔放に伸び昼寝する少年のまわりを包み込んで、昼間でさえ見つからない
格好の隠れ家にしていた。
「こんな時期に珍しいな」
ルヴェンは枝葉の向こうから、街へと向かっているらしい人影を見つけるとつぶやいた。
フードのついたローブをまとう、それは旅人に珍しい姿ではないのだが…、その姿
のおかげでローブの下が、どのような人物なのかはうかがえない。
旅人は街まであともう少しというところまで来て、ひとやすみでもする気になった
のか、古木の影へと入ってきた。
ルヴェンはそれを真上から眺める。
ふと、ちいさないたずら心が起こって、ルヴェンはそろりと枝へと手を伸ばした。
この木にみのる実は赤く甘い。それはルヴェンがこの木をお気に入りな理由の
ひとつであったけれども、熟れすぎるとやわらかくなってだっぼりとたいそうな水気を含むのだ。
ルヴェンは枝の先にまさしく熟れた実がひとつ残っているのを認めると、
そよ風にまぎれて風のごとく枝をゆすぶった。
葉はゆれると、ぽとりと枝から実を落とす。
実は旅人へ向かって落下し、そしてべたりとローブに赤い染みをつけるはずだった。
そう、そのはずだったのだが…。
旅人は何気なく、本当になにげなくルヴェンにはそう見えた、木の上を見上げる
ようにして動いていた。そのわずかに半歩ほど身を動かした、その傍らを実は
すり抜けて地へと落ちるとぼとりとひしゃげる。
ルヴェンは目をみはった。よけられてしまったことへとそれよりも、ルヴェンを
驚かせたのは、見上げた拍子に肩へと落ちたフードの奥から現れた旅人の容姿へだった。
もう若くはない男。短めの髪に口髭をはやしている。別段、普通の初老の男性。
しかし、ルヴェンが驚いたのは…、そのルヴェンが見たこともない銀にも似た白髪と、
なによりも目を引く瞳の色にだった。
影が暗く落ちる木の下からでさえ、その目の色はルヴェンの視界の中へと飛び込んできた。
赤い瞳が木の下からルヴェンを見上げてきていた。
(目があった…?)
そんなわけはない、ルヴェンは心の中でつぶやく。この深いしげみの中からルヴェンの
姿が見えるはずはない。
そう思いながらもルヴェンは自分の姿を隠すようにしげみのさらに影へと身を沈ませた。
ルヴェンは自分の赤毛の髪へと手を伸ばす。ごわついて一本一本が太い丈夫な髪だ。
たまに寝癖に悩まされるが、ルヴェンにとってはどうでもいいことだ。時折、似たような
髪質の姉が寝起きにぶつぶつとうるさいこともあるが。
そんな髪からは想像もできなさそうな繊細そうな髪だった。木漏れ日が光沢のある糸
のような白髪の上で跳ねていた。
そしてルヴェンが見る、はじめての他の一族の人間だった。
(白髪に赤の瞳を持つのは…)
ルヴェンは教師から教えられた、書物の上でだけの知識を懸命にまさぐった。
ここよりももっと東にある【ファグルリミの森】に住まう、言霊により精霊と語る一族。サークアの民。
一瞬前まではただの文字列だった情報がルヴェンの中で急に厚みを帯びて膨らんだような気がした。
あの赤い瞳。
葉が風にあおられて急にざわめき出す。もう昼もすぎて午後になって風が出てきたのかもしれない。
「もうそろそろ帰らないと」
面白くもない授業を抜け出してきた。きっと騒ぎなっているころだろう。
ため息をついてルヴェンが再び下を見たときには、男の姿はもうなかった。
まるで幻を見せられたかのように…。
◆
その声をいつ頃から聞けるようになったのかルヴェンの記憶にはない。
母は自分が生まれた時に亡くなったといい、父と兄と姉という家族でそだった。
家は人の出入りが激しく、父は不在が多かった。
自分ははたして誰に育てられたのか…、それはよく分からない。家に出入りしてくれていた手伝いのおばさん、そのほか父の友人や知人にかまわれて育った。姉の影響も大きい。
でも、一人で放っておかれた時間は少なくはなかった。姉は母ではない。姉自身だって母を失ったとき成人してはいなかったのだから。
だから声が自分をかまってくれるようになったとき、ルヴェンはなんの違和感もなくそれを受け入れていた。
そしてそれがなんなのかルヴェンは知らない。
火がついたように泣いて手がつかられなくなったときがあったという。
ほんとうに子供のころの話だ。
−−いやだ。行っちゃやだよ。
家によく出入りしていた父の友人の服のすそをつかんで、自分は泣き叫んだという。
あの大きな手でなでられるのがルヴェンは好きだった。剣の鍛練をかかさぬために、何らかの傷が常に絶えることのない手。それは父が決してもつことない手だった。
そして父のその友人は出発した先の戦場で死んだのだ。
[INDEX]
[NEXT]
|