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大蛇山(東上町)


〜祭りの顔の「大蛇山」は東上町の担当です〜



■大蛇山作り


大蛇の製作には、細く割っても大丈夫な竹と藁・縄、それと大神宮のお札などが使われます。





大小あわせて20本の竹は名人の手によって弧を描き、バランスよく組み立てらていきます。
骨組み完成

骨組みが出来ると次は紙貼りです。各家から持ち寄られた大神宮のお札などが張られ、色がつけられます。
特に目玉には、神札や護符などが使われ、慎重に作られます。
△紙貼り完成






 約一ヶ月かけて完成した大蛇と後部の尾脇部のアシや紅白の紙飾りが山車に取り付けられます。




■飾り付けとお参り
 御幣をまとった大蛇は、入魂式のあといよいよ大蛇山になるのです。



神主さんからお払いをしてもらい、祭りの安全と成功を祈願します。その後、お神酒をいただき祭りの開始です。






大蛇山の中では龍神太鼓、鐘、が乱打されます。


この山車で使われる大太鼓は,立花宗茂が朝鮮出兵のときに、陣太鼓として使ったという由緒あるものです。


小気味よい鐘 勇ましい太鼓



子供達が1ヶ月ほど前から練習をして、大人顔負けの強い鐘、太鼓をたたきます
ほら貝






かませとは、「噛ませる」ことです。


辺りが暗くなった8時過ぎ神社の前では子供の健やかな成長を願って、大きく開けた大蛇の口に赤ん坊を差し出す親たちや、無病息災を願う参拝者たちで、大きな人垣できます。
大きな大蛇の口にいれられ、見ただけで泣く子供、終わった後もきょとんとしている子供、さまざまです。







目玉取りの由来


これは祭りで大蛇山巡航が終わる明け方、各町の男衆が争いあって大蛇の目玉を取り合うことです。


 この目玉取りは昭和初期、昭和6年の満州事変、7年の上海事変のとき、中島の各町からも入営する人がおり、その地区では、兵隊になる友人の武運長久を願って、同級生や知人が祗園祭りの際に縁起ものである大蛇の目玉を争って取るようになりました。


入営する人の出身地は数多く、各町の男衆がその友達のために、なんとしても目玉を取ってやろうと躍起になったので、争奪は熾烈を極めました。


戦後になっても目玉取りは、男衆の男気と、商売繁盛の縁起物として続きました。
△昭和32年大蛇崩し光景 △昭和38年の目玉


その後昭和38年死者が出たため、8年間祗園祭りは中止になり、右上の写真は、その38年最後の目玉とりの時の、目玉です。




以前には旧北二重と西二重にも大蛇山があり3つの山がありました。


それよりもっと以前の明治の中期ごろまだは南二重地区にも大蛇山があったそうです。また新北二重には踊り山があり、多くの山があり中島祗園は活気が溢れていました。

このように山がなくなるのも寂しい気がし、ぜひ他の地区も是非復活させてもらいたいものです。


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