せっかく書いたのだから、消去してしまうのはもったいので、恥ずかしながらバックナンバーとして掲載させてもらいます。
いわゆる「写歴」というやつ 「第一話」
まだ4〜5歳のころ、父親が「お座敷暗室」で家族の写真など焼いているのを見た記憶があります。写真との出会いですね。父親が写真をやっていたのは、父親のすぐ上の兄(わたしからみて叔父)の影響か?中学校教師の父は写真部の顧問などもやっていたのだろうか?
はじめて自分で写した記憶は小学生中学年ころに、どこかの海岸で打ち寄せる大波を何枚も何枚も写した事かな?カメラはマミヤ35と言うレンジファインダーでレンズシャッターのもの、使い方を知っていたのだからもう少し前からこのカメラをいじっていたに違いない。二度と同じ形でくずれない大波が面白くてほとんどフィルムを使い果たした。
小学校高学年から「科学、SF」好きなことから天体観測がしたくなり天体写真に興味を持つ。中学生ではじめてバルブ* で長時間露光をして星の軌跡を撮影する。モノクロの現像もこのころから自分で、ベルト式のタンクを使ってたなー。藤井旭氏著の「天体写真入門」?愛読してました。
カメラはやはりマミヤ35でしたがその後、先述の叔父からキヤノンflex RMという一眼レフカメラをもらいました。大きく重く、ミラーショックが「写した!」という感触がありました。
高校で写真部に入りました。わりと真面目なクラブで先輩もいろいろ教えてくれました。活動もまあまあ盛んで1年生の6月には学内展用に全紙まで引き伸ばしをしてます。このころ、いわゆる「カメラブーム」がおこり電子化されたカメラが各社で競われてました。自分はニコン党と称する同級生から「ニコン神話」を耳にタコができるほど聞かされて、今だにそれが「トラウマ」になっています。ニコンを持っている人とは距離を置きたくなくなります。(カメラに罪はないのにねー、ニコンを使っている方ごめんなさい)
これ以降は次回更新の時までお待ち下さい。
バルブ* カメラのシャッターを長時間あけ続けること。天体写真や夜景など光りの少ないものを撮るのに使う。
いわゆる「写歴」というやつ 「第二話」
その高校の写真部では春と秋(文化祭)に写真展をしていたので、かなり真面目に撮ってました。このころからモチーフは路地裏や地面や古い家屋などが多かったような?当然、小樽だから運河や港とかも撮影しました。
普段はなぜかキャビネで焼いて、展示のときだけ全紙で木製パネルに張ってましたね。
多分お金がなかったので普段はキャビネでプリントしていたのだと思います。
展示用のプリントはいろいろ気を使って焼いていたと思います。
印画紙は今は亡き月光(三菱)のVとNRシリーズ(もちろんバライタ紙です)
特に黒の締まりにはこだわりがありました。ほんとプリントって難しいなぁーと思いましたね。
しかし、今考えてみるとフィルム現像が無茶苦茶だっただけなんですね、これが。
白くとんでしまってトーンの出ないところを絞りを開けて*焼き込んでたりしましたからねー。ちゃんと現像していたらあんなに苦労しなくて良かったのに…でもあの苦行があったから、プリント(特に焼き込み)は上手になったと思います。
さてこの高校一年の秋に「高文連」(こうぶんれん、正式名称は知りませんが道内の高校の文科系クラブの連盟らしい)の写真部門で自分の写真が地区選考に残って全道大会(?)まで行くという出来事がありました。高校の研修旅行のバスの通路でクラスメートが座席の肩に手をついて、「飛び蹴り!」みたいなことをしているところを正面から撮影したもので、靴の裏がとても大きく、その向こうに顔がくっついている様な「変な写真」でした。そのクラスメートに(うーん確か裕二とかいう名前だったかな〜だんだん思い出してきたぞ)「撮ってくれよー」とせがまれて、しかもそのポーズも彼が考えて撮影したものなので、この結果は正直不本意でしたね。まあ、びっくりしたけど、全然うれしくはなかったです。
ただ、これがきっかけになって当時最新鋭のキヤノンA-1を親から買ってもらったのではないか?と思うのですが、あんまりここらへん記憶が定かではありません(親不幸者?)
(このボディーはさすがに10年程で壊れましたが、5年前に中古で買ったA-1にモードラとデータバックを付けて趣味のカメラとして使ってます。もしかしてA-1フェチ?)
この、「高文連」ですが、毎年応募はしてたんですが、その後選考されることもなく、高校の3年間を終えてしまいます。
しかし、この高校の写真部時代、校内展、校外展でだれよりも出展数が多かったと思います、撮影本数はそれほど多くなかったと思いますが、1日で10本以上撮影したこともあったと思います。純粋に好きだったんですね。またこの頃のネガも保管してあります。今度見てみようかな…少し、いやとっても怖いかも…
次回は写真による「Peak Experience」(至高体験)についてです。
絞りを開けて* ある1カットの引き伸ばし露光は焼き込み、覆い焼きの時も、一定の絞りで行うのが原則です。途中で絞りを変えると伸ばしのピント不良や、焼ブレなどが発生する可能性があります。ここだけの話、(なんでや!インターネットで”ここだけ”はないやろ)いまでも、最終手段として露光の途中で絞りを変えることもあります。皆さんはまねしないように、責任は負いません。
いわゆる「写歴」というやつ 「第三話」
長々と高校生時代の事を書いてしまいましたが。
最後にひとつ忘れられない出来事があります。
ある冬の日、小樽港に撮影に行った時に運河近くの倉庫のそばにあった一本のプラタナスの木を撮影
しようとファインダーを覗いた私は、ファインダー越しに見たその構図から得も言われぬ衝撃をうけ
ました。それは脳がジーンと痺れて、うなじから背筋にかけて毛が逆立つような感触のものでした。
(言葉ではうまく言い表せませんが)
写真そのものは冬枯れしたプラタナスの木の背景に黒っぽい倉庫の建物が大きく写っているだけの、
わりと平凡なものなのですが、「今日、撮りたかったのはこんな写真なんだ…」という確信が沸き上
がってきたのを覚えています。
その後、ほんの数回ですが、似たような事がありました。
いったいこの経験はなんなのでしょう?
「ランナーズ ハイ」という言葉がありますが、この場合「フォトグラファーズ ハイ」とでも言う
のでしょうかね。
身も蓋も無い言い方をすれば、脳内の神経が一時的に大きく興奮してエンドルフィン等の脳内物質が
放出された結果の「恍惚状態」という事になるのでしょう。
多分、私の脳の構造が視覚からの刺激にたいして、幸か不幸かとても興奮しやすい性質を備えている
のでしょう。
事実、興味を惹かれたものから、どうしても目を離す事ができない時がままあります。
私の脳にかけられた一種の呪縛なのかも知れません。
ところで、こんな写真漬けでしかも地学部やらバンド(ほとんどお笑いにちかいレベル)などやって
いた3年の高校生活だったものですから、しっかり受験に失敗し、1年間の予備校生活を送ることにな
りました。
あれだけ、写真が好きだったのだから、その道への進学を考えてもよさそうでしたが、変に理系の血
が騒いだのか、よせばいいのに秋田大学など志望し、しかも二次試験前日に雪に閉ざされた「田沢湖」
など撮影に行ってたのですから、落ちて当たり前でしたね。
受験費用や旅費を出してくれた両親に懺悔です、はい…
次回は(いつになるか判りません、断言します)なが〜いまわり道についてです。
いわゆる写歴と言うやつ 「第四話」
ながーい回り道の話し
さて、やる気のない大学受験をした結果、見事にどの大学も滑り、、
(そもそも滑り止めと言う受験体制で望まなかったので、、)
しっかり一年間、「浪人」する事になりました。
ちょうど、某大手予備校が札幌に進出したのでそこへ通っていたのですが、、
(カメラはけっこう頻繁に持ち歩いていましたね、、そんなに撮影はできなかったと思いますが)
あっと言う間に翌年の受験が来てしまい、今回は信州大学とナント!日本大学の芸術学部の写真を
受験してたんですね〜!
結果はめずらしい事に(信州大の二次試験の日は長旅が祟ってか、嘔吐+発熱と言う最悪の体調に
も関わらず)両方受かってしまいました。
「日芸」は親に相手にされず(学費もバカにならないし、、せっかく受かった国立を袖にするなんて!?)
信州大に行く事になりました〜。
*日芸には信州大の合格結果が出るまで、「入学手続き延長金」みたいな物まで払ったのだ!たしか30万?15万?
苦労して入れてもらった、大学時代はちゃんと?「写真部」に入りましたし、運動音痴の私にしてはめずらしく
(北杜夫の小説に憧れもあって)
「ワンダーフォーゲル」などにも所属してしまい、クラブ活動に充実しすぎて(爆)しっかりと留年なども経験し、
首の皮一枚で繋がった程度の単位でかろうじて卒業しました。
信州大学の「写真部」はタコ足大学と言う事もあり、各学部それぞれでサークル活動をしていましたが、
大学本部と教養部がある松本で新入生が入部するので、なんとなく「全学部」の活動をしていました。
(長野県と聞くと今では第ニの故郷って気がします)
実はこの写真部の創立メンバーに、その後偶然の出会いから大変御世話になる方がいたりします。
(世の中って不思議ですね)
卒業後、某印刷会社に無事就職しましたが、「会社」というか?「社会人」に全く馴染めず(今も馴染めない)
結局4年間勤めて、
あっさり辞めてしまい写真の学校に行く事になりました。
今考えると、ここに至るまでに何度か「写真の道」に飛び込む事が出来たはずなのですが、優柔不断と言うか?
なんと言うか?
ほぼ10年間ぐるぐると回って来た訳ですねぇ〜なんとなく損した気分、、、(と思う自分が情けない)