このページ、1年半以上も放って置いてしまいました。続きを知りたかった方々申し訳ありません。
退院は、意外とはやく(色々な条件から考えて)1997年9月でした。
そこまでの道のりは山あり谷ありで、いまだから「なつかしい」と思い出せるのですが当時はジェットコースターに乗っているような気分で、落ち着いて構えてはいられませんでしたね。
あーちゃんにとって一番の問題は「呼吸」でした、呼吸器をはずすと、どうしても呼吸がうまく行きませんでした。「気管軟化症」と言ってあーちゃんの気管は普通より柔らかく、激しい呼吸(泣いたり)をすると潰れて空気が通りにくくなるのだそうです。
体調が落ち着いた時に何度か呼吸器をはずして見るのですが、持って一日、二日で顔色が黒くなって(チアノーゼと言うらしい)血中の酸素濃度をモニターしているセンサーが警告を出してしまい、再び挿管(気管まで呼吸器の管を入れること)して逆戻りのくり返しでした。
あーちゃんは気道が狭いらしく、担当医はかなり苦労されたようです。

NICU(生まれたての赤ちゃん用集中治療室)と言うことで面会は昼過ぎと夜の2回だけでしたが、昼に面会に言った母が「今日はなんだか調子が悪そう」と気になったときには、夜の面会に行くと必ず挿管されているので母親の「観察力」には驚かされます。
具合が悪い時の血液検査で「感染」の値が高く、髄膜炎と診断されて生きた心地もしないで見守っている母をを写真撮影して怒られた事もありました。
NICUには2ヵ月ほど居ましたが、さすがに「古株」になって来て、NICUの看護婦さんから惜しまれつつ、小児科病棟のICUに「御引っ越し」をしました。

この時点でも、挿管による呼吸管理が行われており、入浴時には看護婦さんが手動で空気を送り、両親がお風呂に入れたり、挿管チューブに溜まったものを吸引機で吸い出したりという、「貴重」な経験もしました。
その後、何度か内視鏡で気管の具合を診てもらったのですが、挿管チューブをはずすまでは気管がしっかりしておらず、あまり見通しも立たないまま7月を迎えました。
7月29日、入浴中に挿管チューブが外れてしまい、そのまま呼吸管理の必要が無くなってしまいました。(と言うと簡単ですが…)
目の前であーちゃんの顔色が真っ黒になって、母は本当にパニックになってしまったそうです。
幸い小児科の医局長の先生がたまたま病棟にいらしたので「すぐに挿管しないで、様子を見よう」と言う事になり、少し落ち着いたあーちゃんは酸素の管を鼻の近くに流して、なんとか挿管チューブなしで呼吸を続ける事ができるようになったのです。
非常に弱々しく小さな声でしたが、まともな泣き声を聞いたのはこの時がはじめてでした。
その後、ICUから卒業し、ははが病院に泊まり込みでミルクを飲む練習やら、呼吸管理やらと忙しい日々がはじまりました。多分あーちゃんが母や父を身近な存在と感じ取ったのはこの辺りからではないかと思っています。
