この「ときめきメモリアル2」は、非常に高い評価を受けた秀作です。実際、この作品に関しては、雑誌、ネット共に、悪い評判は聞いたことが無く、そういう意味では、いささか珍しいほどの名作だと言えるでしょう。

 では、何故、この作品が、これほど高い評価を受けたのかということですが、これはやはりコナミという、「ときメモ」以来、コンシューマーのギャルゲーのリーディングカンパニーとなった大手メーカーの作品だからだと思われます。その作品のスケールは、他のメーカーの追随を許さないほどのもので、ここまで細かくしっかり作り込まれた作品は、ちょっと他のメーカーには、無理かも知れません。

 ただ、それほどのコナミも、今ではすっかり影が薄くなってしまいました。去年出した「ときめきメモリアル3」は、完全な期待外れに終わり、それ以降、次の作品をリリースする気配すら感じられない始末です。同社の他のジャンルのゲームが、相変わらず、高い水準の出来栄えを誇り、多くのユーザーから絶賛されている現状を見ると、余計にギャルゲーにおける退潮ぶりが、はっきりしますね。

 これは考えて見ると、いささか妙な話のように思えます。つい3年前、この「ときメモ2」で、あれだけの評価を受けておきながら、ここまで落ち込んでしまうとは、一体、どういうことなのでしょう?同社がギャルゲーへの興味を失ってしまったから?いやいや、少なくとも「ときメモ3」を出す気はあったのです(それも業界初の怪しげなファンドまで使って・・・)。ギャルゲーに興味を無くしたわけではないでしょう。それなら、安易に2匹目の泥鰌を狙ったのがまずかった?それとも、自慢のEVSが、中途半端に終わって、ファンに失望されたのが、いけなかったのか、いやいや、もしかすると、同社が出した他のギャルゲーが、駄作ばかりで、ユーザーの評判を悪くしてしまったのが、効いたのかも・・・。

 と、いった風に、この事態を招いた原因は、いくつも挙げられます。が、どれもこれも、実際のところ、瑣末的なものに過ぎません。では、何が根本的な原因なのか?それを論じる前に、ギャルゲーというものの歴史を簡単に振り返っておきましょう。そうすることで、何故、コナミが凋落したのか、そして、この「ときメモ2」という作品が、コンシューマーのギャルゲーにおいて、どのような位置付けを占める作品なのか、それがわかってくるかも知れません。

 さて、ギャルゲーの歴史は、ゲームの中でも極めて古く、コンピューターを使って、家でゲームをするという行為が始まった、その瞬間にまでさかのぼることが出来ると言っても過言ではありません。今をときめくあのコーエーも、昔は怪しげなエロゲーを出して、一部で好評(?)を博していたものでした。私がこの種のゲームを始めてプレイしたのは、確かファミコンを購入していくらも経たない折、友人の家のPCでやらせてもらったアクションゲーム(スターシップなんとかって、タイトルでした)ですが、ちなみに私は当初、友人にはめられて、これは普通のアクションゲームだと信じて疑わず、懸命に敵のロボットをかわして、ゴールにたどりつき、やった!1面クリア!と、思ったその時、いきなり色っぽい女の子に遭遇。で、友人から「彼女を○○すれば1面クリア」と言われて、しばし呆然としたものでした(笑)。

 そんな歴史の古いギャルゲーですが、これら初期の頃のギャルゲーは、全部とまでは言わないにしろ、その大半が、私の経験からもわかるように、およそまともな意味でのゲームと呼べるようなものではありませんでした。単に、ミニゲームをクリアすれば、女の子が脱いでくれるとか、シナリオも何も無いアドベンチャーを適当に進めていると、あちこちで女の子が脱いでくれるとか・・・。実際、その頃のギャルゲーは、PCでプレイする単なるエロゲーか、あるいはやたら露出度の高いコスチュームを着たヒロインの活躍を鑑賞する紙芝居に過ぎなかったのです。

 そして、このような「ギャルゲーとは、女の子のお色気を楽しむためのもの」という常識を、根底から覆したのが、「ときメモ」でした。この作品が革命的だったのは、それまでのギャルゲーの主題であったお色気シーンを、あっさりと省き、代わりにしっかりと構築された育成ゲームを導入し、プレーヤーを、バーチャルリアリティにおける擬似恋愛という、それまで類を見なかった新しい世界に、引っ張り込んだところです。この作品によって、「ギャルゲーとは、プレーヤーが擬似恋愛を楽しむためのもの」という、全く新しい常識が生まれ、それが一部のマニア以外、誰も手を出そうとしなかったギャルゲーを、一躍、コンシューマーゲームの表舞台に引っ張り出す結果になったのでした。

 そういう意味では、RPGにおける「ドラクエ」、あるいは格闘ゲームにおける「ストU」にも比することの出来る「ときメモ」ですが、この作品にも、欠点が無かったわけではありません。いえ、正確には欠点と言うより、その道のパイオニアが当然抱える物足りなさ、と言った方がいいでしょうが、とにかくストーリーが薄く、個々のイベントのつながりも無い。従って、プレーヤーは多くの女の子とデートして、いかにもモテモテ気分を満喫出来るものの、それ以上の感動は、到底、望めなかったのです。

 これは、同作品においてユーザーからの評判の良かったイベントが、ヒロインのお色気や可愛らしさを強調するようなイベントではなく、いずれも同作品においては、比較的、内容の濃いイベントばかりだった、という点に端的に現れています。つまり、多くのユーザーは、単に可愛い女の子にモテるだけではなく、もっと内容のあるストーリーを楽しみたいと思ったわけですね。

 こういったユーザーの意識を考えれば、「ときメモ」が切り開いた道を進むべき、次の作品が、どういったものになるかは、明白です。つまり、「ときメモ」に比べて、内容の濃いストーリーを展開して見せねばならないわけで、実際、コナミが「ときメモ」の次に出した本格的なギャルゲーは、そのドラマシリーズ「虹色の青春」でした。これは当時としては、非常に濃いストーリーの作品で、ユーザーからの評判も上々。さすがにコナミは、ギャルゲーの進むべき方向を、正しく認識している、と、その頃の私は、頼もしく思ったものでした。

 ただ、これは今考えても理解出来ないのですが、何故かコナミはこれ以降、ギャルゲーにストーリーを盛り込むことに関心を失います。結果的にこのドラマシリーズの3作品が、コナミがまともに出した唯一のストーリー重視のギャルゲーになってしまったのですが、これには同社にとって、「ときメモ」のヒットが予想外の、言わばイレギュラーだったという点が、大きく作用したような気がしてなりません。つまり、本来、スポーツゲームやアクションゲームがメインのコナミは、ギャルゲーというものを、真面目に考える必要性を感じなかったのではないか?同社にとって、ギャルゲーイコール「ときメモ」で、それ以上の発想をする余地は、無かったのではないか?ということです。

 これはコナミが出した他のギャルゲーを見ると、よくわかります。それらの作品は、「ときメモ」のシステムをそのまま踏襲して、結末だけを変えたもの(「みつめてナイト」)か、あるいはより難易度の高い極端な方向へ発展させたもの(「あいたくて」)ばかり。そうでないものは、もう論じる必要も無いような駄作(「聖少女艦隊バージンフリート」は、その代表。あれは本当に凄かった・・・)で、およそ真面目にギャルゲーの将来を見越したような作品は、一作も無かったのですから。

 こうして、コナミが「ときメモ」のヒットで自縄自縛になり、ひたすらその改良と発展に終始していた頃、皮肉なことに、コナミによってその存在意義を覆されたPCのエロゲーから、恐ろしく内容の濃いストーリーを誇る作品が、次々と発売されることになりました。その先陣を切ったのは、言うまでも無く「To Heart」。この作品は、「虹色の青春」とほぼ同時期に発売されているのですが、その後の展開は、対照的と言って良く、その回だけの打ち上げ花火で終わった「虹色」に比べ、「To Heart」は、様々な形でPCのギャルゲーに影響を及ぼしました。これ以降、PCではエッチシーンを付け足し程度にしか考えない、ストーリー重視のゲームが、続々と発売されることになり、これが多くのユーザーから、絶大な支持を集めるようになったのです。

 そして、こうなるともう後の展開は、決まりきっています。多くのユーザーが、擬似恋愛よりも感動的なストーリーを望んでいたことに気づかなかったコナミ(と、その影響で安易にギャルゲーに手を出した他のメーカー)にとって、PCから次々と来襲する泣けるギャルゲーを迎え撃つなど、到底、不可能なことでした。無論、このようなユーザーの嗜好の変化を敏感に察知し、ストーリー重視のゲームを作ったメーカーもあったのですが、弱小メーカーで力が無かったり、潰れかけたPC−FXで作品をリリースしてしまったり・・・。残念ながら、この流れを変えることは出来ませんでした。

 その結果、今ではコンシューマーのギャルゲーは、その大半がPCからの移植で占められるようになっています。それもPCで高い評価を受けた名作だけが移植されているというのなら、まだ話はわかりますが、最近では、私のようにPCの事情にうとい者(それでもその手の雑誌を購読しており、最低限の知識は持っているつもりですが・・・)では、タイトルすら知らないような作品まで、移植される始末。もはやコンシューマーのギャルゲー自体、滅びかけていると言っても過言ではない状況なのですが、実際、ストーリーを楽しむだけなら、高い制作費をかけてオリジナル作品を作るより、素直に移植に頼った方が、有利なのかも知れません。

 こうして、コンシューマーのオリジナルギャルゲーが、すっかり影を潜めた昨今、コンシューマーにおけるギャルゲーの中心を担うことになったのは、PCからの移植を得意とするキッドや、得意どころかそれを専門にしているプリンセスソフトといったメーカーでした。他のメーカーは、こうなったら自分達も、と移植に手を出すか、あるいはPCでも例の無い極端なバカゲーを出して、受けを狙うか、そのどちらかに活路を見出すより他に無く、もはやギャルゲーの主流はPC、コンシューマーはそのおさがりで我慢、という状況は、いかんともし難くなっているのです。

 では、このような状況をコナミはどう捉えているのか、ということですが、相も変わらず「ときメモ」一本槍で、恐らくこの状況の意味を何ほども理解しておりません。これは、同社がギャルゲーマーというのは、ゲーム中のヒロインから自分の名前を呼んでもらえれば、もうそれだけで満足して、
「わ〜い、○○ちゃんに僕の名前を呼んでもらえた!嬉しいなあ〜」
 と、大喜びするような馬鹿の集まりとでも解釈しているのか、それとも所詮ギャルゲーなど、主力商品ではないので、真剣に考えていないのか、そのどちらかでしょう。そうでなければ、「ときメモ3」は、もう少し工夫出来たはずなのですから・・・。

 そして、そう考えると、この「ときメモ2」という作品の位置付けが、よくわかって来ます。この作品は、確かに名作です。それももしかすると史上最高と呼んでいいほどの名作かも知れません。が、ここで注意しなくてはならないのは、この作品の何が名作なのかということ。この「ときメモ2」は、確かに好評を博したのですが、その好評の中身をつぶさに見ると、いずれも前作との比較が、中心になっていることがわかります。
曰く「前作に比べて、爆弾がつきにくくなった」
曰く「前作に比べて、イベントのボリュームがアップした」
曰く「前作に比べて、自分の名前を呼んでもらえるようになった」
 と、いった具合に・・・。

 つまり、この「ときメモ2」は、コナミがずっと出し続けて来た「ときメモ」シリーズの総決算であり、最も充実した「ときメモ」だということなのです。当然、「ときメモ」(そして、それに影響された他の亜流作品)と比較すれば、その充実ぶりは際立っており、高い評価を得たのも無理はありません。が、あくまでも、それは、従来の「ときメモ」と比較しての話。この作品単体で見れば、どうなるでしょうか?
「爆弾がつきにくくなった」(そもそも、爆弾などというものが、ゲームを楽しむ上で必要なのか?)
「イベントのボリュームがアップした」(恋愛アドベンチャーなどと比較して、それでもこのボリュームで十分なのか?)
「自分の名前を呼んでもらえるようになった」(ゲーム中のヒロインに名前を呼ばれることが、それほど嬉しいことなのか?)
 と、いった風に、全く別の見方が可能になるわけです。

 結局、この「ときメモ2」は、例えるなら、家庭で映画を見る場合、VHSではなくDVDが主流になりかけた時期に発売された、史上最高の性能を誇るビデオデッキみたいなものでしょう。確かに、それ自体、素晴らしい作品に違いはないでしょうが、時代の流れからは完全に取り残された、発売と同時に旧式化することが、わかりきった製品なのです。

 そして、「ときメモ2」が「極めて充実した擬似恋愛を楽しめるゲーム」にとどまったことが、コンシューマーのギャルゲーの運命を決める最後のとどめになりました。以後の状況は、前述した通りですが、この作品がもう少し、別の何かを含んでおれば、状況は変化したかも知れません。同作品が発売された時期は、プレステでも「Lの季節」や「Memories Off」といったPCに対抗し得るストーリー重視のギャルゲーが、発売された時期に近いですので、コナミにもう少し先を読む力があれば、この「ときメモ2」は、別な作品になった可能性は、十分にあるのです。

 ただ、「ときメモ」のヒットで、自縄自縛になったコナミに、それを求めるのは、所詮、無い物ねだりだったのでしょう。個人的には、コナミはもうギャルゲーなどとは縁を切って、その優れた開発力を存分に発揮出来る他のジャンルに集中すべきだと思いますが、それでもこの「ときメモ2」が、旧時代の作品としては、最高の名作であることに違いはありません。例え長い目で見れば、時代から取り残された存在だったとしても、プレステギャルゲーのひとつの時代の区切りを飾った作品として、あるいは滅びゆくコンシューマーギャルゲーの最後のヒット作として、ゲームの歴史に残る作品になったのではないでしょうか。


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