※(2005.8.24記)先日久しぶりに三増酒≠ナググってみたところ、このページがトップでヒットしたのには面食らってしまった。まさに拙サイトを立ち上げたときにほんの勢いで書いてしまった戯言だというのに。申し訳ない気分でいっぱいである。
もうとっくにお気づきの方もいらっしゃるはずだが、いきなり大間違いをしている。「三倍醸造法」→「三倍増醸法」。恥ずかし。
あと、現在市場に出回っているのは「三増酒ブレンド酒」であって「三増酒」そのものではない≠ニいう反論もあるかもしれない。まあ現在「三増」という単語は酒呑みの間で広く知れ渡っているものであるし、ブレンド酒(実質二増£度でも)も含めて広い意味での「三増」と捉えていただければと思う。
本件については(2005年現在の、私自身の心境の変化も踏まえて)書きたいこともあるが、もう少し論点を整理して後日改めてということで。
以下の文章は、2000年1月に書いたものを(誤記も含め)一切修正せず掲載しているものであることをご了承願いたい。
あらためて、三増酒について
カップ酒ギャラリーを見ていただいた方は既にお気づきのとおり、マニア=本サイト作者は三増酒を嫌悪しております。それは大学生時代に散々酷い目にあわされたという個人的感情もありますが、それよりもなによりも酒屋に並べられる粗悪な『自称日本酒』を駆逐しないことには、日本酒は今後ビールやワインとの競争に勝つことができずジリ貧に陥って行くだろうという危惧を感じるからです。
あ、ところで「三増酒って何?」っていう人も中にはいるかと思いますが、そういうことを説明した本やサイトはたくさんあるのでそちらを参考にしてね。
・なぜ三増酒はなくならないのか
清酒へのアルコール添加および『三倍醸造法』が戦中戦後の米不足対策および酒税の増収を目的とした窮余の策として受け入れられ、それが平成の世に至っても綿々と続いているということをどのように考えればよいのだろう。思い浮かぶのは『悪貨は良貨を駆逐する』ということば。まあ良貨が駆逐されたわけではなく、特に吟醸酒の定番商品化により、上と下の格差が広がったという表現が適切だろうが。
いずれにしても三増酒の生産量が減少しているという印象は受けない。
三増酒がなくならない理由を思いつくまま挙げると、
- 造り手の論理―大吟醸のようなコストのかかる商品の生産量が増えたため、コストを抑えられる三増酒の生産を維持しないと収支のバランスがとれない。
- 売り手の論理―売れ筋商品を仕入れるには下のクラスの三増酒と抱き合わせでないと仕入れできない(あくまでも推測だが)。それ以前に、三増酒でもそこそこ売れる。
- 消費者の論理―家庭の晩酌用の酒を購入する層って実際に飲む本人でなく…ぶっちゃけていうと主婦層というのが結構多いんじゃないでしょうか。そうなると当然質よりも値段が優先される。あと、ある世代より上の年齢の方は三増酒に慣れきっているので違和感なく受け入れてしまう。
話が少しそれるが、ビールの世界では発泡酒がよく売れているようである。マニアは自らすすんで飲もうとは思わないが、過日S社の「Mドライ」というやつをもらったので飲んでみたんだが…もうビールとは全く別の次元の飲み物だね。正直薬飲んでるみたいだった。これがよく売れているというんだから、日本人の味覚というのもかなり怪しいといわざるを得ない。三増酒がなくならないのはこのあたりにも原因がありそうだ。
・日本酒マスコミの罪
三増酒批判はもうかれころ四半世紀前より、有識者を中心に行われてきた。まだ当時は日本酒評論家というカテゴリーが存在しない時代だったと思われるので、日本酒業界に対する発言力が強かったのは作家などの有識者、新聞記者・雑誌編集者などの業界人、それとごく一握りの蔵元や酒販店主であったと推測されるが、ここで彼らがエラーを犯してしまったのは、『三増酒』と『桶買い』をワンセットにした批判を展開した、そして必然的に批判の矛先がナショナルブランドに向けられたということだろうか。桶売り・桶買いが誉められることとは思わないが、たとえ桶買いであっても品質がしっかりしていれば別段いいんじゃないか。三増酒の問題とは本質的に異なるはずである。
そして、時を同じくして巻き起こった『地酒ブーム』もあいまってナショナルブランドはますます肩身が狭くなるわけだが、そんな中でも「月桂冠」「松竹梅」「菊正宗」あたりは三増を廃止して品質重視路線に走る。一方でブームに乗った地酒メーカーではあいも変わらず三増酒が作られている、という図式が現在も続いている。
『罪を憎んで人を憎まず』という言葉があるが、もし日本酒マスコミが三増酒そのものの批判だけでなく三増酒を造る蔵元を名指しで批判していれば現況は変わっていたかもしれない。
そして、我々日本酒好きの考え方にも『三増酒まかりならぬ、三増酒を造る蔵元の酒は買わない』というスタンスと『三増酒を造っていても、飲まなければいいじゃん』というスタンスがあるだろう。恐らく後者が大勢を占めるだろう(でなければ、世の中の『銘酒』のほとんどが飲めなくなる)が、それでは世の中は動かない。たとえ上のクラスの酒がどんなに旨くても三増酒を造っている蔵元の酒は断固飲まない、という姿勢が必要なのではないか…と個人的には思う。
・一応折衷案
たとえば1升瓶なら1,600円台、カップ酒であれば200円くらいがいわゆる『佳撰』クラスである。そして同価格の酒でありながら蔵元によって一方は三増酒、もう一方は糖類無添加の普通酒というのは消費者側からすれば納得しかねる話である。そして、天と地ほどの差のあるこの両者の違いを識別するには、小さく表示された『原材料名』を目を凝らして見なければならない。
そこで、上部団体でガイドラインを定め、三増酒については『糖類添加』とある一定以上の大きさの文字で表示する方法をとれないか。現在普通酒に『糖類無添加』と表示している蔵元はあるが、その逆の発想である。これだけで三増酒を知らずに買ってしまうということはなくなる。
さらに一歩話を進め、法改正して三増酒は『合成酒』のカテゴリーに入れるというのはどうだろう。清酒に糖類・酸味料が混じっているのは許しがたいが合成酒なら知ったことはない。
どこかの政治力のある蔵元からそういう発言、出てこないですかねえ。
・今日からできる三増チェック法
あなたの好きな蔵元が三増酒を造っているか否かの情報は、残念ながら活字メディアでは全然得られない。ならせめてインターネットの世界で情報交換できないものかと思うのだが、そういう視点でHP作っている人ほとんどいないのが現状である。こうなれば頼りになるのは自分のフットワークのみ。
(1)酒ありスーパー、もしくは量販店に行け
地方都市のデパートは結構三増酒のアイテムも豊富なので侮れないのだが(なにがだ)、やはり酒を販売しているスーパー(地元資本の店ならなお良し)か大規模ディスカウント酒店が三増チェックには適している。品数が豊富なうえ、上から下まで商品を舐めるように眺めても店員に声かけられることはまずない。以前は土産物店も三増チェックには好適だったが、最近は土産用の酒もかなり質の底上げが図られているのでいまいち不適。
(2)狙うは陳列棚の一番下の段、1,600円台の1升瓶、もしくは紙パック
冷蔵庫に置かれているのは大体特定名称酒なので見る必要なし(ただし、にごり酒の季節は糖類添加の有無をチェックしよう)。4合瓶も普通酒比率少ないのでよほど時間がない限りパス。狙いは1升瓶と紙パックである。
前項で述べたとおり、1升瓶だと1,600円台が三増ボーダーラインである。心ある蔵元はこの価格帯でも三増出していない。1,800円台は上撰クラスで、三増酒はほとんどないのでチェックの必要はないだろう(まれにこのクラスで三増出してる蔵元があるが、ほとんど詐欺同然と考えるべし―――なんて書いてたら、九州ではいまだこの価格帯に多数三増酒があることを後に発見。うーん―――。あと1,500円台以下の投売り商品もあるが、そんな中でも無糖加酒があるので三増と決めつけるなかれ)。あと紙パックは地元銘柄を中心にね。
(3)原材料をチェック。『糖類』とあったら…
1升瓶の場合大抵肩口のところに原材料名を記載したシールが貼ってある。ない場合はラベルの隅っこにあるはず。紙パックなら裏側の下部に大体表示してある。
で、『米・米麹・醸造用アルコール』のみであれば合格(ただし、さらに下のクラスで三増出してるケースもあるので安心しきれないのが悲しいが)。『糖類』あるいは『酸味料』と表示されていた蔵元の酒は、今日からバイバイ。
最後に本を1冊紹介。カップ酒ギャラリーのところでも触れたが『ちばの酒ものがたり』(1997年:千葉県酒造組合監修、鈴木久仁直著;青娥書房)。前半で日本酒の歴史について詳細に触れており、三増酒誕生の経緯とその功罪についてもかなりの行数を割いている。三増酒については中立的立場から非常に的確に評価をしており、凡百の日本酒本の三増酒批判とは一線を画している。少し長くなるが、入手困難な本と思われるので一部引用する。
清酒をこよなく愛し、うんちくを傾ける酒飲みたちは、必ずといっていいほど三増酒を目の敵にする。よくこんな批判を耳にした。
「アルコールと糖類を混ぜたものは清酒と呼べない」(中略)
三増酒は高価な米の使用量が少なく、経済的に有利なことも大きい。技術的にも、増醸法は混ぜるだけなので簡単である。そのうえ酒質を向上させることができた。また純米酒と比較しても、酒質は安定している。(中略)
昭和二五年の全国平均精米歩合は七九パーセント、昭和三〇年でも七八パーセントにすぎない。この精米歩合で純米酒を醸造すれば、雑味の多い、ゴツゴツした荒い酒質に仕上がることは避けられない。皮肉だが、当時は三増酒の方が旨かった、と多くの関係者が証言する。(中略)
三増酒の発明は必要だった。現在も多くの愛飲者がいることも事実である。できあがりを確認する「のみきり」でも、「三増酒の方が平均して点数(品質)がよい」と証言する。三増酒を一方的に悪者扱いもできないし、役割を無視することもできない。消費者のニーズ、ふところぐあいに応じ、いろんなタイプの酒があってよいだろう。酒の取捨選択の権限は消費者にある。
問題は三増酒に頼りすぎ、その影響下から抜けられなかったことであろう。米あまり・飽食の時代まで続いている。不幸な時代の産物を限定使用できなかった。三増酒は麻薬のような魔力があり、いったん使用すれば底無し沼のように簡単には脱出できない。
そうであっても三増酒の限定使用、高品質なほんものの酒を、時代は強く要求している。要求に応えられず、安易に三増酒に頼ると、三増酒が清酒全体のイメージを下げてしまう。ついには日本酒離れに拍車をかける結果になってしまう。
※上記文章を書いた後、三増酒問題についてはいろいろ考えるところがあり、その取扱いに苦慮しているのが正直なところである。ただ、これが自分にとっての基本理念であることは今も変わりがない。
酒の話メニューに戻る