カップ酒じゃなきゃ、ダメな夜もある。



この10日間ほど、飲む日本酒といえば、カップ酒であった。

これまでも折にふれ書いてきたが、1か月前から身辺が落ち着かない。
考えようによっては、酒など飲んでる場合ではない。
でも、飲まずにはいられないのが酒飲みの悲しい性である。

僕は日本酒が好きだから、いつもなら4合瓶を2〜3本常備している。
しかし、今は旨い地酒を買いに走る時間的余裕も精神的余裕もない。
だいいち、4合瓶を買っても、
いつもやってる、飲み残しをバキュバンで空気抜いて・・・なんて作業は鬱陶しい。

そこで、カップ酒である。
カップ酒なら、開けたらあとは空になるまで飲めばいいだけ。
飲み残しの管理のことなど気を遣う必要がない。
それになにより、こういう気分にはカップ酒が相応しいのである。

これまでカップ酒をテーマにしたホームページを運営していたけれど、
カップ酒を飲む必然性≠ノついて深く考えたことは、あまりなかった。
しかし今回、改めて思った。
カップ酒は弱者≠フための酒であると。
どこでも、買える。
誰でも、買える。
どこでも、飲める。
どんな気分の時でも、飲める。
だから、弱い人≠ヘ、昼間からカップ酒を飲んだりするのだろう。
それが時に非難の的になったりするのだろうけれど、
でも、やっぱり、改めてわかったのだが。

カップ酒じゃなきゃ、ダメな夜もあるんだ。




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