言い訳。
過日拙掲示板でビールの話題で盛り上がったことだし、ビールのことでも書こうと思っていた矢先、『ビールの力』(青井博幸著、洋泉社新書)なる本が出された。これがもう、我が国のビールをめぐる問題点を見事に指摘した名著であり、僕の出る幕などなくなってしまった。不思議なもので、いわゆるビール本≠ノ関しては年1冊くらいの割合で、批評眼に優れたいいものが出るのである。それにひきかえ我が日本酒関連の本といったら、蔵元ヨイショ三増批判でも三増蔵元容認≠ナ、(少なくとも自分にとっては)使用に堪えないものばかりだものなあ。
この『ビールの力』の場合(著者は地ビール会社の創業者)大手メーカーの画一的商品体系や宣伝至上主義、それに日本のビールに対する酒税の高さについて批判しているのは当然として、同時に、特に黎明期における地ビールメーカーの過剰な設備投資や海外醸造技術者への過剰な依存、そして旧態依然とした卸業界をも批判の対象としているのが興味深い。いちばん面白かったのはビールを愛するものにとっては(光を素通しにしてしまう)青色の瓶など言語道断と切り捨てているくだり。「銀河高原」が怒りの矛先になっているようだ。
僕も旅先で地ビールを飲む機会は結構多いから、いい地ビール、悪い地ビール≠フ取捨選択のヒントになりそうなポイントが書かれていて有難かった。それにしても、だ。地ビールって羨ましいっすよ。必ず冷やして売られているんだから(流通の段階でどういう目に遭っているかには敢えて言及しないが)。それに引き換え、我が日本酒のお店での管理状態ときたら・・・。
すでに多くの飲食店では地酒はなにがなんでも冷やして飲むべし≠ニいうのが(誤った)常識になっているのだから酒屋さんでも冷蔵庫の中で売っててもらいたいものなのだが、ほんの一握りの店を除き、いまだに非吟醸・非生の酒については常温下で管理・販売されているのが当たり前なのである。
さて、僕は拙サイト内の『カップ酒ギャラリー』や『地酒の真実』で紹介する酒について、簡単ではあるが味の評価を下している。そして、すでに賢明な読者の方なら次のような指摘をされるのではなかろうか。
あなたはずいぶんと管理の悪い店で酒を買っているようだが、そういう酒に対して正しい味の評価ができるのか? たまたま管理の悪い店で買った酒に対して旨くないということは造り手に対する冒涜ではないのか?
そのような批判に対してはある程度甘んじて受けざるを得ないだろう。たしかに酒の味を客観的に評価するためには、同じ出荷条件の酒を飲み比べる必要がある。
しかし、少なくとも僕個人は客観的≠ネ評価などできないと思っているし、その必要性も感じないのである。
たとえばこれが生きて行く上で必要不可欠なもの(たとえば、水道水)であれば、その品質の変化には常に注意を払わなくてはならない。同じ蛇口から出てくる水なのに日によって澄んでることもあれば濁ったりすることもある、などということでは由々しき問題であろう。しかし、日本酒は嗜好品である。そりゃあ自腹を切って買った酒が旨くなければ悔しいけれど、いつもいつも旨い酒に当たるなどとは思っていないし、時にハズレを掴まされるからこそ、旨い酒と出会った時の喜びもひとしおなのではないだろうか。元来僕はひねくれ者ゆえ、人に薦められて酒を買うという経験がほとんどない。常に自己責任において酒を買っている。だから旨くない酒に当たっても己を責めるだけで、誰を恨むでもないのである。
蔵元から直接購入すれば、あるいは管理のしっかりしている専門店で常に買えば、少なくとも管理状態においては満足の行く酒を常に手にすることができるだろう。しかし僕は、そういう酒だけでなく、街のスーパーや土産物屋で普通に売られている酒も飲んでみたい。情報を得るチャンネルは多ければ多いほどいいと思うから。そして、もしそれらの酒が旨ければ、こんなに楽しいことはない。
もちろん、スーパーや土産物屋でもきちんと酒を管理してくれればそれにこしたことはない。でも、現在の経済情勢がそれを許さない(そんなことに設備投資する余裕がない)以上、蔵元や卸業者もそのことに念頭を置いた酒造りや流通(常温管理に堪えられるボディのしっかりした酒質の酒を造る、運送時は直射日光に当たらぬよう配慮する、など)を心がけるべきであろう。そして、我々消費者は徒な批判を繰り広げるのでなく、造り手や売り手の努力に対して十分な敬意を払いながらも改善点を共に模索して行く、そうすることによって初めて、国民の日本酒離れを食い止めることが可能になるのではないだろうか・・・。
以上、最近の議論に対する私なりの答え(というか言い訳)であります。