
〜 いわゆるメッセージボードを使っての連珠対局 〜
【第一期掲示板連珠名人戦】
広島の松浦浩六段が運営されるホームページ「連珠苦楽部」の「掲示板」を使用して通信戦方式の実戦が行われていますので、このページではその報告をいたします。
松浦さんの「連珠苦楽部」は数多くある連珠関係のホームページの中でも最も代表的なサイトで、「いっしょに連珠を楽しみましょう」のコンセプトで作られています。内容は、初心者向けにルールや定石・序盤の打ち方のアドバイス、中級者向けには実際の対局の詳細解説など棋力に応じた楽しみ方ができるようになっています。
今回の棋戦は「掲示板連珠名人戦」と名乗っていますが、日本連珠社の公認棋戦ではございません。皆様には誤解を招いてしまいそうな表現でございますが、あくまでもこのホームページ上の名称でございますのでご理解賜れれば幸いです。
今回の「名人戦」は昨年(1999年)の十二月初旬にこのホームページの「メッセージボード(掲示板)」への松浦さんの書きこみからはじまりました。
『最近まったく書き込みが無いので一つ提案します。それはメッセージボードを使った対局です。下記の要領で一手ずつ書き込んで対局を進めます。どなたでも自由に使ってください。私と対局希望の方はそのむねのメッセージをお願いします。』(99年12月2日)
このメッセージに対していち早く反応したのが連珠世界誌に「内山月記」なるものを連載している自称・大人気連載エッセイストの東海九朗さんでした。
『松浦さん、あんまり強くないですけどよろしくお願いします。とりあえず仮先で疎星を指定します。負けないようにがんばります。』(12月3日)
と、いつもの東海九朗さんらしくない殊勝なコメントで始まりました。が、勝手に仮先になるという点ではある意味では東海九朗さんらしいです。この時点では考慮時間や基本的な手合い割、細かいマークの方法(四ノビした場合の記入方法等)、試合形式等が未整備でしたが、とにかく連珠ルールで行い有段者は三珠交替・五珠二ヵ所指定打ちで戦うこととなりました。
【第一局】
前述の通り、昨年の十二月から記念すべき第一局が始まりました。インターネットを通して対局を行う性格上、全世界から注目を浴びていると言って過言ではないでしょう。
【第一局・第一譜】○16まで(途中図)
黒 六段 松浦浩×仮先白 初段 東海九朗 (5→18)
この黒5は松浦さんが得意としている五珠で、7は37期名人戦で磯部九段に対して初めて打った作戦です。それに対し白は『作戦に乗るのも一興(12月6日)』と素直に8と引き10、12と構えた事が『意外と効いた(10日)』ようですが、東海氏は『だって、次どこ打っても呼手だもん(15日)』と、ミエミエの揺さ振り?を掛けていましたが、松浦さんは『でも二連がないので苦しい』とあえて乗って見せて15を打ち、白16の引き出しに成功しました。黒17と止められれば後は白としてはもう、突っ走るしかないような展開です。白20では、『とにかく命運尽き果てるまで攻めつづけてみます。(26日)』『防ぎ切れれば有利になると思いますがどうなりますか…?(同日)』と、師走の忙しい中、舌戦と実戦が熱く熱く繰り広げられています。
【参考図】
26日のコメント合戦に、連珠インターネット界で超有名な「サイエン」氏から『参考図のように打ったらどうなんかなあ(29日)』と返信があり、これをきっかけに対局中ですが検討が始まりました。検討の結果は割愛しますが、このような形での検討も同時に公開されており、「着手後に」を基本線にすれば助言には当たらないので、この掲示板連珠の大きな特長になりそうです。
【第一局・第二譜}】●61にて白投了
西暦二千年の年明けに『弾が尽きた(5日)』『どうがんばっても石が足りない(7日)』との白のコメントから『ようやく先手が廻ってきた(同日)』黒が一気に『切り札をだしましょう(18日)』と、容赦なく追詰めにかかり、『密かに手を伸ばしてます(19日)』のカワイイ抵抗にも負けずに勝利を獲得しました。この一連のコメントからどの手の時点の発言か推理してみるのも楽しいかもしれません。この対局は12月3日より始まり1月22日に終了しました。見所ある一戦となりました。
【第二局】(00年1月22日〜2月22日まで)

【第二局】黒 東海九朗 × 仮先白 松浦浩 ○24にて黒投了 (5→15)
前局終了時に『「掲示板名人戦」と大きく出ましょうか?(24日)』との発言から、このタタカイをそう呼ぶことに決定し、第一期は初代王座決定三本勝負となりました。と、いうことは松浦さんがリーチです。『よし、2連勝だ!(25日)』と気合十分の東海さんが5珠を譜のように打ち、またコメントでも揺さ振りを試みたのですが、17・19と自らが動揺してしまって?冷静な松浦さんの2連勝となりました。『黒13から追詰めはなく、じっくり打つべきでした(2月24日)』のコメントが全てを物語っています。
かくして、松浦浩六段が初代掲示板名人として歴史に名を刻む事となりました。おめでとうございます。
※ この文章は「連珠世界」2000年7月号に掲載の記事より、加筆・訂正を行った上で再度本ページに掲載いたしました。機関紙「連珠世界」の購読希望の方は「社団法人 日本連珠社 公式サイト」にお立ち寄りください。
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