京極夏彦
どすこい(仮)の感想を追加しました。(2000.8.14)
言わずと知れた書く本書く本売れまくりの京極夏彦。しかし、私が知ったのはそう
早いほうではない。基本的にノベルスサイズの小説は読まない私が彼の名を知ったのは、
「鉄鼠の檻」が平積みになっているのを見たときだ。「なんて分厚い本だ」多くの人と同じく、
第一印象はそれだった。
しばらく忘れていて、彼の名を思い出したのは、「絡新婦の理」が出版されたときだ。
「うわ、またまた分厚いなあ」と思った私は、あることに気づいた。これだけの厚さがあると、
当然値も張る。ノベルスとしては法外な値段になるはずだ。安めのハードカバーが買える
くらいに。にもかかわらず、これだけ売れている。その魅力はなんだ?本当にそんなに
価値があるのか?半ば試すような気持ちでシリーズ1作目の「姑獲鳥の夏」を手に取った。
・・・面白い。何より、文体がいい。年齢から考えても、舞台となっている昭和20年代
など経験しているはずもないのに、それらしく見える。漢字もそうだが、かなの使い方にも
リアリティへのこだわり、京極夏彦の世界へのこだわりを感じさせる。さすがに、シリーズを
追うごとに、多少キャラクタがデフォルメされ、柔らかめになった感は否めないが、それでも
雰囲気だけはしっかりと保っている。唯一残念なのはその柔らかめになったキャラクタだ。
私は骨太な彼の文章に魅力を感じているので、硬めの文体だった「姑獲鳥の夏」や
「魍魎の匣」が特に気に入っているのだ。
作品ごとにテーマを変えて行われる、京極堂の緻密な薀蓄も目が離せない。私は心理学を
かじっているので、「姑獲鳥」は少し検分しながら読み進めて行ったのだが、かなり調べているな
という印象だ。「鉄鼠」を読んだ直後は一時的に禅宗の歴史に詳しくなってしまって、後輩の
寺の息子(浄土真宗だが)と多少仏教話ができたくらいだ。
京極夏彦に、というより講談社に腹が立ったことがひとつある。ファンの方ならわかるだろう。
「塗仏の宴」の上下巻の発行間隔が開き過ぎたことだ。独立して読めるようになっているとはいえ、
一つの物語だ。半年も待たせるのは・・・
「百鬼夜行」シリーズの話ばかりになってしまったが、「嗤う伊右衛門」も素晴らしかった。私は
別に怪談が好きなわけではないので、「京極版四谷怪談」というコピーには惹かれず、廉価版が
出てから読んだのだが(私は京極に限らず、小説でハードカバーを買うことはほとんどない。大体、
本業の本だけで本棚があふれ返っているのだ)、謎を解体しつつ雰囲気を壊さないという、いい意味
での「京極風」の味付けがされていた。また、ミステリ的な要素にこだわる必要がなかったためか、
まともに「怪異」を題材にしているためか、作風は全く違うのに不思議と泉鏡花のようなムードも
感じられた。鏡花好きの私にとってはかなりポイントの高い一作だ。
とはいえ、基本的には「百鬼夜行シリーズ」のファンなので、「陰摩羅鬼の瑕」の刊行が待ち遠しい
今日この頃。早く出ないかなぁ。